Stage Two「火喰い鳥の羽根」
「ようこそ、ラワンピンジへ。わたしが町長のサイクス=ラウムです。あなたのような若い女性が解放軍のリーダーとは思ってもみませんでした」
サイクスはウォーレンよりも高齢のようだ。だが枯れ木のようなその身は背筋を真っ直ぐに伸ばしており、矍鑠(かくしゃく)とした印象を与えた。
「私はグランディーナだ。早速だが、話というのを聞かせてもらおう」
老人の眼差しが厳しいものとなった。だが彼は、黙って見つめるグランディーナの視線に気づいてか、先に目をそらした。
「頼みというのはほかでもありません。あなた方はこれから帝国軍と戦われるのでしょう。ギルバルド=オブライエンを討つのに、ぜひわたしにとどめを刺させてほしいのです」
グランディーナは指を組み、顎を載せた。
「差し支えなければその理由を訊いてもいいか?」
サイクスはグランディーナを見た。矍鑠とした印象が急に沈み込み、彼は力なく椅子に座り込んだ。
「わたしの息子はかつてギルバルドの副官でした。あれが処刑されたのは奴のせいです。そうでなければ、なにゆえ元軍団長が生き残り、副団長が先に処刑されますか? ギルバルドがわしの息子を殺したも同然です。奴はゼテギネア帝国の犬に成り下がったんだ!」
「わかった。ギルバルドを捕らえられた時にはあなたに連絡する。だが、戦闘中に我々が倒してしまわないとも限らない。その点は了解してもらえるか?」
「それならば、わたしがあなた方に同行させていただくわけにはいきませんか?」
「非戦闘員を庇って戦えるほど我々も余裕がない。それ以上の約束はできない」
「わかりました。その代わり、ギルバルドを捕らえた時には必ずご連絡を」
「約束する」
グランディーナは立ち上がり、部屋を出ていきかけてサイクスを振り返った。
「せっかく提供していただいた宿舎だが使うのは遠慮したい。好意だけいただいておく」
「わたしはそんなつもりでは」
「あなたの好意を疑う気はないが、よけいな前例は作りたくない。失礼する」
「このことも予想されていたと仰いますか?」
外に出てからウォーレンが訊ねた。
「サイクスの事情と態度を見れば簡単だろう。同行まで申し出るとは思わなかったがな」
「ですが、あなたが義勇軍と会ったのは無関係ではありますまい。彼らにこだわるのもサイクス殿の意図には反しておりませんか?」
「サイクスのためだけに戦っているわけじゃない。どんな悪党にも殺したくない奴の1人はいるものだ。だがギルバルドの場合はそれが両極端に思えた。だから彼には会ってみたい」
「義勇軍のことはどうするのです?」
「彼らのリーダーがあなたの言っていたカノープスだった。ギルバルドのことも振ってみたが、いまのところは期待できない。カリナは義勇軍の1人だ。カノープスがよこしたので連れてきた。魔獣軍団員だからおもしろい話が聞けるかもしれないな」
話しながら2人はラワンピンジを出た。
町から少し離れた草原に解放軍の面々がいて、野営地を設営し始めている。指揮を執っているのはランスロットだった。
皆に交じってカリナも働いている。ホークマンの若者は、早くも皆にうち解けたようだ。
「早かったな」
「マチルダがリスゴーを説得してくれたからさ。彼女に礼を言うといい」
グランディーナはランスロットに言われてマチルダを見たが、彼女は夕食の支度で忙しそうだった。
「カリナ! 訊きたいことがある。来てくれ」
「おう。悪いな、俺はちょっと抜けさせてもらうぜ。
何だい、リーダー?」
彼と入れ替わるようにウォーレンが皆に交じった。もっともカリナのように力仕事は任せられないから指揮専門だ。それでランスロットが力仕事にまわった。
グランディーナは顎をしゃくり、野営地から離れた。その髪が夕陽を浴びて真っ赤に輝く。
「ギルバルドとカノープスについて、あなたの知っていることを教えてもらいたい」
「うへぇ。やっぱりその話か。俺も魔獣軍団に長いわけじゃないから団長のことはよく知らないぜ」
「いまは情報が欲しい。ギルバルドのことはそれほど知らなくてもカノープスとは長い付き合いなのだろう?」
グランディーナが振り返るとカリナは目を細めて彼女を見た。
「ああ。俺は魔獣軍団のころからあの人の部下だからな。だけど、そんな話を聞いてどうしようって言うんだ? あんたは団長と戦うって、団長は敵だって大将に言ったじゃないか」
「わかりきったことを訊くな。このままいけば、ギルバルドは間違いなく敵だ。だが私はこのままにしておくつもりもないとも言ったぞ」
「だからってどうするんだ? まさかあんたにならこの状況をどうにかできるとでも言うのかい?」
「どうにかできるのではなくどうにかする。だからあなたに協力を頼んでいる。あなたとて、このままギルバルドと戦うのは本意ではあるまい」
「まぁ、あの人には世話になってるからね。俺だけじゃない、魔獣軍団にいた奴で団長に恩義を感じてねぇ奴はいないはずだからな」
「恩義? ギルバルドが帝国と戦わずに降伏したのは有名な話だ。なぜ恩義など感じる?」
「事情も知らねぇで知ったふうな口をきくな! 団長がいなかったら魔獣軍団だって帝国に根こそぎやられていたろうさ。俺たちがこうしていられるのは団長のおかげなんだ」
「それはあなた個人の意見か? それともほかの誰かの受け売りか?」
「可愛くねぇ女だな。俺がすごんでるのに、びびりもしねぇんだからよ」
「くだらないことで話を逸らすな。あなたに勝てるのにびびる必要などあるか。私は−−−」
カリナは担いでいた鎚をいきなり振り降ろしたが、グランディーナは後ろに跳んで避けた。
当たっていれば骨折も免れなかったろうが、鎚は地面にめり込んだだけだった。
「俺に勝つだと?! 手合わせもしねぇででかい口をたたくな! 来い! その鼻っ柱叩き折ってやる!」
激昂したカリナにグランディーナは挑発的な笑みを浮かべ、自分も曲刀を抜きはなった。
「おもしろい。痛い目に逢わなければわからぬ単純な輩は私も嫌いじゃない。力しか信奉できぬなら、その目で力の差を確かめるがいい!」
言うや否や先に攻めたのはグランディーナだ。
速さにカリナが一瞬臆したその隙を彼女は逃さなかった。彼に反撃さえ許さず、立て続けに打ち込んだ。
有翼人が好んで使う鎚はその重さのために手数が少ないのが欠点でもあり特徴でもある。手数の多い相手と戦う際には、一撃の威力でねじ伏せるしかない。
だがグランディーナの一撃は軽くなかった。むしろ手数の多さでも威力でも圧倒的にカリナを上回っていて容赦もない。
さんざん打たれ放題に打たれて、彼は降参した。
「何をしているんだ、2人とも?!」
血相を変えてランスロットが跳んできた。傍目にはグランディーナがカリナを虐めているようにしか見えなかったのだろう。
「お互いの強さを確かめていた。納得したか?」
「ああ、俺が悪かった。あんたの勝ちだよ」
言いながらカリナは横になる。
有翼人はその大きな翼のせいで滅多に横にはなりたがらない。そうと知っているのでランスロットは少なからず驚いた。
グランディーナだけが何事もなかったような顔だ。
「それではそのままで話を聞かせてもらおうか。カノープス=ウォルフについてあなたの知っていることを話してくれ」
「俺が魔獣軍団に入ったのはゼノビア王国が滅びるちょっと前のことだ。大将、団長、ガルシアン副団長の3人のなかじゃ、大将がいちばん早くて団長とガルシアンがほとんど一緒に入団したらしい。次の団長を決める時に、王はギルバルドを団長にしたらしいんだけど、そのことで大将と団長が喧嘩したって聞いたことがあった。俺が入った時には団長はもうギルバルドに決まってたけどな。大将は面倒見がいい人だし、バルタンだから、俺たちホークマンはみんな大将の下にいたんだ。大将って呼んでるのはその時からさ。だから、大将が団長と喧嘩別れした時にホークマンはみんな、ついていった。別に団長が嫌いだったわけじゃないんだけど、あの時はみんな、頭に血が上ってたからなぁ」
カリナは少しだけ、そのころを懐かしむような顔だ。ホークマンにとっても24年は長い歳月だろう。ましてや人間ならば世代交代をしてもおかしくない年数だ。
「カノープスに家族はいないのか?」
「いるぜ。大将には5つ歳の離れたユーリアって妹がいるんだ。これが可愛い娘(こ)でよ、すごく歌がうまいのさ。まだゼノビア王国が無事だったころ、何回か魔獣軍団に遊びに来たことがあって、優しい娘だったし、ホークマンて女が少ないもんだから、みんなに好かれてたのさ。いろいろと作ってきて差し入れしてくれるし、歌は聞かせてくれるし、ユーリアが来てくれるのが楽しみだったな。それがいつの間にか団長といい仲になっててよ、意外と手が早いんだよなぁっていうか、団長はいい奴なんだけど、大将とユーリアはバルタンだし、何で人間なんかとって噂になってたことがあったねぇ。だけどそのうちに王は殺されちまうし、帝国がやってくるし、ユーリアはどこ行ったんだか、大将のところに何回か来てたのは見たんだけどなぁ」
グランディーナはカリナの側に腰を下ろした。
ランスロットがそこに近づいたが、彼は何も言わなかった。
「カノープスがギルバルドと仲違いしたのは帝国が侵攻してきた時か?」
「そうさ。団長が降伏するって言ったんだけど、大将が反対して、ガルシアンも団長についたんだ。大将はもともと魔獣軍団のなかでもこれといった地位にあったわけじゃなかったんだけど、それで有翼人が大将に、人間が団長につくような形ができあがっちまったのさ。2人ともかなり話し合ったらしいんだけど、最後は喧嘩別れみたいなもんだったって大将が言ってたな」
グランディーナは少し考え、また訊ねた。
「ギルバルドとユーリアは公認の仲か?」
「へへっ」
「何がおかしい?」
「あんたが色気のない話し方するからさ」
「よけいなお世話だ。訊かれたことに答えろ」
「へいへい。団長とユーリアのことはみんな見てみぬふりってやつさ。けっこうお似合いのカップルだったんだぜ。大将はバルタンの長老からかなり言われたらしいけど、もともとあいつら無理言うって聞かされたことがあってよ。大将たちはそれが嫌でバルタンの里を出たって話だったぜ。だからまぁ、誰のお咎めがあるってわけじゃなかったし。でも団長いい奴だったからなー、内心じゃ応援してる奴も多かったって聞いてる」
「ならばユーリアはバルタンの里に戻ったのではないのか? 帝国が捕らえればギルバルドとカノープス双方へのいい人質になる。バルタンの里ならば帝国の手も伸びにくかろう」
カリナは突然、跳ね起きた。が、すぐに地面に突っ伏してしまう。
「そんなこと許せるものか! ユーリアは俺たちのアイドルなんだぞ! いてててて」
「あなたの身体ならば明日には痛みも引くだろう。眠れないようだったら、マチルダにニワトコを煎じてもらうといい。
ユーリアがどこにいるか知っているか?」
「知らねぇ。大将も知らないらしいんだ。何年か前に喧嘩したらしくってそれっきりさ。大将の虫の居所が悪いのはそのせいもあると思うんだ。大将はユーリアを可愛がっていたからな。
ニワトコって何だよ?」
「打撲に効く薬草だ。
義勇軍がどんなことをしていたか話してくれ」
カリナはずいぶんばつの悪そうな顔をした。グランディーナだけでなくランスロットがいたせいもあったろう。
「義勇軍なんて言ってはいるけど、実は大したことやってたわけじゃないんだ。ゼテギネアから脱出させてやったり、威張りくさってる帝国の奴らを痛い目に逢わせてやったり。シャローム地方にいられないけど、ゼテギネアを離れたくないって奴はジャンセニア湖とかマラノへ連れてってやったりもしたけどよ。大将の言ってたとおりさ」
「ギルバルドがそれを見逃していたのか? ずいぶんと人のいい男のようだな」
「だから大したことやってないんだって。でも団長は俺たちだってわかってるんじゃないかって大将が言ってたことがあったな」
「ほかに何かあるか?」
「いや、俺が教えられるのはこれくらいだ」
「ありがとう。
2人とも先に行っててくれ。私はまだ考えたいことがある」
ちょうどマチルダが3人を呼びに来ていた。
それでランスロットとカリナが立ち去り、あとにはグランディーナだけが残された。
陽はもう沈んでいた。もうじき辺りは暗闇に包まれるだろう。春の日はまだ短い。
だが彼女が振り返ると、そこに2人の影が控えていた。1人はまだ幼さの残る若者だが、解放軍での働きは2人とも人一倍と言って良かった。
2人は元々ウォーレンに仕える下級忍者だったが、グランディーナが解放軍のリーダーになると同時に指揮権も引き渡したのである。情報収集が主な役割だ。
「ユーリア=ウォルフの所在はつかめたか?」
2人は同時に首を振った。
「わかった。あなたたちは先にジャンセニア湖へ行ってくれ。天狼のシリウスという男について気になる噂を聞いた。奴の正体を確かめておいてほしい」
2人は顔を見合わせたが、それぞれ頷いた。
「シャローム地方はまだ2日はかかる。4日後にトラブゾンで成果を聞かせてくれ」
「わかりました」
2人がいなくなるとグランディーナは南方をしばらく眺めていた。
彼女がようやく立ったのは、マチルダが2回目に呼びに来てからのことであった。
「帝国が動き出さぬうちにバンヌ、チャンジガルを落とす。だが今回は帝国軍のなかに元魔獣軍団員が混じっている可能性が高い。敵は無力化するだけにとどめ一刻も早くペシャワールを落とすことを優先させろ。
幸運を祈る」
影竜の月15日、解放軍の各部隊はそれぞれペシャワールを目指して進軍を開始した。
ペシャワールはシャローム地方の中心都市であり、ギルバルドの住まう町でもある。ここを落とせばシャローム地方はゼテギネア帝国のくびきから解放されることになるのだ。
よく街道が整備され、これといった困難な地形もないため、ラワンピンジからペシャワールまでの進軍はたやすい。だが、シャローム地方に7つある町の門戸をそれぞれ開きながらとなると進軍方向を3つに分けねばならない。
グランディーナは帝国軍と戦闘になる確率のいちばん高いバンヌ、チャンジガル方面にリスゴー、ガーディナー、それにマチルダの部隊を向けた。
海を越えてバハーワルプルを経由する方向にはロギンスの部隊を、バンヌやチャンジガルの裏を廻るサジガバードにはウォーレンとランスロットが廻った。
その日の夕方までには帝国軍の散発的な抵抗に逢いながら、バンヌ、チャンジガル、バハーワルプル、サジガバードの各町が解放軍に門戸を開いていた。支配者であるギルバルドが率先してゼテギネア帝国に降(くだ)った割に、シャローム地方の人びとは反骨精神が旺盛のようだ。
残ったのはペシャワール以外ではレニナカンとアナトリアだ。どちらも街道から外れており、戦略上の重要性は低い。勝敗は決まったようなものであった。
南西にペシャワールを望むチャンジガル郊外に、解放軍は2日目の野営地を設置した。
ラワンピンジほどではなかったが、どこででも解放軍は歓迎された。
だが昨日の教訓は生かされて、グランディーナがチャンジガルに到着したころには野営地はできあがっていた。
グリフォンを使えばラワンピンジからチャンジガルまでは2時間ほどだ。グランディーナはカリナとラワンピンジに待機していたのだった。
「どうする? 俺はラワンピンジまで戻った方がいいかい?」
「今日はいい。明日の朝、ペシャワールへ行く前にウォーレンとラワンピンジに戻り、ラウム町長を連れてきてくれ。ロギンスのグリフォンも連れていけ」
「ラウム町長? 何でペシャワールに行く前じゃなきゃならないんだ?」
「彼と約束をしている」
「やっぱり団長と戦うのか? それに町長と約束って何をだよ?」
答えようとしてグランディーナはカリナを制した。ウォーレンとランスロット、それにガーディナーが近づいてくるのも身振りで止めた。
「報告は後で聞く。ついてくるな」
彼女は野営地を離れた。チャンジガルの南を流れる川まで歩いていく様子は、散歩としか見えない。
川縁でグランディーナは振り返り、誰もついてきていないのを確かめた。夕餉の支度をする煙が野営地から上がっている。腕を組んでそれを眺めながら、彼女はどこに向けるともなく言った。
「姿を現したらどうだ。帝国の差し金か?」
返事の代わりに降ってきたのは稲妻だった。
グランディーナが曲刀を抜いて地面に突き刺し後方に跳ぶと、そこに稲妻が落ちた。
さらに火の玉が飛んできて、彼女はすかさず曲刀を握りなおし、剣風でそれを薙ぎ払ったが、髪がわずかに焦げて、火ぶくれが少しできた。
「何者だ?!」
今度は彼女もあらぬ方向を見ていない。一点を見据えているとじきに、忍者装束に身を包んだ端正な顔立ちの青年が現れた。
彼はグランディーナの前まで来て片膝をついた。
「無礼はお詫びします。わたしはシャローム地方の執政官ギルバルド=オブライエンの使いで来ました」
グランディーナは曲刀を鞘に収めた。前髪を払うと焦げたところがこぼれた。
「ギルバルドは何と言ってきた?」
「これ以上、互いに血を流しあうのは無益、リーダー同士の一騎打ちで決着をつけたい」
「その返事はあなたが持って帰るのか?」
「いいえ。わたしはただの伝達役です。ギルバルドは待つと言っていました。1人で行くも軍を率いて行くもあなた次第、その反応で判断するのだそうです」
「それで、あなたはこれからどうするつもりだ? その口振りからするとギルバルドの部下だったとも思えないが?」
「わたしは失業中の身です。元は帝国兵でしたが仕える主人を失ったので特に当てもありません」
グランディーナは彼を眺めた。これで騎士の格好でもしていれば女性が放ってはおかないような優男だ。
「立ったらどうだ。それとあなたの名前をまだ聞いていなかったな」
「聞いてどうしようというのです?」
そう言いながらも、彼は言われるままに立ち上がった。身長はグランディーナより高い。ランスロットといい勝負だろう。
「どうせ帝国に義理立てする気もないのだろう。我々と一緒に来たらどうだ。それには名前も知らないのでは不便だからな」
彼は心底驚いたような顔をした。
「わたしはアラディです。アラディ=カプラン。あなたは帝国の間者を信用するというのですか?」
「信用すると言った覚えはないが、オファイス人が帝国に忠誠を誓っているようにも見えなかったので来いと言った。私は人使いが荒いがな」
「ギルバルドの言ったとおり、おもしろい方ですね。わたしに何をしろと言われますか?」
「ユーリア=ウォルフは知っているか? 行方を知っていたら教えてくれ」
「知っているわけではありませんが、時間をいただければ調べましょう」
グランディーナはアラディに背を向けた。
「期限は明日の朝までだ。あなたが戻らなければ私はペシャワールへ行ってギルバルドを討つ」
彼女が野営地に戻るとリーダーが集まっていた。
ほかの者は思い思いに休んでいるようだ。
「稲妻の音が聞こえましたが、帝国兵に襲われましたか?」
ウォーレンはさすがに魔術師だけあって、その手の音には聡い。
取り置かれてぬるくなった夕食を食べながら、グランディーナは適当に頷いた。
「それよりも今日の報告を聞こう。大して話すこともないだろうが」
「わたしとリスゴー殿の部隊が2回ずつ帝国軍と戦闘しただけです」
ガーディナーがそう言うと、グランディーナは先を続けるよう促した。
「帝国軍と言っても、ほとんどは魔獣軍団の者が駆り出されているようです。幸い、誰も倒さずに済みました。彼らはギルバルドへの忠誠心は厚いようです。ギルバルド次第では我らの味方になってくれるかもしれません」
「バハーワルプルとサジガバード方面では何かあったか?」
「こっちは何も。カノープスにもお目にかかれませんでしたよ」
バハーワルプルに廻ったロギンスが即答した。
続いてランスロットも答える。
「アナトリアに100年以上も生きている魔女がいるという噂を聞いた。人間だけでなく有翼人も一目置く人物らしいが、偏屈でも有名だそうだ。何でもグラン王にも意見できたほどの実力者らしい」
ウォーレンが頷いた。同じ魔術に携わる者として、有名人のようだ。
「会ってみたいな。どうせ来るのだろう?」
最後の言葉はランスロットに向けられたものだ。
彼が頷くとグランディーナは立ち上がった。食事は済ませており、マチルダが黙って盆を下げた。
「ロギンス、ポリュボスを借りていくぞ」
「明日の行軍はどうしますか?」
「朝話す。休んでおけ」
「ごまかしたが、さっきは何があったんだ?」
上空に出るとすぐにランスロットが言った。
チャンジガルからアナトリアまでは途中にレニナカンを挟んでほぼ直線で結べる。夜間とはいえ、レニナカンの灯を目指していけば空からならば迷う心配もなかった。
「影を1人雇い入れた。その挨拶がわりだ。別にごまかしたわけじゃない」
「そのような人物に信頼を置けるのか?」
「解放軍も一枚岩というわけではあるまい。いろいろな人間がいた方がいいだろう」
「それでその影はどんな用事で来たんだ?」
「ギルバルド=オブライエンの伝言を持ってきた。彼と私とで一騎打ちをして決着をつけようと」
「ギルバルドらしいな。これ以上、兵が倒れるのを嫌がったのか」
「なぜそう思う?」
「元魔獣軍団員ではなくても彼に恩義を感じている人間は少なくない。ギルバルドのおかげで助命された者もいるし、そもそも彼が帝国に降伏しなければ、シャローム地方も戦火に焼かれたと言う古老もいた。カノープスが言っていただろう、名誉も地位も棄てて延命だけ考えたと。だがギルバルドは自分の命より、魔獣軍団員やシャローム地方の民の命を優先したのではないかと思ったのでね」
チャンジガルからアナトリアまではグリフォンならば夜間でも1時間ほどの距離だ。
アナトリア目指してグリフォンは下降した。その町の灯はレニナカンよりも小さいもので、地上から行けば森に埋もれてしまう。
グリフォンを立木に繋ぎ、2人は町に向かった。夜間でもあり門は閉ざされている。
「どうするんだ? アナトリアは元々自治都市などと陰口をたたかれるほど独立精神の強いところだ。旧ゼノビア王国の時代にも王の威光が届かぬので有名だった。こんな時間に門は開けてもらえないぞ」
グランディーナが答えようとすると2人のあいだに人影が降ってきた。
ランスロットが押しとどめる間もなく、彼女はその影に近づく。それはアラディだったのだ。
「奇遇だな、ここで会うとは」
「はい。これからお知らせに戻るところでした」
「見つかったのか。私たちはこの町で有名な魔女に会いに来た。
ランスロット、彼がさっき話した影だ。アラディ=カプランだ。
アラディ、彼はランスロット=ハミルトンだ」
ランスロットが近づくとアラディは立ち上がり、差し出された手を握り返した。いまは忍者装束ではなく、ごくふつうに見かけられる町民のようななりだ。
「見つかったとは誰か探させていたのか?」
「有名な魔女というのはババロアのことですか?」
ランスロットとアラディが同時に言った。
「君はババロアを知っているのか?」
ランスロットの次の言葉はアラディに向けられたものだ。
「ええ。ユーリア=ウォルフはそこにいます。魔女ババロアには帝国も手が出せなかったのでしょう」
「ババロアに会おう。話はそれからだ」
「案内しましょう」
当然のようにアラディが先に立った。
影らしく、彼はアナトリアの壁を越えて侵入したようで、グランディーナとランスロットにも同じ経路を示した。
「アナトリアは陽が落ちると門を閉ざし、よほどの急用でなければ開きません」
「だからと言って、こそ泥のように侵入するのもどうかと思うが」
「外で待つか?」
アラディが真っ先にアナトリアに入り、グランディーナ、ランスロットの順に侵入することになっていた。
「リーダーだけ単独行動させるわけにはいかない。解放軍が侵入というのも体裁が悪い話だな」
「緊急事態だ。文句があるならば外で待て」
傭兵という経歴上、グランディーナはこうした行動に慣れているらしい。身軽に綱を使って壁を登り、アナトリアに入っていった。
「文句は山ほどあるが、万が一見つかった時に身代わりが必要だろうということだ」
そう言いながら、ランスロットも軽々とアナトリアの壁を乗り越えた。後は休むだけだったので、鎧を脱いでいたのが幸いした。
2人を待っていたアラディが綱を回収する。どこに綱など持っているのかというほど軽装だ。
通りは暗いが、夜警のものらしい足音が響いた。アラディはそれらを巧みに避けて、ババロアの家の前まで2人を案内した。
アナトリアにその人有りと知られた魔女の家には大きな木が1本、天を突くように立っている。
「あの木がババロアの家の目印です。とても長寿の木で、オウガバトルのころに植えられたらしいという噂もありました」
「あれはアカシアだろう。ババロアというのは大した魔法の使い手らしいな」
「アカシアをご存じか?」
暗がりから声が聞こえた。年寄りのもののようだが、男とも女とも判別しづらい声だ。
「秘儀の伝授と知識の概念の象徴だ。だがミミルの泉は枯れている。太陽と、再生と不死の象徴をもって、泉の水を満たせよ。不死を知るために死を知れ。だが私はその器ではない。私の庭に木は栄えない。願わくば、あなたの木の栄えんことを」
「それは奇なことを仰せだ。だが理(ことわり)を知る者に扉は開かれるもの、入ってこられるがよい」
扉が音もなく開け放たれた。それで声の主は、この家の主人、魔女ババロアと知れたが、ランスロットとアラディにはまるで道理のわからぬ話である。
「わたしはここで待とう。アナトリアまでつき合うという役目はもう終わったのだからな」
「わたしも外で待たせていただきます。理のわからぬ者が勝手に扉をくぐらぬ方がいいでしょう」
グランディーナは2人の言葉に黙って頷く。彼女を見送ってからランスロットはアラディに声をかけた。
「そう言えば、君にはまだ歓迎の言葉を言っていなかったな」
「影にかしこまった挨拶など必要ではありますまい。ここでお会いしなければ、わたしのことなど知ることもなかったでしょう」
「そう言うな。君も解放軍の一員になるのだろう。歓迎するよ、アラディ。君の役割は決して小さなものではないとわたしは思っているのだがね」
「あなたは変わった方ですね。解放軍とは皆、そのようなものなのですか?」
「さあ、どうだろうな」
戸をくぐると真っ暗な通路だった。
グランディーナが真っ直ぐに進んでいくと、あのアカシアの木が植えられた庭に出た。夜だというのにそこだけ昼間のような明るさだ。木の下に卓と椅子があって、そこに魔女らしき人物と明らかにバルタンとわかる女性が座っていた。庭そのものも狭くない。まるでアナトリアの町に接する森に入り込んだようだ。
「解放軍のリーダーであろう。よくババロアの庭に参られたな。ここまで来た御仁は多くない。私が自ら招いたなかでは、おぬしは12年ぶりの来客だ」
「私はユーリア=ウォルフを探していた。せっかく扉を開いてもらったが、彼女を連れていきたい。かまわぬだろうな?」
「解放軍の方が私をどこへ連れていこうと言うのですか?」
その一言で彼女は自らユーリアだと認めたようなものだった。だがグランディーナが答えるより早く、ババロアが口を挟んだ。
「気持ちはわかるが慌てなさるな。夜明けまでにはまだまだ間がある。どうせ奴はそれまで起きるまい。夜明けに着くように出れば間に合うであろうが?」
ババロアはそう言って空いている椅子を勧めたので、グランディーナも黙って腰を下ろした。
「それでは私の問いに答えていただけませんか?」
ユーリアもカノープスと同じ真紅の髪と翼を持っていたが、彼のような燃えるという印象は受けなかった。
「私はグランディーナだ。あなたの兄カノープス=ウォルフとギルバルド=オブライエンを解放軍に引き入れたい。あなたの力を貸してもらえないだろうか」
「ギルバルドさまと兄を、ですか?」
「昨日カノープスに会ったがいい返事はもらえなかった。それであなたのことを聞いたので協力してもらえないかと思って探していた」
ユーリアはグランディーナをしばらく見つめた。
「兄は卑怯者です」
やがて彼女が発したのは意外な言葉だった。
「ギルバルドさまがたった1人で帝国と戦い続けているのに、兄は真っ先にギルバルドさまを見捨てました。グラン王が暗殺されたと聞いた時、ギルバルドさまはすぐに帝国に降伏しました。騎士団と魔法軍団の方々と力を合わせて、ゼノビア王国として戦うべきだと誰もがギルバルドさまに言いました。ですが、ギルバルドさまは別れ際、私にこう言われました。
『戦って亡き王に忠誠を捧げて名誉の戦死を遂げる道もあるだろう。だが帝国と戦えばこのシャローム地方が戦火に巻き込まれよう。魔獣軍団ばかりか民にも死者が出るだろう。わたしたちに守るべき家族がいるように戦った帝国兵にも家族がいるだろう。戦いは大勢の避難民と孤児と未亡人を生み出すことになるだろう。生き残った者は帝国を憎むように我々を憎みもするだろう。それならば、わたしは帝国に降伏する。わたしの首と引き替えに平和を守れるのなら人と人が憎みあわずに済むのならこんなに安いものはあるまい』
けれど、ギルバルドさまは、帝国の命令でそのままシャローム地方を治めることになりました。魔獣軍団の方々も兄に追従した有翼人以外の方はギルバルドさまのもとに残ったのです。私もギルバルドさまを帝国の犬と誹る声があるのは知っています。でも、そう言う人たちは、ギルバルドさまが降伏する道を選ばなければ、自分が死んでいたかもしれないことを棚に上げています。そのことでいちばん傷ついているのはギルバルドさまなのに、どうしてそんな勝手なことが言えるのでしょう?!」
「私はあなたの問いには答えられない。ただあなたがカノープスのことを誤解しているようだから言っておく。彼は卑怯者ではないし、ギルバルドの心情も理解している。きっかけをつかめないでいるだけだ」
「あなたは私にそのきっかけになれと言うのですね? それは事情を知らないから言えるのです。私だって何度ギルバルドさまと兄を和解させようと思ったことか。何度、兄を説得しようとしたことか。すべて無駄足でした。兄を説得する方法など私が知りたいぐらいです」
ユーリアの最後の言葉は嘆息とともに吐き出された。
グランディーナはその横顔を眺めていたが、唐突に訊ねた。
「この赤い羽根の由来を知っていたら教えてもらえないか」
彼女が出したのは、カリナと初めて会った時に互いの確認に使った物だった。だが、ユーリアは突然、目を輝かせてそれを引ったくった。
「これは! 偽物じゃありませんか!」
「当たり前だ。それは私が拾った羽根を赤く染めただけだ。だがカリナが赤く染めろと言った理由を彼にもカノープスにも訊きそびれた」
「カリナに会ったんですか?」
「そうだ。順番が逆になったが、私をカノープスに会わせたのはカリナだ。彼らも無為な24年間を過ごしたわけじゃない。義勇軍を結成して帝国に抗おうとしていた。その活動は微々たるものだったようだが」
「でも兄は、戦いをやめたと公言していたはずです。どうしてそんなことを?」
「そうすれば帝国の警戒は薄れる。魔獣軍団内でも団長と張り合えるほどの実力者ならば監視の目がついてもおかしくはあるまい。どれが最良の選択だったかなど誰にもわからない」
ユーリアは立ち上がった。彼女はグランディーナの目には真っ暗な空間にしか見えないところに入り込み、すぐに真紅に輝く羽根を1本携えて戻ってきた。大きさといい、色といい、グランディーナのそれとは比べものにならないような立派な羽根だった。
「これは火喰い鳥の羽根です。グラン王がギルバルドさまを団長に選ばれた時にくださったもので、魔獣軍団の証ともされていました。カリナはきっとそのことを覚えていたのだと思います」
「夜明けまでにバハーワルプルに着きたいのなら、そろそろ発たれてはいかがかな。ここからはどんなに急いでもいまが潮時だろうて」
いままで石のように押し黙っていたババロアが口を開いた。
ユーリアは驚いて彼女を見、その手を握りしめた。
「お婆さま、私は−−−」
「行くがよい。そしておぬしとギルバルド、それにカノープスの揃ったのを見せに来ておくれ」
「でも、私−−−」
「何を大げさなことを。これが永の別れになるわけじゃあるまいし。またいつでも帰ってくるがいい。おまえたちのために門戸は開いている。そして私の無聊(ぶりょう)を慰めておくれ。おまえの歌声はこれから大勢の人を慰めるだろう」
「はい!」
グランディーナはすでに立っていたが、ババロアが逆に彼女を招いた。
「先にお行き、ユーリア。婆はこの御仁に用がある。さあ、こちらへ」
「お元気で、お婆さま」
ユーリアの姿が見えなくなると、ババロアは初めて立ち上がった。その年老いた小柄な姿は道ばたの石像にも見える。
「何の用だ? 発てと言ったのはあなただぞ」
「すぐに終わる用だ。おぬしにこれを渡しておこうと思ってな」
ババロアが差し出したのは小さな藍青石の板だ。
「わたしには姉が2人いる。マンゴーはカストラート海に、タルトはライの海にいるはずだ。この板を持ってゆけば、姉たちも助力してくれよう」
「伝える言葉はないのか?」
「自由の身となる者には言葉など不要。姉たちとは泉のほとりで再会できよう。せめて、おぬしたちの無事を祈らせてもらおう」
グランディーナは両手で板を受け取った。
微笑んだババロアの姿が砂のように崩れて、明るかった庭が真っ暗になった。アカシアの葉ずれの音だけが変わることなく聞こえる。
暗闇に踏み出すと、外の風が冷たく感じられ、グランディーナは一寸先も見えぬ中、その感覚だけを頼りに外に出ることができた。
外で待っていたのはユーリアとアラディだった。
「ランスロット殿はグリフォンのところです。戻りますか?」
「あなたとランスロットは我々の野営地で降りてもらう。私とユーリアはバハーワルプルへ行く」
アラディは軽く頷いて、ユーリアにも頭を下げた。
じきに彼女らはグリフォンに2人ずつ騎乗して、解放軍の野営地を目指していた。
グランディーナとランスロットがポリュボスに乗ったが、このままではグリフォンが足りないことに気づいたユーリアが自分のグリフォン、エレボスを呼び出したのだった。
待っているあいだにポリュボスは休んだらしく、その翼は来た時同様、力強く羽ばたいたし、エレボスはポリュボスよりも大柄なグリフォンだ。
「ランスロット、あなたとアラディは野営地で降り、皆に待つように伝えてくれ。ウォーレンとカリナにはラウム町長を連れてくるように」
「我々は君の帰りを待つだけか? ペシャワールへ先に向かうわけにはいかないのか」
「ギルバルドは私との一騎打ちを望んでいる。軍隊を差し向けるわけにはいくまい」
「なぜギルバルドの要求に応えてやる必要があるのか教えてくれないか」
「ギルバルドは勝つ気などないからだ。その上で彼は死を望んでいる。だが私はその願いを容易に叶えてやる気はない」
「だがラウム町長はギルバルドのことを自分でとどめを刺したいと言ったのではないのか? 彼を連れてくるのはその本懐を遂げさせてやるためなのだろう」
「あなたが帝国ならば、シャローム地方を支配するために魔獣軍団長ギルバルド=オブライエン、副団長ガルシアン=ラウム、有力者カノープス=ウォルフ、誰を残し誰を殺す? ほかの者でもかまわない」
そう訊ねたグランディーナの声音は静かだったが、はっきりとランスロットに聞かれた。
予期してもいなかった問いに彼は黙り込み、しばらくはグリフォンの羽ばたきだけが聞こえた。
「それは意地の悪い問いだな」
「簡単な引き算だ。カノープスは一線を引いた。ギルバルドは元々シャローム地方を治める家柄だ。2人への牽制もある。副団長を殺す」
「そういう言い方をするのなら、なぜギルバルドも殺してしまわなかったんだ? 首をすげ替えた方がよほど帝国にとっては都合がいいだろう?」
「ギルバルドが降伏したことでシャローム地方は無傷で帝国のものになった。ギルバルドを殺せばカノープスも魔獣軍団も黙ってはなかったろう。結果的に魔獣軍団はほとんど残った。副団長の死と大勢の部下の命と、ギルバルドがどちらを取ったのかはわかりきったことだ」
「まるで君もそういう選択をすると言っているようだな」
2頭のグリフォンは降下を始めていたが、グランディーナはランスロットを振り返った。
「最後まで抗う。だが1人を助けるために大勢を犠牲にしていいとは限るまい。たとえそれが自分の命でもだ」
ランスロットが応えるより早く、グランディーナは正面に向き直り、叫ぶように言った。
「私とユーリアはすぐにエレボスで発つ。皆への説明はあなたに頼む」
「朗報を期待している!」