Stage Three「悪霊の森」2

Stage Three「悪霊の森」

ジャンセニア湖を発った解放軍がイグアスの森、通称ポグロムの森に着いたのは白竜の月に入った日のことだ。
ポグロム、旧い言葉で「虐殺」を意味する名詞でこの森がそんな名前で呼ばれるようになってから、24年経つ。
ひとまずマトグロッソの近くに野営地を設置した解放軍の面々は、誰もが複雑な顔で南西に広がる森を見つめた。
街道はこの森を迂回して、南西のゼノビアに続く。一同がヴォルザーク島を離れてからまだ1ヶ月も経っていない。その時間の速さと、この森でかつて行われた大虐殺を思っているのだろう。
「ポグロムの森のことはご存じでしょうね?」
「知っている。24年前の戦いでゼノビア城から逃れた人びとが帝国に降伏しようとして許されず、ここで焼き討ちにあった。森は1日で焼け野原と化し、虐殺の首謀者は帝国で主要な地位に就いている。それ以来、誰も元の名では呼ばなくなった。ポグロムという名前が定着した」
昼間でも暗澹(あんたん)とした森を見つめるグランディーナの表情はいつもと変わりがない。
「だが、ここ数年で森は急速に復興した。その勢いは近隣のマトグロッソやバイアも呑み込みそうなほどだ。それからだ、悪霊が森の周辺に出没するようになったのは」
「街道はこの森に沿って続いています。あえて森を攻めなくてもよいのではありませんか?」
「話そう。リーダーは集まっているか?」
「待たせてあります」
魔獣たちも落ち着きがないようだ。悪霊が昼間からうろつくという森だ。その雰囲気を魔獣の方が敏感に感じ取っているのだろう。
そのなかで、ユーリアのグリフォン、エレボスは割と落ち着いていた。身体の大きさからいっても、エレボスは魔獣たちのリーダーのような存在だ。
解放軍の誰もが落ち着かず、野営地の設営はのろかった。だが、なかにはこの森で家族を殺された者もいるはずだ。しばらくは重苦しい雰囲気が続きそうであった。
グランディーナは集まったリーダーたちの前に1枚の地図を広げた。
ポグロムの森はゼノビアの北東に広がる大きな森である。旧ゼノビア王国の版図に含まれていたが、その大きさのために開拓はほとんど進まず、人が住んでいるのは街道に沿ったマトグロッソ、ロライマ、アラゴアス、ロードニア、マラニオン、それにバイアだけがゼノビア領だったと言っても過言ではない。
だが地図には彼らの知らぬ地名がマラニオンの南西に加えられていた。
「見てのとおり、ポグロムの森は街道沿いに町があるだけのところだ。かつては森の端にセルジッペ、ミナスシェライスという都市もあったが、例の虐殺時にどちらも廃墟と化している。虐殺の影響もあって、森の開拓はまったく進んでいない状態だ。シャローム地方とゼノビアを結ぶ街道が生命線と言ってもいい。だが、ここ数年、森が急に元の姿を取り戻し、悪霊が周辺に出没するようになった。ゴヤスという町が現れたのは同じころだ」
グランディーナがいったん言葉を切ると、皆は思い思いに自分の意見を述べあった。身内をこの森で失った者は当然、その魂を安らがせることを願い、一方ではゼノビアを先に攻略すべきだという声も出た。
「ゴヤスは街道から外れているようですが、何かわかっているのですか?」
ウォーレンの問いに皆の視線がまた地図に注がれた。その町のことは完全に関心から外れていたからだ。
「ゴヤスにはラシュディの三番弟子、黄玉のカペラが住みついている。悪霊を操っているのもそいつだ。ポグロムの森を素通りすることはできない。ゼノビアに進むのはカペラを倒してからだ」
突然出てきたラシュディの名に、誰もが言葉を失ったようだ。
しかしグランディーナは淡々と話を進める。
「悪霊には通常の武器が効かない。僧侶たちに浄化してもらうか、聖別された武器だけが有効だ。それで今回は軍を展開せず、少数の者で飛行部隊を組んで、カペラを直接叩く。奴を倒せば、死者の魂も解放されるだろう。残りの者はアラゴアスに向かえ。そこで合流しゼノビアに向かう。
異論がある者はいるか?」
「誰がゴヤスまで参りますか?」
「ランスロット、マチルダ、カノープス、ギルバルド、それに私だ。1人でグリフォンかコカトリスに乗れば移動速度はいちばん速いはずだ。ほかに悪霊と戦った経験のある者はいるか?」
さすがに返事は上がらなかった。もっとも、グランディーナが名を挙げた面子でさえ、悪霊との戦闘経験は疑問符のつくところだ。マチルダを除けば、カペラを叩く攻撃力を重視してだろう。
「こちらの指揮はウォーレン、あなたに任せる。ミネアにもこちらの守りに残ってもらう」
「了解しました。明日の朝発たれてもゴヤスに着くのは夜になりましょう。マラニオン辺りで休んでということですか?」
「そうだ。マラニオンまでも強行軍になるだろうが、ちょうどいい拠点がほかにない。カペラと戦うのは明るい時にしたい。
ギルバルド、グリフォンとコカトリスの体調は万全だろうな?」
「いつでも発てましょう」
その時、野営地の一角から悲鳴が上がった。森に面した方だ。
グランディーナはすぐに走り出したが、振り返って一同を怒鳴りつけた。
「マチルダ! あなたが動けないでどうする! 皆も遅れるな!」
「は、はい!」
2人の後を皆が追った。
倒れているのは女戦士のシルキィ=ギュンターだ。その上に半透明の黒っぽい長衣が覆いかぶさっている。
女戦士のマンジェラ=エンツォが弓を射た。矢は長衣を突き抜けて地面に突き刺さる。
「悪霊に武器が通用するか! そこをどけ!」
長衣はグランディーナの方に向き直った。眼のようなものが2つ光る。生者ではないその光を見た者は、背筋がぞっとし、背中に垂れる冷や汗を感じないではいられなかった。
シルキィが呻いた。
グランディーナは曲刀を抜き放つ。
「速く浄化しないか! 奴に触れられているだけでシルキィの命は危うくなっているんだぞ!」
「はい!
ミネア、あなたも私に唱和してください!」
マチルダはそう言って、いつも身につけている十字架を取り出した。ミネアの返事も待たずに浄化魔法の詠唱が始まる。
「聖なる父フィラーハの慈悲深き御名において命ずる。汝、迷える霊よ、この世のくびきより放たれよ。安らぎを知らぬ魂よ、所在の処(あるべきところ)に還れ!」
真っ白な光が悪霊を包んだ。霊は地の底から聞こえるような低いうめき声をあげたが容易に消え去らない。
「何か人為的なものがこの霊をこの世に繋ぎ止めています! 浄化魔法ではそのものまで消し去ることはできません」
「そこか!」
曲刀が悪霊がいるのとはまったく違う空間に突き出された。そこを通した景色がぶれて、明るい緑色の生き物が現れる。
蝙蝠(こうもり)の翼に人とも有翼人とも異なる異形の姿、魔界の住人、悪魔族であった。
同時に一同は、悪魔の振り降ろした大鎌がグランディーナに届かずにいたのも見た。
曲刀を墨のような体液がつたう。それは彼女の手から地面に緩慢に滴っていた。
「なぜ貴様がここにいる?!」
彼女は曲刀を引き抜くと、悪魔が地面に落ちる前にその身をたたき斬った。
悪魔は狡猾な笑みを浮かべ、現れた時と同じように消えた。
悪霊が浄化されたのも同時であった。
「速くシルキィの手当を!」
「はい!」
誰もがいまの出来事に唖然としていた。
悪魔の存在などオウガ同様、古のオウガバトルの存在だと思っていたのだ。ほとんどの者は悪魔を見たのも初めてだった。
だが、グランディーナの曲刀には黒い体液が残っていた。悪魔は消えたが、確かにいたという証拠は彼らの目の前にある。
「シルキィは大丈夫です。数日は安静にしていた方がいいでしょうが、命に別状はありませんわ」
「わかった。オーサ、シルキィを連れていってくれ。マンジェラ、付き添いはあなたに頼む。何かあったらマチルダかミネアを呼べ。あとはユーリアと交替でやってくれ」
「わかりました」
シルキィとマンジェラは仲のいい娘たちだ。どちらも26歳で女戦士として弓の腕前を競い合ってもいるし、ガーディナー=フルプフの部隊で一緒に肩を並べて戦ってもいる。親友の事故に泣き出しそうな顔をしていたマンジェラも、一段落していつもの明るさを取り戻したようだった。
オーサ=イドリクスに担がれたシルキィとマンジェラ、それにマチルダが揃って去っても残った者はまだ動けなかった。
「なぜ悪魔がこんなところにいたんだ?」
やっとランスロットが言った。
「わからない」
ロギンスが持ってきた水桶で、手と刀を洗いながら、グランディーナは不機嫌そうに答える。
「だがでたらめに現れたのではないだろう。カペラとつながっているのかもしれない」
「カペラと悪魔がどうつながるのです?」
ウォーレンは同じ魔術に携わる者としてそのことが不快そうだ。
「カペラはラシュディの三番弟子とは言っても、アルビレオに比べると力が劣る。それを補うために悪魔の力を頼んでいるとも考えられる」
「確かにそのような魔術師や妖術師の話も聞いたことはありますが、悪魔がなぜカペラに力を貸す理由がありますか? 奴らはオウガバトルでは我々人間と敵対した同士です。人間に手を貸すなどあり得ないことではないでしょうか?」
「悪魔はそれほど石頭ではないらしい。要求するものを与えれば、人間とも短期間の契約は結ぶそうだ。カペラに与えられるものがあれば、悪魔も手を貸すだろう」
「それはポグロムの森に彷徨う悪霊ですか?」
突然のエマーソン=ヨイスの発言に皆がぎょっとしたように彼を注視する。
「確かに悪魔を召喚して契約する方法は存在しますが奴らは価値ある宝物か人の魂、召喚者そのものの命などしか喜ばぬそうですよ。しかしここにはたくさんの死者が眠っている。悪魔に差し出すには−−−」
「それ以上、言うな!」
誰も止める間もなくカシム=ガデムがエマーソンに襲いかかった。あっという間にエマーソンは地面に倒され、カシムが馬乗りになる。
「俺の両親はこの森で殺されたんだぞ! 俺だけじゃない、シルキィだってマンジェラだってそうだ! それをよくも、よくも!!」
「冗談じゃない! どうして僕が責められなけりゃならないんだ! 僕はただ−−−」
「やめておけ、2人とも」
取っ組み合いになりかけたところでカノープスがすかさず割って入った。
「どっちの言い分も間違っちゃいないが、仲間割れするところじゃないだろう。悪いのは死者の霊を冒涜するカペラだ、そうじゃないのか?」
「だけど!」
カノープスに頭を撫でられて、カシムは小さい子どものような顔になった。泣き出しそうなのを必死でこらえているのは傍目にもわかるほどだ。
「私の言い方も思わせぶりだった。悪いことをした、カシム」
「いいえ、俺も、かっとしちゃって」
「おまえも謝れよ。知っていても言っていいことと悪いことの区別ぐらいつくだろうが」
カシムとは対照的にエマーソンはすねたような顔をしていたが、横を向いてほとんど聞き取れない謝罪の言葉を述べた。
「それで、カペラは予定どおりに明日攻めますか? それとも対策を立て直しますか?」
「予定どおり攻める。さっきも見たように悪魔にはふつうの武器が効く。悪霊よりもよほど戦いやすい相手だ。だが人員は変更だ。マチルダ、あなたが残り、ウォーレンに来てもらいたい。こちらはリスゴー、あなたに任せる。問題はあるか?」
「ゴヤスに向かう途中で悪霊に襲われたらどうするのです?」
「そのためのグリフォンだろう。逃げの一手に決まってる。ほかには?」
「ないようだな」
と例によってランスロットが答える。
「野営地を森から放す。リーダー以外の者で不寝番を立てる。それだけやっておけ。今日は解散だ」
その一言で皆が散った。
「君は悪魔と戦ったこともあるのか?」
「初めてだ。おかしなことを訊くな」
「あの時、まともに動けたのは君だけだったろう。だからそう感じた。別におかしなことではないさ」
「悪魔だろうと敵ならば討つ。面倒なのはあの場に現れたのは下級の悪魔だったが、カペラが契約したのがどの悪魔かということだ」
「悪魔にも階級などあるのか?」
「悪魔は魔界の人間のようなものだ。階級があっても不思議ではあるまい」
「それは意味合いが違うだろう」
「同じだ。王族、貴族、平民、下層民、斬って赤い血の出ることに変わりはない。階級など支配層に都合のいいまやかしだ。悪魔の階級はもっとはっきりしている。強いか弱いか、それだけだ」
「どちらにしても君にはしばらく前線に立ってほしくないな。悪霊も悪魔も皆が見たんだ。次からは君じゃなくても対処できるだろう。君は今回は傷を治すことに専念した方がいい」
「本当に対処できるのなら任せる」
シリウスと戦ったのがまだ4日前ということもあって、グランディーナの傷はほとんど変わりがなかった。さっきの動きでも傷口が開いたのは確実なはずだが、彼女は1日に1回しか包帯を取り替えさせない。
「言われなくても何とかしてみせるさ」
ランスロットはそう言い張ったが、グランディーナの表情は変わらなかった。
やがて就寝の時間が近づくと、誰からともなく、いつもは散って寝るところを、今回は皆が集まって寝ようという話が出た。真ん中にマチルダとミネアをおいて、ほかの者が同心円上に輪を作るのだ。いちばん外側には当然不寝番が立つ。
グランディーナも反対せず、外周に近いところに場所を占めた。ランスロットとカノープスがその近くを固める。
「横にならないのか?」
とカノープス。そう言ってる彼ら有翼人だって、半身を起こした姿勢で寝るのが当たり前だ。
「私はこの方が慣れてる」
「寝てる時まで武器を身につけてるのもか?」
「何かあった時に武器を探していたのでは遅い」
「そのための見張りなんだがな。おまえ、根本的に集団生活に向いてないだろ? どうした?」
突然グランディーナは立ち上がった。
彼女が人払いして1人になりたがることがあるのをカノープスはランスロットから聞いている。ウォーレンによれば、たいていは影の報告を聞くためだという。
だがウォーレンとランスロットはこの場にいない。
「おい、待てよ。こんなところで人払いなんて冗談にならねぇぞ」
だが彼女は立ち止まらない。カノープスが軽くつかんだ手を振りほどき、森の方へ歩いていく。
「グランディーナ! こんな時に何−−−?!」
いつの間にか霊が、彼女の周囲に飛び交っていた。
1つ、2つ、カノープスはその数を数えきることができない。霊の姿は不安定ではっきりと見分けられないからだ。
彼の声に何事かと皆が起き出してきた。ギルバルドも近づいてくる。
霊に手を出したくないのは皆、似たようなものだ。
「ぼさっと突っ立ってないでマチルダかミネアを呼んでこい!」
誰にともなくカノープスが怒鳴ると、戦士のヴィリー=セキが血相を変えてシルキィの天幕に走っていった。
そうしている間にもグランディーナの姿はますます多くの霊に取り囲まれているようだ。
その表情は見えない。彼女は立った時からずっと背をこちらに向けている。
曲刀に手もかけていないところを見る限りではシルキィのように襲われたわけではないらしい。
とうとう意を決して、カノープスは近づいた。友好的な霊がいるのなら、それでもかまうまい。だが何かあってからでは遅すぎるのだ。それらの霊が突然悪霊に豹変しないとは誰にもわからない。
「やめろ!」
不意に彼女は両手で顔を覆った。
それで彼もつい足を止める。
「やめろ、なぜ私を呼ぶ? 死者に用はない、去れ、還れ! 還ってくれ!!」
「グランディーナ?!」
まるで悲鳴のような声音にカノープスは手を伸ばしたが、引き連れた多くの霊とともにグランディーナの姿はかき消すようにいなくなった。
解放軍の一行が見ている、その目の前で。
「それでみすみす彼女が消えるのを見送ったっていうのか!」
「あの場はどうしようもなかった。悪霊に襲われるのなら、まだ手の出しようもあるが、突然、消えちまったんだ。そんなこと誰に予想できるんだ?」
カノープスの言い分はもっともだ。
それに有翼人は魔法に馴染まない。バルタンとレイブンが使う技は、どちらも魔法というより精霊の力を借りたものだ。ホークマンに至っては力押しの一辺倒である。
「霊に連れ去られたということでしょうか?」
ウォーレンの問いにカノープスは首を振った。
「そうも見えなかったが、断言はできん。どっちかというと、霊と話していたって感じだ。あいつが霊を拒絶するまで、確かにおかしくはあったが、険悪な雰囲気じゃなかったからな。だから突然『去れ』なんて言い出して、やばいと思ったら消えちまったんだ、どうしろって言うんだよ、ええ?」
「馬鹿を言え。霊と話すなど僧侶じゃあるまいし、あり得ることか。なぜその時に割り込んででも止めなかったんだ?」
「何だと?! あくまでもけちつける気か?」
八つ当たり気味のランスロットにカノープスも鎚を手に立ち上がった。
ギルバルドが割って入らなければ、2人はそのまま取っ組み合いの喧嘩をしていたかもしれない。
「こんな時に大人げないことでいかがする。過ぎてしまったことをあれこれ論争してもしょうがあるまい。これからのことを考えるべきだろう」
ウォーレンもすかさず同調した。この老人は、他人の喧嘩は黙って見てる方だ。一見、人当たりは良いが、意外と意地悪いところがある。
「明日のゴヤス攻めをどうするか、考えねばなりますまい。ともかく」
そこで彼は言葉を切った。その視線の先にある者に、ランスロット、カノープス、ギルバルドが気づいた。
アラディ=カプランが、所在なさそうに立っていて、皆に頭を下げる。
シルキィやマンジェラがその男前なところを見たら黄色い悲鳴でもあげていたことだろう。
「グランディーナ殿がいらっしゃらないようなので、こちらに来ました。お久しぶりです、ギルバルドさま、ランスロット殿」
ランスロットはすぐに頷いたが、ギルバルドの名が呼ばれたことには驚きを禁じ得ない。
もっとも、当のギルバルドは名前を呼ばれたことに困惑気味のようだ。
「過ぎた話はまたにしよう。なぜここに?」
「黄玉のカペラについて、ご報告に伺ったのです。表に出るのは好きじゃありませんが、そうも言っていられないようでしたので伺いました」
「カペラについて、どんな報告ですか?」
アラディはウォーレンを見た。
相変わらず身軽そうな格好で、今日も忍者装束ではない。影というと誰もが思い浮かべる姿だが、町中などでは逆に目立つのだろう。
「と仰るということは、あなたがグランディーナ殿の代理ですか?」
「そういうことになりますか」
するとアラディはウォーレンに短く耳打ちした。
その反応を皆が見つめる。
ウォーレンの表情は最初、怪訝そうなものだったが、突然、意味を察したように青ざめた。
彼が生唾を呑み込むのを長い付き合いのなかで、ランスロットは初めて見た。
「まさか」
ウォーレンがつぶやく。アラディは何も言わない。自分の仕事はそれで終わりだと言わんばかりである。
「どうしました、ウォーレン?」
しかし、彼はアラディの方を見た。
皆の視線が影の若者に集まる。なかには彼の立場など理解していない者も少なくないだろう。
「本当ですか、それは? 見間違いということはありませんか?」
「わたしは事実を申し上げただけです。判断するのはわたしの仕事ではありません」
「何の話だ?」
「ゴヤスに悪魔がいるそうです。それが最上位の悪魔、サタンだと言うのです」
皆の反応はいまいちだった。ただ1人、例によってエマーソンだけがうめき声を上げて皆の注目を集めた。
「知ってるのか?」
「どうして皆さん、驚かないんですか? サタンなんて我々のかなう相手じゃない。とんでもない敵なんですよ!」
「だからってのこのこ帰れるかよ。このままゼノビアに向かったところでカペラを放っておいたら背後から強襲されるだけだぞ」
カノープスの意見はもっともだったが、皆の心情はエマーソンの方に傾いているようだ。
その臆病風に吹かれた雰囲気をランスロットはすぐに察した。そのための影だ。彼らの持ってきた情報は全てが知らされているわけではなかったのだ。
グランディーナが1人で影に会いたがるわけである。それは彼女がいつの間にか築いた、解放軍のリーダーとしての立場でもあった。
「ウォーレン、このまま皆で話していても埒があきません。今日は休んで、明日、リーダーだけで話し合いませんか」
「そうですね。もう遅い、皆も休んでください。見張りだけは忘れないでください」
ランスロットはそれ以上、皆の反応など気にしていなかった。彼はアラディを誘い、その場をそっと離れる。カノープスが察して軽く目配せをした。
「何でしょうか?」
「グランディーナが行方不明になっている。探してもらえないか?」
「森の中で探すのは難しいです。わたしも悪霊に襲われたら対抗手段がありません。できるとは申し上げられませんね。少なくともゴヤスではお見かけしませんでしたが」
「そうだったな。悪霊に対抗できるのは僧侶か聖別された武器だけだと彼女も言っていた。君にばかり無理を言ってすまない」
「いいえ。わたしも彼女に戻ってもらえないと失業します。調べられる範囲で探してみましょう」
「頼む、アラディ」
彼は黙って微笑んだ。それから、ランスロットに頭を下げると、解放軍の野営地からは姿を消したのであった。
ぞっとするような寒さを覚えてグランディーナは目を覚ました。
辺りはまだ暗い。空に瞬く星が遅い時間だと告げている。
彼女がいるのは森の中ではなかった。見知らぬ廃墟に一人きり、放り出されていた。
グランディーナは立ち上がった。
11夜の月明かりが唯一の灯りである。軽く周囲を見回すと、そこが森にごく近い町で、見捨てられてからずいぶん経っているのがわかった。
焼け落ちた家屋が崩れるように並ぶ。
黒こげの骨がそこかしこに転がっている。煤を払う者も、拾い集める者も訪れたことはないようだ。
「セルジッペか、ミナスシェライスか」
ポグロムの森の地理を思い出しながら、彼女はつぶやく。だがどちらもマトグロッソからはいちばん速いグリフォンでも1時間以上かかる距離だ。
どうやってここに来たのか、彼女は覚えてもいなければ、そんな手段の心当たりもなかった。
何者かに呼ばれて霊に取り巻かれた。それ以上の記憶は苦く曖昧なものだ。あの霊のなかに誰を見たのか、いまの彼女には答えられない。
グランディーナは曲刀が腰にあることをまず確かめた。だがそれだけだ。解放軍の野営地に戻る手段は皆無に等しく、連絡の取りようもない。いくら優秀な影でも自分を見つける可能性は砂漠の砂粒を見分けるようなものだ。
彼女が森の方に近づいていくと白い影が現れた。亡霊のようだが悪霊とは違う。野営地に現れた霊に似ていなくもない。
背後から骨の鳴る音が聞こえてきたのもその時だ。
誰一人訪れることも弔うこともなかった廃墟の町に、まだ死者の魂が残っていて、突然ふってわいたグランディーナに何か訴えようとしているのかもしれない。
だが、振り返った彼女が見たのは、白い骨の群れであった。
亡霊が手招いて、森の中に移動する。
廃墟からは続々と骸骨の戦士が沸いてくる。
グランディーナは身を翻し、昼間でも悪霊の跋扈(ばっこ)する森に亡霊を追って駆け込んだ。
「予定どおりカペラを倒そうぜ。こんなところでぼやっとしていてもしょうがないだろう」
翌白竜の月2日、食事もそこそこに集まったリーダーたちにカノープスはいきなりこう切り出した。
「わたしも賛成だ。昨日のアラディの話によるとグランディーナはゴヤスにはいないらしい。彼女が消えたのがカペラの仕業でないのなら、人質になっているということもあるまい」
ギルバルド以外のリーダーたちは積極的な意見に思案顔だ。悪魔はろくに知らなくてもサタンが最上位の悪魔であることで腰が引けるらしい。
「ウォーレン、ギルバルド、グランディーナが最初にカペラ打倒に決めた人員はカノープスとわたし以外ではあなた方だ。ご意見を伺いたい」
「わたしは意見を述べられる立場ではないと思うが、リーダーの決定に従うとだけ申し上げよう」
そう言ったきり、ギルバルドは腕組みをしたまま微動だにしなかった。
口には出さないが、解放軍の中には彼の存在をよく思わぬ者もいる。だが彼は弁解の言葉ひとつ口にしようとはせず、ただグランディーナに従うのみであった。
「ウォーレン、あんたは?」
カノープスがランスロットに同調した。
ウォーレンは小さなため息をついたが、ゆっくりと頷いた。
「行くも行かぬも好みませんが、このまま座してリーダーの帰りを待つより、ゴヤスに行った方がいいでしょう。すぐに発たれますか?」
「そうだな。いまから行けば、今日のうちにマラニオンに着くだろう。早速出かけるとしよう」
「リスゴー、あとのことは頼みます。あなた方は予定どおりにアラゴアスに向かってください。今晩は泊まれるような町もありませんから、くれぐれも気をつけてください。グランディーナが戻ってきた時のためにエレボスを残していきます」
「わかりました。皆さんもお気をつけて」
携行用の糧食を持ってウォーレンたちは間もなくポグロムの上空にあった。
コカトリスには魔獣に慣れたカノープスとギルバルドが乗り、ウォーレンとランスロットはグリフォンに騎乗した。
2人を乗せている時と違い、コカトリスもグリフォンも速く飛んでいたが、ポグロムの森は広大である。眼下はすぐに森だけとなり、どの町も影も形も見えなくなった。
「ウォーレン、昨日みたいなへまは二度とごめんだぜ。人より知識があってもあれじゃ宝の持ち腐れだ」
「エマーソンに悪気はないんだ。多少は大目に見てやってくれ」
「悪気がないからいいってものじゃないが、俺が言いたいのはそうじゃない。まぁ、エマーソンにはいろいろと説教してやりたいこともあるがな。
ウォーレン、アラディに最初に話を聞いた時点で俺たちだけにすれば良かったんだ。どうせゴヤスに行くのは俺たちだけだ。行かない連中までサタンがいるなんてことは知らなくても良かっただろうが?」
「そうですね」
「俺たちはゼテギネア帝国に喧嘩売ってるんだぞ。サタンくらいでびびっててどうするんだよ。ラシュディはサタンより強いかもしれないぞ」
「それは笑えない冗談だな、カノープス」
「サタンが強いのは本当です。奴らは魔界ではリーダーのような存在です。我々の感覚で言えば、将軍や団長のようなものです。デーモンやデビルのような下位の悪魔を従えていることもあるでしょうし、その魔力は星々を操ることもできると言われています。決して侮れるような相手ではありません」
「侮った覚えはないぜ」
カノープスは不機嫌そうな顔で森を見下ろした。
「ちぇっ。この森、こんなに広い森だったかな。前にゼノビアに行った時はこの森のことなんてろくに覚えてないのによ」
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