Stage Three「悪霊の森」3

Stage Three「悪霊の森」

森の中をグランディーナは走り続けた。鬱蒼(うっそう)とした森の中では時間の経過もわからない。だがとうに夜は明けているはずだ。
白い亡霊はそのあいだ、一度も止まらなかった。もう1体、悪霊から彼女を庇うようにかぶさる亡霊もいる。そのせいで悪霊は彼女を見失うようだ。悪霊に襲われても撃退さえできないだけにかなりありがたい。
だが、ずっと川縁を走り続けて橋が見えてきた時、とうとう彼女は強引に足を止めた。
心臓が、全身が、悲鳴をあげている。特にシリウスに噛まれた肩口が燃えるような熱を帯びていた。
「少し休ませろ! 目的地がどこだか知らないが何時間、走らせる気だ!」
橋の上にわずかな空が広がる。
グランディーナはそこに横たわり、呼吸を整えようと目をつぶった。
「あなたたちは何者だ? 私に何をさせたい?」
亡霊はかろうじて人の姿に見えたが、話はできないようだ。薄暗い森の中だから見分けられる影は、彼女にわかる言葉を持たなかった。
「誰かの使い、というわけか。私をミナスシェライスまで呼び出した張本人はそこにいるのか?」
彼女は目を開けた。
亡霊が覆いかぶさっていて、その上を悪霊が通り過ぎていく。
悪魔の姿はない。もともと魔界の生き物である。いつもこちらの世界にいるわけではないのかもしれない。
それでグランディーナはしばらく身動きしなかった。
そうしているあいだにも、悪霊が2度3度と行き交う。それはまるで何かを探しているようにも見えた。
その獲物は森に迷い込んだ生者であろう。
「あれがカペラの差し金だとすると、あなたを使わしたのはカペラに敵対する者か。私たちもカペラを倒そうとしていたのだな。彼らは動き出しただろうか?
行こう。いつまでも休んでいられる状態ではなさそうだ」
彼女の言葉に呼応するように1体の亡霊がまた先導役となり、1体が庇った。
彼女はまたしても当ての分からぬ目的地目指して、走り出さなければならなかった。
だがあれぐらいの休憩ではとうてい身体は癒されない。動悸はすぐに激しくなり、身体のあちらこちらが悲鳴をあげる。それでも彼女は走り続けた。戦場では動けなくなったらおしまいだ。動きを止めた者から息絶えていく。自らの意志で立ち止まることは自殺行為に等しい。その思いが彼女の足を動かす。
生きることを自ら止めるわけにはいかないのだ。
森がまた闇に包まれようとするころ、朽ちかけた教会の尖塔が視界に入った。
森はまだまだ切れそうにない。人里離れたところに教会は珍しい。ロシュフォル教会のものではないのかもしれなかったが、グランディーナは最後の力を振り絞って、その建物の中に倒れ込んだ。
しばらくはそのまま中を見るような余裕もない。人の気配はしないが、いきなり攻撃されても何もできないところだ。やっと息が整ってきたころ、彼女はようやく立ち上がり、何があるのか確認した。
しかし、朽ちかけた教会には誰もいないようだ。そもそも、森全体を焼き尽くす業火から、この建物だけ残ったことさえ奇跡のようなものではないだろうか。
気がつくと、ずっと彼女を先導していた亡霊の姿はなくなっていた。そもそも、この教会が目的地だったのかもわからない。建物があると気づいて、グランディーナは亡霊のことなど失念し、ただそこで休みたいと思ってしまったのだ。彼女は扉に近づいた。
「誰だ?!」
人の気配に振り返ると、そこに白い長衣を着た老人が立っていた。いつの間にか建物の中にも灯りがある。
「あなたは誰だ? 私をここまで来させたのはあなたの差し金か?」
「そうだ。わたしは賢者ポルトラノ、ぜひそなたの力を借りたいと思って手荒な真似をしてしまった」
グランディーナは彼に近づいた。
ポルトラノは賢者というより隠者のような風情がある。だがその手にも眼差しにも、ただ者ならぬ力を感じさせた。
「アナトリアの魔女ババロアからそなたのことを聞いた。理(ことわり)を知りながら器ではない。ならばその器、わたしに貸してはもらえないだろうか?」
「何をするつもりだ? あなたがカペラと敵対する者ならば私も喜んで器でも力でも貸そう。だが1つ問題がある。死者が何をしようと言うのだ?」
ポルトラノの表情が歪んだ。その姿が一瞬ぼやけ、また元の形を保つ。
「この森が、なぜポグロムなどと呼ばれるようになったか、そなたも知っていよう?」
「知っている。ゼノビアの貴族だったアプローズ男爵という男が帝国に寝返る手土産に、ゼノビア城から落ちてきた難民を森ごと焼き払ったからだろう。森は1日で焼土と化し、近隣のセルジッペとミナスシェライスも壊滅した。あなたもその被害者か?」
「そうではない。だがわたしにはどうしても器が必要だ。この森を彷徨う霊を利用するカペラを倒さねば、わたしはこのまま消えてしまうことはできないのだ」
「詳しい話を聞かせてくれ。それならば、力になれるかもしれない」
「そなたはそうせざるを得ないはずだ。そなたの仲間たちがゴヤスに向かっている。カペラに力を貸すサタンを召還できねば、返り討ちに遭うことになる」
「何だって?!」
「彼らは明日にはカペラと対峙することになろう。夜のうちにサタンを召還できねばならぬぞ」
「それには時間がかかるのか?」
「話をしながら支度をするとしよう。そなたの手を借りねば準備もできないのだったからな」
「良かろう。取引は成立というわけだな」
「わたしは昔、セルジッペに住んでいた。森の北西にある小さな町だ。だが24年前、あの事件が起きた。森に逃げ込んだ難民たちは森を焼き尽くす炎から逃れ、ミナスシェライスとセルジッペに至った者もあったのだ。どれほどの者がたどり着いたかは知らぬ。しかし彼らを庇うことでアプローズの、引いては帝国の怒りを買うことを恐れた2つの町の住人たちは難民に対して扉を閉ざした」
自分の口から知らぬ言葉が出るのは奇妙なものだ。グランディーナの身体はポルトラノの支配下にあって自分の意志では動かすことができなくなっている。
「ミナスシェライスとセルジッペは、地図の上ではゼノビア王国の版図に含まれていたが、もともと王の威光の届かぬ自治都市だ。あまりゼノビア人同士という意識もなかったらしい。だが、森を焼き尽くした炎は2つの町をも巻き込んだ。逃げ出した者はわずかなものであった」
ポルトラノは話しながら建物の床にずっと魔法陣を描き続けている。
「わたしはあるお方に下界と関わらぬよう命じられていた。セルジッペという辺境の町を選んだのもそのためだったのだが、その時のわたしにできた選択は2つしかなかった。命令を破って1人でも多くの民を助けるか、この身を捨てるかだ。わたしには森を覆い尽くした炎を止める力はなかった。それを操るアプローズや帝国の手も止められなかった。わたしは命令に背いて民を助けることにしたが、行動が遅すぎた。セルジッペは炎上し、わたしもその炎に巻かれた」
不意にグランディーナは凄まじい熱気に取り巻かれたような錯覚を覚えた。次いで身体が炎に炙られ、焼かれる痛みが襲ってくる。
ポルトラノの記憶がそう感じさせたのだろう。だが、視界に入ってきた己の手は、たったいま炎に炙られたかのように水ぶくれができ、焼けただれ、黒こげになっているところさえあった。
「肉体を失ったわたしは、逆に抑えていた力が開放されるのを感じた。だが拠り所のない意識はいずれ四散するもの。力もただ失われていこう。わたしは民を守ることも、命令を守ることもできなかったのだ。ところが、この森で失われた者たちのなかに生者への恨みから悪霊となった者がいるのをわたしは知った。その経緯を思えば同情に値するが他人に害をなすのを黙って見ているわけにはいかぬ。わたしは彼らを抑えるために、森の中心に立つ、この教会跡にやってきた。ここで神を祀らなくなって久しいが、森の要に当たる重要な位置だ。力しか持たぬわたしでも悪霊を抑えることはできるだろう」
グランディーナの痛みが引いた。手の火傷の痕も消えている。肉体を失ったポルトラノにとって記憶はあくまで記憶なのだ。
「だが、抑えているだけでは何にもならない。彼らを召還できねば、この世に逆に縛りつけられ、聖なる父に見(まみ)えることも許されまい。しかし人の足は遠のいてしまったし、わたしはこの森から離れることができない。せめてギゾルフィかタルトに連絡ができればと思ったが、それもかなわない。それから何年も経った。悪霊は消えず、外の世界も変わらず、無為な時間だけが過ぎた」
ポルトラノの手が止まった。
「肉体を失ったわたしには時間の概念が希薄なのだが、何年か前に、カペラがこの森にやってきた。奴はこの森を彷徨う悪霊を捧げて魔界からサタンを召喚して力を手に入れた。わたしの抑えが効かなくなったのだ。だが奴らはまだわたしの存在に気づいてはいない。悪霊を思いどおりに操ることなどサタンの力をもってしても難しいことだ。抵抗があるぐらいにしか考えていないだろう。だが事態が悪化したのも事実だ。そこへそなたたちが現れた。聞けばババロアが藍青石の板をそなたに渡したという。乱暴な手段だったが、サタンを召還するためには、どうしてもそなたにこの教会へ来てもらわねばならなかったのだよ」
グランディーナは魔法陣を描く前に曲刀を外し、鎧を脱いでいた。いまの彼女は裸足で、一切の金属を身につけていない。
ポルトラノ=グランディーナは魔法陣の中央に進み出た。
両手を高々と掲げると手の指先から足の指先まで自分のものではない力が満ちた。
「退去せよ。悪しき霊よ。己が世界に戻れ。
地獄より来りし者、夜を旅する者、
昼の敵にして闇の主、
犬の遠吠え、流された血を喜ぶ者、
影の中、墓場を彷徨う者、
数多の人間に恐怖を抱かしめる者よ。
退去せよ。退去せよ。退去せよ。
我は汝を召喚せざる者なれど、
聖なる父の御名と慈悲深き女神の御名において
我、汝を縛りつけし契約を解かん。汝を召還せん。
退去せよ。退去せよ。退去せよ」
ポルトラノは怒鳴っていたわけではなかったが、その声は朗々と辺りに響き、建物を突き破って森中に届いたかと思われた。
真東に踏み出して、同じ呪文を詠唱する。その次は真南、その次は真西、最後が真北に向かってであった。
真北に向かって呪文を唱え終え、背後を振り返ると、そこに灰緑色の体色の悪魔がいた。自身の身長より高い大鎌を持っているが、威圧感は野営地に現れた悪魔とは比べものにもならなかった。
「邪魔をするな!」
それだけ言って悪魔は鎌を振りかざして襲いかかってきたが、ポルトラノの詠唱は止まない。防御しようともせず、ただ呪文だけ唱え続けている。
「退去せよ!」
その一言とともに悪魔が消え去り、同時に魔法陣の光も薄れていく。
またグランディーナは、ポルトラノの支配から逃れたことにも気づいた。
「成功したのか? 前置きが長かった割に呆気なかったようだが?」
そう言いながら、彼女が1歩踏み出すと同時に全身を疲労が貫くのを感じた。足腰が立たないのは2日も眠ってないからだけではないだろう。
「カペラが次の悪魔を召喚するには時間がかかろう。いまのうちならば、そなたの仲間たちにもカペラは倒せよう。どうかしたのか?」
「見てのとおり動けそうにない。器を貸しただけなのに魔法を使うのはこんなに疲れるものなのか?」
ポルトラノはわずかに微笑んだ。
「そなただから疲労するだけで済んでいる。力のない者が器を貸せば、負荷が大きすぎて死んでいるか、儀式が完成しなかったかもしれぬ。この教会は安全だ。しばし休んでいくとよかろう」
「それは断る」
靴を履きながらグランディーナは即答する。靴の重さは尋常ではなかったが、彼女は無理に手を動かした。
「ここからゴヤスまでは走っても1日以上かかるだろうし、いまの私にはそれは無理だ。マラニオンにいる仲間に合流したい。ポルトラノ、あなたなら、私をマラニオンに送り届けられるだろう?」
「気づいていたのか?」
「都市にだけ移動できる魔法の品があるそうだ。あなたの力ならばそんな物がなくてもたやすいだろう」
「ではこれでお別れだ。行く前にその棚にあるクイックシルバーを持っていくが良い。遙か西のダルムード砂漠に住む白き魔導師ギゾルフィに見せれば、そなたたちの力になってくれよう」
「ダルムード砂漠のギゾルフィ、覚えておこう」
やっと靴を履いて、グランディーナは立ち上がり、曲刀と鎧を取り返した。曲刀はもとより鎧の重さも生半可ではなかったが、置いていくのも気が利かない。
それから示された棚を見に行くと、その引き出しに拳大の紋章が所在なさげに置いてあった。
銀色の表には光と戦争の女神イシュタルの横顔が刻まれている。ひっくり返すと「名もなき戦士たちの栄誉を讃えて」という文句が彫られていた。
「これはあなたが作った物か?」
「そうではないが、知った物か?」
「いいや。ただ、知ったふうなことを書く奴がいるものだと思っただけだ」
「それはそなたが考えるような芝居がかった物ではない。この大陸の未来を託すべく贈る物だ。ギゾルフィとタルトに会った時にその意味を訊ねるが良い。わたしにはこれ以上言うことはない。さらばだ、グランディーナ。そなたたちのこれからの戦いに勝機があらんことを」
周囲の景色が歪み、またはっきりするまでに時間が要った。
グランディーナは森の外、町の郊外にいて、冷たい夜風が頬をなぶる。
「ポルトラノ、あいにくだが私は勝利のための祈りとやらは信用しない。運命は自分で切り開くものだ。そう教わったし、そうと信じている。祈りが、神が私の運命を決めるのなどまっぴらごめんだ。それに、栄誉を讃えられる名もなき戦士たちの足下には大勢の名もなき敗者の死体が転がっている。一握りの英雄よりも名もなき勝者よりも、その方がずっと多いということも私は知っている。英雄たちの名も、名もなき戦士たちの栄誉も、大勢の敗者があってこそ成り立つものだ。この大陸の未来など託されぬ敗者の方が、ずっと多い。あなたたち、賢き司にその意味はわかるまい。そのことも気づくまい。1人ひとりの敗者の名をあなたたちが知ることも未来永劫にあるまい。私が言いたかったのはそういうことだ。
だがこの紋章は利用させてもらう。あなたを遣わしたのが何者か、どんな意図があるのかは知らないが帝国を倒すためならば、私の目的を果たすために、解放軍も神の正義とやらも利用させてもらう」
辺りはまだ暗かった。
グランディーナはわずかに頭(こうべ)を巡らし、マラニオンの南、河の方に近づいていった。
細い煙が上がっている。
近づいていくと簡素な野営地が設けられているのがわかった。マラニオンは河を挟んで森からずっと外れている。悪霊の心配はないと踏んだのだろう。
「どうした、シューメー? 何かあるのか?」
聞こえてきたのはギルバルドの低声(ばりとん)とグリフォンの鳴き声だ。
焚き火の周りにはウォーレン、ランスロット、カノープスが思い思いの場所に陣取って休んでいる。
その近くにたったいま目を覚ましたばかりのポリュボスとアイギス、シーシュポスも落ち着かないようだが、昼間の強行軍がこたえたのか、3人が目覚める気配はなさそうだ。
「ただいま、ポリュボス、シューメー、アイギス、シーシュポス」
「グランディーナ?!」
すっ飛んできたギルバルドは血相を変えていた。
だが彼女は唇の前で指を立ててグリフォンたちのあいだに座り込んだ。
「静かにしてくれ。足腰も立たないほど疲れているんだ。明日の朝、皆に説明する」
ギルバルドはすぐに自分を取り戻した。その場に片膝をつき、黙って頭を下げる。どんな時にも失われぬであろうその落ち着きは、ほかの者にはない頼りがいを与える。
元ゼノビア王国の魔獣軍団長は希有な人柄の持ち主でもあった。
「肩を貸してくれ、ポリュボス」
言い終わらぬうちに、グランディーナは眠りに落ちていた。
「闇の力から離れよ、グランディーナ。闇の力はそなたを魅了する。闇はそなたを虜にするだろう。ミミルの泉に至った、わたしにできる最後の助言だ」
「いずれその力とは対決しなければなるまい。ご忠告痛み入ると言いたいところだが、私は大丈夫だ」
「ガレス皇子、魔導師ラシュディ、その者たちに近づく時は心せよ」
グランディーナが目を覚ますと、東の山岳地帯に太陽が顔をのぞかせていた。
その光を背景に真っ赤な翼が生える。
「早起きだな。まだみんな寝てるぞ」
「習慣だ」
立ち上がると、足下の鎧を蹴飛ばした。疲労はかなり回復していたが、いつもの力は出せそうにない。手足を伸ばしてみたが、鈍い感じが取れなかった。
「カペラとの戦いは俺たちに任せておけよ。昨日の晩、南西の方から咆哮とは取れない叫び声が聞こえた。どうせおまえが絡んでいるんだろう?」
「そうだと言ったらどうかするのか?」
「どうもしないさ。おまえは俺を負かした数少ない奴だ。信頼してるからな」
カノープスが携行食糧を投げてよこした。干し飯を棒のように固めた物で、お世辞にも美味しいとは言えない。腐りにくくて日持ちするのだけが取り柄だ。
「あなたが私以外に負けたことがあるとは意外だ」
「俺だって万能じゃないんだ、得手不得手ってものがある。だけど、その『私以外』って言い方はどうにかならないのか? まったくいやみな奴だなぁ」
「事実は事実だ。顔を洗ってくる」
「ギルバルドの言ったとおりだな。ずいぶんと疲れているようじゃないか」
「まだ本調子ではないだけだ。大げさにするな」
「俺は事実を言ってるだけさ。おっと、もっとうるさいのが起き出したぞ」
「グランディーナ、いつの間に来たんだ?! いままでどこにいた? 身体は大丈夫か? いったい何があったんだ?」
いつもの彼女ならば、ランスロットには手を触れさせもしなかっただろう。
だが、今朝は分が悪かった。
逃げられず、まるで小さい子どものように彼女は抱きしめられてしまった。
一瞬身体を堅くすると、ランスロットはすぐに離れたが、今度は腕をつかんだまま、自分は片膝をついて見上げてきた。
「すまない。また君に怒られそうだな。だがこんなに気をもまされたのは初めてだ。何があったのか話してくれるな?」
「カペラを倒してからでは駄目なのか? 皆に聞かせたい話もある」
「そう堅いこと言うなよ。どうせみんなにだって全部話す気はないんだろう? 俺たちに少しぐらい話してくれてもいいんじゃないのか?」
「そうですね。待たされた分の埋め合わせということではいかがですか?」
ウォーレンが珍しくおどけた調子で同調する。
「ならば、要点だけ話す。カペラの召喚した悪魔を賢者ポルトラノと召還した。私を野営地からミナスシェライスまで召喚したのもポルトラノだ。あなたたちが来る途中で森の中に教会を見たのなら、そこで儀式をやっていた」
話しながら焚き火の方に戻ると、もう火は燻(くすぶ)っているだけになっている。
ギルバルドがグリフォンとコカトリスの世話をしていた。彼はウォーレンとランスロットにも携行食糧を渡すと、焚き火を踏んだ。
「森の中の教会っていうと、あの尖塔かな。いたのがわかっていれば拾っていってやったのに」
有翼人の視力は人間より数倍優れている。教会に気づいたのはカノープスだけだったが、マラニオンまでの距離を考えて先を急いだのだ。
「召還した悪魔というのはサタンのことですか?」
「そうだ。よく知っているな」
「アラディが報せに来たのです。カペラが召喚した悪魔がサタンだと。あなたがいなかったので我々が替わりに聞いたのです」
ウォーレンの最後の言葉にグランディーナは一瞬だけ渋い顔をしたが、すぐにいつもの様子に戻った。
「サタンとわかっていて、よく出てきたな。そいつがいたら、あなたたちだけでは太刀打ちできなかったろうに」
「かなわないとわかってて俺たちを連れてくるつもりだったのか? おまえ、その計画は無茶苦茶だぞ」
「サタンは私が引き受けるつもりだった。カペラだけなら問題にもなるまい」
ランスロットはカノープスと顔を見合わせた。
魔法使いの攻撃は確かに恐ろしいものだが、反面、守りが弱いのは有名な話だ。騎士の剣を受ければひとたまりもないだろう。グランディーナの言い分にも一理あるわけだ。
「君はまた自分をいちばんの危険にさらすつもりだったのか? シリウスから受けた傷もまだ治っていないだろう」
ランスロットがため息混じりに咎めた。
「小言はサタンと戦えるようになったら言え。危険危険と言うが、相手の力を考えたらこれ以上、確実な方法があるか。それともあなただったらどうすると言うのか、聞かせてもらおうか」
「そうランスロットを困らせることもありますまい。彼の言い分は感情論かもしれないが、その気持ちは我らも同じ。
だが、サタンにかなわないからと言って、帝国より圧倒的に弱い立場の我々が不用意に立ち止まるわけにもいくまい。先へ進むための最善の策、常に考えながら進まねば」
珍しくギルバルドが饒舌に語った。
「さて、そろそろ出発しますか?」
「待て。水浴びをしてくる」
結局、彼女らがゴヤスに向けて発ったのはそれから1時間後だった。
グランディーナたちと対峙した時、黄玉のカペラはひどく狼狽(うろた)えていた。
仕える部下もおらず、己の力の源も失って、一見、弱々しい老人のようだ。
「おまえたちが噂の反乱軍か。どうだ、このわたしと取引をしないか?」
「あなたに反乱軍呼ばわりされる覚えはない。それにもう一度サタンを召喚させる暇を与えるつもりもない。覚悟しろ、カペラ!」
グランディーナの言葉に呼応して、ウォーレンが杖を、ランスロットが剣を、カノープスが鎚を、ギルバルドが鞭をそれぞれ構えた。
「反乱軍の小娘が、ちょっとシャローム地方を落としたくらいで図に乗りおって! クローリーの奴などいなくても、ラシュディさまから、いただいたこの魔力で、おまえたちを一掃してくれるわ!」
「彼に呪文を唱えさせるな!」
カノープスが真っ先に殴りかかった。カペラはその攻撃を避けたが、体勢が崩れる。
魔法は一度に複数の敵を殺傷するだけの力を持っているが、強力なものほど容易に唱えられないという制限がある。また術者の技量によって、1日に唱えられる数、1時間に唱えられる数にもある程度の上限があるのだ。
ギルバルドの鞭がカペラを捕らえた。
そこにランスロットが斬りかかり、ウォーレンが呪文を唱える。
魔法使いは防御にまわると圧倒的に弱い。
一撃でカペラはよろめき、ランスロットにもう一太刀くらって倒れた。
「思い−−−」
それがカペラの最期だった。
一行がゴヤスを離れ、アラゴアスで解放軍の面々と合流したのはそれから2日後のことである。ポグロムの森を抜けてゼノビアに至る街道は、ここからさらに徒歩で2日の距離だ。
「途中で何度か悪霊に襲われました。カペラを倒したというのに、なぜ彼らには静かな眠りが許されないのでしょう?」
「悪霊を利用しているのはカペラだけじゃない。それに虐殺を行った張本人が生き残っている限り、その魂が安らぐことはあるまい」
「アプローズ男爵は帝国でも高い地位に就いているはずです。おそらく、罪状はポグロムだけには留まりますまい」
また解放軍にはゼノビア王国騎士団の生き残りが加わった。ヴォルザーク島に逃れたランスロットらとは別の逃亡経路をたどったそうで、5人組のリーダーはポリーシャ=プレージという槍騎士の女性だった。
「ゼノビア奪還にぜひ、私たちも加えていただきたくお訪ねにあがりました」
「あなたたちを歓迎する」
そうして、否が応でも解放軍の中でいよいよゼノビア攻略との思いが高まっていったころ、グランディーナたちは思わぬ寄り道をさせられることになる。
そこはデネブの庭。南瓜の豊かに実る山間の土地。
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