Stage Five「聖なる島」3

Stage Five「聖なる島」

「一晩中帰ってこないとは思わなかったぞ」
「話が長引いた」
「それにしたって限度ってものがあらあな。それでなに、彼女、来るの?」
「そうだ」
「俺はカノープス=ウォルフだ。よろしく頼むぜ」
「は、はい」
翼も入れるとカノープスの身長は7バス(約2メートル10センチ)にもなる。5バス(約150センチ)そこそこのアイーシャにはまるで見上げるような高さだったので彼女はついグランディーナの後ろに回った。
「おいおい逃げるなよ。俺が恐い人に見えるっていうのか?」
「そ、そういうわけじゃないんですけど、私、男の人とはあまり話したことがなくて。有翼人の方もよく知らないんです」
「ほんとかよ」
「ロシュフォル教会にいるのはほとんど女性だけだ。逆に有翼人は滅多に教会に行かない。無理を言うな、カノープス。それよりもまさか私を待って起きていたのではないだろうな?」
「おあいにく、俺はそんなお人好しじゃねぇよ。ランスロットはけっこう遅くまで頑張ってたが適当に寝たはずだし、ほかの奴らはさっさと寝たさ。おまえも人のこと気遣うぐらいなら、もっと自分を大事にしろっていうの」
「私は大丈夫だ」
「またそういうこと言う」
「あの、カノープスさん!」
「ああん?」
「私が見てますから。グランディーナに無茶させないように私が見てるようにしますから。だから心配なさらないでください」
「アイーシャ、そんな無茶を」
「だって、私が無茶すればあなたが見ていてくれるもの。そうすれば、あなたもそんなに無茶しないですむでしょう?」
「何があるのかわからないのに、そんな簡単に請け負うものじゃない」
「だって、私がそう言えば、あなたは私のことを気にしてくれるでしょう? そうしたら、きっと無茶しないんじゃないかしら」
「いいじゃねぇの、無茶けっこう。そういうわけなら大いに無茶するといいや。そうだろう? いい子だな、アイーシャ」
そう言ったカノープスが愛嬌のある笑みを見せたのでアイーシャもつられた。さっき怖じ気づいたことが申し訳なくなるような顔だ。
彼が頭に手を置き、二度、軽くたたいたので彼女は思わずこみ上げた涙をこらえた。
「そうそう、子どもは素直がいちばんだぜ。おまえ、ミネアと同じくらいだろ?」
「あのー、ミネアさんてどなたでしょう?」
「ここにはいない。あなたと同い年の僧侶だ」
「じゃあ、仲良くなれますね、きっと」
「無理しなくていい。彼女も人見知りする方だ」
グランディーナは微かな笑みを浮かべたが、そこに背後からカノープスが覆い被さった。有翼人の羽根は人一人を悠に隠せる。アイーシャは息を呑んだが、肩に手を置かれて振り返ると有翼人の女性が温かく微笑んでいた。
「放せ、カノープス」
「へへーんだ、簡単に後ろを捕らせるとはずいぶん油断してるじゃないか。だけどそれぐらいの方がかわいげがあるぜ。ランスロットが見たら、感涙物だろうになぁ」
「どうしてそこでわたしが出てくるんだ? わたしのことより、君自身もずいぶん早起きなんだな」
「山の空気がうまいから目が覚めたんだよ。それに俺はもともと早起きなんだ」
「カノープス、放せと言ってるだろう」
「兄さん、おふざけはそれぐらいにしてちょうだい。アイーシャがびっくりしているわ」
翼を開くとカノープスがグランディーナの首に両腕を巻きつけているのがわかった。彼が手を放し、今度は頭をたたこうとするとそれはさすがに空振りした。
「とととっ」
ランスロットとユーリアが笑ったが、グランディーナは無視を決め込んだ。
話をしているうちにウォーレンたちも起きてきて、アイーシャは1人ひとりに挨拶をした。
「アイーシャ=クヌーデルといいます。司祭とはいえまだ修行中の身です。よろしくお願いします」
そのなかで同じ司祭のマチルダとは仲良くなれそうにアイーシャには思えた。物腰は穏やかで清楚、凛とした人となりはユーリアとは違う大人の女性だ。
「よろしく、アイーシャ。解放軍にはほかにもミネアやエオリアという僧侶の方もいます。シルキィ、マンジェラ、フィーナは女戦士、ちょっと言動に乱暴なところがあるかもしれないけれど、根はいい人たちだから仲良くなれると思うわ。ポリーシャさんとヴァネッサは槍騎士、デネブさんは魔女。それにユーリアさんとグランディーナと私、女性はこれで全員ね」
「はい、よろしくお願いします」
「あなたは大神官殿の娘さんですが、後任を任ぜられることはないのですか?」
そう訊いたのは占星術師と言ったウォーレンだ。
「私はまだ修行中の身です。そのような未熟者に大神官を任ずることはありませんし、世襲制でもありませんのでご安心ください」
「そうですか。ならば良いのですが」
元ゼノビア王国の騎士団長だというアッシュはアイーシャの挨拶に頷いたきりで、眉間に皺を寄せて自分の考えに没頭してるように見えた。
ランスロットとギルバルドはふつうに応対したが、2人の会話からアイーシャはグランディーナたちがここまで魔獣に乗ってきて、アムドにいるガレス皇子のところまでも魔獣に乗っていこうとしていることを察した。
果たして生まれて初めて間近で見た魔獣は、アイーシャが想像していたよりもずっと大きくて恐ろしげだった。ワイバーンはまだいいが、鷲の頭を持つグリフォンはとても恐そうだ。
「アイーシャをどこに乗せるんだ?」
「プルートーンならば1人増えても大丈夫だろう。
ギルバルド、マチルダ、あなたたちがクロヌスに乗ってくれ。3人でプルートーンに乗る」
「以前のような距離ならばともかく、アムドまで3人では厳しくありませんか?」
「グランディーナとアイーシャが騎乗鞍に座ればいいわ。私ならば万が一、落ちても翼があるもの」
「ポリュボスかシューメーに2人乗せるわけにはまいりませんか?」
「グリフォンは2人乗せると速度が落ちる。今日中にアムドに着くにはこれがいちばんいい」
自分のあずかり知らぬところで話がぽんぽん進んでいく。アイーシャはおそるおそる騎乗鞍を見たが、そんなものに乗ってアムドまで飛んでいくなんて非現実的な話に思えて目眩までしそうだ。大聖堂からアムドまで、歩けば2日もかかる距離だ。そこを半分の時間で飛んでいこうというのだから。
そんな彼女の両肩にユーリアが手を置いた。
「大丈夫よ、アイーシャ。プルートーンは男の子だから女の子には優しいの。でも怖じ気づいたところを見せちゃ駄目よ。魔獣は敏感に人の心を察するから、恐がっていると思わせたら乗せてもらえないわ」
「は、はい」
グランディーナが先に乗っていて、アイーシャに手を差し出すと軽々と引っ張り上げた。
「私はあなたの前に乗せてもらうようね」
「あなたがそこに座ると前がほとんど見えないんだがな」
「後ろに乗ると危ないでしょ」
5頭のワイバーンとグリフォンは今度はプルートーンを先頭に飛び立った。
上空でグランディーナが大聖堂の上を一周させる。いちばん高い鐘楼が眼下に見えて、アイーシャは息を呑んだ。ほとんどロシュフォル教会の中しか知らなかった自分がこうして解放軍に加わり、ガレス皇子討伐、その先の打倒ゼテギネア帝国に向けて旅立とうとしている。そのことが生まれて初めて見下ろした大聖堂を見た時に急に実感されてきたのだ。
「行こう、アイーシャ」
グランディーナが振り返って言い、彼女は黙って頷いた。神に祈る言葉は忘れてしまった。だからアイーシャは亡きフォーリスに祈る。
(お母さま、どうか、私たちの旅を見守っていてください。私にどうか勇気を与えて)
眼下の山並みは地平まで続いていた。
「おまえ、まさかあいつを待って起きてたのか?」
「それもあるが、半分は違う。アッシュ殿に言われたことを考えていたら眠れなくなった」
「じじぃに何、言われたんだ?」
ランスロットが食堂でのグランディーナとアッシュのやりとりを話すと、意外なことにカノープスはうなり声さえあげた。
「アッシュ殿に言わせるとわたしは騎士ではないのだそうだ。その理由と、アッシュ殿の言われる騎士道が何なのか、考えていたらいつまでも寝つかれなかった。だがアッシュ殿にすぐにお伺いするのも芸がない。ギルバルドに訊いてみようと思っていたのだが」
「俺とエレボスに乗っちゃったのか」
「わたしが自主的に乗ったような言い方をしないでくれないか」
「悪い悪い、おまえがそんなこと考えてるなんて思わなくってよ」
「おや、下がるぞ。何かあったのか?」
「アイーシャの具合が良くないようだな。気丈に見えたってまだ子どもだ。連れてくるなんて無理だったんじゃねぇのか」
手綱を操りながらグランディーナが振り返った。皆をひとわたり見回して、また前方を向く。
「何だ、あいつ?」
「さあ。わたしを見たようだが、用があったのはわたしではなさそうだな」
やがて5頭は山間の平地に下りた。
真っ先にプルートーンを下りたグランディーナが、エレボスの方に走ってくる。後からユーリアに手助けされてアイーシャが下りた。
「ランスロット! そのマントを貸せ」
「いいけれど、何にするんだ?」
「アイーシャは魔獣に乗るのが初めてだ。鞍ずれをおこした」
「それは気の毒なことをしたな」
駆けつけようとしたが若い娘だ。ランスロットは思いとどまり、マントだけグランディーナに差し出した。
「何かあったんですか?」
「鞍ずれだと」
「おや、それは」
ウォーレンが意外そうな顔をする。
話を聞いてマチルダがすっ飛んでいき、改めて彼女の存在の大きさを見せつけた。まったく解放軍は、彼女らの力がなければにっちもさっちもいかなくなるだろう。
「ごめんなさい、こんなところで」
「大丈夫よ、アイーシャ。マチルダさんが来てくれたわ。それにマントを敷けばだいぶ楽になるし、乗るうちにあなたも慣れてくるわ」
布を引き裂く音にアイーシャは一瞬、痛みを忘れて見入った。赤いマントは確かランスロットのものだ。だがそれ以上に驚いたのはグランディーナの厳しい横顔だった。
「気がつかなくてすまない」
「大丈夫よ、グランディーナ。あなたの方がしょげちゃ駄目。これからガレス皇子を討とうって人が暗い顔してないで」
「そうですよ。それほど重傷じゃありませんから。休みながら飛べばもっと楽でしょうけれど」
「しょうがないな」
アイーシャが何か言おうとするのをユーリアが遮る。
自分の言葉にあっさり同意したリーダーにマチルダは心底驚いた顔だ。そんな彼女にユーリアが肩をすくめてみせた。
グランディーナはそれには気づかずに男性陣の方に向かった。
「休憩しながらアムドへ向かう」
「おいおい、そんなお嬢ちゃん連れていって大丈夫なのか? 戦いはこの先もっときつくなると言ったのはおまえだぞ。あいつを庇いながら進めばおまえ自身の戦力が半減する。それでもいいのか?」
カノープスの意見にウォーレンやアッシュが同調するように頷いたが、ギルバルドは逆に反対のようだ。
「覚悟はしている。そのことではあなたたちに迷惑はかけないつもりだ」
「それが迷惑だって言ってんだよ。だいたい戦士たちを除隊させたのはつい昨日のことじゃねぇか。司祭だからって後方支援ばかりとは限らねぇ。後方支援が安全とは限らねぇ。おまえ、またあんな思いをしたいのか?」
「待ってくれ、カノープス、ウォーレン、アッシュ殿。彼女にはいつも世話をかけている。わたしが手伝おう。君と一緒に行って、役立てるのはこんなことぐらいだからな」
「ありがとう、ランスロット」
ランスロットの申し出より、それに礼を言うグランディーナより、彼女が初めて見せたはかなげな笑顔にその場にいた全員がそれ以上、反論する気をそがれた。ウォーレンとアッシュは言葉を失い、カノープスは空いた口が塞がらなかった。ギルバルドも驚いたように息を呑んだ。
当然、彼女はそのあいだにアイーシャたちのもとに戻っている。
「さあ、行くとしよう」
1人、ランスロットがカノープスの肩をたたいた。
「あ、ああ。昼間から夢でも見てるみたいだぜ」
「冗談を言うなよ」
さわやかな笑顔を見せるランスロットにカノープスはわけのわからぬ敗北感を感じて睨みつけた。
「おまえ、知ってたんだろう?」
「何の話だ?」
「あいつの顔に決まってるだろう」
「知るわけないだろう。わたしだって驚いたさ」
「じゃあ、その面はなんだ?」
「あんな顔をされれば誰だって嬉しくなる。君だって、そうじゃないのか?」
「だからって、おまえにそんな顔されるのは腹立つんだよ!」
「そんな顔ってどんな顔だ?」
「この野郎〜!」
「痛いぞ、カノープス!」
ランスロットよりカノープスの方が頭半分くらい身長が高い。翼も入れるとその差は頭1つ分以上になる。力の差もあるので首根っこを押さえられると身動きがままならない。
もっとも傍から見るとじゃれているとしか思えない2人にアッシュが声をかけた。
「昨日の言葉は取り消そう、ランスロット。そなたになら、わしの後も託せそうだ」
「アッシュ殿、それはどういう意味ですか?」
だがゼノビア王国元騎士団長は剣を見せて微笑んだだけであった。その笑顔が24年前、自分を従騎士に任じた時と同じものだと気づき、ランスロットは嫌な予感がした。剣も、騎士団に在籍していたのが長くない彼には銘がわからない。
けれどアッシュはまだトリスタン皇子に再会していない。グラン王もジャン皇子も亡きいま、ゼノビア王国の血筋はただトリスタン皇子が受け継ぐのみだ。その皇子に再会する前にアッシュが死に場所を求めようとは彼にはどうしても思えなかった。
「あれはロンバルディアだろう。先日のゼノビア城戦後にゼノビア城に放置されていたものをアッシュ殿が見つけられたと聞いている」
念願かなって三度目にようやくギルバルドと一緒にエレボスに乗ったランスロットは、彼からそんな話を聞かされ、驚きを新たにした。
「ロンバルディアと言えば、ゼノビア王国騎士団長の証と聞いた。それをわたしに見せたということは、まさか騎士団長位をお譲りになるつもりなのだろうか?」
「アッシュ殿もわたしも過去の人間だ。若い者に譲りたいという気持ちがおありでも不思議ではあるまい。あなたならば長年、ウォーレン殿とともに人びとをまとめてきたという功績もある。騎士団長としても適任だと思う」
自分はまだ若輩者だ、とランスロットには言えなかった。解放軍を見渡しても彼より年長の者は少ない。騎士に限って言えば、リスゴーが年上、バーンズ=タウンゼントは同い年だが、そのリスゴーはイービルデッドのために重傷を負い、除隊を余儀なくされた。1つ下のガーディナーはいまは騎士だが、この戦いが終わったら商人になりたいと公言している。アレック、スティング=モートンはまだ若い。彼らに騎士団長の重荷を押しつけるのは気が進まない。気の早い話ではあるが、年齢的に自分以上の適任はいなさそうだ。
「わたしにそのような大役が務まるだろうか?」
返ってきた答えはギルバルドの豪快な笑い声だった。
振り返ったカノープスがしてやったりという笑い顔をする。
「務まると思って団長位を受ける者は少ないだろう。わたしが魔獣軍団長を嬉々として受けたと思うか? アッシュ殿に迷いがなかったとでも? わたしを団長にしたのはほかならぬ魔獣軍団の者だ」
いまでも元魔獣軍団長として影響力のあるギルバルドだが、24年前、軍団長位を受けた時には26歳の若さであった。しかし、ランスロットが覚えているのは堂々とした魔獣軍団長ギルバルド=オブライエンである。その彼を支えたのはいまは亡き副団長ガルシアン=ラウムと無二の親友カノープス=ウォルフ、そして恋人のユーリア=ウォルフであった。
「先のことをくよくよ考えても仕方ない。いまはガレス皇子を倒すことに専念しなければ」
「それがいい。わたしもあの方の姿は一度だけ拝見したことがあるが、まるで自分のうちを見透かされるように思えた。遠目でなければ、ああして正視はできなかっただろう」
「それは賢者ラシュディの間違いではないのか? 確かにガレス皇子も暗黒魔法の使い手だと聞いたことはあるが」
「いいや。ラシュディ直伝と言われるだけのことはある。ガレス皇子のお力は底知れない。それにわたしは賢者ラシュディにお目にかかったことはない」
数度の休憩を挟みながら一行はアムドを目指したが、途中でグランディーナは行く先をトマヤングに変更し、今度は誰も反対しなかった。
しかし今回は野営道具をまったく持参しておらず、彼女らはトマヤングに宿を求め、翌日、アムドを目指して発った。白竜の月20日のことである。
「どうした? 何でこんなところで止まるんだ?」
「ガレスが近い。空でイービルデッドを喰らったらひとたまりもない。下りて行こう」
カノープスが振り返るとアッシュが頷いた。
「ユーリア、あなたが残って魔獣たちをみていてくれ。ガレスを片づけたら戻ってくる」
「わかったわ。気をつけてね」
「マチルダとアイーシャは離れていろ。
カノープス、偵察を頼む。
行くぞ」
「了解。見つけたら戻ってくる」
トマヤングからアムドまでは街道が続いている。歩けば2時間足らずの距離だ。
グランディーナがワイバーンを下りたのはその中間ぐらいの距離で、30分も歩くとカノープスが急いで戻ってきた。
「ガレス皇子はアムドの手前にいたぞ。おまえの言ったとおり、部下は1人もいない。どうする?」
「分散して近づこう。一度に何人もイービルデッドを喰らうのがいちばん恐い。それとあなたたちに言っておく。誰がイービルデッドの餌食になってもガレスを倒すことに専念しろ。奴を倒さねばイービルデッドは切れない。助けようとすれば、その者も奴の犠牲になる。いいな?」
「承知した」
「マチルダ、アイーシャ、もっと離れていろ。念のため、私には近づくな。あなたたちもガレスが倒されるまで治療はできないと思え。あなたたちではイービルデッドに耐えきれない」
「わかりました」
グランディーナが当然のように真ん中に立つ。その両脇をアッシュとランスロット、いちばん外側をギルバルドとカノープスが占めた。ウォーレンはグランディーナの後ろに立ち、マチルダとアイーシャはさらに離れる。
グランディーナが音もなく曲刀を抜き放った。それを見てアッシュがロンバルディアを抜く。ランスロットは剣の柄に手をかけた。
やがて見えてきたガレス皇子は1人で立っていた。手の届くところに両手持ちの斧が立てられているだけで部下もいない。噂に伝え聞くとおり漆黒の鎧兜に身を包み、籠手、靴も黒で素肌はいっさいさらしていなかった。
一目見た時、彼女らは一様に背筋に悪寒が走った。人の姿をしているが人ではない。何の根拠もないが、それは確信に近い勘だ。数多(あまた)の戦をくぐり抜けてきた彼らだからこそ、気づいた真実だ。
「よく来たな、反乱軍の諸君」
とおりのいい声が聞こえた。それがガレス皇子のものだと知り、思わず歩みが止まる。
「旧ゼノビア王国の残党どもか。似非占星術師、ひよっこ騎士、魔獣軍団長に鳥野郎、お高き騎士団長に傭兵風情。くくくくっ、はぁっはっはっはっはっ!」
「何がおかしい!」
「何が、だと? これが笑わずにいられるか! 悲壮な顔してグランとフォーリスの仇でも取りに来たのか? 24年前、てめぇに化けた時はまだ精悍としていたよ。それが牢獄暮らしで衰え、いまでは死に場所を探して彷徨っているそうじゃねぇか!」
「では陛下を殺した真犯人はあなたか!」
「そうだ。知らなかったのか、老いぼれ?! 知らずに24年間も繋がれていたのか? おめでたいなぁ。あの時のグランの顔をてめぇにも見せてやりたかったぜ。騎士団長に裏切られると知った時のあの狼狽えぶりをな!」
「これ以上、陛下を愚弄することは許さん!」
「ガレス、貴様!!」
アッシュが飛び出したがグランディーナの方が速かった。もっとも彼にはそれが幸いした。
グランディーナが曲刀を振りかぶったその刹那、斧が一閃され、彼女の周囲に魔法陣が浮かび上がった。
「愚か者め! かかったな!!」
飛び出そうとしたアイーシャをマチルダが必死の形相で引き留める。
「グランディーナ?!」
「出てはいけません、アイーシャ!」
逃げる間もなく真っ黒な光に彼女は包まれ、姿勢を崩した。骨の折れる鈍い音がする。だがその無理な体勢のまま、イービルデッドにさらされたままでグランディーナは曲刀を振り上げ、目にも留まらぬ動きで振り下ろした。
疾風がガレス皇子を撃ち、よろめく。魔法陣の光が弱まったがまだ消えていない。
「雷よ!」
ウォーレンが高らかに呪文を唱え、魔法の雷がガレスに落とされた。
「ガレス皇子、覚悟!」
カノープスがガレスに殴りかかる。鎚が兜にめり込み、意外なほど脆くひしゃげた。
身を翻そうとしたガレスをギルバルドの鞭が捕らえて引き留めた。
「グラン王の仇!」
左右からアッシュとランスロットが斬りかかる。
ガレスは防戦し、魔法陣の光が完全に失せた。
「グランディーナ!!」
アイーシャは駆け寄り、即座に魔法の詠唱を始めた。遅れてマチルダが唱和する。
「ラシュディとともに陛下を欺き殺めし罪、大神官フォーリス殿を殺めし罪、その他諸々の罪業、己が命で贖っていただこう!」
ランスロットが捕らえ、アッシュがとどめを刺した。
ガレスが倒れると同時に兜がもげたが、彼らの想像していたような人物は現れなかった。否、ガレスの全身を包んでいた鎧兜の中身は空っぽだったのだ。
「どういうことだ、これは?」
その場にいる誰もが信じられない思いで空洞の鎧を見つめた。
その時、空の兜から紛れもないガレスの声が響いた。
「今日のところは俺の負けだ。だが安堵するには速いぞ! 俺は不死身だ。また貴様たちの前に現れる。もちろん今日のお返しはたっぷりとさせていただこう。それまでせいぜい、つかの間の勝利に酔っているがいい、貴様らの力はよくわかった。次も勝てるなどと思うなよ! はははははは!!」
ガレスの声とともに兜が揺れた。が、その哄笑が収まると兜も鎧も完全に沈黙した。
アイーシャとマチルダの唱和する声だけが聞こえるなか、グランディーナがうめき声をあげ、身じろいだ。彼女はガレスの必殺技イービルデッドをまともに食らい、身体中の穴という穴から出血していたのである。
「俺はユーリアを呼んでくる!」
カノープスは飛び立った。
2人の司祭の額に玉のような汗が噴き出し始めた。
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