Stage Six「点と線」1

Stage Six「点と線」

「お父さん、お父さーん! どこにいるの、お父さーん!」
少女の声は空しくこだまし、険しいディアスポラの山々に呑み込まれていった。陽は暮れかけている。
夜の山は昼間と別物である。父の言葉を思い出し、大好きな母のためとはいえ、帰るに帰れなくて彼女は半べそをかき始めていた。
「こんなところで何をしている?」
その時、山の向こうに見えなくなったと思っていた太陽が、自分のことを気の毒がってまた顔を出した、ように思えて彼女は大層、驚いた。
もちろんそれは太陽などではなくて、沈みかけた太陽を背負ったために赤銅色の髪が日輪のように輝いて見えた女性の剣士だった。
「お父さんをさがしているの。お母さんが病気になっちゃって、お父さん、きんのはちのすをさがしに行ったのに帰ってこないの。でもお母さんがとっても苦しそうで、だから、あたしがお父さんと、きんのはちのすを探しに来たのに見つからないの」
その女性は近づいてきて、彼女の肩に手を置きながら言った。
「そんなに簡単に自分のことを話すものじゃない。近づく者があなたの味方とは限らない。見知らぬ者に弱みを見せたり、つけいる隙を与えては駄目だ」
さらに続けてとんがり帽子をかぶった女性と髪を三つ編みにした女性とが現れる。
「初対面の女の子にいきなり人生訓説くなんてあなたぐらいのものでしょうね。
でもねぇ、お嬢ちゃん。ここはもうじき戦場になるのよ。あなたみたいに可愛い子がいるところじゃないわ。そうでしょ?」
「そうですけど、黄金(きん)の蜂の巣ならば昨日お預かりしました。お預かり物ですけれど、滅多に見つからない物ともお聞きしましたし、それを分けてあげるわけにはいかないでしょうか?」
「お姉ちゃん、本当?」
三つ編みの女性が頷いたが、彼女は抱きかかえられ、南瓜の頭をした人形(ひとがた)が4体現れるのを呆然と見ていた。と同時に、双頭の魔獣ヘルハウンドが向こうから現れ、さらにドラゴンまで出てくるにいたっては驚きのあまり泣くことも忘れた。
「アイーシャ、彼女を傷つけるな!」
「はい!」
「いくわよ〜、ドラッグイーター!」
とんがり帽子の女性のかけ声で、4体の南瓜人間たちは自分の南瓜をそれぞれ蹴り上げた。
アイーシャと呼ばれた三つ編みの女性にかばわれてよく見えなかったが、南瓜はだんだん大きくなりながら落ちてきて、1個はドラゴンにぶつかり、3個は見当違いの方に落ちた。それなのに南瓜はどれも南瓜人間の頭に元のように収まっているのだった。
最初の女性剣士がヘルハウンドを攻撃し、獰猛な魔獣は悲鳴すらあげた。さらに彼女は2頭の魔獣を操っていた男も攻撃し、こちらはすぐに両手が上がる。彼は手にしていた鞭を取り上げられるとさっさと逃げ出した。
「ちょっとごめんなさい」
アイーシャは彼女を放し、ヘルハウンドとドラゴンに近づいた。
「当たると大きいけど、まだまだ命中精度が悪いわ。ねぇ、グランディーナ、後でラロシェルに行ってもいいかしら?」
「何の用でだ?」
グランディーナと呼ばれた剣士はヘルハウンドとドラゴンから目を離さない。とんがり帽子の女性は彼女の方に行った。
南瓜人間は手持ちぶさたに突っ立っている。
「アイーシャ、離れろ!」
手負いのドラゴンがいきなり炎を吐いたが、次の瞬間には動かなくなっていた。
炎を浴びせられたのはグランディーナでアイーシャが駆け寄る。
その時まで忘れられていた彼女を、とんがり帽子の女性が振り返って言った。
「ねぇ。この子をいつまでもこんな危ないところに置いておけないわよ。いい加減うちに帰してあげなくちゃ。黄金の蜂の巣も分けてあげればいいじゃない。
あなた、どこから来たの?」
「ソミュールよ」
「お名前は何て言うのかしら?」
「ポーシャよ。お父さんはラミス=ユンカーマンっていうの」
「ラミス=ユンカーマン?」
「ええ、そうよ。お姉ちゃん、知ってるの?」
けれど、ポーシャの言葉に3人は顔を見合わせた。
グランディーナが近づき、片膝をついてポーシャの手を取る。
少女らしい敏感さでポーシャは不吉な予感を察した。だが彼女はグランディーナの手を拒むこともその言葉に耳を塞ぐこともできなかった。
「あなたの父親がソミュールのラミス=ユンカーマンだというのなら、この黄金の蜂の巣はあなたの物だ。私たちはあなたの父親からこれを預かった。あなたの父親は蜂の巣を採るために死んでしまったのだ」
「お父さん、もう帰ってこないの?」
グランディーナは頷いた。優しく髪をなでられて、ポーシャの目から涙がこぼれ、あふれ出した。
「うぇぇぇん! お父さーん!」
「あなたの母親があなたの帰りを待ちわびているだろう。ソミュールまで送っていこう」
抱き上げられてもポーシャはまだ泣きわめいていた。
それから山道を1時間も下っただろうか。辺りがすっかり夕闇に包まれたころ、彼女らはソミュールに着いた。
炎竜の月3日のことである。
ホーライ王国の時代よりディアスポラは交易路として栄えた。深い森とこの地方の中央を貫く山脈が人の開拓の手を拒み、それ以外の方向を選ばせなかったとも言える。特に80年前に五英雄の1人、グランによって東にゼノビア王国が建国されるとディアスポラの重要性は増し、ますます栄えた。
交易路というのがディアスポラの表の顔ならば、裏の顔は大監獄であろうか。
それはホーライ王国より古い時代に建てられたもので、ゼテギネア大陸中の重罪人を集めていた。一説によれば、そこに収納されるのは重罪人とは言っても処刑され得ないような故ある人びとばかりで、そのために監獄は大きく、立派な建物に増築されたのだとも言われる。一種の流刑、幽閉というわけである。
しかし時が下り、神聖ゼテギネア帝国の代になると大監獄の用途も様変わりした。
そこは女帝エンドラや賢者ラシュディなど、帝国やその為政者を批判した人びとが送り込まれる政治犯のための監獄となったのだ。旧四王国に仕えた名のある騎士や魔術師が片っ端から処刑される一方で、大した力を持たない、ふつうの人びとが些細な理由で次々と大監獄に送られ、ディアスポラでは一度として処刑など行われたことがないのに死者の群れは後を絶たぬとも言う。
ディアスポラ大監獄は恐怖の代名詞と化した。そこに送られることは緩慢な死を意味していたからだ。
人びとは自ずと口を塞ぐようになり、それでも大監獄に送られる者は止むことがなかった。
白竜の月25日、ディアスポラの港町ルテキアに到着した解放軍は、そこで旧ホーライ王国の残党9人とヘルハウンド1頭を仲間に加えると、ディアスポラ大監獄の解放を掲げて帝国との戦闘を開始した。
これを迎え撃つべく、監獄長であり、帝国教会元法皇でもあったノルン=デアマート率いる帝国軍が敷いた布陣はディアスポラ中の町と街道に駐留軍と検問を置くというものだった。その数は魔獣やドラゴンも含めて各町に20から30、検問も10ほどで、かつてない大軍がこのディアスポラにいたのである。
しかし、影の報告より、それと知ったグランディーナは街道を使わず、広大な森を経路に帝国軍を各個撃破する戦法に出た。魔獣も含めて10人ほどの小隊に分けられた解放軍は駐留軍、検問を問わずに絶え間ない攻撃を繰り返した。打撃を与えるとすぐに森に逃げ、帝国軍を休ませず、こちらは部隊を入れ替わり立ち替わりして攻撃したのだ。
数で勝る帝国軍は小回りがきかなくて、この戦法に対応できず、常に解放軍の後手に回った。ディアスポラの森と山は帝国の支配する町と街道よりも遙かに広い。地理に明るい旧ホーライ王国の残党を加えたことは解放軍のこの地の移動を助け、端からそのような事態を想定していなかった帝国はその動きを追いきれなかったのである。戦い慣れた騎士ならばいざ知らず、元法皇には無理な相談というものであったろう。
解放軍は同日にポアチエ、炎竜の月1日にメーマック、2日に山間の町アジャン、そして3日にはディアスポラの要所ソミュールを陥落させたのだった。
グランディーナたちがソミュールの町に近づいていくと解放軍はすでに野営地を敷設し終わり、ランスロットが8人を出迎えた。辺りには夕餉の支度をする煙も漂っている。
「意外と早かったな。その子はどうしたんだ?」
「山中で見つけた。ソミュールのラミス=ユンカーマンの娘だ」
「ユンカーマン氏の娘ならば母親から捜索願いが出されていたぞ。明日にも捜索隊が出るという話だった。早く連れていってあげた方がいいんじゃないか」
そう言ってから彼はアイーシャがきつい目で睨んでいることに気づいて慌てて言い直した。
「いや、やっぱり彼女はわたしが連れていこう。君はその傷を治療してもらった方がいい」
ランスロットはそう言うと有無を言わせずポーシャを抱き寄せた。あっさり渡されたのが意外なくらいだ。
「これも忘れるな。彼女の物だ」
グランディーナから黄金の蜂の巣を受け取ると彼は急ぎ足でソミュールに入っていった。
それさえ確認する間もなく、アイーシャが早速グランディーナの傷の手当てを始める。ドラゴンのブレスを受けた時、とっさに顔は庇ったものの、腕に直撃を食らってしまったのである。しかもその後すぐに移動を始めたために治療ができず、アイーシャはずっと気をもんでいたのだ。
「アイーシャも大げさだ。これぐらいの火傷などすぐに治る」
「そうじゃないの。だって私、今日はろくに働いていないんだもの。母さまにもいつも言われてたのよ。尊いのは汗を流す行為そのものですよって。だから私、ちゃんと働かなくちゃ」
「あなたの負けよ。素直にアイーシャの言うこと聞きなさい。それに私が見たって重傷よ、ちゃんと治してもらわなくちゃ」
デネブが嬉しそうに言ったが、グランディーナはそれほど不本意ではないような顔だ。
だが彼女らが落ち着いて治療をする間もなく、ランスロットが急いで戻ってきた。
「グランディーナ、君に会いたがっている人がいる。一緒にソミュールまで来てくれないか」
「ランスロットさま、せめて治療が終わるまで待っていただけませんか? いま始めたばかりなんです」
「それはすまない。こちらの用事はもちろんそれが終わってからでも大丈夫だ」
「私に会いたがっているというの誰だ?」
ランスロットは一度、周囲を見回した。野営地はまだごたごたしていて彼女らに注意を払っている者はいない。皆が皆、適当に忙しそうだ。
「旧ホーライ王国の家臣、ヨハン=チャルマーズ殿と仲間の方々だ。つまり、デューンたちの仲間だな」
それで彼が周囲に注意したわけをグランディーナも理解した。ルテキアとポアチエで合流した旧ホーライ王国の残党は、解放軍への合流に慎重論を唱えるヨハンたちと仲間割れをしてきたのである。
「何と言ってきた?」
「ラミス=ユンカーマンも彼らの仲間だったそうだ。そのお嬢さんを助けてくれたこと、ラミスの遺志を果たしてくれたことへの礼が言いたいと言っていたが、当然それだけでは済まないだろうな」
「そうだろう。ウォーレンとデューンを呼んできてくれ。あなたと4人で行こう」
「承知した」
ランスロットと入れ違いにデネブが3人分の夕食を運んできたが、さすがのグランディーナも手を出すわけにはいかなかった。
「お夕飯ぐらい食べてから行けばいいのに」
「せっかく持ってきてもらったのに悪かった」
「いいわよ、そんなこと。お取り置きしとく?」
「いや、適当に食べてくる」
「ランスロット、聞いてたわね? 忘れずに食べてきてちょうだいね。リーダーがお夕飯食べられないなんてことないようにしてよね」
「わたしもまだだ。約束するよ」
「よろしくね」
4人がソミュールに向かってから、デネブとアイーシャも夕食にありついた。途中からグランディーナを探しに来たマチルダ=エクスラインも一緒だ。
最初は何やら案じ顔の彼女も、デネブに料理の腕を褒められ、思わぬ料理談義に花が咲くと一時は明るい顔になった。アイーシャはもっぱら聞き役で2人の話に相づちを打つだけだ。しかしマチルダは話が済むと元の案じ顔に戻って、ため息さえついた。
「美人のため息って絵になるんだけれど、マチルダさんは何か心配事かしら?」
「グランディーナに怪我人の報告に上がったんですけれど、どう切り出したものかと思って」
「そんなに大変だったんですか?」
今日一日、グランディーナとデネブ、4体のパンプキンヘッドと一緒だったアイーシャは治療部隊の仕事を手伝っていない。その辺の事情はマチルダも承知しているはずだが、後ろめたさからアイーシャはつい小声になった。
「今日は山越えだったから特に多かったのよ。昨日は森から山、今日は一日中、山、さすがにみんな疲労がたまっていて一晩休んでも抜けきれないの」
そう言ってマチルダはまたため息をついた。もちろん「みんな」には彼女ら治療部隊も含まれるのは言うまでもないだろう。
「元気なのはギルバルドさまの魔獣部隊くらいで、魔獣に騎乗すると言っても数に限りがあるでしょう? ソミュールで1日くらい休憩できないかしら?」
デネブとアイーシャは思わず顔を見合わせた。そう言われてみれば、先ほどはランスロットもデューンも包帯を巻いていたし、ウォーレンも顔色は良くなかったことを2人とも改めて思い出したのである。
もっとも、どんな時でもデネブは疲労など顔に出したことはないし、アイーシャもアヴァロン島育ちで山には多少慣れている。パンプキンヘッドは身体こそ痩せぎすだがどんな悪路でもその独特の歩き方でついてくるし、ましてやグランディーナときたら絶対に「疲れた」なんて口にしない超人的な体力の持ち主である。マチルダの話など予想もしていなかったのだった。
「でもグランディーナはソミュールに行っちゃったわよ。何でも旧ホーライ王国の人が会いたがってるってランスロットが言ってたわ。ランスロットとウォーレンも一緒だったわ」
「戻ってきてから相談してみます」
「マチルダさま、私、仕事を手伝います。薬湯でも何でも言いつけてください」
「ありがとう、アイーシャ。でも薬湯も3日連続となると効能も薄れてしまうのよね。溜まった疲れが取れないようでは薬湯にできることはもうないのよ」
「じゃあ、あたしも手伝ってあげるわ。それにしても黄金の蜂の巣を丸ごとあげちゃったのはもったいなかったかしら?」
「でも、あれはポーシャさんのものですから」
「何ですか、黄金の蜂の巣というのは?」
「そのことならば行きながら話してあげるわ。さぁ、行って、どんな薬草があるのか見せてちょうだい。それから考えても遅くないでしょうからね」
「はぁ」
マチルダは頷いたが、何の話か全然、理解していないようだ。それでもデネブとアイーシャが立つと一緒についてきた。しかしよく見ると目の下にくままでできている様子は彼女の言い分が決して大げさなものではないことを物語っていた。
「その怪我はどうした? あなたが怪我を負うなど珍しいな」
「ああ、これか。少し油断していてね、プラチナドラゴンのブレスを喰らったんだ。ドラゴンの生命力を甘く見るなとライアンに怒られたよ」
「あなたの怪我は何が原因だ?」
「わたしも倒し損ねたヘルハウンドにやられました。手負いの魔獣は手強いですね」
「ウォーレン、ずいぶんと怪我人が多そうだな?」
「はい、後でマチルダが報告に上がると思いますが、なぜそのように思われたのですか?」
「ランスロットとデューンのほかに私が気づいただけでカシム、オーサ、アレック、ロベール、それにガーディナーが怪我をしていた。それにあなたの顔色も悪い。多いと判断するには十分な人数だと思うが?」
「そのとおりです。試すようなことを言って申し訳ありません」
「あなたが謝る筋合いでもあるまい。連日の山越えで疲れたか? それならば明日のディアスポラは攻め方を変えなければなるまいな」
「ソミュールで1日、休憩を取るわけにはまいりませんか? アンジェの話ではディアスポラまでもう一度、山越えをしなければならないということですが」
「攻める勢いが切れるのはしたくない。後でマチルダの報告を聞いてからにしよう」
「こっちだ」
ランスロットが先に立ち、彼女らは1軒の商家らしい建物に入っていった。
中で出迎えたのは予想どおりヨハン=チャルマーズを代表とする旧ホーライ王国の面々で、デューン=サマーハが同行していることにいささか驚いたようだ。
当のデューンは軽く頭を下げたものの、自分はすでに解放軍の一員なのだという開き直りとふてぶてしささえ見せている。
「私にわざわざ来いと言うのは何か別の用があってのことではないのか?」
故ユンカーマン氏のことで簡単な謝礼の言葉が述べられるとグランディーナは早速、切り出した。
「それは、ご想像いただいているかもしれませんが、わたしたちもゼテギネア帝国とともに戦いたいという意志を表明したいと思いまして。我々の規模も力も決してあなた方に劣るものではないと思っています。打倒帝国に向けて、力を合わせようではありませんか」
ヨハンは旧ホーライ王国の元文官だと言った。列席したほかの面々はおおよそランスロットと同世代の者で、その彼らより一回りほど年上である。
「その前に訂正していただこう。規模はともかく勢力は私たちの方が上だ。解放軍に加わるというのならばいざ知らず、ともにだの、力を合わせるだのという勘違いした言い方をされるのは不愉快極まる」
ヨハンは返す言葉に詰まったようだが、それ以外の剣士や騎士たちが顔を朱に染めて立ち上がった。
「まるで自分たちだけが戦ってきたような言い方をするな!」
「打倒帝国なりし、あかつきにはその手柄をゼノビアの連中だけで独り占めするつもりか?!」
「解放軍のリーダーは傭兵上がりと聞いたが、礼儀を知らぬことは噂以上だな!」
「ゼノビアの手先め!」
どさくさに紛れてゼノビア王国まで侮辱されたようでさすがのランスロットも反論する言葉が喉までせり上げたが、彼は微動だにせずこらえた。
こんなところでゼノビアだのホーライだのと言い争うことの方がよほど空しい。それを言ったら大陸にはまだ3つの王国があったのに、帝国も倒さぬうちからこんなことで争ってはいられない。だがいずれ片づけなければならない問題でもあるのだろう。そしてこれはそのためのグランディーナの先制攻撃なのだ。
そういうわけで彼女は涼しい顔でこれらの罵倒を聞き流した。ランスロットも相手が抜刀でもすれば黙っているつもりもなかったが、彼女はそれでも容易に刀を抜かないだろう。ウォーレンを盗み見るとこの老人はもっと冷静に皆、グランディーナやヨハンばかりでない、そこにいる全員を観察しているようだ。
「あいにく私はゼノビアの人間ではないし、ゼノビアに肩入れした覚えもないし、これからもするつもりもない。だがこの戦争を始めたのは私たちだし、ここまで帝国を相手に勝ち抜いてきたのは紛れもない事実だ。そして旧ホーライ王国を名乗るあなたたちが、祖国の滅亡からゼテギネア帝国に対して抵抗らしい抵抗も見せていないことも知っている。あなたたちと我々とでは対帝国への実績に明らかな差がある。それでも対等だと言い張る証拠があると言うのならば伺おうか」
「確かに我々が目立った活動をしていないのは事実、お恥ずかしいことですが反帝国は名乗ってもそれは否定いたしません。しかし、大陸の東の辺境に位置するゼノビア領とほぼ中央に位置するホーライ領とでは帝国の支配の仕方も重視の度合いも異なりましょう。それを同列に論じられては困ります」
文官らしくヨハンが反論したが、口先猛々しかった騎士たちは黙り込んでいた。
「帝国の戦力差を言うのならば、我々はゼノビアに駐留した四天王が1人デボネアを破り、アヴァロン島では女帝の実弟、黒騎士ガレスをも討った。対してここディアスポラの支配者は監獄長であり元帝国教会の法皇ノルン=デアマートと聞いているし、その前も監獄長が兼ねてきたはず、ガルビア半島とアンタリア大地は旧ゼノビア領に負けず劣らぬ辺境、あなたたちが主力を失った首都のバルハラはラシュディが使った魔法のために永久凍土と化して都市の機能そのものがまともに働かなくなっていると聞く。大陸の中央に位置していようとこれがホーライ領の現実だ。それを、中央にあるというだけで四天王と黒騎士とを同列に論じているのはそちらではないのか。ガルビア半島、アンタリア大地、バルハラにこれほどの大物がいるという報告も聞いていないが?」
「ガレス皇子はともかく、デボネア将軍はゼノビアに左遷されたと聞いています。それに解放軍は彼に逃げられたそうではありませんか。破ったなどと大仰(おおぎょう)に言えることではないのではありませんか?」
「デボネアが逃げたのは私たちに負けたからだ。それに四天王であることも事実、左遷されようが正規に派遣されたのであろうが、実力に不足があるとも思えないが、そうではないのか?」
「ではスラム街と化した王都ゼノビアのことはどうお考えですか?」
グランディーナには珍しく小さなため息をついてみせたが、これはウォーレンやランスロットにも聞かせる意図があってだろう。
「私が請け負ったのはゼテギネア帝国を倒すまでのことだ。どうして皆が皆、戦争屋に復興まで負わせたがるのか理解に苦しむ。だが幸いなことに旧ゼノビア領の復興は別の手で進んでいる。イグアスの森は当分、人の手は受けつけまいが、ヴォルザーク島、シャローム地方、ジャンセニア湖、それにバルパライソの復興は順調だそうだ。スラム街の住民が故郷に帰る気になれば、自然とゼノビアの再建も始まろう。復興が進めば人手も加速度的に増えよう。問題なのは旧ゼノビア領ではない。旧ホーライ領やこれから戦場になる、旧ドヌーブ、旧オファイス、それに旧ハイランドではないのか?」
もちろんウォーレンもランスロットも旧ゼノビア王国領の復興を誰が担っているのか知っている。知っているからこそ戦争に専念できるのだ。
犠牲者の比較的少なかった魔獣軍団が、元団長ギルバルドの命令と、彼の副官的な存在だったスタイン=アレスベックの指揮で動き出し、最初はシャローム地方から始まった動きが各地に広がっているのである。元魔獣軍団員が手なずけた魔獣を連れていったことも幸いしていた。人間には手に余るような瓦礫も、魔獣の力を借りれば短時間で片づく。グランディーナの言うように再建が進むにつれて復興は加速度的に速まり、ヴォルザーク島のように人手は余りだしているところもあるという。
もっとも一連のそのような動きに解放軍のリーダーの意志が働いているかどうか、ギルバルドは語らない。そして彼女自身もまた、自らを戦争屋と称してはばからず、再建に意見を挟もうとはしないのだ。
しかし、ヨハンたちは旧ゼノビア王国領の順調な復興のことまでは知らなかったらしく、一時はスラム・ゼノビアとまで揶揄(やゆ)された王都の再建がすでに始まっていると聞いて、かなり驚いた様子だった。
残念ながら、解放軍を支える身では旧王国領の復興をこの目で確かめる機会はまだ廻ってこない。そういう報告がギルバルドからグランディーナやウォーレンに上がっているというだけのことだ。それに一族郎党、所領も失ったランスロットには純粋な好奇心という以上に旧ゼノビア領に帰る理由がなかった。
「話のついでだ、もう1つ訊いておきたい。デューンたちを除いて、あなたたちがルテキアで我々に合流しなかった理由は何だ?」
「あなた方の蜂起を知らなかったわけではありませんが、我々の準備が整っていなかったのです。それにあなた方についての情報が少なかった。むやみに合流するわけにはいきませんでした」
「準備が整うまで戦争ができないとは初めて聞いた。帝国がそれを待っていてくれれば良いがいつからそのようなお人好しの集団に成り下がったのか初耳だな」
「侮辱するにもほどがありましょう! いまの言葉、即刻、取り消して謝罪していただきたい」
「断る。私は戦争屋だと言った。戦争を行うのに準備が整わないなどという理由は間違っても口にしない。討つべき敵がいるから戦う。準備など後からでも整えられる。準備など整わなくても戦う。あなたの寝言に付き合っていられるか」
しかし立ち上がったヨハンは容易に腰を下ろさない。
「だがあなたはもっと言葉を選んでくれてもいいじゃないか。言うに事欠いて寝言だのお人好しだの、人を馬鹿にするにもほどがあるじゃないか!」
「この期に及んで旧ホーライ王国にしがみついていたいならばそうするがいい。だがあなたが拠るべき国はもうないし、ゼテギネア帝国が倒された後に建国される国もいままでのしがらみから離れた国であるべきだ。あいにくと私はその保証ができる立場にはない」
年上のヨハンの方がまるで子どものようだ。だが彼は地団駄を踏んだりはしなかった。ようやく腰を下ろすと、泣きながら笑い出した。
「そうだ、あなたの言うとおりだ、ホーライ王国はもうないのだ、そんなことは24年前からわかりきっていたことだ。ホーライだけじゃない、ゼノビアだってドヌーブだってオファイスだってとっくに滅亡してるじゃないか。おかしな話もあったものだ。そうだろう? わたしは何て馬鹿なことをしているんだ。国なんてなくなってるのに」
そうしてしばらくはヨハンの笑い声だけが聞こえていた。デューンが話しかけようとしたがグランディーナに遮られたのである。
やがてヨハンは泣きやんだ。目元をこすり、目をしばたたく。その顔は長い夢から覚めた人のようだ。そう彼は夢を見ていたのかもしれない。ホーライ王国が存続しているという夢をいつまでも見ていたかったのかもしれない。だがその夢はとうに終わっているのだ。夢の中だけでの出来事でしかなかったのだ。そんな夢の目覚めはさぞ苦いことであったろう。
「わたしは何と愚かだったのだろう。15年前とまた同じ過ちを繰り返すところだった。サラディン殿の教えに従って行動してきたはずだったのに、何の意味もないことをしてしまうところだった。あなたには礼を言わなければなるまい。サラディン殿はわたしの恩人なのだ。あなたはそのことを思い出させてくれた」
その時、なぜグランディーナが拳を握り締めたのかランスロットはとうとう訊けずじまいだった。それはやがて訊く必要がなくなったからでもあった。
「改めてお願いする。グランディーナ殿、我々を解放軍に加えてはいただけまいか? そしてともにゼテギネア帝国と戦わせてほしい」
抗議の声は上がらなかった。旧ホーライ王国の残党のなかで、ヨハン=チャルマーズという人物が占めてきた役割はウォーレンやランスロットのそれに匹敵するものがあるようだ。
「解放軍を代表してあなたたちを歓迎する。我々はソミュール郊外で野営している。明日の朝、来てくれ」
「なぜ、野営など? いまからでも遅くない、宿舎を用意するから泊まられるとよろしかろう」
「解放軍には魔獣も多い。それに町に負担をかけるのも不本意だ。すでに断った前例もある。宿舎の件はお断りする」
ヨハンが手を差し出し、グランディーナはそれを握り返した。ひとまず会見は終わったのだ。同時にそれは解放軍の勢力が増えたことをも意味していた。
[ − 戻 る − | − 続 く − | 目 次 ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]