Stage Six「点と線」2

Stage Six「点と線」

「ウォーレン、ランスロット、後でアッシュとギルバルド、マチルダと話があるからそれまで休め。皆も休ませろ」
「承知した。君はどうするんだ?」
「マチルダの話を聞く」
デューンがため息をついたのでランスロットは振り返った。グランディーナにも聞こえたかもしれないが、彼女はさっさとマチルダを探しに行ってしまった。
「解放軍のリーダーというのはあれほど頑強でなければ務まりますまいか?」
「彼女は特別だ。あの強さは我々凡人が真似できるようなものではないよ」
ウォーレンが少しにらんだが、ランスロットには紛れもない本音だ。いまのグランディーナと同じことをやれと言われても誰にも務まるものではないだろう。
「君も休みたまえ。みんなにも休むよう伝えなければな。
ウォーレン、あなたはここで待っていてください。わたしは野営地を一回りしてきます」
「お願いします、ランスロット」
それで途中までデューンと連れ立ってランスロットは言ったとおり皆の様子を見て回った。改めて指揮するまでもない。怪我人は多く、「休め」と言われるより早く、ほとんどの者が休んでいた。
アッシュも体力勝負の山越えはかなり堪えたようだったが、グランディーナの言葉を伝えると重い腰を上げてウォーレンのもとに向かった。
だが、ランスロットが最後にマチルダたちのもとに立ち寄ろうと歩を向けると、少し離れたところからも異臭が漂ってきた。
異臭の元は予想どおり、魔女デネブで、毎日煮炊きに大活躍の大鍋を前に何かを煮込んでいるようだ。もっとも彼女と鍋を見た時に、ランスロットは自分たちの夕食を忘れていたことを思い出した。
「これは、何をやっているんだ?」
「デネブの特製スープだ。20種以上の材料を混ぜて煮込むんだが、疲労回復に抜群だと言ってた」
「まさかと思うが、君はそれを皆に飲ませるつもりじゃないだろうな?」
「最初に私が飲んでみて、何もなければ皆も飲めるだろう。何か問題があるか? ただ材料があまりないので人数分作れるかどうか微妙なところだそうだ」
「わたしは遠慮してもいいだろうか。それよりもまともな食事をしたいんだがな。
マチルダ、何か余り物でもないかい?」
「申し訳ありません、ランスロットさま。それが今日は最初から分量を間違えてしまったようで、ここに残っていらっしゃった方の分も足りなかったんです。ギルバルドさまとカノープスにはソミュールで食事していただいたくらいで」
それを聞いた瞬間、ランスロットは大真面目に目眩がした。空腹も過ぎると人間怒りっぽくなると言われるが、いまの彼は倒れてしまいそうな気持ちだ。
「案ずるな。腹が減ったのは私も同じだ」
「そういう慰められ方は逆効果だと思うんだがね」
「そうか?」
アヴァロン島での一件以来、グランディーナとデネブ、それにアイーシャは妙に気が合うようでよく一緒にいる。もともと人間離れした強さを持つリーダーと一切の常識が通用しない魔女である。その組み合わせはランスロットにもわからなくはないのだが、この3人のなかではいちばんの常識人であるアイーシャがまたデネブと仲が良いのも理解に苦しむところだ。
今日もアジャンを発つ際、デネブは別路を指定して譲らなかった。そこでラミス=ユンカーマンの娘を保護したことは結果論に過ぎない。グランディーナとアイーシャまでデネブに付き合うことはなかったろう。
「できたわ」
振り返ったデネブの眼差しは光り輝いていた。額に玉のような汗を浮かべ、片手にお玉杓子、片手に小皿を持っているところなど立派な料理人である。いつものとんがり帽子でなくピンク色の手ぬぐいで髪を覆っているのも念が入っていた。
「最初の一口は誰がいただくの?」
「私でもよろしいでしょうか?」
当然グランディーナかと思いきや、果敢にもマチルダが挙手した。彼女の勇気をランスロットは褒め称えてやりたい気持ちだ。カノープスならば、さしずめ無謀だと言うかもしれないが。
「え、マチルダさん?」
「私は大して疲れていない。確かにマチルダの方が効能もわかるだろう」
「お願いします」
もっともデネブにはこれがよほど意外だったらしい。
「ちょっと待ってちょうだい。材料を1つ入れ忘れちゃったわ」
彼女は振り返って小皿の中身を鍋に戻すと、さらに何かを足して鍋をもう一混ぜした。それが何かの生き物のように見えたことは果敢なマチルダのためにもこの際、言うべきではないだろう。
「さあ、どうぞ」
「いただきます」
とは言ったものの、小皿から立ち上る臭いにマチルダは思わず怯んだ。それがグランディーナとデネブ以外の面々を余計に案じさせる。
しかし彼女はあくまでも果敢であった。鼻をつまみたい気持ちをこらえて中身を一息に飲み干したのだ。
マチルダにはその味を形容することはできない。いや、デネブ以外の誰にもできなかろう。ただ、何か得体の知れないものが喉を通りすぎ、目の前に火花が飛んで、喉と胃が燃えるように熱くなった。
腰から崩れた彼女を支えたのはグランディーナだったが、もちろんデネブも含めてその場にいた全員が集まってきていた。
「大丈夫か、マチルダ?」
頭の芯から痺れがまわっていた。だが心地よい痺れだ。それはどこか眠りにも似ていた。夢を見ることのない、深い眠りだ。彼女は答えられず、まぶたは自然にふさがっていた。
「デネブ、あなたが作ったのはもしや睡眠薬じゃないだろうな?」
「そうとも言うわね。でも、ぐっすり眠って翌朝には疲労回復、嘘は言ってないわよ」
「量が足りないと言っていなかったか? それにしてはマチルダはずいぶん効くのが速いようだが?」
「それはあたしも驚いているのよ。これには即効性なんてないんだから。でもマチルダさん、最近かなりお疲れでしょ? それでよく効いちゃったんじゃないかしらねぇ。それで、皆さん飲むの?」
「わたしは遠慮する。これから話し合いがあるのに寝てしまうわけにはいかないからな」
「私も飲んでみたいんですけど、いいですか?」
次の挑戦者はモーム=エセンスだった。彼女はマチルダのようにいきなり寝込むことはしなかったが、しっかり不味いと感想を漏らした。それはそのまま後続を断ち切りかねないような意見だったが、マチルダが気持ちよさそうな寝息を立てていたのが功を奏して、最終的には全員にスープが行き渡ったのはデネブらしい結末であったろう。
「いくら疲れているからって夜番も立てずに休む奴があるか」
「カボちゃんたちにさせておくわ。皆さん、それだけお疲れなのよ、大目に見てあげなさい、ね?」
グランディーナはデネブに八つ当たりもしなかったが、見張りの件はそれ以上、言明するのは避けた。
解放軍中が眠りに包まれることとなり、起きているのはグランディーナとデネブ、名指しされたウォーレン、ランスロット、ギルバルド、それにアッシュだけである。見張りにはデネブの指揮で4体のパンプキンヘッドが立ったが、言葉を発しない彼らが万が一の場合はどのような警告を発するのかは興味深いところだ。
「皆さんの分もスープは残ってるわよ。良かったら後でどうぞ」
「本当に効くのか?」
「あたしの腕前を疑うの? と言いたいところなんだけど、こればっかりは皆さん次第だわねぇ。どうしても疲れの取りきれない方っているものなのよ。若さと体力、日ごろの鍛え方次第って感じかな」
「そうだろうな」
「明日は予定どおりディアスポラ大監獄を攻めるのですか?」
さっさと休みたいウォーレンが本題に入る。男性陣ももちろん反対するところではない。
「そうだ。だがあなたたちも知っているとおり、疲労による怪我人が増えている。このままディアスポラを攻めてもいい結果は出るまい。デネブの特製スープがどれだけ効果があるのかわからないが、それを当てにした戦術を立てるわけにもいかない。だから最初から別働隊を組んでディアスポラを攻めようと思う」
「もう! あたしはあくまでも控えめに言ってるのよ。効くのかどうか、わからないなんて信用しないにもほどがあるわ」
「話がややこしくなりますから、それ以上、余計な口を挟まないでください、デネブ。
反対する理由はありませんが、あなたのほかに誰が行かれますか?」
「それは明日、決める。どちらにしてもここで休む者が出ることは避けがたい。少し無理をさせたな」
「そうと承知されていて、なぜソミュールに宿を求めなかったのです? 確かに容易に助けを求めてならないこともわかりますが、これは緊急事態なのではありませんか?」
「この程度のことで緊急事態など聞いて呆れる。皆に無理をさせたのは確かに認めるが、これからも同様の戦術は取る。自分たちのひ弱さを棚に上げて帝国と戦うつもりでいるのか?」
「いつまでもゲリラまがいのことをしているわけにはいかないと思います。我々は傭兵ではありません」
「リスゴーが除隊したと思ったら、今度はあなたが言い出すのか。同じことを何度も言わせるな。帝国に数で劣る私たちが勝つにはこうした戦術しかない。それもその差は数倍では済まない。帝国が全軍を繰り出してみろ、たとえ大陸中の反帝国勢力が結集したところで帝国にかなうものか。蟻を踏みつぶすより容易に我々は踏みつぶされるだろう」
「その話も何度も伺っています。ですが実際には帝国は全軍など繰り出して来ていません。実際には踏みつぶしになど来ぬものをあなたはただ恐れているだけではないのですか?」
グランディーナの表情が皮肉に歪む。だがデネブは当然のこととしても、ギルバルドもアッシュもウォーレンに同調しない。ランスロットも黙っていた。
「その台詞、踏みつぶしに来てからでは遅いということはわかって言っているのだろうな。先ほどヨハン=チャルマーズと話した時に、準備が整ってからなど戦争は始めないという話をした。だが始めてから何もしないのは愚か者だ。戦争を始めたからには勝つ。だが相手は大陸全土を支配する帝国だ。私は戦争は最後に勝てばいいものと思っているが、そう考えない者の方がよほど多いし、負け戦続きは軍の士気にも影響するからあながち間違いとばかりは言えない。だが勝つと一口に言ってもたやすいことじゃないのはあなたとて承知していよう。ましてや数の少なさによる不利は大国ゼテギネア相手には多少の戦略の工夫や英雄譚などをもってしても補いきれるものじゃない。だが正攻法でぶつかっても勝つことはできない。傭兵だの騎士だのにこだわっていれば勝てる戦も逃す。我々の全てが英雄的な活躍をしても、戦力の差は容易に埋め切れまい。まずは日々の戦を勝ち抜くこと、勝ち続けること、それも不利と思われる戦局を引っ繰り返してこそ勝利には価値がある。勝てば士気は上がり、仲間も自ずと増えるだろう。数の不均衡は容易に引っ繰り返すことはできまいが、勝ち続けるという紛れもない事実は民衆の支持をも得られるだろう。もちろん勝てばいいというものでないことぐらい私も承知している。だが負け続ける軍隊を支持する者はもっといない。圧政を布いたのは帝国だが、曲がりなりにも平和を乱しているのは私たちの方だ。あなたにその自覚はあるのか? それでもあなたが私のやり方に賛成できないと言うのなら、私にも考えがある」
グランディーナの反論にウォーレンは驚いたようだったが、疲労の色も濃いアッシュが取りなすように口を挟んだ。
「そのような話は議論の尽きることがあるまいが、日を改めてはどうだ? 今日の行軍で皆が疲れておる。いま話すべきことではないと思うがいかがか?」
「そうね。あたしもアッシュに賛成するわ。疲れてると判断も鈍っちゃうもの、2人ともあたしの特製スープを飲んでお休みなさいよ。一晩休めば考えも変わるわよ。夜っていうのは特に人を暗い考えに固執させちゃうものね。本当はこういう深刻な話し合いを夜中にやっちゃいけないのよ、知ってた?」
「私が始めたわけじゃない」
「可愛くないこと言わないの! 行きましょ」
デネブがグランディーナを強引に連れていってくれたのはありがたかった。しかしランスロットが立ち上がるより速く、アッシュがウォーレンに話しかけたので彼はまだ立ち去るわけにはいかなくなってしまった。
「残念だがそなたの意見に、わしは賛成しかねる。戦のことではグランディーナの方が玄人、そなたの考え方は素人、騎士道を理解せぬ者が理想論を唱えているだけにすぎん。それにあれはゲリラとか傭兵などというわかりやすい戦術でさえない。ゲリラ戦というのはもっと犠牲者が出るような戦のこと、だがグランディーナの取る策は逆にほとんど兵士が死んでおらぬではないか。このような戦術を何と呼んだら良いのか、わしにはわからんが、知られている如何なる戦術も当てはまらぬ特別なやり方のようだ。ここまで解放軍をまとめてきたそなたの手腕を疑うものではないが、これ以上戦のことに口出しするのはやめにしたらどうなのだ? 確かに傭兵らしい強引さはあるが彼女の言うとおり、負け戦を続ける軍は如何な高い理想を掲げていても、いずれ人心は離れていこう。民衆の心とはそれほど危ういものよ」
元騎士団長にまで怒られて、さすがのウォーレンも気落ちした様子だった。
「ではアッシュ殿にお伺いしますが、騎士道とは如何なるものと仰せられますか?」
アッシュはその場にいる者の顔を1人ひとり眺め、穏やかな笑顔を浮かべた。
「騎士道とは己が主君のために死ねるほどの覚悟のことだ。剣を捧げた者に命までも捧げること、それがわしの考えている騎士道だ。だがわしは陛下のために死に損ない、騎士道を貫くことができなんだ。生き恥をさらすとはわしのためにあるような言葉よ」
「ですが、まだトリスタン皇子がいらっしゃいます。アッシュ殿はなぜ皇子のために騎士道を貫くと仰ってはいただけますまいか?」
ランスロットは思わず口を挟んだ。
「わしはまだ皇子に剣を捧げてはおらぬ。剣を捧げる相手もおらぬのに騎士道を貫くとは言えまい。だが一度、剣を捧げたならば迷いがあってはならぬ。忠誠を貫くが騎士道、たとえそれが正義でなくてもだ。
さて、わしらも休むとしよう。この状況ではディアスポラ監獄の解放にはギルバルド、そなたらの力が必要になろうからな」
「幸い、魔獣部隊はそれほどの打撃を受けていません。飛行魔獣も温存していますから、いつでも行けましょう」
1人、蚊帳の外に置かれた格好のウォーレンはグランディーナの言い分にもアッシュの話にも、どこか納得しきれていない様子だった。だがランスロットは話しかけなかった。そもそも〈啓示の彗星〉の導きで皆の反対を押し切るようにしてグランディーナを解放軍のリーダーに据えたのはウォーレンだ。彼が納得していようといなかろうと、これからも彼女を中心に戦いは進んでいくだろう。
「ウォーレン、わたしも休みます」
彼は無言で頷き、ランスロットもそれ以上声をかけることは躊躇(ためら)われた。
あの様子では一晩中、悶々と考え込んでいるかもしれない。だがそもそも言い出したのはウォーレンだ。その決着は彼以外にはつけられないのだろう。
「結局、夕飯を食いっぱぐれたな。わたしも特製スープでも飲んで休むとしよう」
その夜の解放軍の野営地はいつにない静寂に包まれていた。動く影は5つ、だがそれらも次第に動きを止め、最後まで動いていたのはただ1人であった。
「おはよう、グランディーナ。いや、振り返らなくていい!」
もっとも彼女が水浴びをしているところなどに出くわしたなら、たとえアッシュだって同じことを言ったに違いないのだ。とはいうものの、ランスロットは自分が尊敬する元騎士団長を引き合いに出したことを多少後ろめたく感じた。
「ずいぶん早いな。デネブの特製スープはあまり効かなかったのか?」
「その逆だ。効きすぎたのと夕食を食べ損ねたので夜明け早々に目が覚めてしまった」
「そう言えば、あなたには気の毒なことをしたな。私は1食ぐらい抜いても気にしないが、あなたまでつき合わせたのは悪かった」
背後で水に入る音が聞こえた。
不本意ながら彼がグランディーナの裸身を拝むのはこれが二度目だ。それがかれこれ1ヶ月も前のことであるのに気づいて、ランスロットは改めて時の過ぎた速さを思う。あれから彼らの周囲は大きく変化した。しかしゼノビア城の解放はよほど大きな行事になるかと思っていたが、彼のなかではすでに過去の一部となりつつあるのは意外なところだ。
「わたしとてそれぐらいで弱音は吐かないさ」
「それで朝から何の用だ? あなたも水浴びをするのか?」
「いいや、しない。わたしは目が冴えて朝の散歩をしていただけだ。そうしたら水の音がしたんで様子を見に来た。君の邪魔をするつもりはなかった」
「そうか。私はほとんど寝なかった。川方面の見張りが疎かだったからついでに歩哨もしていたが、パンプキンヘッドも寝るものらしい。結局、全部1人で見回る羽目になった」
「どうして声をかけなかったんだ? 気がついていれば、わたしも交代できたのに」
「それであなたに倒れられては私が困る。ついでだと言った」
グランディーナが水から上がる音がしてランスロットの脇を通りすぎる。彼女のことだ、間違っても無警戒とか無防備という言葉は思いつかないが、無関心にもほどがある。
「君にはお節介な話かもしれないが、わたしも一応、男だ。もう少し気を遣ってもらえるとありがたい」
その時、彼女が振り返ったのが意外だった。自分の言葉の何がそんなに驚かせたのか、ランスロットの方が驚いたぐらいだ。
「あなたはジャンセニア湖でも気にしていたな。私も自分の身体が褒められたものじゃないということはつい忘れるんだ」
「そうじゃない、グランディーナ。君は十分、魅力的な女性だ、だから気をつけろと言いたいんだ」
「あなたは本気でそんなことを言っているのか?」
「冗談で言うことではないと思うがね」
彼女はしばし無言で、服を着る手も止まった。狼狽えこそしなかったが、そういう台詞を言われ慣れていないのは間違いない。
「あなたは変わった人だな。お世辞でもそんなことを言われたのは初めてだ。いや、1人だけそういう変わり者がいたっけな」
「わたしはお世辞を言えるたちではないし、君の言う変わり者氏もお世辞は言ってないだろう。そんなことはとっくに知っていると思っていたがね」
やっと彼女の手が動き出す。もっとも動き出したら手早いのはらしいところだ。
「私はありがとう、と言うべきか?」
「わたしは礼を言われるようなことは言っていない。君は逆に見る目のない連中を怒ってもいいぐらいだと思うね」
言ってからランスロットは軽く片目をつぶってみせた。グランディーナは笑顔こそ浮かべなかったが、少しだけ和やかな表情になっていた。
野営地に戻るとすでにほとんどの者が起きていてマチルダたちが朝食の支度で忙しそうに立ち働いていた。ミネアとエオリアがいないのはデネブの特製スープがそれほど効かなかったからだろう。そう思わずにいられないほど、働いている皆の顔色は良く、元気そうだ。
「おまえら、ずいぶん早起きだなぁ」
カノープスがグランディーナとランスロットを見つけて声をかける。言いながら大きなあくびをして両腕を伸ばした。
「また水浴びに行ってたのか? おまえも意外ときれい好きなんだな」
「水浴びに行ったのは事実だが意外とは余計だ」
「そいつは悪かった。まさかと思うけど、2人で仲良く水浴びしてたんじゃないだろうな?」
「するはずないだろう」
「それにしてもデネブのスープは大したものじゃないか。身体中きしんでいたのが嘘のように軽くなったぜ。昨日の朝よりも具合がいいくらいだ。ディアスポラ攻めもどんとこいだ」
「私もそれほど期待していなかったが、かなり効いたようだな」
「あーら、それほどなんてつれないこと言ってくれるじゃないの。そんな冷たいこと言うのなら、もう御馳走なんてしてあげないから」
デネブはそれほど素早いわけではないのだが、ランスロットもカノープスも不思議に思うのは、彼女がいつも容易にグランディーナの背後を取ることである。あるいは取らせていると言うべきか。
「そう言うな、デネブ。不確定要素を計算に入れるわけにはいかない。当然のことだ」
「そんなことわかってるわよ。リーダーとしては当然の判断よね。でもそんなつれないこと簡単に口にしないでちょうだい、淋しくなるじゃないの」
デネブののりは理解不能だ。しかしアヴァロン島での一件もあるし、ランスロットとカノープスの共通した意見は「魔女のすることに口出しするべきではない。曰く、触らぬ神に祟りなし」である。もっともそんな話をしていたら、ギルバルドには苦笑され、ユーリアにも笑われた。
「朝食が済んだらディアスポラ攻めの話をしよう。そろそろ旧ホーライ王国の連中も来るころだ」
「それであなたはどこ行くのよ?」
「ウォーレンと話したいことがある」
「その前に朝食を一緒に食べましょ! あなた、昨日の昼から何も食べていないでしょ?」
「寝る前にあなたの造ったスープを飲んだ。朝食なんて後でもいい。先にウォーレンと話す」
「冗談言わないの!
ランスロット、あなた、昨日はあんなに頼んだのにリーダーに夕飯を食べさせ忘れたわね?!」
「あ、ああ、すまない」
「んもう! 当てにならないんだから!」
「それぐらいのことで大騒ぎするな。携行食ぐらいウォーレンが持ってる。
ランスロットもいちいち謝るな」
「グランディーナ、待ちなさいよ!」
「ついてくるな!」
「んもう、へそ曲げたおじいちゃんなんて放っておけばいいのに!」
去っていくグランディーナにデネブは舌を出したが、ランスロットが止めるまでもなく、追いかける気はないようだ。だが、小言を言う前に彼女も去ってしまい、後には興味津々といった顔のカノープスと彼だけが残された。
「昨日の晩、じじぃと何かやらかしたのか?」
いまの会話を聞いていたのがカノープスだけだというのは不幸中の幸いだろうか。それとも昨日のような話をデネブに知られたと嘆くべきだろうか。
「グランディーナとウォーレンが揉めたんだ。珍しくアッシュ殿が彼女の肩を持ったから、ウォーレンにはおもしろくない話だったろう」
「そいつは深刻そうな話のようだな。だけど何となく揉めた理由は想像がつかないでもない。だが俺はグランディーナにつくぜ。悪いがウォーレンじゃ、勝てる戦も落としかねねぇからな」
「本気でそう思っているのか?」
「思ってるから、おまえらだってあいつを担ぎ上げたんじゃないのか? ウォーレンだって馬鹿じゃない。みすみす勝てる戦を棄てたりはしなかろうさ。曲げられるところはいくらだって曲げるだろう」
「ならばなぜ、わざわざそのようなことを言ったのだろうな? 万事、彼女に任せていれば済むことじゃないか?」
「それは俺にもわからん。ウォーレンてのは昔から、何考えてるんだかわからないところがあったからな。だけどグランディーナも馬鹿じゃない。簡単にウォーレンを切ったりはしないだろうさ。いなくなったら困るのはお互い様だ。あの2人はあれで、案外いいコンビだと思うぜ」
「君がそう言うのならば大丈夫だろう」
「何だ、珍しいな、おまえさんがそういう言い方をするのは。どういう風の吹き回しだい?」
「自分にできることをする、それだけのことさ」
「いい傾向だ。さぁ、俺たちも朝飯を食おう。さすがに今朝は人数分あるだろうからな」
「そのことでマチルダたちを責めたわけではないのだろうな?」
「当たり前だ。俺とギルバルドは逆にいい思いをさせてもらったさ。のんびりできなかったのが心残りだったがな」
「君たちらしい」
「何言ってるんだ。今度はおまえやグランディーナも連れてくぞ。この期に及んで酒が飲めないなんて冗談は聞く耳持たねぇからな」
「あなたにはデネブの特製スープは効かなかったようだな」
「わたしほどの歳になると山は堪えます。もともとそれほど鍛えてもいませんので体力に自信はありませんから」
「ヴォルザーク島に戻るのか?」
「まさか! それともあなたが戻れと命じられるのですか?」
「それこそまさかだ。たとえあなたが帰りたいと言っても帰す気はない。解放軍にはあなたが必要だ。あなたが求めている、軍師としての役割ではないとしてもな。それだけ言いに来た」
ウォーレンはしばし沈黙した。確かに彼女は軍師など必要としていない。解放軍ではリーダー自身が軍師であり、最強の剣でもある。アッシュが口を挟まぬ理由もそれで納得がいく。元騎士団長は旧ゼノビア王国最強の剣ではあったが軍師であったことはない。それはかつて「グラン王の知恵袋」とも呼ばれた元魔法軍団長グラント=オフトマインの役目であり、グラント引退後も魔法軍団長が務めたものなのだ。
「デネブの特製スープは皆が効いたのですか?」
「全員とはいかないが半数以上の者が癒されたのは間違いないようだ。だがデネブに言わせると材料がもうないらしい。また同じ事態に陥っても頼ることはできない」
「それでも同じ戦術を使われますか?」
「そうしなければ勝てないのであれば、迷うことはない。それまでに少しでも皆が強くなっているよう願うばかりだが、しばらくはきつい地形もないだろう」
「この先、解放軍に犠牲者が出ても躊躇うことはないのですか?」
「そんなものは帝国を倒すまで放っておくがいい。とうに何十人も殺してきた私だ。解放軍にだろうと帝国軍にだろうと犠牲者が出るのに狼狽えたこと自体、間違いだったのだ。全ての咎は私一人が負う。そのためのリーダーだからな」
「承知しました。数々の無礼をお許しください」
「あなたに謝られる覚えはない」
ウォーレンが差し出した手をグランディーナは握り返した。
「昨晩、話したとおり、ディアスポラには少人数で攻め込もうと思う。あなたは休んでいるといい」
「申し訳ありません」
その後、グランディーナと入れ違いにマチルダが朝食を持ってきてくれたがウォーレンは断った。彼女も土気色の顔を見て強く勧めることはせず、薬草茶の約束をして立ち去った。
休もうとしたがなかなか寝つかれず、老占星術師の脳裏にはさまざまな考えが飛来しては去っていった。
後にウォーレン=ムーンは思い返す。
解放軍のリーダーの危険性に気づいたのはまさにこの時、ディアスポラ大監獄陥落当日であったことを。
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