Stage Six「点と線」3

Stage Six「点と線」

グランディーナがアイーシャのぜひにと取り分けておいた朝食を食べ始めたころ、ランスロットがヨハンたちの到着を告げた。
「皆を集めろ。休んでいる者にも声をかけろ」
「承知した」
両軍が揃うあいだにグランディーナは朝食を平らげ、アイーシャをしばし唖然とさせた。
リーダーの早食いにもはや慣れっこになったカリナ=ストレイカーは旗を掲げて平然とした顔だ。彼に加えてデューンのお仲間であるホークマンのチェンバレン=ヒールシャーも旗手を命じられている。ただ彼が実はカノープスより年上だと知り、いまいち話が合わないのは残念だが、それも一緒に戦っていくうちに慣れるだろう。「何とかなるさ」は人間より長命のホークマンには共通の処世術だ。
この旗を見ると、初めてこれが解放軍の旗だと言われた時の戦士たちのはしゃいだ顔を思い出して、カリナはしんみりした心境になる。あの後でアルベルト=ブラッドフォードがヤドリギの葉をくれた。昔、ヴィリー=セキと交換しあったお守りだそうだ。別れ際にもまた泣きべそをかいて、かしまし娘三人組に叱咤されていたが、いまごろどうしているのだろう。
するとチェンバレンに脇をこづかれた。いつのまにやらぼんやりして、旗を降ろしていたらしい。
やがてやってきた旧ホーライ王国勢は総数50名、有翼人や魔獣はおらず、人間ばかりである。そのうちの何人かはヨハンのような非戦闘員だった。
対する現解放軍は47人と21頭の魔獣やらドラゴンだ。なかでも4頭のドラゴンは威圧感があり、度肝を抜くには十分だった。旧五王国のなかで魔獣で軍団を形成したのはゼノビアのみなのでヨハンたちには馴染みがなかったようだ。
「私が解放軍のリーダー、グランディーナだ。皆を代表してあなたたちを歓迎する。ただ、あなた方も承知のことと思うが、ディアスポラ大監獄の解放が大詰めを迎えていて、今日にも陥落させるつもりだ。あなたたちの歓迎はそちらが片づいていてからということにさせてもらう。
アッシュ、ウォーレン、ギルバルド、前に出てくれ」
呼ばれた3人が進み出ると旧ホーライ側から驚きの声が漏れた。
アッシュは主君暗殺の汚名を着せられた元ゼノビア王国騎士団長、ギルバルドは一度はゼテギネア帝国の軍門に降った元ゼノビア王国魔獣軍団長、2人とも曰くつきであることは解放軍のなかでも指折りである。だから、そういう反応をされることにも慣れていたので何処吹く風といった顔をしている。
「この3人には騎士、魔法使い、魔獣部隊の取りまとめを任せている。あなた方も彼らの下に就くことになるが、そういう部隊編制を含めた話もディアスポラを落とした後、次のマラノ攻めの前に行うつもりだ。
ヨハン、あなたたちの名簿を後でくれ。あなたたちは解散して、ここに残った者の指示に従え」
「承知した。それでは1つ、お願いしたいことがあるのだがよろしいか?」
「何だ?」
ヨハンの顔つきが急に厳しくなり、ホーライ人たちが足を止めた。解放軍側も当然、聞き耳を立てている。
「副監獄長のシャルル=エイゼンシュタインという男を命があるまま捕縛していただきたい」
「監獄長のノルン=デアマートではなく、副監獄長をか? 理由は何だ?」
「この男は前の監獄長であり、2年前にディアスポラにやってきた。囚人の死亡率がエイゼンシュタインになってから倍増したと言ってもいいだろう。奴には戦死ではなく、公開処刑こそ相応しい。それを我々の手で行いたい」
「穏やかな話ではないな。私が断ると言ったら、どうする?」
「理由を聞かせてくれ」
「私にエイゼンシュタインを裁く権利はないからだ。同じようにあなたにもない。あなたに私怨があるというのなら話は別だが、そいつがどれほどの悪人だろうと裁く権利は私たちにはない」
「馬鹿な! あなた方は奴のためにどれほどの人が無念のうちに亡くなったか知らないから、そんなことが言えるんだ」
「何人、死んでいようと同じことだ。公開処刑など意味はない。あなたたちの存在感を認められたいという自己満足だ。まぁ、聞け。そいつを野に放し、民衆の裁きに任せると言うのなら、同意しなくもないが?」
「それでは私刑(りんち)だ。そんなことが可能なのに、なぜ公開処刑では駄目なんだ? わたしたちの自己満足にすぎないからか?」
「公開処刑ではそいつを殉教者にする。ディアスポラ大監獄などゼテギネア帝国のなかでは1つの機構にすぎない。その前監獄長もそれほどの地位にはあるまい。そいつを公開処刑したところで所詮は下っ端だ、私たちが得られるものなど何もない。だが民衆にそいつを任せれば、裁きは自ずと下されるだろう」
ヨハンだけでなく、話を聞いていた者は思わず息を呑んだ。
「生き延びるも殺されるも己がしたことへの報いだ。その方がよほど公正だと思わないか?」
「わかった。あなたの言うようにしよう。だがその方が怖いな」
「怖くなければ意味がない」
それから、ランスロットがホーライ人の1人に歩み寄った。昨日会った騎士で、相手も彼のことは覚えていたようだ。えらく恰幅のいい男だ。
「わたしはランスロット=ハミルトンです。これからよろしく」
「わたしはケビン=ワルドだ。昨日はあなたが騎士の取りまとめだと思っていたのだが、そうではないのだな」
「アッシュ殿を差し置いてそのような地位に就く気はありませんよ」
「ランスロット、行けるのか?」
「ああ、待ってくれ。
また後で話しましょう」
彼がグランディーナのもとに戻ると、ウォーレンと行き違いになった。いままでつき合っているだけで精一杯だったのだろう。マチルダが付き添っていった。
「わしも残らせてもらいたい。そなたたちの足手まといになりたくはないのでな」
「それならば、あなたに残った者をまとめてもらいたい。今日一日、ここで休んで、明日、ディアスポラに来てほしい。我々はディアスポラであなたたちを待っている」
「承知した」
アッシュは頷き、その場を離れる。残ったのは魔獣部隊の面々とアレック=フローレンス、ロベール=クリスタロス、カシム=ガデム、ウィングス=イースタリー、ポリーシャ=プレージ、ヴァネッサ=マッケイ、かしまし三人娘、アンジェ=エルカシュにデネブだ。
「元気なのはあなたたちか。ディアスポラ攻めは肉弾戦中心になりそうだな」
「これでも予想以上なんだろ? あれがなければ、俺だって寝ていたかもしれないからな」
「あーら、カノープス、そんなこと言っちゃって。あたしの特製スープのおかげだって素直に認めなさいよ。あたしがいなかったら、いまごろ解放軍は病人ばかりだったのよ」
「だがデネブ、あなたは昨日、ラロシェルに行きたいと言ってなかったか?」
「ええ。でも1人で行ってくるわ」
「今日でなければ駄目なのか?」
「そうよ。今日は特別な市が立つ日なのよ。そこで買い物してこようと思ってるの。だからカボちゃんたちも連れていかないでね。あの子たちのためのお買い物なんだから」
「何だ、それ? だいたい特別な市が立つ日だなんて、どうしてそんなこと知ってるんだよ?」
しかし、デネブはカノープスの言葉を無視して、ソミュールの方に歩いていってしまった。どこからともなく現れた4体のパンプキンヘッドが後に従う。その姿にホーライ人たちは驚いた様子だったが、三人娘も小さな声をあげた。
「パンプキンヘッドの改良でもするんだろう。昨日も命中率は良くなかったからな」
「良くない、だと? 5回に1回しか当たらないのが良くないなんて言えるか?」
「昨日は4回に1回だったがな」
しかし、誰もそれ以上、文句は言わなかった。正直なところパンプキンヘッドの攻撃になど期待していなかったからである。だが昨晩のデネブの功績を考えれば、パンプキンヘッドの改良だろうが許可してもいいという寛大な気持ちであった。
「それでどう行くんだ?」
「こっちで話そう。
その前にライアン、ドラゴンは連れていけない。あなたはこちらの護衛に残ってくれ。
それとアンジェ、今回はあなたの道案内も不要だ。弓矢で活躍してもらおう」
「空から行くのか?」
「そのつもりだ」
「しょうがねぇ。これで空を飛べるドラゴンがいれば無敵なんだが、ゼテギネアにはいねぇからな」
どんなドラゴンにも蝙蝠(こうもり)のような翼があるが、それらはどれもお飾りにすぎず、空を飛ぶにはまるで大きさが足りない。
「勘弁してくれ。機動力のあるドラゴンなんて考えるだけでぞっとする。何だって万能ってわけにはいかないだろう?」
「そいつは違いねぇ」
カノープスとライアンはそれでひとしきり笑いあったが、アンジェはさも残念そうな顔だった。
彼女はデューンの仲間の女戦士だが、地元の猟師の娘で誰よりも地理に詳しく、ここまで解放軍の案内で大活躍したのである。アンジェがいなければディアスポラの山と森は解放軍にも不案内だったはずで、そういう意味では今回の最大の功労者でもあった。
「何か、あたしには弓を引いてるよりも、こっちのが性に合ってるみたいです。また同じような仕事をさせてもらえませんか?」
「あなたが希望するのなら考えておく。だが私は人使いが荒いぞ」
「あたしも体力には自信がありますよ」
「それは私も知っている。どちらにしても続きは戻ってきてから話そう。
こっちだ」
「女の影なんて聞いたことねぇな」
「逆に意表をつけて誰も影だと思わないんじゃないかな。彼女は土地勘もいいし、度胸もある。案外、向いてるかもしれない」
「まぁ、俺もそいつは否定しねぇけど」
「お二人ともいいこと言ってくれますねぇ」
グランディーナの先導で一行は野営地を離れ、川沿いに向かった。そこではライナス=クウェンティンとトリム=ランザムが待機していた。
「待たせたな。ディアスポラ大監獄の状況を説明してくれ」
トリムが地面に大監獄の見取り図を描き始め、ライナスはそれを指し示しながら話し出した。
「大監獄は外壁に囲まれ、入り口は1ヶ所しかありません。建物は2つあり、大きな方が監獄、小さい方が宿舎となっています。帝国軍はほとんどが宿舎にいますが、ほかの町から逃げてきた兵士も若干混じっているようです。ですが、大監獄そのものがもともと防衛用の建物ではありませんので、宿舎に常時いる兵士は少なく、外壁の守りに重点が置かれていました」
「敵将はノルン=デアマートか?」
「そうです。ただ、兵士のなかには副監獄長のエイゼンシュタインに従う者もいて、指揮系統は乱れているようです。何でも半月前からノルンが口を出すようになって、それまではお飾りの監獄長だっただけにエイゼンシュタインも含めて反発する者も多いようなんです。そもそも我々が来るまでノルンは解放軍に投降するだろうと考えていた者が帝国軍も含めてですが、ほとんどでしたから」
「半月前?」
「我々がゼノビアを取り戻した前後だな」
「そうだ。
フィーナ、モームを呼んでこい。そこらへんの事情を知っているかもしれない」
「了解!」
彼女は元気よく走っていった。
「駐留軍の構成は?」
「ほかの町とそれほど違いません。ただ、兵士がいくらか増えてるぐらいで」
「それならば、大監獄を空から奇襲する。
カシム、ウィングス、ポリーシャ、ヴァネッサ、シルキィ、マンジェラ、フィーナ、アンジェは先制攻撃、残りで門の守備隊をたたく」
そこへフィーナ=タビーがモーム=エセンスを連れて戻ってきた。
「何でしょうか?」
「ノルン=デアマートについて、あなたの知っていることを教えてくれ」
「私も直接ノルンさまから伺ったことがあるわけじゃありませんから、そんなに詳しくないんですけど、ノルンさま、名家のお嬢様なんですよ。旧ハイランド王国でもウィンザルフ家並に古い名家で、法皇になったのもお家柄のせいだっていうのは有名でしたね。でも、ウィンザルフ家は御当主のヒカシューさまが大将軍にまでなられて名実ともに王家に匹敵するほどのお家柄になったんですけど、デアマート家はその逆でノルンさまのお父様の代で身代食いつぶしちゃったんですって。深窓の御令嬢がうちを出るなんて、よっぽどのことですもんね」
「ノルン個人のことはよくわかるが、大して役に立つ話じゃないな」
「そうですか? どんな話ならお気に召します?」
邪意はないのだろうが、とぼけた顔で意外と鋭い突っ込みを入れるのがモームの怖いところだ。それに、グランディーナが女性陣の言い分に甘めであることもカノープスは気づいていた。
「それならば、ほとんどの人間に解放軍に加わるだろうと思われていたノルンが半月前から急に解放軍討伐に熱心になった。半月前と言えば我々がゼノビアを落としたころだ。心当たりがあったら教えてくれ」
「ゼノビアねぇ。帝国教会の高位の司祭にゼノビア人がいるという話も聞いてませんし」
とモームはしばし考え込んだが、そのうちに手をたたいた。時々子どもっぽい仕草をするのも彼女の癖である。
「そう言えば、ゼノビアってデボネア将軍がいませんでしたっけ? 確かエンドラさまの悪口言って左遷されたとかって聞きましたけど、ノルンさまってデボネア将軍の恋人なんですよ、ご存じでした? あ! まさかと思いますけど、デボネア将軍を殺しちゃったりしてないですよね?」
「奴には逃げられた」
「ええーっ?!」
「そんなに大げさに驚くことか」
「だって、四天王にまでなった人が逃げるなんて思いませんもん。ええー、格好良かったのになぁ、逃げるような人だなんて思わなかったなぁ」
「恋人が逃げたから我々を討つのか?」
「それは、わかりません」
ライナスとしてはそう答えるほかない。いや、グランディーナの言葉は特に誰かに向けられたわけではなかったのだ。だが、彼はそれまでの成り行きでつい答えてしまっただけだった。もっとも、それがランスロットでもギルバルドでもカノープスでも、似たような答えになっただろう、ということはその場にいる誰にも容易に察しがついた。
「ノルンはデボネアが逃げたことを知っていると思うか?」
「それもわかりません」
「旧ホーライ王国の連中は知っていた。帝国が知っていても、おかしくあるまい?」
「知ってたところで、そういうのは逆に知られたくないもんだろう? 少なくとも俺なら部下には言えねぇけどな」
「そうだな。わたしも賛成だ」
「でも、ノルンさまって世間知らずなところのある方だったから、ご存じないかもしれませんよ」
またモームが口を挟む。
「お家があんなふうに傾かなければ、一生、うちのなかのことしか知らなくても不思議はないような方でしたもん。そういう世間ずれしてないところが可愛らしい方だったんですよねぇ。それなのに全然、高飛車じゃなくって。それにデボネア将軍と並んでると美男美女で、それだけで目の保養になりますもんね。あんまり公共の場でご一緒してるのをお見かけしたことはなかったですけど」
「わかりますぅ!」
シルキィ=ギュンターが黄色い声をあげたが、マンジェラ=エンツォは反対し、フィーナが同意した。たちまち、かしまし娘が4人に増えたが、グランディーナはこの会話に強引に割り込んだ。彼女らの美点をあげるならば、人の話は素直に聞く、というところだろう。もちろん聞かせるだけの強さも必要だが。
「モーム、あなたはノルンと個人的な面識があるのだったな?」
「ええ、何回かお世話してさしあげたことがありますよ。でも、私なんかその他大勢で覚えておいでじゃないかもしれませんけど」
「あなたもディアスポラ攻めに同行しろ。ノルンを説得できればよし、できなければ言うまでもない」
「ノルンさまを斬るってことですか?! デボネア将軍も逃がしたんだからノルンさまだって逃がしてくれればいいじゃないですか」
「勝手に逃げた奴のことをこちらが逃がしてやったような言い方をするな。それまでの立場はどうであれ、いまのノルンはディアスポラの監獄長であり、我々の敵だ。彼女が出した剣を引っ込められないと言うのなら、ただ捨て置くわけにはいかない。行くぞ!」
一同は計9頭のグリフォン、コカトリス、ワイバーンに分乗して野営地を発った。眼下に広がるのは人の手が入っていない山と森だ。
「やだ、街道が見えなくなっちゃった」
同乗したシルキィが心細そうな声をあげる。そのせいか、グリフォンに初めて乗るという不安もどこかへすっ飛んでしまったらしい。だが彼女の言うとおりだ。ランスロットも内心驚いた。森の中ではソミュールの町も孤立しているように見えてしまう。
「案ずるな、帝国が町と街道を支配していると言っても山と森に比べればずっと狭い地域、所詮は点と線にすぎない」
ルテキアの港でグランディーナはそう言った。だが実際に帝国と戦っていて、そのことを実感した者は少ないだろう。確かにディアスポラの山と森は広大だったが、彼らもまた呑み込まれそうに思ったのだから。
北西に向かううちにソミュールは見えなくなった。山を越え、森を越える。川が多いのもディアスポラの特徴だ。それらは街道とは違って、上空から見ても青くて細長い紐のようだ。
こうしてディアスポラを俯瞰することができるのも空を飛んでいるおかげである。しかし皆に「点と線」と言ったグランディーナは最初からディアスポラ全体を視野に収めていた。
やがて眼下にディアスポラ大監獄の敷地全体が見えてきた。大監獄とはよくぞつけたものだ。その敷地はソミュールなどよりよほど大きく広く、町としての規模はディアスポラ1とも見えた。町と違うのは建物が特別大きいのが1棟、小さいのが1棟あり、大きい方の建物は一部で弧を描いた左右対称形であるかと思えば、一部では八方に放射してもおり、複雑な形をなしている。それでも全体がひとつながりであるのが監獄らしいと言えようか。
先頭を行くエレボスが大監獄に向かって降下を始め、ランスロットの操るシューメーも続く。
敵の弓が届く前に、先制の雷が4連発炸裂した。魔術師に比べると魔法使いの唱える呪文は範囲が狭い。魔法使い2人よりも魔術師1人の方が強いのだ。だからウォーレンもグレッグ=シェイクもいないのは戦力的にかなり落ちてしまうのである。
続けて弓も放たれた。だが飛んでるグリフォンからでは命中率がすこぶる悪く、威嚇程度だ。
もちろん帝国兵もただ攻撃を受けるに甘んじてはいない。いきなりの本拠地襲撃に慌てていたのも弓矢まででグランディーナたちが着陸するころには1人の剣士の命令で防御、さらには反撃の体勢を整えつつあった。実質的な指揮権はノルンではなく、その剣士にあるようだ。
それらを見下ろしているのが監獄長のノルンだ。しかし元法皇で、没落したとはいえ名門貴族のお嬢様が看守と話の合うはずもない。彼女は帝国軍のなかでは孤立しているのかもしれない。
「反乱軍が何の用だ?! ここが神聖ゼテギネア帝国管轄下のディアスポラ大監獄と知っての所業か?」
しかしエレボスから降りたグランディーナは堂々とした態度で曲刀を抜き放った。その姿に帝国兵のあいだから囁き声が漏れる。解放軍リーダーの手配書はディアスポラの町中のいたるところに貼られている。その金額は2万ゴートだったが上がっていく日もそう遠くはあるまい。ほかに名があがっていたのはギルバルドだけであるが、こちらもいずれ増えてはいくのだろう。
「こちらの動きにさんざん翻弄されていて言いたいことはそれだけか。我々はディアスポラ大監獄の解放に来た。帝国の管轄下にあることも百も承知の上だ。それ以外の用でなど来るものか。だが1つだけ訊いておこう。シャルル=エイゼンシュタイン副監獄長というのはあなたのことか?」
「だったらどうした?」
「その首、もらい受ける!」
「させるか!」
刀と刀がぶつかり合い、火花が散った。素早い踏み込みで一瞬にして間合いを詰めたグランディーナはそのまま斬りかかっていく。その動きに容赦がない。
たちまちエイゼンシュタインは防戦一方になり、その顔は青ざめたが、グランディーナの表情は変わらない。そのさまは時として獲物を追いつめる狩人の眼差しにも似ている。
それをきっかけに解放軍と帝国軍のあいだに再び戦端が開かれた。
いままであまり戦闘では目立たなかったギルバルドたちだったが、魔獣を使っての戦闘はやはり上手い。魔獣使いと組んだ魔獣は2倍3倍の強さを発揮する。その強さは1対1で戦えば、とうてい人間がかなうものではないが、逆に言えば、魔獣使いのいない魔獣は本来の力をほとんど発揮できないし、魔獣使い自身の戦闘力も大したものではない。それは数の多少の不利を補ってあまりある戦力だった。帝国軍にはそのことがそもそもの誤算であった。だがそれ以上の誤算は解放軍リーダーの強さだったかもしれない。
対デボネア戦を見ていたランスロットには逆にその時よりも手心を加えているように見えたのだが、剣を合わせるエイゼンシュタインにはとてもそんな余裕はなかったろう。
将が弱気になれば戦線に影響しやすいのが局地戦の怖いところだ。グランディーナはそのことをよく承知しているし相手のそういう態度は見逃さない。ましてや弱気になったところは味方にさえ見せないのは、弱気になった味方の方が敵よりよほど手強いことを知っているからだろう。
帝国軍が弱気になった隙を、当然ランスロットは見逃さなかった。アレック、ロベールとともに宿舎に突入し、散発的な抵抗を退けると、いちばん奥で何もできずに事態を見ているだけだった監獄長ノルンを捕らえた。
「失礼しますよ!」
「無礼者! 私に触らないで! それ以上、近づいたら舌をかみますよ!」
だが彼女は助けを呼ばない。血の気の引いた顔をし、下がれるだけ後ずさりをしただけだ。さすがに3人ともそう言われては手出しができない。
「ノルンさま!」
そこへモームが駆け込んできた。彼女はノルンの前まで進むと臣下のように片膝をついた。
「あなたは誰です?」
「私はモーム=エセンスといいます。昨年の秋、ノルンさまのお世話を言いつかりました帝国教会の司祭です。もうお忘れかもしれませんけれど」
「いいえ、思い出したわ。あなた、お茶の点て方がとても上手だったわ、お話もおもしろかった。そうでしょ、モーム?」
「ありがとうございます。お茶は、母直伝で」
「アレック、君だけここに残ってくれ。わたしとロベールは下の加勢に行ってくる」
「わかりました」
「それで、あなたがなぜ反乱軍と一緒にいるの? まさか、捕虜になってしまったの?」
「違います、ノルンさま! 私は反乱軍、じゃなくて、いまは解放軍にいるんです。アヴァロン島で加わることになって」
「何てこと! 反乱軍は私のクアスを殺したのよ、なぜあなたのような聡明な女性が反乱軍に加わらなければならないの?! まさか、脅されて? それならば、私が身代わりになります。
ねぇ、あなた、アレクとか言ったわね? モームの代わりに私が捕虜になるわ、リーダーの方にそう交渉してくださらない?」
しかし、アレックが返事するより早く、外で悲鳴と歓声が上がり、3人とも窓際に駆け寄った。
エイゼンシュタインが跪き、刀はどこかに飛んでいた。その前に立つグランディーナが刀を鞘に収める。
こちらの視線に気づいたのか、顔を上げるとノルンと目が合った。
「モーム、話は終わったのか?」
「いえ、それが全然」
「反乱軍のリーダーというのはあなたでしょう?」
「違う。我々は解放軍だ。反乱軍というのは帝国が勝手につけた通称だ、撤回してもらおう」
「どちらでもいいことだわ。リーダーはあなたなの、そうじゃないの?」
「私は解放軍のリーダーだ」
「そう。ならば、お願いがあるの。どんな事情があるのか知らないけれど、モームを本国に帰してあげてくださらない? あなたたちの捕虜には私がなります。大した価値はないでしょうけれど」
「モームは捕虜じゃないから、その話は成立しない。それよりもデボネアの件はどうするんだ? あなたが我々の打倒に廻ったのはデボネアが逃げたからだと思っていたが違うのか?」
「え? 嘘よ! クアスは、デボネアはあなたたちに倒されたと」
ノルンの視線がエイゼンシュタインに向けられた。
「あなた、確かにそう言ったわね? デボネア将軍が反乱軍に倒されたと言ったわよね?!」
しかし副監獄長は苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いた。
「エイゼンシュタイン! 命令です、ゼノビア守備隊長デボネア将軍は反乱軍と戦ってどうしたのですか? お答えなさい!」
「逃げたと言っている」
「あなたには聞いていません!
エイゼンシュタイン、あなたは確かに言ったわね? ゼノビア守備隊長デボネア将軍は、反乱軍と戦い、無惨に敗れたと? 最後まで雄々しく戦い、殺されたと? 違っていたというのですか? なぜそのような嘘をついたのです?」
副監獄長はそっぽを向いたきり頑なに沈黙を守った。
「ノルンさま、それで私が来たんです」
モームがこわごわと声をかけたが、ノルンは窓枠を震える手で掴んでいるきり、動かない。それでモームは思いきって言葉を継いだ。彼女は大監獄に来るまでギルバルドと同乗したのでデボネア将軍逃亡の詳細を聞いておいたのだ。公平という意味ではまことに的確な人選であった。
「デボネア将軍は解放軍に負けた後、逃げました。エンドラさまにもう一度お会いして、その真意を確かめると仰って。ノルンさま、デボネア将軍は殺されてなんかいません」
「それは、本当なの?」
ノルンはあくまでもエイゼンシュタインの答えにこだわった。
副監獄長はこの期に及んでやっと渋々頷く。
「クアスが、あの人が生きてる! 良かった、クアス! もう一度あなたに会えるのね!」
人目もはばからずにノルンが泣き出し、エイゼンシュタインは忌々しそうに舌打ちをする。モームは元法皇の手にそっと自分の手を重ねた。その手をノルンは拒まない。
アレックはそんな2人をおいて、皆に合流した。
グランディーナの指示で大監獄に閉じ込められていた人びとが解放されていった。だが、囚人たちの大半はすでに亡くなっており、その身元もわからぬ者も少なくない。大監獄にはまともな墓地さえない。ここで亡くなった囚人たちはまるでゴミ捨て場のような墓穴にまとめて放り込まれるだけなのだ。それもゼテギネア帝国の管轄下になってからの顕著な変更点であった。
大方の予想を裏切って、グランディーナは解放軍に帝国軍まで加えて、大監獄の解放に務めた。次の目標に掲げたマラノまではカストロ峡谷を経由して10日もかかる距離だ。ゼノビアの次に掲げたマラノ解放を遅らせてまで彼女が大監獄の解放にこだわる理由のわかる者はいないが、あえて反対する者もいなかった。
だが、翌炎竜の月5日、アッシュに率いられた解放軍の残りがやってくると埋葬は順調に進み、翌日にはカストロ峡谷に向けて発てることになったのであった。
そのなかで、解放軍は予想もしなかった人物を助け出した。
「わたしはバルカス=ボイドといいます。ここであなた方にお会いしたのも何かの縁でしょう。実は解放軍の皆さんにお願いしたいことがあります」
その名に驚いた者は少なくなかった。バルカスと言えば、旧ドヌーブ王国が誇る偉人の1人で天才彫刻家の名をほしいままにした人物である。優雅にして気品あるその作風はゼテギネア大陸全土で受け入れられたのだが、バルカス自身は10年ほど前に死んだものと思われていたからだ。
もっともいちばん驚いたのは誰あろう元監獄長ノルンであった。彼女は本腰を入れて反乱軍、すなわち解放軍打倒に気持ちを変えるまでは大監獄の業務など、そっちのけで過ごしてきたからだ。
「バルカスさま、あなたのお手になる象牙の貴婦人という像をザナドュのウィンザルフ家で拝見したことがございますわ。私としたことが何という怠慢でしょう。あなたさまがここに囚われておいでだったことも存じ上げなかったなんて」
「いいや、お気になさいますな。こうして解放軍が来るまで生きながらえることができたのですから」
そうは言うものの、バルカスはかなり弱っていて、解放がもう少し遅れれば存命はかなわなかっただろう。
「それであなたの頼み事というのは何だろうか?」
「あなた方は旧ドヌーブ王国の英雄サラディン=カーム殿をご存じでしょうか?」
一呼吸置いてからグランディーナは頷いた。
「知っている」
「あの方は10年前に兄弟子のアルビレオに倒されたことになっていますが、実はただ石化されただけで生きておいでなのです。もしも石化を解除することができれば、あなた方にとってこの上なく強力な味方となりましょう。旧ドヌーブのためばかりでなく、どうかサラディン殿をお助けください。わたしはサラディン殿が石化されたことを知り、バルモアの各地にサラディン殿の姿を模した像をたくさん造りました。あの方がわたしたち旧ドヌーブ王国の者に残してくださったものを忘れた者はおりません。ですがゼテギネア帝国はサラディン殿の像を全て破壊しようとしました。わたしの像もその意図も帝国の意にはそぐわぬものでした。わたしは反逆罪を問われ、このディアスポラに送られることになったのです」
「サラディン殿が生きておいでとは心強いことだ。幸い、カストロ峡谷からバルモアはすぐ、マラノへ行く前にサラディン殿を救われるのだろう?」
ヨハンがはしゃぐように言ったが、皆の気持ちも似たようなものだ。
サラディン=カームの名は風変わりなその経歴とともに知る者が少なくない。
彼は賢者ラシュディの二番弟子でありながら、旧ハイランド王国の女帝エンドラとともに戦争を起こし、ゼテギネア帝国を興した師と兄弟子に反逆し、生まれ故郷の旧ドヌーブ王国の首都バルモアで反帝国活動を行っていたのだ。その行動はほかの三王国の抵抗よりも長く続いたが、ゼテギネア暦14年、サラディンが兄弟子アルビレオに倒されたことで止んでしまったのである。同じ時にバルモアも壊滅的な打撃を受け、バルモア遺跡と揶揄されるほどだ。
しかしグランディーナは静かに首を振って答えた。
「予定どおり先にマラノへ向かう。バルカスの話を聞いていなかったのか。サラディンは石化されている。それを解除する手段がなければバルモアへ行ってもサラディンは助けられない。だが解除する方法が見つかればバルモアへは行くつもりだ」
「それは一理あるな。地理的な影響で言えば、マラノに匹敵するような場所はほかにあるまい」
アッシュが同意し、ウォーレンも頷いた。2人にそう言われるとあえて反対する者はいない。カストロ峡谷からバルモアへ向かうという話はたちまち立ち消え、皆の気持ちはゼテギネア大陸最大の都市、マラノへ向けられた。
もちろんバルカスは残念そうな顔をしていたが、反対はしなかった。彼もサラディンの石化を解除する手段は知らないものと見える。知っていれば、あるいは生き延びられなかったかもしれない。
解放軍がディアスポラを発ったのは炎竜の月6日のこと、開け放たれた大監獄に1人の囚人もなく、副監獄長エイゼンシュタインも追放された。
そして、元監獄長ノルンは、ちゃっかり解放軍に加わっていた。
「あなたたちはいつか帝都へ向かうのでしょう? クアスにはきっとそこで再会できるわ。もしも帝国軍に戻っていた時は私が説得します。それでかまわないでしょう?」
「あなたは帝国教会の最高位ではなかったのか?」
「あら、そんな地位に未練はないわ。どうせ私などお飾りにすぎないんですもの。それにいまの私はディアスポラの監獄長、空手で帰ったらどんなお咎めを受けるかしれません。そんなのは嫌だわ」
「その様子ではデボネアが来いと言えば、簡単に私たちを裏切りそうだな」
「クアスがそう言えば、私は彼の行くところに行きます。それだけのことよ」
あっけらかんと言い放ったノルンにモームも弁護できないようだ。だがグランディーナはノルンの弁を咎めなかった。代わりにこう言って2人を慌てさせただけだ。
「あなたたちが敵に廻るのなら、その時は覚悟しておくといい」
さすがのノルンも、クアス=デボネア将軍を解放軍に加わるべく説得する論を、本気で考え始めたようであった。
ディアスポラでほぼ倍に増えた解放軍だったが、カストロ峡谷へ移動するまでのあいだに部隊の割り振りは済んでいた。
ヨハンやケビンも含めてグランディーナが毎日一人ひとりと話し合い、それにはウォーレンとランスロットが必ず、時々はアッシュやギルバルド、カノープスもつき合ってのことであった。
ポロープ川の流れが長い年月をかけて作り出したカストロ峡谷は、全長1500バーム(1バームは長さの単位、約1キロメートル)、幅75バーム、最深1・8バームという、ゼテギネア大陸全土で見てもほかに類のない大峡谷である。
地理的に旧ホーライ王国と旧ドヌーブ王国の国境、さらに北に行けばガリシア大陸にも接するカストロ峡谷は、ゼテギネア帝国の代になってからは顧みられることのない辺境の1つであった。
解放軍も当然ここは素通りし、さらに4日かけてマラノの都へ向かうはずだったのだが、予定外の足止めを喰らう。
ある者はそれを運命と呼び、ある者はそれを偶然と呼ぶ。
だが、そこに人の意志が働いていないことはない。歴史を作り出すのは有名無名を問わぬ人である。
かくて彼女らはここに出逢う。ゼテギネア帝国を倒すという意志の下に。
[ − 戻 る − | − 続 く − | 目 次 ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]