Stage Eight「遥かなる日々」3

Stage Eight「遥かなる日々」

翌風竜の月7日、ランスロットとカノープスは暇つぶしもかねてカリャオの町を探索した。山中という位置が幸いしたのか、帝国軍の被害はそれほど受けていないようだ。しかし、見るべき施設などあるはずもなく、時間は大してつぶれなかったし、人目をはばかるので大っぴらに話すこともできなかった。
「なぁ、逆に帝国軍の鎧兜って目立ってねぇ?」
「そんなことはないだろう。この町はあまりドヌーブ王国だったという意識もないのじゃないか? 帝国軍を目の敵にしているようにも見えないがな」
「そうなら、いいんだけどな」
それで2人が宿に戻ると、グランディーナは相変わらず居眠りをし、デネブとアイーシャは額をつき合わせるようにして相談事だ。
「このあいだから何を熱心に話し込んでるんだ?」
カノープスがアイーシャの手元をのぞき込むと、彼女らしい几帳面で読みやすい細かい字が紙いっぱいに書き込まれていて、それは何枚もの束になっているようだ。
「デネブさんがディアスポラで皆さんに飲ませてくださった特製スープとかの作り方を教えていただいているんです」
「ああ、あれか。まぁ、確かにあれは役に立ったもんな」
「またそんな負け惜しみ言っちゃって。アイーシャったら自分から勉強したいって言い出したのよ。そんな嬉しいこと言ってくれた子、初めて。さすがのあたしも感激しちゃったわぁ」
「そんな。大げさです、デネブさん。私なんて知らないことが多すぎますから、たくさん勉強しないと。
グランディーナ、何かあったの?」
「2人ともつけられたな」
「ええっ?」
彼女が素早く窓際に寄り、外をのぞく。
カノープスは反射的に入り口に立ち、ランスロットも隠れるように外をのぞいた。
2人ともそこまで油断していなかっただけに不可解な気持だがグランディーナの口調は責めるようではない。むしろ、寝ていたはずの彼女が突然そんなことを言い出した方が驚きだ。
「誰が尾行してきたんだ?」
「あの家の角に立っている男がわかるか? 少し色黒の腕の長い男だ」
「ああ、わかる。まさか、帝国の影か?」
「違う。あれは人間じゃない。アルビレオがよく使う人形、ゴーレムのようなものだ。あなたたちが気づかなかったのも無理はない」
ランスロットは己の目を疑ったがグランディーナが窓際を離れたので自分もそうした。
「どうする? グリフォンは山の中だ。血路を開くのか?」
「町中で戦闘すれば目立つ。やり過ごす。
デネブ、ユリマグアスに行くのはカリャオの外からでも大丈夫か?」
「それは、ユリマグアスと重なってみないとわからないけれど、その時はグリフォンで空から行けばいいんじゃないかしら」
「囲まれてるのか? ゴーレムならば剣が効きにくいはずだろう?」
「ここの代金は払ったのか?」
「明日の朝の分まで払ってある」
「ならばあなたたちは裏から出ろ。私はあれを撒(ま)いて後から合流する」
「君一人で行かせるわけにはいくまい」
「あれにはデネブの魔法が効かない。カノープス1人で2人を守るのは辛いだろうし、ここから見えるのは1体だけだが、ほかにいても厄介だ。囲まれているかどうかはわからないが、私はここで奴の注意を引きつける。あなたたちは先に行け」
そう言いながらグランディーナは無造作に窓縁に腰かけた。すでに刀は腰に提げている。ついさっきまで居眠りしていたとは思えないような動きである。
そのあいだにアイーシャが荷物をまとめる。移動が多いことは最初からわかっていたので荷物も少なめだ。
ランスロットもそれ以上、粘るのを諦めざるを得ず、最後に部屋を出た。グランディーナに言葉をかけようとしたが彼女の言うゴーレムのようなものがどれぐらいの聴力を備えているのかわからずそうしなかった。それに彼女が「言い出したらてこでも動かない」ことは昨晩、自分で認めたのだ。
「ランスロット、おまえが先頭に立て。俺はそいつを見ていねぇ」
「わかった」
幸い、宿は囲まれていなかった。4人は宿屋の台所の裏から文句を言われながら出て、裏通りを選びつつ、間もなく無事にカリャオの外に出られた。
カノープスはすぐに放したグリフォンを呼びに行き、ランスロットは周囲を警戒する。つけられていたことも気づかなかったのだから、いまもその可能性はあるだろう。
「それにしてもあの子、寝てたんじゃなかったの?」
「私もそう思ってたんですけれど、いつもあんまり熟睡してないらしいです」
「そのおかげで助かったんだけど難儀な性格ねぇ」
アイーシャも困ったような顔で頷いた。
「デネブ、君は彼女の言ってたゴーレムもどきを知ってるのか?」
「見たことはないけど、聞いたことぐらいあるわ。アルビレオって人間嫌いだもの。あんな部下ばっかり使ってるのよ。で、できはどうだったの?」
「遠目には人間そっくりだった。町ですれ違ってもゴーレムだとはわからないだろう。少し腕の長いのが不自然だが、ほかの大陸にはそういう人間もいる。遠目にしか見ていないので言えるのはこれぐらいかな」
「あんな人形ごときに、あたしのカボちゃんたちが負けるものですか」
「なら、カボチャたちも連れてくればよかったじゃねぇか」
「競わせるまでもないわ。カボちゃんたちのが強いし、お役立ちだし、何より、可愛いんだから!」
ランスロットとカノープスが返事に窮していると、アイーシャがいつになく弾んだ声を上げる。カボちゃんことパンプキンヘッドは、なぜかラウニィーとノルンを除く女性陣に大人気なのだ。
「カボチャさんたちってちゃんと個性がありますよね。アニーさんはおっちょこちょいだし、エパポスさんはいたずらっ子で、ワイズさんはちょっと臆病なところがあって、シーガルさんはいちばんのしっかり者なんですよね」
名前を並べられても2人には区別もつかないが、デネブはさも嬉しそうに頷いた。傍目には見分けのつかないパンプキンヘッドも、アイーシャにはちゃんと別人に見えるらしい。
「そうよ。あの子たちはできそこないの人形とは違うんですもの、あたしの自信作なんだから。でも、あなたもよく見てるわねぇ。お姉さん、嬉しいわぁ」
「はい。シーガルさんには片づけの時によく手伝ってもらうんです」
その光景は何度か見た。ということは、あれがシーガルなのだろう。
「そうねぇ、あの子がいちばんの働き者なのよね」
「でも、ほかの3人のカボチャさんも時々、手伝ってくれますよ。ワイズさんだと安心して任せられるんですけど、アニーさんが手伝ってくれる時は私も緊張しちゃうんです」
「それはあたしだってそうよ。エパポスだと目が離せないから逆に疲れちゃうわ」
「わかります、それ」
デネブとアイーシャがパンプキンヘッドについての話に花を咲かせているあいだ、話についていけないランスロットとカノープスはグリフォンの世話をしつつグランディーナの身を案じた。
「おまえ、尾行されてたのに気づいたか?」
「彼女に言われるまで気づかなかった」
「俺も同じだ。言い訳めいてるかもしれねぇが薄ぼんやりと歩いてた覚えもない」
「それはわたしもだ。だが彼女が来たようだ。詳細を聞いてみよう」
「何言ってるんだ、あれがグランディーナなものか。
デネブ、アイーシャ、2人とも下がってろ!」
「じゃあ、何だ?」
「あいつの言ってたゴーレムもどきがほかにもいたってことだろう!」
近づいてくる女性は確かに髪の長さと色はグランディーナと同じぐらいだった。しかし顔つきは多少似ているものの別人で、その表情は本人以上に乏しかった。何より、いまの彼女は髪を茶色に染めている。
カノープスは鎚を振りかざして速攻で殴りかかり、ランスロットも剣を抜いた。
鈍い音がしたが、その動きが止まったのは一瞬だけで、逆に拳が襲いかかる。
ゴーレムもそうだが痛みなど感じていないらしく、しかもゴーレムよりも素早い。鎚で動きが止まるのはわずかな時間で、剣はほとんど効果がない。
そしてランスロットの頬をかすめた拳はそれだけで痣を残すほどだ。
それでも彼が下がらなかったのはカノープスへの攻撃を少しでも分散させるためだった。
カノープスの鎚に何度も殴られて、とうとうゴーレムもどきもばらばらになり、動くのを止めた。
倒した後には2人ともすっかり息を切らしてしまっていた。
素材はゴーレムのように石か粘土でできているようだ。ただし髪の毛と着ていた服は人間のそれとそっくりである。
「ちくしょう。やっぱりゴーレムは魔法使いに相手させる方がいいぜ」
「いいや、君がいてくれなければお手上げだった。それに、やはり視力ではかなわないな。最初にゴーレムもどきが出た時にも君に見てもらえば良かったよ」
「1回見たから、もう忘れねぇし、間違わねぇさ。それにしてもこの面、どこかで見たことがあるんだが、どこでだったかなぁ?」
「そうか? わたしは覚えがないが」
「いいや、つい最近見た顔だ」
「グランディーナ!」
アイーシャが声を上げたのでカノープスは警戒したが、今度は本人だ。
彼女は手にした包帯を左上腕にこすりつけていたが、手を挙げて応える。
それを見たカノープスは昨日の疑念を新たにした。本当に強いのならば、なぜ彼女はこうも傷ついてばかりいるのだろう。シリウスの時も、ガレスの時も、エイゼンシュタインやアプローズの時も彼女が無傷でいたことはほとんどない。唯一、四天王の一人、デボネア将軍だけは軽くあしらったそうだが、まがりなりにも四天王が、いま名をあげた4人より弱いことがあるだろうか。
しかしこの話を蒸し返して、またアイーシャに泣かれるのも彼としては不本意だ。できたら彼女には聞かれないところで話をしたいのだが、そうもいかないのが現状だった。
グランディーナの口調はそんなカノープスの心中には気づいていない様子だ。
「訊くまでもないと思うが、襲われたのか?」
「おまえかと思ったんだが別人でね。そっちもやられたのか?」
「存在は聞いていたが予想以上に素早かった。それにしてもずいぶん派手に壊したのだな」
「悪かったな。剣は効かねぇし、動きを止めるまでと思ったらばらばらにしちまったんだよ。ゴーレムはいつも魔法使いに任せてるつけだな」
グランディーナは包帯を投げ捨て、ゴーレムもどきに近づいた。その出血はもう止まっているようだ。
カノープスがゴーレムの頭部を拾い上げる。髪の毛の感触が妙に指にからみつくように思われるのは、本物でも使っているからなのだろうか。
「この面、どこかで見たことがねぇか?」
「おそらく、私の手配書だろう。アルビレオとは直接面識がないから、参考にできる物はそれぐらいしかないはずだ。髪の色といい私を模倣したのだと思う」
「ああ、あれか。解放軍のなかじゃあ、似てないってのが定説なんだがな」
「そんなことに手間なんてかけないわよ。万が一、あたしたちが引っかかってくれればいいってぐらいにしか思ってないわ」
「まさか、我々の動きがアルビレオにつかまれているのか?」
頬をアイーシャに診てもらいながらランスロットが訊く。
その脇でカノープスはゴーレムもどきの頭部を思い切り遠投した。
「そこまでまめに情報収集する男ではないでしょ、アルビレオって? でも、解放軍にあなたがいることは知ってるんだし、サラディンをいずれ助けに来るのもわかってるんだから、バルモア中で網を張っていたというぐらいじゃないの?」
「アレルタと違ってカリャオは人の出入りは激しくない。新顔を見張っていたら我々が引っかかったというところだと思う」
「それは、君がサラディン殿を復活させるのを邪魔するつもりはないということか?」
「素直に光のベルを取らせはしないだろうけれど、本腰を入れても邪魔はしないだろう。デネブの言ったとおり、いまさらそんな手間をかけるぐらいなら10年前にサラディンを倒していれば済むことだ」
淡々とした口調で言って、グランディーナは手近な地面に座り込んだ。後ろから見ると髪のつけ根から元の色が現れ始めている。さすがにあと数日もすれば染め粉も取れてしまいそうだ。
その隣にアイーシャが膝をつき、腕を取った。
グランディーナは彼女を見もしない。されるがままにしているようだ。
「あらかじめ君は知っていたとはいえ、なぜ我々は気づかなかったんだ?」
「人間の気配がしない者をわざわざ警戒はしないだろう。それにあなたたちはゴーレムとも戦い慣れていないようだ」
「そんなこと、どうしてわかるんだ?」
「ゴーレムには確かに魔法の方が効果的だが、物理的に倒す時は身体の中心部にある核を潰せば動かなくなる。これだけばらせば同じことだが」
グランディーナが話しながら、短刀で抉(えぐ)り出した欠けた宝石を投げたので、カノープスが受け取って、ランスロットに廻した。彼はデネブに見せたが、魔女は興味なさそうに首を振ったので最後は放り投げる。
「そいつは初耳だな。だが俺の持ってる鎚ならともかく、剣で潰すのは難しいんじゃねぇのか?」
「弱点を知っていれば少しは気楽だろう。狙わなければならないところは決まっている」
「まぁな」
まだ陽は高い。夜中まではずいぶん時間があるだろう。見下ろせるカリャオの町は驚くほどちっぽけだ。
「ここで夜中まで待つのか?」
「そうした方がいいだろう。さっきの奴は倒していないし、この様子ではほかにもいそうだ」
「倒してないのか?」
「中身は土塊(つちくれ)でも見かけは人間だ。町中で戦闘すれば目立つし問題にもなる」
「その腕の傷はそいつにやられたのか?」
「そんなところだ」
カノープスは一瞬、顔をしかめたが、何も言わずにグリフォンたちの方に行った。
「いやぁね、こんなところで夜まで待つなんて。ここら辺、魔獣とかいなかったかしら? それにお昼だってまだだっていうのに。ほんとにアルビレオって他人の神経を逆なでする名人よね」
「携行食はまだあったろう?」
「そういう問題じゃないわよ。もう、あなたって味音痴なんだから」
「出された食事に文句を言える立場ではなかったからな。毎度毎度ありつけるだけましだ」
「そんなに大変だったの?」
「傭兵はいつでも切り捨てられる不安定な、雇い主にとっては都合のいい存在だ。食事の質など期待できまい。おかげでどんな飯でも食べられるようになった。解放軍は恵まれている」
「あら、それはひとえにマチルダさんの指導の賜物よね。あなたが言ってくれたから味が良くなったわ。こうして本隊離れちゃうと彼女のありがたみが身にしみるわぁ」
「そう言っているところ申し訳ないんだが、昼の分の携行食だ。お湯も沸かしたからお茶も飲むといい」
「ありがとうございます、ランスロットさま」
礼を言うアイーシャに会釈して、彼はカノープスのところに向かう。
カノープスも携行食を見て、いい顔をしなかったが、文句は言わずに黙って食べ始める。
その斜め向かいに座ったランスロットは、包みを開ける前に言った。
「頼むからグランディーナに腕試しなんてふっかけてくれるなよ」
「どうしておまえにそんなこと心配されなきゃいけねぇんだ?」
「心配ではなくて警告だ」
「アイーシャがいるのにそんな馬鹿なことできるかよ。さっきだって堪えただろうが? やるなら時間と場所を選ぶさ。ところがもう時間はないと来ている」
「それならばいい」
「そう言うってことはおまえも気にしてるのか?」
「君ほどじゃないがね」
「ほっとけ」
しばらく携行食を囓り、噛み、飲み込み、お茶を飲む、互いの音だけが聞かれた。
2人の背後のグリフォンたちは思い思いの場所に陣取って休んでいる。
「そう言えばデネブが心配していたんだが、ここらは魔獣は大丈夫なのかな?」
「さぁ? グリフォンの餌になるような動物はいるみたいだが、魔獣は見てねぇぜ」
「そうか」
「まぁ、野生の魔獣なんてのは人里の近いところには出てこねぇし、出てきてもグリフォンたちが騒ぐだろうから、そんなに警戒しなくてもいいんじゃねぇの?」
「なるほど」
「アレルタにもあんな奴がいたのかな」
「そうかもしれないが、気にもかけなかった。彼女の言ったように人間でもない者の気配は気にしないし、そんな者がいるとは思ってもいないからな。だがいれば、彼女が警告してくれたんじゃないか?」
「そうかもしれねぇな」
カノープスが携行食の包みを放り投げた。
「こんなところで俺たちだけでうだうだ言っていても始まらねぇ。グランディーナとデネブにアルビレオのことをもっと訊いてみようぜ」
「この様子だと夜中まで暇そうだからな」
「そういうこと」
2人が揃って女性陣のところに戻ると、デネブとアイーシャはおしゃべりに興じていたが、グランディーナはまたしても居眠りしているようだった。しかし2人の気配を察したのか、すぐに目を開けた。
「何かあったのか?」
「そういうわけじゃねぇが、よくそうも寝てばかりいられるな。おまえ、本当はどこか悪いんじゃねぇのか?」
「そんなことはない。傭兵をしていた時に眠りが不規則なことが多かったから寝だめできるようになっただけだ」
「それにしたって、よく寝てるよ。俺たちも夜中までただ待っているのも退屈だから、昨日の話の続きでもと思ったのさ」
「あれでおしまいじゃなかったの?」
「アルビレオについてもう少し知っておきたいと思ったんだ。2人ともまだ話していないことがあるだろう?」
アルビレオの話にはデネブは気乗りしなさそうだ。
「そうねぇ。あたしがアルビレオに会ったのは1年くらい前なんだけど、まだ同じ顔をしているとは限らないわね」
「はぁ?」
いたずらっぽく笑ったデネブを横目で見つつ、グランディーナが言葉を継ぐ。
「アルビレオは100歳を越えているが転生の秘術でいつも若い肉体を保っているそうだ」
「転生の秘術? つまり身体を取り替えてるってことか?」
「そうよ。魂を破壊されない限り、永遠に生き続けることができるのよ」
「そんなに都合良く若い肉体が手に入るのか? だいたい、そいつにだって魂はあるんだろう? それはどうするんだ?」
「アルビレオは元の肉体の魂を殺す。相手の都合など考えてはいないだろう」
「ずいぶん悪趣味な技を使いやがるんだな」
「自分は特別だと思ってるのよ。生きる価値のない若造が若くてきれいな肉体を浪費するぐらいなら自分が使った方がよほど有用だって言ってはばからないんだから。そのくせ1つの肉体なんてせいぜい2、3年しか使わないわ。わかるでしょ、自己陶酔家(なるしすと)だって意味が?」
聞いていた3人は思わず頷いた。
「サラディンがラシュディに弟子入りした時にはアルビレオはもう何度も転生をしていたそうだ。サラディンは自分の身体を捨ててまで長生きしたいとは思わなかったそうだ」
「それがふつうだろう?」
「アルビレオにそう言ったら、デネブが聞いたのと似たようなことを言われたそうだ。醜い者も愚かな者も認められない。存在する価値さえないと。その考えが醜いとは思わないのかと言ったが、結局、同意されなかったらしい」
アイーシャは一昨日のデネブの台詞を思い出して顔を上げたが、彼女は気づいていないようだ。
「ちょっと待ってくれ。アルビレオが100歳以上ということはラシュディは幾つになるんだ? 彼に転生の秘術が使えるということはラシュディも転生の秘術を使ってあれだけ長生きしているのか?」
「何言ってるのよ、ランスロット。あなたたちのところの王様だって、それで神帝なんて呼ばれてたんじゃない。グランも転生の秘術を使ったから長生きしたってわけ?」
「そういやあそうだな。でも、グラン王が長生きだったことについては別の噂が立ってたぞ」
「あら、どんな?」
「王が人魚の肉を食べたんで不老不死になったって話だ。何しろお二人の皇子が生まれたのもあの歳になってからだからな。五英雄だから長生きなんだって言う奴もいたが、ロシュフォル皇子、僧侶ラビアン、魔獣王ダルカスはとっくにいないからっていうのが理由だ。その説によれば、もちろんラシュディも人魚の肉を食べたってことになる」
「カノープス、それは根も葉もない、たちの悪い噂話だろう。君がわざわざ持ち出すようなことではないと思うがね」
「俺はグラン王のことをおまえより知ってるからそう思うのさ。あれは90歳を越えていた老人じゃない、まさに神帝だ。ギルバルドは王の死に立ち会ったそうだが、とても瀕死の重傷人とは思えないような力で首をつかまれてラシュディの裏切りを罵られたそうだ。さすがの王も死は覚悟したらしく、自分の墓前にラシュディとエンドラの首を捧げろと言って死んだ、その時つかまれた首筋にはしばらく痣まで残っていたっていうんだからな」
「だが、わたしも各地を廻ったが人魚の肉を食べると不老不死になるというのは嘘だ」
「当たり前だ。だからグラン王が長生きだったのは人魚の肉を食べたからだという噂は昔ながらの迷信なのさ。それにグラン王の時代にカストラート海の人魚たちと仲が悪くなったせいもあるしな。だが本当の理由は誰にもわからない。だから王はいまでも神帝と呼ばれてるんだ」
ランスロットはグラン王と話したことがない。彼が覚えているのは玉座に鎮座まします王の姿だけだ。従騎士になったばかりの少年に、王と話す機会など巡ってこなかった。憧れだった騎士団長アッシュ以上に、雲の上のような存在であった。
「羨ましいな、陛下のことをそんなに覚えているなんて」
「人間的にはいろいろ問題もあったがな。だが間違いなく英雄の器だ。さすがにラシュディに会ったことはないがね」
カノープスは昔を懐かしむような顔はせず、グランディーナを振り返った。
「そういやあ、サラディンは師匠についてはおまえに忠告しなかったのか?」
「サラディンはラシュディのことは何も言っていない。気をつけろと言われたのはもっぱらアルビレオの方だ」
「ほかにアルビレオについて何て言われたんだ?」
「アルビレオはゴーレムの扱いに長けているし、独自のゴーレムも作っている。100年かけてため込んだ知識は伊達ではないと」
「まぁ、カペラよりは強いんだろうな?」
「カペラの魔力の源はサタンだ。アルビレオとは比べ物になるまい」
そのサタンを召還したのはグランディーナの身体を借りた賢者ポルトラノだ。ポルトラノにとうていかなわないことはウォーレンも認めている。カノープスにもようやくランスロットの心配していた「もっと強力な魔法使い」という事情がわかり始めていた。
「私もデネブが知っている顔といまのアルビレオの顔は違っていると思う。ただ、彼は周囲にほかの人間を置きたがらないし、たとえいたとしても見分けるのは難しくない」
「そのなかでいちばんの美少年か美青年を捜せばいいんだろう? それにしても2、3年ごとにそう都合良く美少年だの美青年だの見つかるものか?」
ランスロットは肩をすくめ、グランディーナも「さあ」と気のない返事だ。
「アルビレオの気に入る顔があればいいのよ。彼の美醜の基準があなたと同じとは限らないでしょ?」
「ああ、なるほど。替える方が優先になるわけだな。待てよ、じゃあ、ここで俺たちがアルビレオを倒したとしても、奴は身体を替えるだけで済むのか?」
「冴えてるじゃない、カノープス。おそらくはそのとおりね。でも、転生の秘術は万能じゃないわ。アルビレオはいまの身体を強制的に失って、どうせ用意している別の身体に転生するだろうけど、自分の意志で転生する時よりも多少の障害は考えられるんじゃないかしら?」
「それはあんまり慰めになってねぇぞ」
「それでも彼の力を失えば、帝国には多少なりとも影響を与えられるかもしれない。ラシュディという後ろ楯を失えば所詮はそれだけの男だ。ここでアルビレオを倒すことはたとえ復活しても無駄にはならない」
「おまえ、その場合、ラシュディも転生するって可能性を忘れてねぇか?」
「あら、魔法のことになんて興味なかった人が急に冴えちゃったわね。どうしたっていうの?」
デネブに揶揄(やゆ)されたが、カノープスの指摘にはランスロットもアイーシャも思わず顔を見合わせた。
しかしグランディーナは淡々と話を続ける。
「ラシュディ1人で国が造れるわけじゃない。いまの帝国はラシュディあってのものだが、それもエンドラという為政者やヒカシューという軍の統率者がいてのことだ。我々はいずれエンドラやヒカシューと戦うことになる。2人が倒されればいくらラシュディがいても帝国は存在できない。ガレスにはエンドラほどの人望はない。帝国がなければラシュディやアルビレオが転生してきても遅い。もちろん警戒する必要はあるだろうが、ゼテギネア帝国ほどの脅威にはなるまい」
「そいつもサラディンの受け売りか?」
「人についてはそうだろう。私はエンドラもヒカシューも知らないし、アルビレオにも面識はない。だが帝国については自分で考えたことも多い」
「アプローズ男爵なんて小物を倒すのがやっとの俺たちには女帝も大将軍も雲の上のような存在だぜ。敵だなんて言われてもラシュディとガレス皇子以外はあんまり実感が湧かねぇってのが俺の本音だな」
「それはわたしも似たようなものだ」
とランスロット。何も言わないがアイーシャにも母の仇であるガレス皇子以外には実感はないだろう。
「ゼテギネア帝国を倒すことが私の仕事だ。あなたたちと同じ次元でものを見ていたのではリーダーは務まらない。それにヴォルザーク島を発つ時に私は言ったはずだ。エンドラとラシュディに勝つまでヴォルザーク島には帰らないと」
「それはわたしだって忘れてはいない。だが女帝エンドラを敵と思えるかと言われると実感がないし、ヒカシュー大将軍も似たようなものだ」
「大将軍の娘も加わったことだしな」
「確かに、ラウニィー殿の存在は大きいな。彼女だって実の父親とは戦いたくないんじゃないか?」
しかし2人の感想にグランディーナは淡々と続ける。
「いまはそれでかまわない。あなたたちに実感が湧こうが湧くまいがこのままいけばいずれエンドラやヒカシュー、ラシュディと見(まみ)える。そのうちに彼女らが敵だという実感も湧いてくるだろう」
その静けさに逆に恐ろしさを感じてランスロットは思わず疑問を口にした。それはとっさの思いつきでしかなかったが、彼女の言い分に初めて不安を覚えたためでもあった。
「グランディーナ、ひとつ訊くが、君のなかに女帝やヒカシュー大将軍と和解するという可能性はないのか? 確かに女帝は帝国の為政者だし、大将軍も軍の最高責任者だ。2人ともその責任は重いだろうが、我々は彼女らに戦う以外の選択肢を与えてはいけないのか? 解放軍にはそれだけの正義があるのだと君は主張するのか?」
「おい、ランスロット、冗談にしたって言っていいことと悪いことがあるぞ」
「君だって女帝や大将軍には敵という実感が湧かないと言ったばかりじゃないか」
「だからってエンドラやヒカシュー大将軍とそう簡単に和解できるのか? 帝国がゼノビア王国を蹂躙(じゅうりん)したのも事実だ。それなのにおまえはその責任者と仲良くできるのか? そんなこと、トリスタン皇子やアッシュに言ってみろ、アッシュなんて卒倒しちまうぞ」
「ぐっ」
トリスタン皇子とアッシュの名を出されるとランスロットには反論できない。いまは解放軍のリーダーに仕える騎士であっても、トリスタン皇子のもと、ゼノビア王国が復興すれば、騎士として仕えるのが彼の夢であり、いちばんの願いだ。一時の情に駆られて2人の不興を買うのは望むところではなかった。
しかし彼の言ったことは、グラン王時代のゼノビアを知るカノープスには愉快な話ではなかったらしい。
そこにグランディーナが変わらぬ調子で口を挟む。
「案ずるな。2人に限らず降伏勧告はするつもりだ。特にその2人の影響力は計り知れない。降伏に応じてくれれば無用な戦は避けられる。戦で死ぬのはいつも下っ端の兵士からだからな」
「おまえ、本気で言ってるのか?」
「応じる応じないは彼女らの自由だ。だが勘違いするな。解放軍の名において保護するつもりはない」
「確か、ディアスポラでもエイゼンシュタインの件で似たようなことを言っていたな。まさか、敵将全部にそんなことを考えているなんて思わなかったぜ」
「全員じゃない。ラシュディとガレスは別だ」
「それはなぜだ?」
「ずっとそう決めていた。あの2人だけは許さないと。私のこの手で殺すのだと。だが、エンドラもヒカシューもいまさら降伏など受け入れまい」
ランスロットもカノープスも言うべき言葉が見つからない。なぜ、というありきたりの言葉さえ、2人は口にできなかった。
そんな様子に気づいたのか、グランディーナはかすかに微笑んだ。しかし彼女は、その理由についてはあくまでも沈黙を貫いたのだった。
「男のおしゃべりってし出すと長いわねぇ。アイーシャ、悪いんだけど、みんなにお茶入れてきてちょうだい。それでお茶にこれを混ぜてほしいのよ」
「何ですか、これは?」
「一時的に魔法の目になれる薬よ。これを飲んでおけば、みんなにもユリマグアスを見られるわ」
「はい」
「変な副作用なんてないんだろうな?」
「半日くらい、ふだんは見えないものが見えるってぐらいね。人畜無害な薬だわ」
「ポグロムの森で悪霊が見えたが、ほかにもそういうものがいるということか?」
「あなたたちの目に見えるものだけが存在しているわけじゃないもの。世界は広いのよ」
下手なことを言うとまたデネブにへそを曲げられると思ってカノープスは神妙そうな表情で頷いた。むしろ、彼女が話の流れを変えてくれたことは感謝していると言ってもいい。
「そう言えば、全然話は違うけど、器って何だ?」
「あら、結局、その話になっちゃうのね。これは人間に限ったことなんだけれど、たいていの人は多かれ少なかれ魔法を使う素質があるし、逆に剣を使うこともできるの。もちろん魔法使いだった人が騎士になるにはすごく時間がかかるし、魔法使いになろうという騎士も並大抵の努力じゃ済まないでしょうけどね。器があるって、そういうこと」
「じゃあ、その器がないとどうなるんだ?」
「魔法が使えないってだけ。でも滅多にあることじゃないわ」
「魔法が使えないからといって別に不便なわけじゃない」
「デネブさん、どうぞ」
「あら、ありがと」
よほど込み入った話かと思っていたのにデネブの話がすぐに終わってしまったので、ランスロットもカノープスも拍子抜けする思いだ。そんなことをグランディーナにわざわざ言ったというサラディンの意図も不明である。それにいくら器があるからと言われたって、ランスロットはいまから魔法使いになろうとは思わないし、魔法使いたちも騎士になりたいとは言い出さないはずだ。グランディーナの言うとおり、器などなくても大した不自由はしないだろう。
当のグランディーナもそんなことには関心のなさそうな顔でお茶を飲んでいる。
「それでは理(ことわり)とは何だ?」
「器だの理だの、魔法のことも知らない人たちがずいぶん小難しい理屈を持ち出したわねぇ。
グランディーナ、あなた、誰とどんな話をしたの?」
「アナトリアの魔女ババロアと、アカシアとミミルの泉について話した。それ以上はよく覚えていない」
「ああ、なるほど。あのおばあちゃんとね」
デネブは頷いたが、お茶をすすっただけで話を進めようとしなかった。
「1人で納得してるなよ。おまえ、ババロアとも知り合いなのか?」
ランスロットとカノープスにもアイーシャがお茶を入れてくる。デネブが入れさせた薬は、お茶の味には影響がないようだ。
そしてアイーシャはデネブの話を不思議そうな顔で聞いているだけである。
「そりゃあ、魔法使いのなかじゃ魔女の三姉妹は有名人だもの。それと、話してあげないわけじゃないけれど、あなたたちにはちょっと難しいわよ。それにあたしはあんまり教え上手じゃないし。サラディンに聞いたらどう?」
「じゃあ、そっちはお預けだな」
「それではユリマグアスに話を戻すが、そこに入ったとして光のベルはどうやって探す?」
「探し物にはこんな言葉があるの。その物のことは同じ物に訊け。だから、ベルのことはベルに訊くのがいちばんよ」
「ベルなんて持ってねぇぞ」
「もう、石頭さんはこれだから困るのよ」
デネブは手にしていた錻力(ぶりき)のコップをカノープスのそれに軽く打ちつけた。錻力同士の鳴る音は軽快とは言いかねるが、彼女の言いたいことはわかった。
「あまりベルらしくないがそういうことか。金属ならば、いくらでもあるし、探すのには手間取らなさそうだな」
「そうでしょ?」
しかし、例によって真っ先にお茶を飲み干したグランディーナが、立ち上がりながら口を挟む。
「デネブ、その探し方は同じ材質の物じゃないと意味がないんじゃないか?」
「あら、そうだった?」
「私もその探し方は読んだことがあるが、材質に注意するよう書いてあったと思う」
「それじゃあ、光のベルってのは何でできてるんだ? 錻力と武器だって材質は違うだろう?」
デネブが沈黙し、カノープスはここぞとばかりに彼女を睨む。
「思い出しておくわ。どうせ、夜中までにはまだ時間があるでしょ? 光のベルって何でできてるんだったかしらねぇ?」
カノープスは肩をすくめたが、文句を言うのは差し控えた。
だが、陽はそろそろ山の背に差しかかりかけたころで、宿屋で過ごした昨日の晩よりも涼しさが身に迫ってくる。
「アイーシャ、火を消してくれ。夜になると焚き火は目立つ。お茶はおしまいだ」
「わかったわ」
「いよいよもって手持ち無沙汰だな」
「今日は満月だから晴れれば明るくなる」
「そう願いたいね」
やがて陽と交替するように月が昇り、その冴え冴えとした灯りは待つだけの彼らの気持ちをいくらかでも慰めた。
月が高くなるにつれてデネブはカリャオの方を何度も見、とうとう立ち上がる。
それに合わせてランスロットとカノープスはグリフォンを連れてきて、まず荷物をくくりつけ、皆が騎乗した。
「見て! 出てきたわ!」
それは注意して見なければわからぬものだった。まるで影のような町が蜃気楼よろしくカリャオに重なっている。
月の灯りがなければ見落としてしまうかもしれない。あるいは灯りなどない方がはっきり見えるのだろうか。それともデネブが飲ませたお茶が見せる幻なのか。
デネブを先頭に彼らはカリャオに近づいた。
「よそ見しないで、あたしに続くのよ!」
魔女を乗せたメムピスに残る4頭が続く。言われなくてもグリフォンたちはよそ見をせず、一行はこうして境界を乗り越えた。
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