Stage Eight「遥かなる日々」
カリャオからひたすら北上して一行が小島にいちばん近いチンチャアルタの郊外に着いた時には西に傾いた陽も沈もうとしているところであった。
「今日はチンチャアルタで1泊するのか?」
「いや、このまま夜を待って島へ渡る。そこにサラディンがいなければ、休んでバルモアへ行く。アルビレオが行方を知っているだろう」
「島に帝国軍はいそうか?」
カノープスは目をこらし、海に浮かぶ小島を見る。ぽつんと立つロシュフォル教会の尖塔は、彼にポグロムの森の中に建っていた、棄てられた教会を思い出させた。
「ここから見た限りじゃ動いている奴はいないな。あの島の大きさはどれくらいだ?」
「周囲4バーム(約4キロメートル)くらいだと思う。10年前には教会以外の建物もない無人島だった」
「人間だろうとゴーレムもどきだろうと、あまり大軍を置ける広さじゃねぇな。それにほかの町から見れば、そこに軍隊を置くのは何かあるって宣伝してるようなものだ。サラディンがいてもいなくても生きてる兵士はいなさそうだな」
「その島からはチンチャアルタとバルモアとどちらが近いのかな?」
「チンチャアルタだ。泳げば2倍近く違う」
カノープスは一瞬息を呑んで、今度はチンチャアルタの方に目をこらした。こちらも大軍はいないようだが、ゴーレムもどきはさすがに見分けられる距離ではない。しかし、バルモアにこれだけ近づいたいま、その存在は通常の軍隊以上に警戒すべきだ。
そんなことをしているうちに、沈んだ陽を追いかけるように月が昇り、暗闇があっという間に辺りを支配する。
「行くぞ」
グランディーナがポリュボスに騎乗し、皆も次々にグリフォンにまたがった。彼女の表情を見ているととても利き腕が動かないとは思えないが、右の方に傾きやすい不自然な動きがいつもと違う。しかし懐具合の寂しさから曲刀に代わる武器は買っていない。
目指す小島は灯りもなく、その先に位置するはずのバルモアの町も、上空から見てもほとんどが闇の中だ。
じきに彼女らは島の海岸に着陸していた。
ランスロットとカノープスが先に降り、様子を探ることになった。
夜の中に黒々と佇む教会は半壊しているのが見える。物音ひとつしない静けさが支配しているように思われたが、先に立ったカノープスは1度戦ったゴーレムもどきの気配をじきに察していた。
「松明、まだあったろう? 暗いところでは俺たちの方が不利だ。点けてくれ」
だがその言葉も終わらぬうちに暗闇の中から風を切る音が聞こえてきて、彼は応戦しなければならなくなった。
「アイーシャ、光のベルをよこせ!」
「は、はいっ」
「あなたたちはグリフォンに乗っていろ。私はサラディンを探しに行く。いなければすぐ逃げ出せるようにしておけ。岸の警戒を怠るな!」
「わかったわ」
アイーシャからグランディーナに手渡された光のベルが頼りない音を立てる。けれど、その音色は夜の静寂(しじま)にそのまま吸い込まれたりせず、グランディーナの手の中で密やかに鳴り続けた。
教会の中で灯りがついたのは彼女が建物に飛び込んでからだ。
「きゃあっ!」
エレボスが急に翼を広げて鳴き声を上げた。月灯りと音だけでも海の中から何かが次々に現れてくるのはわかった。
「ゴーレムだからって海に潜ませておくなんて、もう、アルビレオって最低よ!」
真っ先に襲いかかったエレボスに乗り手のないポリュボスとピテュスが同調し、血の臭いを嗅ぎつけたシューメーとメムピスも興奮して抑えきれない。
デネブもアイーシャもグリフォンから降りざるを得ず、かといってその場を離れるのも不安が残った。
グリフォンがゴーレムもどきに次々に襲いかかる。
しかし剣同様、人間の皮膚などは紙よりもたやすく切り裂いてしまう鋭いくちばしと爪も、岩のように頑強な身体には、ほとんど効果がないようであった。
一方、教会跡で不意打ちを受けたランスロットとカノープスも苦戦していた。数の多さによるのと弱点を知っていても、やはり剣はほとんど通用しない。カノープス1人では自ずと限界がある。
1体を倒してもまた1体、そのあいだにもう1体と襲いかかるゴーレムもどきに2人の息は上がり、攻撃を誤ったり、傷を受ける回数が徐々に増え始めた。
アイーシャの悲鳴とエレボスの鳴き声が聞こえたのはその時だ。
「ここはわたしが守る。君は彼女らを助けに行ってくれ!」
「馬鹿野郎! おまえ1人でどうこうできる相手か。むこうにはグリフォンがいるんだ、いざとなったらあいつらは空に逃げられる」
だがこちらが八方ふさがりなことも事実だし、興奮したグリフォンをデネブやアイーシャが押さえていられるとも思えない。
そうランスロットが思った刹那、
「2人とも下がれ!」
グランディーナの叫び声とともに無数の雷がゴーレムもどきの上に降り注いだ。
その爆音は解放軍の魔術師の比ではなく、あれほど苦戦させられた相手が根こそぎ倒されるさまは痛快を通り越して怖気さえ感じる。
カノープスがとどめを刺したのも数体いたが、ほとんどはいまの雷撃で倒されたものだ。
自ら築いた瓦礫の山をグランディーナに肩を貸されて乗り越えてきたのは、サラディンその人であった。
「わたしを表へ連れていってくれ」
グランディーナとサラディンに続いて外に出ると、5頭のグリフォンにゴーレムもどきが群がり、余ったのが上陸してきているところだった。
「デネブ、アイーシャ!」
2人に襲いかかろうとしたゴーレムもどきを、雷の矢が正確に撃ち倒す。
「サラディンなの?」
デネブに遅れて振り返ったアイーシャの顔が驚きと喜びに輝いた。
その2人を追い抜いて、カノープスはさらに追随するゴーレムに殴りかかる。
「カノープス! エレボスたちをゴーレムもどきから離せ! 魔法の巻き添えになったらグリフォンもやられるぞ!」
「わかってらぁ!
エレボス!!」
獰猛なグリフォンも歯の立たない相手となれば話は別だ。カノープスがそのまま戦場に飛び込んでエレボスだけでも引き離すとほかのグリフォンたちもこぞってついてきて離脱したが、すでに羽根をやられていたポリュボスが遅れ、悲痛な鳴き声を上げて海に落ちた。
「ポリュボス!」
「ランスロット、サラディンを頼む!」
「グランディーナ?!」
気づくと腰の剣が抜き取られていた。
それよりも驚いたのはサラディンの頼りなさだ。端から見ていた時はわからなかったが、震え、息も荒い。さすがの彼にも石化から復活後に使う魔法は相当、身体に負担となっているのだろう。
ランスロットに支えられても、強靱な精神力だけで意識を保っているように見える。
そうと気づいてアイーシャが近づいてきたが、サラディンは厳しい表情で彼女の手を払った。
「あの馬鹿!
エレボス、シューメー、戻れ!」
カノープスは2頭のグリフォンを駆ってポリュボスをつかみ上げさせた。
そこにゴーレムもどきがさらに追いすがったので上と下から引っ張られてポリュボスは悲鳴を上げる。
「エレボス、行け!」
しかし、グランディーナが下からポリュボスとのあいだに割り込み、グリフォンを降りたカノープスが上からゴーレムもどきをぶん殴って、ようやく3頭は戦線を離脱した。
そしてカノープスも、すかさずグランディーナを羽交い締めにして逃げ出す。
その目先すれすれに雷の束が落ち、一度で倒しきれないのを見てとると、サラディンはさらに、いままででいちばん凄まじい爆音を轟かせて雷の雨を降らして、とうとう力なく膝をついた。
「サラディン殿、大丈夫ですか?」
「わたしのことはよい。あちらを頼む」
「はい!」
走り出すランスロットの後をアイーシャも追いかけた。肩で息をするサラディンに近づいたのは、意味深な顔で微笑んだデネブ1人であった。
「お疲れ様、サラディン。相変わらず冴えた腕してるわね」
「ここでそなたに会えるとは思ってもいなかった。どういう風の吹き回しだ?」
「あら、野暮なことは言いっこなしよ。でも、あれぐらいで息を切らせるなんて、あなたもちょっと鈍(なま)ってるんじゃないかしら?」
サラディンは答えず、グランディーナたちの方に視線をやる。
左の羽根がもげて、右前足の爪が全部剥がれたポリュボスはほかにも大小数え切れない怪我を負わされており、もはや手の施しようもなかった。グリフォンの羽毛と毛皮でわかりにくいが、ゴーレムもどきにのしかかられた時に、内臓が破裂してしまったのかもしれない。カリャオでも医薬品は補充したが、アイーシャもこれだけの怪我は想定していない。
それでも何とか治療しようとする彼女の手を止めたグランディーナは断末魔に苦しむグリフォンの首を一刀両断に斬り落としたが、自身もかなり傷ついていた。
「あんなものに斬りかかったから刃こぼれしてしまったな。ランスロット、すまない」
「なぜあんな無茶をしたんだ? わたしに行けと言えば済んだはずだぞ」
「とっさに自分の腕が動かないことを忘れていた」
グランディーナは苦笑いを浮かべて、ランスロットの手に押しつけるように剣を返す。
しかし、力任せにゴーレムもどきをたたいたのであろうそれは、刃こぼれどころかなまくらだ。こんな剣でよくポリュボスの首を落とせたと思うほどである。
「馬鹿野郎! 忘れたで済む話か。もっと冷静になれ。おまえのせいでほかの奴に怪我させたいのか?」
「そうじゃない」
「奴らにつかまった時点でポリュボスはもう駄目だったんだ。おまえが突っ込んだところで助けられたわけじゃねぇ」
「わかってる」
「ならば被害を増やすな。おまえにその判断ができないとは言わせねぇ。サラディンだってーーーおい! 俺の話はまだ終わってねぇぞ!」
「サラディン!」
真っ先にグランディーナの治療を始めていたアイーシャが突き飛ばされ、ランスロットが急いで支える。
しかも彼女はポリュボスに手を尽くそうとして報われなかったのが原因なのか、疲労の色を濃くにじませていた。
グランディーナは転げるようにサラディンのもとに走ってゆく。
しかし、そうして己の前に跪いた彼女に彼は厳しい口調で言い渡した。
「わたしを気遣うより、おまえにはすべきことがあるのではないか? もっと冷静になれとも言われたばかりだろう。なぜ傷ついた仲間を、おまえの身を案じる友を思いやってやれないのだ?」
「ごめんなさい」
彼女がそんなに気落ちしたところはアイーシャさえ見たことがなく、自分が傷ついたことも忘れて、彼女は思わず涙ぐんだ。
その肩をカノープスが軽くたたく。
「おまえが謝らなければならない相手はわたしではないだろう」
「はい」
さらに肩を落としたグランディーナにデネブが後ろから抱きついた。
「10年ぶりにあなたに会えて、地に足もつかないほど浮かれてる子に意地悪言うものじゃないわ。ほんとにあなたって、融通の利かないくそ真面目さんよね」
「いいんだ、デネブ。悪いのは私だ。サラディンが怒るのは当然なんだ」
笑おうとして彼女の唇が歪む。
とうとうランスロットは、柄にもなくグランディーナの頭を軽く数度たたいた。目の前の彼女はまるで10歳の少女のようだ。彼女のなかでだけ、時が10年前に戻ってしまったようにも見える。
「すまない、ランスロット」
「そう思うのならば、まず君が手当を受けてくれ、グランディーナ。カノープスもわたしもサラディン殿のおかげで軽傷だ」
「わかった」
言われるまでもなくアイーシャが近づき、デネブはサラディンの隣に腰を下ろす。
ランスロットの背後に立ったカノープスが、その背を少し強くこづいた。
「おまえ、いい加減、こいつに甘いのにもほどがあるぞ」
「子どもの10年は長い。君こそ、少しぐらい大目に見てやってくれてもいいだろう?」
「どうせすぐに羽目を外すんだから、きつめに言っておいた方がいいんだよ。ガキには特にな」
「それなら憎まれ役は君に任せる。締められてばかりじゃ彼女が気の毒だし、きつい物言いはわたしの性に合わないと思うのでね」
カノープスが気の利いた返答を思いつかないでいると、デネブの手から飛ばされたとんがり帽子がカノープスの頭に斜めに乗っかった。
「あなたの負け。もっと男を磨いて、彼女の1人でもつくりなさいな」
「余計なお世話だ!」
本気で腹が立ってとんがり帽子を投げ返したはずなのに、それはうまいことデネブの頭に収まった。
「お上手」
今度は上げかけた手をアイーシャが押さえたので、彼は自分も怪我したことを思い出す。もっともそれは、無謀にも敵中に飛び込んだグランディーナと違い、教会内で待ち伏せを喰らった時に負わされたものだ。
「薬草とか、足りるのか?」
「大丈夫です」
カノープスの次はランスロット、それから4頭のグリフォン、とアイーシャは忙しく立ち働き、最後にサラディンの前に膝をついた。
「サラディンさま、私たちを助けていただいた時にご無理をなさったのではありませんか?」
「こうして休んだのでだいぶ楽になった。そなたこそ休むといい。働きづめで疲れたのではないか?」
「お気遣いくださってありがとうございます。私は大丈夫です」
「それよりもグランディーナ、おまえはいつ、仲間たちをわたしに紹介してくれるのだ?」
「あ、ああ、サラディン」
隅で縮こまってすねた様子のグランディーナの顔が、それだけのことで喜びに輝く。
戦闘が終わったせいか、サラディンの表情もいまは穏やかだ。
彼女は立ち上がり、ランスロット、カノープス、アイーシャの順に指したので、3人はそれぞれ挨拶した。
「彼は旧ゼノビア王国騎士団のランスロット=ハミルトン、彼が同じゼノビアの魔獣軍団のカノープス=ウォルフ、彼女はフォーリスさまの一人娘、アイーシャ=クヌーデルだ。デネブも含めて皆、解放軍の一員だ」
ランスロットとカノープスの名にサラディンは頷いたきりだったが、フォーリスの名が出ると少なからぬ驚きを示した。
「そなたがフォーリス殿の娘御か。母上によく似ているが、フォーリス殿は健やかにお過ごしか?」
しかし、アイーシャは答えられずに両手で顔を覆ってしまった。すかさずグランディーナが彼女を抱き寄せると、時々嗚咽が漏れ出した。
「フォーリスさまはガレスに殺された。アイーシャがアヴァロン島に戻った前日のことだったそうだ。私たちも間に合わなかった」
「そうか。フォーリス殿がついに」
サラディンは頷くと目をつぶり、しばらく黙祷した。その口調からは、大神官の死を予期していたように思わせる。
同じ魔法使いだが受ける印象はウォーレンとまったく違う。若いころからゼノビア王国に仕えたウォーレンは、占星術師という特別な地位だったが世俗的なところがある。しかしラシュディの二番弟子で何処の国にも仕えたことのないサラディンには、浮世離れした隠遁者風情が漂う。
「そろそろ夜が明ける。ポリュボスを弔ってから少し休んでバルモアへ行こう。
それでいいか、サラディン?」
「リーダーはおまえだ。わたしの同意を求める必要などない。いまはおまえの判断に従おう」
そう言ってから彼は立ち上がり、グランディーナを抱擁した。
その動きに彼女は逆に戸惑ったような表情を見せた。おそるおそる背に廻された手は、彼に拒絶されることを恐れているようだ。
「サラディン?」
「大きくなったな、グランディーナ。10年前とは見違えるようだ。よく、わたしを助けに来てくれた」
「うん、サラディン!」
子どものように泣き出した彼女の髪を、サラディンは優しく梳(す)いた。10年前にもそうしてなだめたのだろうと思わせる仕草だ。
けれど、10年前の少女は彼と同じだけの背と、彼より肩幅のある大人の身体を持った女性になっていた。
いったんバルモアを離れ、こうしてバルモアへ戻ってくるまでの10年間にどんなことがあったのか、グランディーナはろくに語らない。
だがサラディンという人物には、彼女のすべてを受け入れるだけの器量があるように見えた。彼女が彼に寄せる全面的な信頼が、そのことを何よりも証明していた。
それから、ポリュボスを葬り、島で一休みした一行は、陽のあるうちに4頭のグリフォンに分乗して一路バルモアを目指した。
上空から見てもそれとわかる廃墟のただ中に、旧ドヌーブ王国の中心であったバルモア城が残る。瓦礫の中に佇む城には、ところどころ破損の痕も見えるが、周囲の破壊とは比べ物にもならない様子だ。
しかし、さすがに瓦礫の中に住む者はほとんどいないようで人影は見かけない。
サラディンとともにエレボスに乗ったグランディーナは、小島からずっとしゃべりどおしだ。この10年間のことか解放軍のことか、あるいはまったく別のことか、話す種は尽きないものと見え、さすがに身振り手振りは混じらなかったが、それだけに言葉があふれ出すようだった。
サラディンはそのほとんどを頷いて聞いているだけのように見えるが、時々口を挟み、彼女に考えさせるところなど、会話を歓迎しているらしいし、笑顔さえ浮かべたところなどグランディーナに負けず劣らず楽しんでいるようでもあった。
「あの子があんな顔したのは初めてね。妬けちゃわない?」
アイーシャとメムピスに乗ったデネブがいたずらっぽい顔で訊いたが、アイーシャは即座に首を振る。
「そんなことないです。グランディーナはサラディンさまのことがいちばん大事で、でもいまの自分には力が無いから助けられないって自分の手を傷つけてしまったことがあるから、きっといま、すごく嬉しいんだと思います」
「それにしても少しはしゃぎすぎだわ」
だが、眼下にバルモアの廃墟が広がるようになると、グランディーナは言葉少なになり、サラディンもまた厳しい表情でバルモア城を見るようになった。
やがて彼女は最上階の張り出しにエレボスを乗り込ませ、残る3頭も続いた。
「カノープス、先に行け。ランスロットはサラディンを庇って、デネブ、アイーシャ、続いてくれ。グリフォンだけ残す」
矢継ぎ早の指示に呼応するように侵入したカノープスにゴーレムもどきが襲いかかる。
しかし、3度目ともなるとこつもつかめて数度の殴打で倒してしまえた。
彼らが入っていったのは玉座の間で、玉座には若い男が1人座っている。
その前に整列していた衛兵たちにサラディンが問答無用で稲妻の雨を降らせた。
「これ以上の茶番は終わりにしていただこう、アルビレオ殿」
「相変わらず無粋な男だな、サラディン。10年ぶりに石からの復活がかない、しかも養い子の手にかかってというのを、俺も祝福してやろうというのに」
立ち上がり、瓦礫の山と化した衛兵たちのあいだを歩いてくる男は美しい顔立ちをしていたが、どこか作り物のような印象を与える。
「あいにくと、わたしはそのような気分ではない」
「では何をしに来たと言うのだ? 俺もおまえの愚痴など聞いてやる気分ではないよ」
「あなたをバルモアから追い出すためだ。あれからまた転生されたのか。10年経っても他人の命を尊ばぬ傲慢さは変わられぬようだ」
「はははっ。おまえの生意気さも変わっていない。そんな口の利き方をするから師の怒りを買うのだ。石にされれば少しは利口になるかと思っていたが、ますます石頭になったようじゃないか。いい加減に暗黒の力を認めよ、サラディン。おまえほどの魔力があれば、暗黒道を極めることができよう」
「極めてなんとする? 魔道の果てに何がある?」
「究極の力だ。俺たちは神を越えるぞ」
「そんなことのために民を犠牲にするのか? 世界を破滅に導くのか? あなた方は破壊し尽くされた世界で新たな神になろうというのか?」
「そうだ。民も世界も新しく作ればよい。究極の力の前には些末事にすぎん。俺には永遠の命がある。誰も俺を止めることはできん」
アルビレオは笑い声を上げたが、デネブの一言でそれは途切れ、顔色まで変わった。
「あなたって相変わらず人の心もわからない、自分勝手なお馬鹿さんなのね」
「デネブ?! どうしておまえがここにいる? そうか、帝国を裏切って反乱軍に加勢したんだな。おまえのやりそうなことだ」
「あら、そんなこと、あなたなんかに答える義理はないでしょ?」
そう言うと、彼女は悪魔的な笑みを浮かべたので、この時ばかりはランスロットもカノープスも、デネブが味方であることに感謝した。
「ふふん、その様子じゃ、あたしのことでラシュディからたっぷり絞られたんじゃないの? いい気味だわ。あたしのカボちゃんたちを馬鹿にした罰よ、あなたの人形なんて、命令されなきゃ動けない木偶の坊じゃないの」
「おまえのパンプキンヘッドなど何の役にも立たないじゃないか。それにラシュディさまはおまえのことなど気にかけてもいない。どれだけの魔力があるのか知らないが自惚れるな。第一、俺はサラディンと話している。おまえが割り込んでくるな」
「そんなこと言っていいのかしら? あなた、あたしと話すのが怖いんじゃないの? だいたい、あたしの研究が役に立たないなんて言うんだったらあなたが帝国にどんな貢献をしたのか聞かせてもらいたいわね。あなたの自慢のお人形さんが帝国軍のどこに配備されているの? ラシュディに尻尾振って永遠の命とやらを手に入れた以外に、あなたが帝国のためにしたことって何だったかしら? あたしの研究はあたしだけのものよ、帝国のためになんか働く義理はないわ。あたしがゼテギネア帝国にいたのはラシュディが頭を下げたからよ。ましてや、師匠の腰巾着するしか能のないあなたなんかに、役に立たないなんて言われる覚えはないわね」
「うるさい、だまれ! ごちゃごちゃと屁理屈ばかり並べ立ててうるさい女だ。おまえたちなどまとめて消えてしまえ!」
「いかん、デネブ、下がれ!」
サラディンが彼女の腕をつかんだが、アルビレオから放たれたアシッドクラウドは玉座の間全体に広がったので誰も逃げようがなかった。
アシッドクラウドは敵中に酸の雲を作り出す強力な魔法だ。雲自体は一瞬で霧散してしまうが、鎧を着ているグランディーナとランスロットはともかく、上半身は肌をさらけ出したカノープスや僧衣だけのアイーシャ、長衣のサラディンやデネブには大きな打撃であった。
「この野郎、ふざけるな!」
カノープスはその怪我をものともせず、速攻でアルビレオに殴りかかった。
だが、そのあいだに瓦礫の山が形をなして立ち上がる。それは本来のゴーレムの姿にそっくりだったが、材料が大量にあったせいかやたらに大きい。
「カノープス、加勢するぞ!」
「3人とも、大丈夫か?!」
グランディーナは真っ先に倒れたアイーシャを抱き上げる。しかし彼女は気絶しておらず、デネブは自慢の服に穴が空いていたが本人は無事、ランスロットに庇われたサラディンも軽傷で済んだようだ。
「もう! 女の子の服を溶かすなんて、アルビレオって最低!」
サラディンが雷の塊を巨大なゴーレムに撃ち込んだ。
集まった岩が崩れ落ちる。
岩はまた集まろうと動いているが、緩慢な動きは受けた打撃の大きさを示すようだ。
そのあいだを縫ってカノープスがアルビレオに追いつき、ランスロットがその逃げ場を塞ぐ。
「こんなところで俺を倒してもすぐに復活してみせるぞ!」
「その時はおまえをまた倒せばいいさ!」
「愚かなことを。おまえたちもサラディンと同じだ。蛆虫(うじむし)のように這いつくばっていくがいい! 俺たちが高みへ昇るのを指をくわえて眺めていろ!」
つい力が入りすぎた。アルビレオの頭はたたき潰され、カノープスは返り血やら脳漿(のうしょう)やらを浴びて壮絶な格好になってしまったし、反対側にいたランスロットも無事では済まなかった。
「それを愚かと言う者には言わせておくがいい」
彼が振り返ると、グランディーナに支えられたサラディンが立っていた。アイーシャもデネブにすがりつくように立つ。
「人間は一足飛びに先へ進むことはできない。わたしたちは己の足で歩いてゆく生き物だ。高みに昇ることだけが人の望むことではない。それも理解できずに高みに昇ることになど何の意味もありはしない」
「同感だな」
カノープスが右手を挙げると、サラディン、ランスロット、それにデネブの順に手を打ち合わせた。
兄弟子と対峙してから厳しい表情を浮かべていたサラディンの顔に、ようやくわずかな笑みが浮かんだ。
その日のうちにカニャーテに向かった一行は、バルカスとの再会を果たし、サラディンと再会した天才彫刻家は涙さえ流して喜んだ。
バルカスの弟子からバルモア中に伝えられたアルビレオ打倒とサラディン復活の報であったが、サラディンとともに帝国と戦った面子は皆、殺されており、ゼノビアやホーライのようにドヌーブでも人材の少なさが案じられた。
しかし、サラディンの復活を喜ぶバルモアの人びとのなかには、彼がバルモアに残らず解放軍に参戦すると聞いてともに参加することを望む者が10人ほどおり、グランディーナたちもマラノまでグリフォンで飛んで帰る、というわけにはいかなくなった。
バルモアからマラノまではカストロ峡谷経由で5日かかる。解放軍の本隊はトリエステにて待機しているはずである。
「マラノに帰ったら、次はいよいよアラムートの城塞か。ここは帝国もすんなりとは通しちゃくれねぇだろうな」
グランディーナは頷いたが、サラディンが口を挟む。
「グリフォンを2頭とランスロットとカノープスを貸してくれ。アラムートに行く前に寄っておきたいところがある」
「どうして俺たちなんだ?」
「わたし1人では不安が残る。そなたたちの腕前も見せてもらった。不穏なところだ、つき合ってくれ」
「それならば私たちも一緒に行けばいい」
しかしサラディンは首を振り、変わらぬ口調でつけ加えた。グランディーナの言ったとおり、一見穏やかそうだが、なかなかどうして、頑固なようだ。
「将たる者がこれ以上軍を離れていてはなるまい。おまえたちは先に戻り、予定どおりにアラムートの城塞を落とせ。あそこは伊達に荒鷲の城塞などとは呼ばれていないぞ」
グランディーナが露骨に落胆した表情を見せる。
「もしも私の腕が動かせたら、連れていってくれたか?」
「おまえは皆のもとに戻れ。ランスロットにはお前の代わりに来てもらう」
「どこに行くんだ?」
「カストラート海に向かう。おまえたちはアラムートで待っているがいい」
グランディーナは嘆息して、ようやく頷いた。
「わかった。気をつけて、サラディン。
ランスロットとカノープスも気をつけろ。それと、サラディンを頼む」
「任せておけよ」
「君の代わりがどれだけ務まるのかわからないが、君たちこそ無理をするな」
「グランディーナのことなら心配しなくていいわ。あたしとアイーシャで無茶しないよう見張っておいてあげる。あなたたちこそ気をつけなさい。カストラート海ではいま、面倒なことになっているわよ」
「そうであろうな」
デネブの言葉にサラディンは訳知り顔に頷いた。
バルモアからカストラート海まではグリフォンに乗っても7日もかかる。
サラディンとカノープスがエレボス、ランスロットがシューメーに乗り、その姿はやがて東の空に見えなくなった。
彼らを見送っていたグランディーナが皆に出発の号令をかけたのは、それからのことである。
こうして、賢者ラシュディの二番弟子、妖術師サラディンを迎えた解放軍の戦いは新たな局面を迎えることになった。
オウガバトルを初めとする伝説が、彼女らの前に事実として姿を現すのである。
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