Stage Ten「海峡を渡る歌声」1

Stage Ten「海峡を渡る歌声」

風竜の月12日夕刻、2頭のグリフォンが解放軍の野営地のど真ん中に降り立った。北の空から近づくグリフォンを認めた時に、視力のいいカリナ=ストレイカーがそのうちの1頭にグランディーナが乗っていることを確認し、着地を誘導したのだった。
ギルバルドの知らせでトリスタン皇子とアッシュ以下リーダーたちが迎えに出ていたが彼女は主にウォーレンの方を向いてこう言った。
「アラディが帰っているだろう。どこにいる?」
「野営地の南側、魔獣部隊の中です」
「私は彼と話がある。あなたたちとはその後だ」
グリフォンの手綱をカリナに押しつけて、彼女はすぐ案内に立ったギルバルドについていった。
我慢できずに声をかけようとするケビン=ワルドをアッシュが動作で制した。トリスタン皇子が異議を申し立てない以上、それは皇子の判断に異議を唱えるようなものだ。たとえゼノビア以外の騎士であろうとアッシュには許し難いことだったので、そうと気づいて恰幅のいい騎士は赤面する。
「なぜ止めなかったんですか?」
一方、ケインの声音には不服さがはっきり出ていた。
「訊けば長くなる。彼女一人で戻った理由、助けると言っていたサラディン殿がいらっしゃらない理由、利き腕を吊っている理由、怪我をした理由、裸足でいた理由、曲刀を持っていない理由、そのうちのどれ1つだけを訊いてもわたしたちは納得できないだろうし、全部訊こうとすれば時間がかかってしまう。わたしが引き止めても彼女は承諾しないだろう。ならば、止めなくても同じことさ。
それよりもアッシュ、アラディというのは誰だ?」
「彼女が重用している影たちのまとめ役ですが、解放軍の中でも会ったことのある者はあまりいません」
「そうだろうな」
皇子の表情が一瞬沈んだが、彼は待ちぼうけを喰らわされた者たちにすぐ笑顔を向けた。
「さあ、わたしたちは食事にしよう。さっきからいい匂いを嗅いで腹ぺこなんだ」
「そう言っていただいても、いつも代わり映えのしない献立で申し訳ありませんわ」
「何を言ってるんだい、マチルダ。君ほどの料理人はいないとわたしは日々感銘を受けているんだがね」
「まぁ」
明るい笑い声が起き、皇子を中心に人が移動する。その場に残ったのはアッシュやウォーレン、ケインら、ごく少数だ。しかし彼らも互いに視線を交わして頷きあうと、この件をそれ以上、蒸し返したいとは思っていなかった。
解放軍のリーダーのやり方が、騎士であったり旧王国に仕えてきた人びとに合わないのはいまに始まったことではないし、これからも多々起きるだろう。すべてはゼテギネア帝国を打ち倒すまでのことなのだから。
一方、その時にはグランディーナはアラディ=カプランと天幕の中で話し込んでいる最中だった。
ギルバルドの気遣いで彼は一人で天幕を使い、昨日、解放軍本隊に戻ってきて以来、ほとんど外にも出ずにいたのだ。
2人の話は長時間に及んだ。グランディーナの戻った時間が日の入り間近だったこともあるが、原因がそれだけでないことは誰でも容易に思いついた。
しかし、彼女の邪魔をせぬよう、ギルバルドがカリナやチェンバレン=ヒールシャーを見張りに立たせておいたので、夜が更けるにつれて皆はいつものように休んでいった。割の合わない仕事を言いつけられたカリナたちも最後はギルバルドが交代を申し出たので休むことができ、グランディーナがようやく天幕の外に顔を出した時には、起きているのは夜営の当番の者とギルバルドだけという有様であった。
「どうしてあなたがこんなところにいるんだ?」
「皆を休ませてしまいましたので、わたしが立っていました」
「ちょうどいい。あなたに相談したいことがあるが大丈夫か?」
「その前にアラディの分も夕食を残してありますが、食べませんか?」
しかし彼が見ていると、天幕の中に頭を引っ込めたグランディーナはすぐに出てきてこう言った。
「アラディは食べるそうだから教えてやってくれ。私は要らない」
「承知しました」
「申し訳ありません、ギルバルドさま」
「気にすることはない。おぬしこそ遅くまでご苦労だったな」
「これがわたしの仕事ですから」
それからアラディは2人に頭を下げると、教えられた方に走り去った。
「話とは何でしょう?」
「天幕の中で話そう」
そうして2人はしばらく天幕に籠もっていた。
ギルバルドが出てきた時には、空が白みかけていたほどであった。
翌風竜の月13日、朝食後、グランディーナとトリスタン皇子も含めた解放軍のリーダーたちの話し合いの場がもたれた。それは彼女が解放軍本隊を離れていたあいだのお互いの報告から始まった。
アッシュから始められたそれは、解放軍本隊に大した動きがなかったことを物語る。グランディーナたちがバルモアに発った直後の風竜の月3日、マラノ市参事会が多額の寄付を申し出てきてくれたので、いままで皆が汲々としていた資金繰りがいきなり潤沢になったというヨハン=チャルマーズの報告より大きなものはないほどだ。
さらにマラノを落として解放軍への志願兵が来たり、皆、思う存分休み、最近では訓練が主な日課というのがマチルダ=エクスラインも含めたほかの10人の揃った意見であった。
「志願兵の所属は決めたのか?」
「はい、できることを確認した上で僭越ながら、わたしが皆様と相談させていただいた上で決めさせていただきました」
ウォーレンの返答にグランディーナはそれほど興味のなさそうな顔で頷いた。
今度は彼女がバルモア行きの成果について少し詳しく話し始めた。ユリマグアスという不思議な町について、利き腕を吊るようになった理由、両手足の傷を負った経緯、サラディン=カームの復活と、アルビレオを倒したことなどをだ。
しかしサラディンを助けたり、アルビレオを倒したりという話はまだ信憑性があったが、神殺しの獣、スコルハティの話になるとまさか、という雰囲気が漂ってきた。彼女の強さは誰もが知っているが何かと怪我も多い。ましてや目撃者は全員留守だ。頭ごなしに眉唾だろうと言い出す者こそいなかったが、彼女が敗北し怪我を負わされ、曲刀まで折られたという話をすると、やはりという空気さえ漂った。
勘の良いグランディーナがそれを察していないとはトリスタンには思えなかったが、傍観者という気楽な立場と彼女の真意を測りかねて口を挟むことはしない。自分の仕事はゼテギネア帝国打倒までだと公言する彼女のことだ。己の力のすべてを味方にも示さぬことも計算のうちなのかもしれなかった。
そんなトリスタンの考えなど知らぬ風で、さらにグランディーナはサラディン、ランスロット、カノープスと2頭のグリフォンが、カストラート海に行ったことをつけ加えて話を締めくくった。
半月も解放軍本隊を留守にしていた割には大した成果ではない、というのが皆の正直な感想のようだが、もちろんそんなことをグランディーナに面と向かって言える者は今の解放軍にはなかなかいない。せめて同行者のランスロットたちが帰ってくればもう少し詳しいこともわかるのだろうが。
「何か訊きたいことはあるか?」
「そなたの腕が動かないのは我々にとって戦力減となるはず、ましてや今回はランスロットたちもおらず、頼みにしていたサラディン殿もいない。それでも予定どおりアラムートの城塞を攻めると言うのか?」
「当然だ」
「無謀だとは思わぬのか?」
「それよりも解放軍がマラノで動きを止めて半月経つ。サラディンたちの帰りを待てば、さらに1ヶ月はマラノから動けまい。多少不利な条件であっても、これ以上、勢いが切れるようなことはしたくない」
「勢いが大事なことはわしにもわかる。だがこのたびの戦力減を庇うほどの策がそなたにあるのか? 断っておくが、勢いだけで勝てるほどアラムートの城塞は甘くないぞ」
「それぐらいあなたに言われるまでもない。だが待つことの益よりも不利益の方が大きい。アラムートの城塞はサラディンたちの戻る前に落とす」
「そなたが考える、待つことの不利益とはどのようなことだ?」
「これ以上、帝国に時間を与えたくない。我々と違い、帝国は待つほど有利になる」
アッシュはしばらくグランディーナを凝視していたが、彼女も負けじと睨み返す。そのあいだ、誰も口を挟むことができずに気まずい空気さえ流れたが、先に動いたのはアッシュの方であった。
「よかろう。それではまた訊くが、そなた一人だけ先行した理由を聞いていなかったように思うが、どのような意図があってのことだ?」
「私はアラムートの城塞に行くのは初めてだ。アラディの報告を聞くために先に戻ったが、先行してアラムート海峡に行ってもらいたい用事ができた」
「誰に何のために先行させるつもりなのだ?」
「ギルバルドとユーリアだ。魔獣部隊を西大陸に渡す準備だと思えばいい。ギルバルドが留守のあいだは魔獣部隊をロギンスに任せる。
ほかに訊くことがなければ今後の予定を話す。私たちは明日、マラノを発つ。魔獣部隊はデネブたちが戻るまで待機し、ともに発て。彼女たちは明明後日(しあさって)には着くだろう。ただし今回、魔獣部隊は別行動を取らせる。あなたたちはそのことを肝に銘じておけ」
「承知した」
アッシュとギルバルドは頷いたが、他の者は不安そうな表情を隠さない。
共闘しているとは言えないが、解放軍にあって魔獣部隊の存在は大きい。人とは比べものにならない体力は、様々な局面で解放軍を支えてきた。荒鷲の要塞とも呼ばれるアラムートの城塞攻めを前に、アッシュの指摘した不利な状況の改善は望めない状態である。この上、魔獣部隊の援護もないとあれば、不安に思うのも無理からぬところだった。
「アラムートの城塞を守るのはジェミニ兄弟、半巨人の噂もある巨漢だ。詳しい状況はもっと近くなってから話そう」
「お待ちください」
「まだ何かあるのか?」
そう言ったグランディーナは早々と立ち上がっていたが、マチルダが負けじとその腕をつかんだ。
「昨日、お帰りになってから、どなたにも傷の手当てをさせていないではありませんか。アイーシャさんと別れてから何日経っているんですか?」
マチルダばかりか周囲にとっても意外だったのは、反対するか、少なくともその手を振りほどくだろうと思っていたグランディーナがそうしなかったことだ。
「そう言えば忘れていた。頼む」
「立ったままではやりにくいので腰を下ろしていただけませんか?」
これにも彼女はあっさりと従った。ふだんのグランディーナを知る者が見れば、そんなに酷い怪我なのかと思うのも無理はない。
実際、試しに右腕の包帯を外したマチルダは唖然とすると同時に予想されてしかるべきことを予想しなかった自分にも腹が立ったほどだ。
もちろんリーダーたちは誰も立ち去っていなかったし、トリスタン皇子も残っていた。その誰もがグランディーナの態度からはとうてい予想できない重傷ぶりにしばし話をするのも忘れて息を呑む。肉が抉られ、一部はまだ骨さえのぞいていたからだ。
「この傷は、全部、同時に負われたものだと仰いましたね?」
「そうだ」
「ほかの3ヶ所も同じような状態なんですか?」
「アイーシャに診てもらったのは一昨日だが、その時とは大して違わないからそれほど治っていないと思うが、片手では包帯を替えられないからよく知らない。驚くのはあなた方の勝手だが手当は早く済ませてもらえないか」
「すみません。これほど酷いとは思っていなくて。いま、モームさんが治療道具を取りに行ってくださってますわ」
そう言っているあいだにモーム=エセンスが急いで戻ってくる。
寄付金のおかげでいままで揃えられなかった装備にもかなり余裕ができていた。治療道具一式を収めた鞄もそのひとつで、いまは大して役に立たないが、戦闘が始まればなくてはならない物になるはずであった。
もっとも、グランディーナの傷は治療道具があっても手こずる重傷で、マチルダもモームも手当が終わるころには額に汗を浮かべていた。
そんなものを見せられてしまうと先ほどの話も、にわかに信憑性を帯びてくるから困ったものだ。
当人だけがいつもと変わらぬ顔で、治療されるところをまるで他人事のように見ている。
「グランディーナ、裸足では傷にもよくありません。靴を履いてください」
そう言われて、彼女は初めて自身がユリマグアスからずっと裸足で過ごしてきたことを思い出したように足を見た。
他の者はいつ、誰が言い出すかと思っていたが、今回の貧乏くじはマチルダが引いたようだ。
「引っかけ靴は足下が落ち着かないから嫌いだ。革靴が履けるようになるまで裸足のままでいい。それよりも剣が欲しい。ヨハン、片手用の剣の備えがあるだろう?」
「大した物がなかったと思いますが、よろしいのですか?」
「何でもいい」
「剣よりもあなたに必要なのは靴ですよ。私の履いているような柔らかい靴だってあるじゃないですか」
そう言われてグランディーナはマチルダの足下に目をやった。
解放軍で履かれている靴はおおよそ3種類ある。騎士たちや魔獣部隊が革靴で激しい動きを支えている。動きは多いが僧侶や司祭、それに魔法使いたちのほとんどが柔らかい生地の布靴だ。そして女戦士たちと少数派の魔法使いが引っかけ靴を履いているが、足下が落ち着かないと言うよりも足を締めつけると言った方が正しいはずである。
案の定、解放軍の結成時からずっと頑丈そうでくたびれた革靴を履いていたグランディーナは、マチルダの提案にはいい顔をしなかった。
「このままでいい」
「そんなわがままを言わないでください。傷口を庇うためにも靴は必要ですわ」
「革靴ならばともかく布靴は濡れたら使い物にならない。履いていてもいなくても違いはないだろう」
「そんな、いくらなんでも乱暴ですわ」
「どうせ裸足には慣れている」
マチルダの説得も空しく、グランディーナはとうとうじれったそうに立ち上がり、話を打ち切った。その様子はとても利き腕が動かず、解放軍のなかの誰よりも重傷を負った者とは思われない。
「ギルバルド、魔獣部隊で待ってろ。すぐに行く」
「承知しました」
ヨハンも慌てて立ち、グランディーナを補給部隊の方に案内していった。
残る者もばらばらに立ち上がりかけたところ、マチルダが誰にともなく、怨みがましそうにつぶやいた。
「皆さんも、もう少し協力してくださってもよろしいんじゃありませんか?」
モームがなだめようとするが、こうなってしまうと「解放軍一お嫁さんに欲しい人」は頑固である。それにつき合いの長いランスロットやアレック=フローレンスたちの同席もないから、余計に説得しづらい。
「おもしろ半分に見ているだけなんて人が悪いにもほどがありますわ」
「すまなかった、マチルダ。だが君もいるんだ、靴のことにこだわらなくても、それほど大事に至ることはないだろう?」
トリスタン皇子のとりなしに、マチルダもいつまでも腹を立てているわけにもいかず、それでもまだ不満そうな顔をしている。
「ですがアラムートの城塞までは山地に入るのではありませんか。そのようなところでも裸足だなんて」
「それでいいと言ったのは彼女だ。だが、それで傷を悪化させるようならば治療部隊の長としてまた彼女と話せばいい」
「彼女が私の進言を聞き入れてくれましょうか?」
「そのためのリーダーじゃないか」
マチルダは少し考えて、ここは未来の主人の顔を立てるべきと思ったのか同意した。もちろんその前に、非協力的だったリーダーたちを睨みつけることも彼女は忘れなかった。
補給部隊で武器を選んだグランディーナは、ヨハンと別れて魔獣部隊に向かった。ギルバルドとユーリアは2頭のワイバーンに鞍をつけ、談笑しながら旅支度を調えているところだ。
「待たせたな」
「いいえ。お待ちしているあいだにロギンスとユーリアに話す時間がありましたよ」
「あなたもおもしろいことを考えつくのね。あなたでもなければ考えつかないようなことかしら?」
「あいにくと今回はおもしろがっているような余裕がない。おもしろいと言うより奇策だな」
「ですが、ユーリアの言うとおり、我々がこのような策を立てようとは、ジェミニ兄弟も思いつきますまい。アッシュ殿の言われた不利も引っ繰り返すことができるかもしれませんぞ」
「それもあなたたちの頑張り次第だ。私たちはあなたたちの策が成功したものとして動く」
「承知しております」
「くれぐれも気をつけて行け」
「あなた方もご武運をお祈りしておりますぞ」
「そんなことはどうでもいい」
クロヌスに乗りかけたギルバルドは、グランディーナの即答に足を踏み外しかけた。
「私たちのことなど気にするな。あなたたちが失敗すればアラムートの城塞を落とすのは至難の業だ。それ以外のことを考えるな」
「わかりました」
プルートーンに乗ったユーリアが、後からやってきたアラディが乗るのを手伝う。2頭のワイバーンは順に飛び立っていき、その姿はやがて北西の空に見えなくなった。
グランディーナはそれをいつまでも見送ってなどおらず、ワイバーンが発つとすぐに野営地の中央の方に戻っていったのだった。
風竜の月14日、魔獣部隊を残して解放軍は親しんだマラノの都に別れを告げた。
アラムートの城塞までは、街道をたどって6日の距離である。街道は途中でバルハラ方面に分かれていくが、その道は24年前の戦争のために年中降雪があり、気候も1年を通して寒いのだった。
一方、アラムートの城塞に至る街道は別れ道からじきにセムナーン山中に入る。別れ道がほぼ真ん中にあるので、3日ほど山道を歩かなければならない。
街道はそれほど標高が高くないが、緩く長く続く登り坂は予想以上に体力を奪う。その後に控える荒鷲の要塞を考えると、あまり無茶もできないところだった。
だが、セムナーン山地に入って早々に帝国軍が襲ってきた。その規模は大きく、解放軍は苦戦させられた。それでもいつも偵察に立つホークマンたちが今回は魔獣部隊とともに後発しているからと、グランディーナの指示で早めに偵察を出していたものの、まさかこんなところで、という気の緩みが皆にあったことも苦戦した一因かもしれない。
さらに解放軍を驚かせたのは、帝国軍がマラノを攻撃するつもりでいたという事実だ。万が一にもマラノを落とされれば、いままでの戦いも無駄になる。多くの者は改めてグランディーナの主張に頷きあった。
日頃は慎重であろうとするリーダーたちも、攻撃を仕掛けているのは自分たちの方なのだという事実を思い出した。
この戦いは解放軍が起こしたものであった。それなのに彼らが後手に回ってしまうわけにはいかないのだ。
しかし解放軍も大所帯になり、容易なことでは引き下がらなくなっている。帝国軍の攻撃もその歩みを止めることはできず、風竜の月20日夕刻にはラリベルタードを見下ろす街道に野営地を構えたのだった。
グランディーナはいつにも増して夜営を厳重にするよう皆に指示したが、昼間のこともあったので、夜営が普段の倍の人数を立てられることに反対する者もいなかった。
幸い帝国軍の奇襲はなく、ラリベルタードを巡る戦いが始まったのは翌21日のことだ。
町の門は当初固く閉じられ、解放軍も攻めあぐねた。しかし、じきに東門が内部から開けられると、なだれ込んだ解放軍の前に帝国軍は押されてしまい、やがて守備隊は白旗を掲げた。
アッシュたちが後で聞いたところによると、ラリベルタードに影が侵入しており、その者が東門を開けたのだという話だった。
解放軍はいつものようにラリベルタードに留まらず、街道を南下した。
セムナーン山地の西側には南北に細長いヤースージ平野が広がっている。ラリベルタードから下る街道はトルヒーヨ、キリグアバリオスを経てミナチトランまで続く。ミナチトランで船に乗り換え、海峡の小要塞テグシガルパを経た対岸に、ゼテギネアの西大陸唯一の玄関口として、アラムートの城塞が聳(そび)え立っていたが、街道から外れたヤースージ平野の端にも町はいくつかあった。
しかし、ゼテギネア大陸を東から西に渡るにはどうしてもアラムート海峡を渡らなければならず、その際はミナチトランとアラムートの城塞は決して通らないわけにもいかない。それは、アラムート海峡辺りの海域は流れが速い上に、西側はダルムード砂漠であり、アラムートの城塞以外に港がないこと、さらに海峡の西側は崖が続き、そもそも都市ができるような場所もないこと、そのために否が応でもアラムートの城塞の重要性は増し、そこを落とさねば、西には至れないと言われてきたのであった。
解放軍は風竜の月22日にトルヒーヨを落とした。ここでも影の活躍があって早々に北門は開けられたものの、守備隊の数がラリベルタードの倍近くいたため、思わぬ苦戦を強いられた上での勝利だった。
「今日のことは肝に銘じておけ。しょせんは統率の取れていない烏合の衆だが、数の多さは強みになる。自分たちが有利だと思えばいくらでも図に乗ってくるだろう。それにセムナーン山中で我々を襲ってきたのもアラムートの城塞の守備隊の一部だと考えられる。最初からか、かき集めたのか増強したのか知らないが、かなりの兵力がいるだろう」
「今回は帝国が数で攻めてくると考えるのか?」
「いままでやってこなかっただけで帝国にはできたことだ。ラリベルタードを落としたのは昨日だ。その対策にトルヒーヨの守備隊を増強したと考えるのが妥当な線だろう」
「この先も帝国が同じ策を採ると?」
「可能性は無視できない。いくら我々が増えたとはいえ、数は帝国の方が圧倒的に多い。単純な策だが効果はある」
「ですが、投降してきた帝国兵をその場で放すようでは帝国軍の数は減らないのではありませんか?」
「彼らを捕らえておくような場所もなければ、そのために裂ける人員もない。それに一度、戦意を喪失した兵が前線に戻されても役には立つまいし、そのまま逃げ出す者もいよう。まさかあなたも、彼らを皆殺しにしろとは言うまいな?」
「とんでもありません」
慌てて手を振って否定したチェスター=モローは、まるで口調を変えずにそう言い放った解放軍のリーダーに、捕虜の殺戮を経験したことがあるのを見てとった。必要とあれば、自らの判断で、己の責任として彼女はこの中の誰よりも躊躇(ためら)うことなくそうするだろう。その立つところのなんと異なることか。
「それにしても、烏合の衆とは言いすぎではありませんか?」
「統率も取れていなければ命令も行き渡っていない。自分たちが有利なうちは強気だが、不利とわかれば媚びることもへつらわない。烏合の衆と言う以外に何と言いようがある?」
「それはそうでしょうが」
グランディーナが立ち上がったので、リーダーたちは話が終わったものと理解した。
だがそうはいっても、彼女の言葉を全面的に受け入れているわけでもない。半信半疑の気持ちが強い者の方が多かった。
しかしそれも進んでいけば、わかることだ。
彼女の忠告はキリグアバリオスを攻める時になって事実と知れた。守備隊はトルヒーヨよりもさらに多く、二度も続けて正門を内側から開けられ、それが原因で敗れたことを鑑みてか、北門の警備は特に厳重になっていた。
そこで一計を案じたグランディーナは、キリグアバリオスの手前に野営地を設置した。いつもより松明を多めに焚かせて存在を主張する一方、解放軍の約半数を率いて、西南の門から攻めた。こちらは北門ほど警備が厳重ではなく、影の手引きで内部から開けられ、じきに落とした。そのままキリグアバリオスの町中に攻め込むと、解放軍は帝国軍を各個撃破して、明け方には片がついたのだった。
総数ではすでにキリグアバリオスの全守備隊に劣る解放軍だったが、個別に対峙したことで戦力差を小さなものにしたのである。
怪我人も徐々に増えていたが、解放軍の進撃は止まらず、金竜の月に入って街道の終点、ミナチトランにたどり着いた。
しかし、ミナチトランの守りはさらに堅かった。翌金竜の月2日、ミナチトランに攻め込んだ解放軍は一時撤退せざるを得なかったほどだ。
翌日、再度ミナチトランを攻めた解放軍は、守備隊の多さに苦戦させられたものの、今度はこれを落とした。西側に港を構えるミナチトランの防御は、他の都市に比べると脆いところがあったのである。
だが、解放軍の払った犠牲も小さいものではなかった。死者こそ出なかったものの、大勢の負傷者が出てしまい、治療部隊がてんてこまいの忙しさに見舞われたことはもとより、何人かの者はしばらく戦闘に参加できないことがマチルダからグランディーナに報告されたのだ。
「負傷者はロシュフォル教会で静養させるのか?」
「重傷の方々はそうさせていただきました。でも、そうしなくて済む方々もあまり無茶はさせたくないのですが」
ところが、マチルダから渡された負傷者の名簿に目を通したグランディーナはこともなげにこう答えた。
「まだテグシガルパとアラムートが残っている。動ける者には参加してもらう」
「そんな無理をさせては治る傷も治らなくなります。皆さんがあなたのようにはいかないんですよ」
「数が少なくなれば、ほかの者が怪我をする可能性が高まる。多少無理をさせても、動けるのならば戦闘には参加させる」
「半数以上が怪我人なのにそんな無茶はさせられません!」
マチルダの語尾が悲鳴に近かったのはグランディーナがいきなり怪我人の名簿を破り捨てたせいもあったろう。利き腕が動かないために口と手を使ったが、名簿が役立たずになるには十分だった。
「それよりもあなたに頼みたい。右腕が邪魔だ。身体に固定させられるか?」
「なんですって?!」
「この状態で私だけ安全なところにいるわけにもいくまい。大した戦力にもならないが、右腕を動かないようにしておけば少しはましだ」
マチルダは開いた口がふさがらない思いをさせられると同時に、自分ではどう足掻いてもグランディーナを説得できないことを知った。いいや、自分ばかりでなく、ランスロットやアイーシャにも彼女を止めることはできないだろう。
彼女の怪我は完治にはほど遠い。ラリベルタードの攻防戦からトルヒーヨ、キリグアバリオス、ミナチトランと前線に立っていなかったが、確かに解放軍のいまの状態は、グランディーナ一人を安全な場所に置くことのできないところまで追い詰められてもいるのだった。
「その前に傷を診てもいいでしょうか?」
「頼む」
「痛むのですか?」
「おかしなことを訊くな。私も人間だ、怪我もすれば傷も痛む」
「すみません。ですが、それならば、少しは休んだ方がいいんじゃありませんか?」
「その話はもう済んでいると思ったがな」
マチルダが恐縮すると、グランディーナは「だが」と言う。
「さすがに明日は皆を休ませる。テグシガルパ攻めは海上戦が中心になるだろうし、皆の疲労も溜まっている。このまま戦ってもこちらが不利なだけだ」
「それを先に言ってください」
「アッシュたちにはもう伝えた。あなたには忙しそうだったから言いそびれた」
彼女があんまり白々しい言い方をしたもので、マチルダは一瞬手が止まったが、もう怒る気にはなれなかった。
そう言われてみれば、野営地を設置する皆の表情には昨日までの悲壮さがない。明日が休みとわかって少し気楽になったのだろう。
これ以上、怪我の話をしていても不毛だと思われたので、マチルダは話題を変えることにした。
「ギルバルドさまたちはいま、どの辺りにいるのでしょうね?」
「さぁ。いまの居場所など興味はない。アラムートの城塞で会えれば十分だ」
「そういうものですか?」
「そうでなければ、彼らに別行動させている意味がない」
「早くお会いできればよいのですが」
グランディーナは無言でマチルダの手元を眺めている。彼女には応急手当の心得ぐらいあるようだが、さすがに利き腕が動かないいまは何もできない。サラディンたちの帰還を待たずにアラムートの城塞を攻めるのは、その焦りもあってのことだろうか。
「デネブさんやアイーシャさんはギルバルドさまたちと一緒でしょうか?」
「さぁ。ギルバルドにもロギンスにも特に指示はしていない。デネブにしてもアイーシャにしても、行きたい方に行くだろう」
デネブが留守なので4人のパンプキンヘッドたちは完全に役立たずである。女戦士たちのおもちゃにはなってもこと戦闘となるとデネブの命令しか聞かないのだ。もっとも、たとえ魔女がいたとしてもパンプキンヘッドの攻撃など誰も当てにしていなかったが。
しかし、翌金竜の月4日になってもデネブたちは追い着いてこず、マチルダは相変わらず怪我人たちの面倒を診ながら、彼女たちの行方をも案じた。
ところが昼過ぎになって帝国軍がミナチトランを奪還すべく攻めてきたので、夕方近くまで解放軍はその対応に追われることになった。
ミナチトランを押さえるということは、テグシガルパ、アラムートにすぐ攻め込めるということでもある。アラムート海峡に面した都市のうち、他に港を持つところはないからだ。それだけにいくらアラムートの城塞が難攻不落の要塞とは言っても、テグシガルパ、ミナチトランを失っては防御力も劣るのだ。
結局、帝国軍はミナチトランを取り戻すことはできなかった。
しかし、一日休養するはずだった解放軍にとっても、この攻撃は痛いものとなったのである。
「船に乗れ。テグシガルパに行くぞ」
「また帝国軍が攻めてくるのではないか。昨日の疲れも取れていない。ここは待つべきではないか」
「我々が守りにまわったところで利することは何もない。帝国がそのうちにミナチトランを諦めると思っているのか? 我々がミナチトランに籠もっていれば、帝国はますます図に乗るだけだ。船に乗れ。何度も同じことを言わせるな。休むなど、アラムートの城塞を落とせばいくらでもできる」
「わかった。だがそなた、まさか戦闘に立つつもりではあるまいな?」
「この状況だ。私だけ安全なところにいられない。左腕だけでも多少の戦力にはなれるつもりだが?」
グランディーナの即答にアッシュは絶句したが、皆がどうなることかと気を回す前に頷いた。
「そなたに覚悟があるのなら、わしがとやかく言うことはない。
さぁ、戦える者は船に乗れ。テグシガルパを獲りにいこうぞ」
アッシュのかけ声に応じる者は多かった。しかしそれ以上に、利き腕も動かず、手負いの姿で皆の先頭に立とうというグランディーナに応じた者たちも、かなりの数がいたのである。
こうして解放軍は3艘の船に分乗してテグシガルパに向かった。ミナチトランからテグシガルパまでは船で2時間ほどの距離だ。
テグシガルパは島全体が小規模な要塞と化し、そうでなくても強固なアラムートの城塞を守る文字どおり最後の砦である。難攻不落の要塞としてその名を轟かしてきたのはアラムートの城塞のみなのだが、2つの要塞はほぼ同時期に建造された物とも言われているのであった。
ところが、ミナチトランとテグシガルパの真ん中辺りで解放軍は帝国軍と遭遇、そのまま海上戦となってしまった。陸と違い、船上での戦闘は足下がおぼつかない。こんな時は魔法使いたちの呪文が頼りで、騎士や剣士たちの役割は彼らを守ることがほとんどだった。
帝国軍の繰り出した数の前に解放軍も敵を後退させる決定的な力を出すことができず、かといって帝国軍も解放軍をそれ以上後退させられなかった。両軍はそれぞれミナチトランとテグシガルパに後退することになった。
一計を案じたグランディーナは、翌金竜の月6日、夜明け前にミナチトランを発った。
船は夜が明けて間もなくテグシガルパに到着、帝国軍はそこで解放軍を迎え撃たねばならず、唯一の進入路である港を巡って両軍は激突した。
戦いは呪文の撃ち合いから始まった。
さらにその中を弓矢が放たれる。
前線に立ったグランディーナは矢継ぎ早に皆に指示を飛ばし、数で劣るところを補助した。それは十分すぎるほど的確なものだったが、この期に及んでもまだ大軍を繰り出せるゼテギネア帝国の底力の前には足りなかった。
1人、また1人と解放軍の戦士が倒れていく。
徐々に治療部隊の手が追い着かなくなり、皆が再度の撤退を覚悟しだした時、戦場に場違いとしか思われない陽気なかけ声が響き渡った。
「ほーら、カボちゃんたち、いくわよ〜。ドラッグイーター!」
その時ばかりは解放軍も帝国軍も手を止めて、空から大きくなりながら落ちてくる、4つの南瓜を見つめずにいられなかった。
いつもならばまるで当てにできないパンプキンヘッドの命中精度も、標的がまったく動かぬ要塞となれば話は別である。4つの南瓜は落ちる時間と場所をずらしながら次々に落下して、破城槌でもこううまくはいくまいと思えるほど的確に、堅固な、築城以来、一度も破壊されずにきたというテグシガルパの城壁を見事に打ち壊していった。
「テグシガルパを占領するぞ! 続け!」
落ちた南瓜がどこへ消えたのかと皆が思う間もなく、グランディーナは剣を掲げ、テグシガルパに攻め込む。残り少なくなった狂戦士や騎士たちがこれに続いた。
すかさずポリーシャ=プレージの指揮の下、槍騎士、女戦士たちが援護射撃を発し、ウォーレンたち魔法使いもここぞと最後の魔力を振り絞る。
援軍はデネブばかりではない。アイーシャに、アヴァロン島で大怪我を負って皆に遅れたユーゴス=タンセとスティング=モートン、それにバルモアで解放軍に加わったキリクス=プレスベリら10人もである。
わずか14人、しかし多くの者が倒れた現在、14人の援軍は萎えかけた皆の気持ちを奮い立たせるには十分だった。
逆に帝国軍は、解放軍の戦力では壊されるはずのなかったテグシガルパの城壁が部分的にも破壊されたこと、続いて解放軍が攻め込んできたことにすっかり戦意を挫(くじ)かれてしまった。
援軍の中にはホークマンのオイアクス=ティムが加わっており、グランディーナはすかさず解放軍の旗を渡した。青い無地の旗が翻るのはおよそ2ヶ月ぶり、ディアスポラのソミュールで旧ホーライ王国の残党が加わって以来のことだ。
テグシガルパは苦戦の末に解放軍の手に落ちた。
だが、そのために払われた犠牲も小さなものではなかったのである。
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