Stage Ten「海峡を渡る歌声」2

Stage Ten「海峡を渡る歌声」

「グランディーナ」
マチルダはそう言ったきり、絶句した。一昨日のように名簿を作ってくる気力も必要もなかった。解放軍のリーダーがそのことを理解していないはずもない。
当のグランディーナさえ、無傷ではいない。戦場に出れば当然狙われる。その分、他の者への攻撃が緩まるとはいえ、いまの彼女にはそれをすべて捌(さば)ききれるほどの力は発揮できない。
「あなたたちに話がある。皆のところへ行こう」
「アッシュさまたちをこちらにお呼びしますか?」
「怪我をしているのはお互い様だ。私が行った方が早いだろう」
動かぬ右腕を身体に縛りつけた包帯はいまは外されている。だが、逆に包帯の箇所は増えたぐらいで、本隊に合流して以来、グランディーナにつききりだったアイーシャが案ずるような眼差しを2人に向けたが、彼女は意にも介さなかった。
「デネブさんたちがいらっしゃることを知っていたんですね?」
「まさか。あれは計算外だ」
「ですが、ギルバルドさまたちは追い着いてはこないのでしょう?」
「その話をアッシュたちとするつもりだ」
いまの解放軍の状態にあっては野営地と言うよりも野戦病院と言った方がいいような有様だ。治療部隊だけでは足りず、動ける者はほぼ全員が手伝わなければならなかった。そういう者たちでさえ、援軍の14人以外は無傷ではなく、比較的軽傷というだけに過ぎないのである。
だがそうした怪我人たちのあいだを、グランディーナは眉一つ動かすことなく足早に抜けていった。そこかしこからうめき声が聞こえてくるというのに、彼女の表情はいつもと変わることがない。
すでに重傷者はミナチトランのロシュフォル教会に預けてきたが、テグシガルパでもその必要があった。除隊を余儀なくされそうな重傷者はいても、昨日までは死者がいないことを奇跡に違いないとマチルダは考えていたが、テグシガルパではそんなことはもう言えなさそうだ。
「ご苦労だった。明日のことを話しておこう」
アッシュを始めとするリーダーたちは比較的軽傷で済んでいる。しかし皆の表情には傷の程度以上の疲労がにじんでいるのがマチルダにはわかった。
「今回、魔獣部隊に別行動を取らせていることはあなたたちにも言ったとおりだ。アラムートの城塞攻めは彼らが鍵を握っている。私はこれからユーリア=ウォルフの合図を待つ。魔獣部隊が西から、我々が東からアラムートの城塞を攻めるためだ。あなたたちにも話したとおり、アラムートの城塞を治めるのはジェミニ兄弟、彼らをおびき出すのが私たちの役割だ。魔獣部隊がそのあいだにアラムートの城塞を落とす」
「いまの我らに囮が務まると考えているのか?」
「あなたたちに囮になれとは言っていない。そのために私が前線にいる」
「無謀すぎる。いくらそなたとはいえ、手負いの状態でその2人から逃げ切れるのか。それにいくら囮がいても城塞を攻められたぐらいでジェミニ兄弟が出てくるとは思えん。アラムートの城塞に残っているのはジェミニ兄弟だけのはずがあるまい?」
「出てこさせる。そのために私という餌を彼らの鼻先にぶら下げてやるのだし、魔獣部隊は我々より遅れてアラムートの城塞に着く。敵は彼らの存在には気づいていないはずだ。西のダルムード砂漠はいまだ帝国の勢力圏、そちらから攻められようとは夢にも思っていまい」
「そう言えば、グリフォンやワイバーンはともかく、ドラゴンをどうやってあちら側に渡したのだ?」
「そんな話はアラムートの城塞を落としてからギルバルドに訊け。もちろんこちらもただは攻めない。あなたたちも疲れているだろうが最後の攻撃だ。ジェミニ兄弟にも我々が最後の戦力だと思わせなければ」
「魔獣部隊がジェミニ兄弟と戦うことはないのか?」
「それもいいだろう。その時も戦力の分断が望ましい。この期に及んで帝国に余裕を持たせるような攻撃はしない。幸い元気な者も来た。彼らにも頑張ってもらうとしよう」
「それで? ユーリアからの合図は来たのか?」
「まだだ。私の予想では今夜来るはずだが」
「この状況だ。魔獣部隊を足止めするわけにはいかぬのか?」
「飛行魔獣が1頭もいない状態でどうやって対岸に渡るつもりだ? 予定はずらせない。ユーリアからの合図があり次第、アラムートの城塞を攻める」
「ですが怪我していらっしゃる方が多すぎます。いまのお話では、魔獣部隊の到着まで待たされるのではありませんか?」
「東西から同時に攻めたのでは意味がない。魔獣部隊の動きはぎりぎりまで敵に知られたくないし、我々より遅いぐらいがいい」
「ユーリアからの合図がなければ、明日は休めるということだな?」
「帝国が攻めてこなければな。これだけの怪我人だ。休むという名目は立つだろう」
「だが、我々だけで帝国軍を引きつけ得ようか?」
「引きつける。囮が囮と思われては意味がない。案ずるな、私は引っ込むつもりはない」
「ならば、わたしも手伝おう」
「ト、トリスタン皇子!」
「わたしだけいままでの戦いに参加していない。おかげで無傷で済んでいるが、このような事態になっているのに、わたしだけ何もしないというわけにはいかないだろう?」
「とんでもありません!」
アッシュは血相を変えて立ち上がったが、次の瞬間には怒りの矛先はトリスタンからグランディーナに変えられていた。
「そうだな。あなたにも働いてもらうとしよう」
「何を言うかっ! 護衛さえろくにいない状況で殿下に敵将の囮になれだと?! 殿下にもしものことがあったら、どう申し開きをするつもりだ?!」
「申し開きなどするつもりはない。囮は1人でも多い方がいいし、トリスタンは私に次いで適任だ。本人がやると言い出したものを、なぜ私が止める必要がある?」
「殿下にそのような危険な真似はさせられぬと言っているのだ!」
アッシュは抜刀こそしなかったが、いまにもそうしかねない勢いだ。
「待ってくれ、アッシュ。ここで解放軍が敗れれば、わたし1人が生き延びたところで意味はない。わたしとて剣の心得ぐらいはある。わたしの身をそのように案じてくれるおまえの気持ちはありがたいと思うが、やらせてはくれまいか?」
アッシュは改めてトリスタンに向き直ったが、苦悶に満ちた表情からはいまにも激しい歯ぎしりの音が聞こえてさえきそうだった。
それを見たトリスタンは胸が傷んだ。アッシュがこれほどまでに強く反対するのは、父グラン王を失った思いもあることに気づいたからだ。
24年もの長きにわたって囚われた身でありながら、元騎士団長は安穏などこれっぽっちも望んではいない。かつての主君一家を誰一人守ることができなかったという負い目はいまも彼を苛(さいな)んでいる。トリスタンは彼のただ1人の主君でありながら、いまだ主君になりきれていなかった。だが彼には、アッシュの望むものは決して与えられない。それはただ、いまは亡き神帝グランだけが与えられるものなのだ。
「やるのか、やらないのか?」
グランディーナの冷静な声音がトリスタンの考えの中に割り込んでくる。彼女にもアッシュの気持ちはわかるまい。そのことで悩むトリスタンの思いも。グラン王の後継者である自分以外には誰にもわからぬことなのだろう。
「囮は多い方がいいと言ったのは君だ。それに、魔獣部隊が着くまでのあいだなのだろう?」
「それがどれぐらいのことか、私は保証しないぞ。だが、あなたがそう言うのならば決まりだな」
「待たれよ」
「アッシュ、あなたがトリスタンの護衛につきたいと言うのなら、私はそれを止めるつもりはない。好きにするがいい」
彼は膝を落とし、うなだれた。
「グランディーナ、私も、殿下をお守りしてもよろしいでしょうか?」
ポリーシャが立つと解放軍のリーダーは頷いた。
「総攻撃とは言っても大した数も残っていない。アラムートの城塞を攻める時には私が直接、指示をする。あなたたちが誰を守ろうと好きにするがいい。
話はそれだけだ。いまのうちにせいぜい休んでおけ。今夜中に合図があれば、夜明け前に発つ」
「まさかそなた、一晩中、合図を待つつもりか?」
「誰かに肩代わりさせるわけにもいくまい」
アッシュ以下、その場の誰もが絶句したが、グランディーナは立ち上がり、皆を見渡した。その表情はいつもと変わることなく冷静そのものだ。
「あなたたちも辛いだろうが追い詰められているのは帝国も同じだ。そのことを忘れるな」
「わかっていてもつい気弱になってしまいますな」
そう答えたケビンも頭に包帯を巻いている。無論、隣のチェスターも無傷ではない。
「弱気になった方が負けだ。兵が気弱になるのはしょうがないが、あなたたちまでそれでは困る」
「そなたに限って、こんな時に精神論を説くとは思わなかったぞ」
アッシュの揶揄(やゆ)は、言っている彼の方が苦しそうに見えた。グランディーナがそのことに気づいていないはずもなく、彼女は鼻先で笑うとその場を立ち去ってしまった。
「この状況でよくもああ強気でいられるものだ」
呆れたように言ったのはケビンだったが、その場の全員が同感である。
「だが、彼女の言うとおり、追い詰められているのはむしろ、アラムートの城塞以外を失った帝国の方だろう?」
「だからこそ、用心せねばならぬのです、殿下。あれだけの大軍を繰り出してきた帝国ですが、余力はまだ残しておりましょう。それだけに手負いの我らが魔獣部隊が来るまでどれだけ持ちこたえられるものか。窮鼠猫を噛むと申しますが、追い詰められたのは鼠でも猫でもない、獅子なのです」
「わかっている、アッシュ」
そこへモームが珍しく血相を変えてマチルダを呼びに来た。彼女はマチルダに耳打ちしただけだったが、何があったのかは誰にでも予想できた。
重傷を負ってロシュフォル教会に預けられていた誰かが、手当の甲斐なく死んだのだ。
マチルダは皆の顔を見渡したが、ウォーレンが頷いたので説明の必要はないものと考えたらしく、モームと立った。だが、すぐに戻ってきて一言だけ告げた。
「亡くなられたのはスタンレーさんです」
「スタンレーが?」
「はい。私たちの力が及ばず、申し訳ありません」
「あなたが謝られることではあるまい」
応じたチェスターにマチルダは深々と頭を下げ、今度は振り返らずに走っていった。
「スタンレー=デュランのことか?」
とケビン。
「スタンレーはほかにおらぬ。まだ若くて腕も未熟だった。それなのにわたしが解放軍に誘ったのだ。そのわたしがどうしてスタンレーを救えなかったとマチルダ殿を責められる?」
そう言ったきり、チェスターは絶句し、他の者も声をかけることができなかった。
だが、それが今回の戦いの中での最初で最後の死者では終わるまい。そのことだけは誰もが感じていた。
その日の真夜中にアイアンサイド=テュレンヌの死がリーダーたちに報告された時、グランディーナは港の外れにいるところを発見された。彼女は探しに来たアイーシャに頷いて、つけ加えた。
「わざわざすまない。皆はもう休んだのだろう、あなたも休め」
「治療部隊の方たちはまだ皆さん、ロシュフォル教会にいらっしゃるわ。私だけ休むわけにはいかないでしょう?」
「馬鹿な。マチルダは何をしているんだ」
グランディーナが立ち上がりかけたところをアイーシャは慌てて引き止める。
「待って、グランディーナ。マチルダさまが皆さんに仰ったの。明日はアラムートの城塞を攻めるけれど、自分たちの出番はもうないだろうって。だから、今日のうちに全力を尽くしましょうって」
「あなたたちはテグシガルパに残るつもりか?」
「だって、こんなに怪我人がいるのに教会の方々に任せきりというわけにはいかないわ。何人かはあなたたちと一緒に行くけれどほとんどの方は残るはずよ」
「明日はしょうがないか」
グランディーナが腰を落としたのでアイーシャは内心、胸をなで下ろした。
「あなたこそ休まないの?」
「ユーリアからの合図を待ってる。ほかの誰かに頼めることでもないからな」
「そう」
グランディーナにも無理をするな、とは言えなかった。今回のアラムートの城塞攻めの全貌を把握しているのは彼女だけだ。
「私、明日はあなたと一緒に行くわ」
「危険だ。この腕ではあなたを守りきれない」
「でも、誰かが行かなくてはならないでしょう? だったら、私は今日、追い着いたばかりだから、皆さんほど疲れていないわ。私が行くのがいちばんいいと思うの」
「だからって、あなただけ行くわけではないのだろう?」
「危険なことは誰が行っても同じではないの?」
グランディーナがしばし黙り込んだので、ただ波の音だけが聞こえていた。ただしそれはアヴァロン島で聞くのとは違って、荒々しく、唸るようでもある。それを聞く彼女の横顔もいつもより厳しい。
「あなたはもう休め。私につき合うことはない」
「私、そんなに弱くないわ」
「教会で夜勤の務めをするのとはわけが違う。あなたは疲れていないと思っているかもしれないが、気づいていないだけで疲労はかなり溜まっているはずだ」
「でも」
けれどその時、激しい波の音を軽々と飛び越えて、微かな歌声が聞こえてきた。
「ユーリアさん?!」
「しっ!」
そうだ。その声はユーリア=ウォルフのものに間違いない。解放軍本隊に先行してギルバルドやアラディとともにアラムート海峡に行ったユーリアの歌声だ。
しかし彼女が近づいてくる様子もないし、近くにいるのでもないようだ。うっかりすると聞き逃してしまいそうな声でもあるし、騒々しい波の音に負けない強さもある。
不意に曲が変わったが、アイーシャにははっきりわからなかった。隣のグランディーナは身じろぎもせずに耳を傾けているようだが、折からの風が半月を隠してしまったのでその表情も見えない。
それからどれぐらいのあいだ聞いていたのか、歌声は急に止んで、辺りはまた波の音だけに包まれた。
と同時にグランディーナが立ち上る。彼女は走って野営地に戻り、トリスタン皇子やアッシュたちリーダーをたたき起こして、夜明けとともにテグシガルパを発つことを伝えてまわった。
トリスタン皇子以外の誰もが疲労の色も濃かったが、反対意見はもはや上がらない。もちろん上がったところでグランディーナが耳を貸そうとは、アイーシャにも思えなかった。
彼女が最後に行ったのはロシュフォル教会だ。そうでなくても狭い建物は、解放軍と帝国軍双方から運び込まれた負傷者のために足の踏み場もないほど混雑していた。そして解放軍も帝国軍も区別されることなく手当を受けていたが、そのほとんどは重傷者だ。
「私は休むわけにはまいりませんし、この方たちをおいてアラムートの城塞に行くわけにもまいりません。アラムートの城塞にはモームさんとアイーシャさんに行ってもらいます」
グランディーナの顔を見るなり、マチルダはいつになくきつい調子で告げる。彼女が今晩は一歩も引かない構えでいることは容易に見て取れるほどだ。
「あと1人、アラムートの城塞にまわしてくれ」
もちろんグランディーナがそれぐらいで引っ込むはずもない。その口調はマチルダのけんか腰と言ってもいい口調もかわして、どこまでも冷静だ。
マチルダとて、グランディーナが己の言い分を素直に受け入れるとは思ってもいないだろう。
「それでしたらロゼさんではいかがですか?」
「ロゼは僧侶だ。司祭の方がいい」
そこで初めて彼女は教会内を振り返った。
ロゼ=チャップマンは、デネブと一緒に来た後発隊なので、アイーシャ同様、治療に参加したのはテグシガルパからである。だからマチルダも名を挙げたわけなのだが、グランディーナが拒否する理由も治療部隊の責任者としてわからないでもなかったのだ。
「ノルンに頼もう。彼女もトリスタンのように一度も戦闘に参加していないからな」
「ですが、ノルンさんが承知されるでしょうか? 今回はラウニィーさんもいませんし」
「ギルバルドもユーリアもいないのではラウニィーしかあの2頭は扱えない。しょうがない」
「そうですね。ノルンさんがそちらに加わっていただければ安心ですわ。そうしていただけますか」
「わかった」
そう言ってグランディーナは教会の中を見回した。
「もう手当はあらかた済んだのだろう?」
「ええ。ですが、まだ目を離したくない方も何人かいらっしゃるので、交替で起きていようと思います。もちろんモームさんには、もう休んでもらいましたわ。
アイーシャさん、あなたも休んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
グランディーナが踵を返したのでアイーシャも後を追う。
マチルダもそれを見送ってなどはおらず、急ぎ足で教会の奥の方に戻っていったが、行く途中途中で皆に声をかけられていた。
翌金竜の月7日未明、解放軍を乗せて船がテグシガルパの港を発った。乗船者は4体のパンプキンヘッドを加えて31名、その半数以上が手負いという、解放軍始まって以来の危機的な状況である。
「デネブ、帝国軍が出てきたら、とりあえず南瓜をかましてくれ」
「あら、いいわよ。だけど、さすがにアラムートの城塞ともなると、カボちゃんたちにも壊せないわぁ」
「外壁を破壊してくれればいい。ミナチトランのように、中に入るのに一日費やすわけにはいかない」
「だけど、カボちゃんたちの出番がそれで終わりってわけじゃないんでしょ?」
「それ以上は期待していない。せいぜい南瓜で敵を攪乱(かくらん)してくれればいい」
「あなたってほんとにそういうところがかわいくないわよね。いいわ、見てなさい。いまにあなただってあっと驚くような改造をしちゃうから」
「どうぞ。パンプキンヘッドはあなたのものだろう。何をしようと私が口を挟む筋合いじゃない」
「んまーっ。あなた、カボちゃんたちのことを何だと思ってるのよ?!」
憤慨するデネブをよそに、4体のパンプキンヘッドたちはかしまし三人娘と遊んでいる。その場にはアイーシャやモームにポリーシャまで加わって、4体は4体がそれぞれの反応をしてみせていた。
女性陣の中でなぜかラウニィーとノルンだけは、パンプキンヘッドを好まない。その人間に似て人間ではない動きが彼女たちには不快に思えるらしい。
いまもノルンは、早朝たたき起こされ、問答無用でアラムートの城塞攻めに加えられたために、さらに不機嫌そうな顔で船室に下りていた。
「改造と言えば、ディアスポラでしていた買い物はどうした?」
「あれから移動したり、カボちゃんたちと別れ別れになっちゃったりしてたでしょ? 必要な器具がないんですもの、何にも使ってないわ。だいいち野ざらしで実験て、落ち着かないのよねぇ」
「あなたはそんなことには不自由しなさそうだと思っていた」
「あたしって繊細(でりけーと)なの。美しいって罪なのよね」
グランディーナが答えられずにいたので、耳をめいっぱい大きくして聞いていた男性陣は思わずそれぞれに振り返った。彼女は左手を魔女の肩に乗せて顔を伏せていた。
デネブは片目をつぶってみせた。もちろん、彼女は無傷のままで、ピンク色の服も帽子も乱れたところがない。グランディーナが今日も利き腕を身体に縛りつけて包帯だらけになっているのとは対照的だ。
「なに、笑ってるのよ?」
「あなたがおかしなことを言うからだ」
「あら、あたしは事実を言ったまでよ」
「事実であることは認めるが、話がつながってないじゃないか」
「そうだったかしら? でも嬉しい」
「何が?」
「あたしが美しいって認めてくれてるのね」
「いまさら否定する者はいないだろう?」
「あなたってそういうところが可愛くないのよ!」
デネブが殴りかかるのを、グランディーナは顔を上げて押しとどめる。2人の会話を盗み聞きしていた者たちが少し慌てるのには目もくれず、彼女はそのまま立ち上がると、船首に向かった。
魔女がその後をついていくと何もしていないのにパンプキンヘッドたちもてんでばらばらにやってきた。女性陣も何事かと目を見張っていたが、アイーシャなどはすっ飛んでくる。
空はとうに明るく、海峡はいつもと変わらず荒れ気味だが、この期に及んで船酔いする者などいなかったのは幸いだった。
「もうじきだ。ノルンを呼んできてくれ」
「はい」
「わたしも一緒に行こう」
「すみません、トリスタン皇子」
やがて3人が船室から戻ってくると、グランディーナは話し始めた。
「聞いていた者もいたろうが、接岸したらパンプキンヘッドたちにあれをやってもらう。そこから侵入するが、遅れて魔獣部隊が着く。彼らが着くまで持ち堪えてくれ。連中が要塞を空けてくれればいいが、戦力を分断するぐらいに留まるかもしれない。だが、ギルバルドたちがアラムートの城塞を落とせば、こちらのものだ」
「もしも我らがギルバルドらが来るまで持ち堪えられぬほどの戦力であったら、いかがする?」
「もう敵もそれほど残っていない。強敵はジェミニ兄弟だけだ。それもできるだけ私が引き受ける。後衛部隊は後に続け。治療部隊は最後尾だ」
「わたしはトリスタン皇子と一緒にまいります」
すかさずそう言ったのはケインだ。
「好きにしろ」
「帝国が船を出したら、どうする?」
「敵がアラムートから離れるのは却ってこちらに都合がいいが、それほど戦力が残っていないいま、守備隊が要塞を離れることはないだろう。もしも攻撃してくるのなら容赦することはない」
「その時はカボちゃんたちは船を攻撃させればいいのね?」
「できればな」
「またそんなこと言うんだから!」
デネブは頬をふくらませたが、パンプキンヘッドの攻撃が動く標的に当たりづらいことは周知の事実だ。
「これが最後の攻撃だ。何があろうともアラムートの城塞は落とす」
そう言うと、彼女は振り返り、近づいてゆく荒鷲の要塞を眺めた。
「まさか、その腕でジェミニ兄弟を倒せると言うのか?」
「案ずるな。あなたたちが倒されるようなことにはならない」
「君を信じよう」
トリスタンの言葉に、グランディーナは皆に向き直り、頷いた。
彼にも根拠があるわけではない。しかし彼女がそう言い切る理由を打ち明けることはないだろう。ならば、自分がそう言うしかない。この場のほとんどの者は解放軍の古参かリーダーで、トリスタンのことも知っている。自分の言ったことを皆の前で否定しはすまい、という判断からだった。
「ウォーレン、呪文の射程範囲内か?」
「まだです」
「外壁を狙っていいんだったら、カボちゃんたちはもうじき届くわよ」
「南瓜を外に落とすな。せめて要塞の中に落とせ」
「了解」
デネブが手招きすると、パンプキンヘッドたちは相変わらず、おぼつかない足取りで近づいた。
魔術師や槍騎士たちも準備をする。
外壁の上にも帝国軍が顔を出し始めたが、解放軍の到着が予想以上に早かったのか、少し慌てている。
「いまよ〜! ドラッグイーター!」
陽気なデネブのかけ声とともにパンプキンヘッドたちは己の頭を蹴り上げた。そのうちの1つはてんであらぬ方に飛んでいったが、残る2つの南瓜はグランディーナの要求どおり外壁を打ち壊し、最後の1つがアラムートの城塞の中に落っこちた。不思議なのは落としたはずの南瓜が元のように頭の位置に収まっていることである。
荒鷲の要塞の中から悲鳴が聞こえた。内部が混乱し、突然、文字どおり降ってわいた南瓜への対処に追われているのもわかる。
その隙を逃さずウォーレンたちが呪文を撃ち込んだので悲鳴はさらに大きくなった。
しかし、遅れて帝国軍からも呪文が飛んでくる。
それでも船は前進を続け、南瓜の空けた穴に接近していった。
「行くぞ!」
「反乱軍を中に入れるな!」
板を渡して城塞に乗り込もうとする解放軍と、それを押しとどめようとする帝国軍がぶつかり合った。
だが、もはや帝国軍に解放軍を圧倒する数はいない。グランディーナの指示の的確さもあり、解放軍は徐々にアラムートの城塞内に侵入していった。
入り口から外壁に入り、通路を抜けると草地に出る。アラムートの城塞は外壁が二重構造になっており、いちばん内側に要塞が建っていた。本拠地まで攻め込んだというのに、その大きさはなおも彼らを威圧する。
しかし解放軍の勢いも止まらない。草地から城塞への入り口を巡って、なおも抵抗を見せる帝国軍に戦闘を挑むと、これを城塞の中庭まで押し返した。
「デネブ! もう一回いけるか?!」
「あなたもほんとに人使いが荒いわねぇ。これで最後よ!
ドラッグイーター!」
4つの巨大な南瓜が城塞の中庭を舞う。
さすがに今日、二度目、今回の戦いの中では三度目ともなるとアッシュたちも見慣れてきたが、トリスタンとノルンはただ目を丸くするばかりだ。
「行くぞ、兄者!」
「おう、弟よ!」
「風よ、唸れ!」
ところが、中庭の向こうから、そんなかけ声が聞こえたかと思う間もなく、疾風が巨大南瓜を吹き飛ばし、その場にいた解放軍、帝国軍の区別なしになぎ倒してしまったのだ。
そこに現れたのは巨躯の戦士2人であった。ホークマンよりもさらに背が高く、盛り上がった筋肉といい大きな手足といい、半巨人という噂も嘘ではなさそうな巨漢である。
「あなたたちがジェミニ兄弟だな」
真っ先にグランディーナが立ち上がるのを2人は目を見張って眺め、互いに頷き合った。
「赤銅色の髪の女剣士、反乱軍の将に間違いない」
「うむ、兄者。ついに奴らがここまで来てしまったぞ。かくなる上は我ら2人の力を合わせて、反乱軍を迎え討とうではないか」
「待て、弟よ」
「何だ、兄者?」
「反乱軍といえども武人の端くれ、我らも同じ武人として礼を欠いてはなるまいぞ」
「さすがは兄者だ。敵とはいえ、武人の礼を欠いたとあっては我ら兄弟の名が廃ろうというもの。ジェミニの名を辱めてはならぬな」
2人の呑気な会話のあいだに立ち上がれる者は立った。ジェミニ兄弟の放った攻撃は、4つの南瓜を消したばかりでなく、主に味方を倒してしまい、解放軍にはむしろ、それが楯となったのである。
「反乱軍の勇者たちよ、よくぞここまで来たな」
「殺生は辛いが、帝国に刃向かう奴らを許すわけにはいかん」
「うむ。エンドラ陛下とヒカシュー大将軍よりお預かりしアラムートの城塞を、これ以上、おぬしたち反乱軍の好きにさせるわけにはいかぬ」
「女といえど容赦はせぬぞ、覚悟しろ!」
「行くぞ、ポルックス!」
「おうよ、兄者! 我らの攻撃、受けてみよ!」
「ジェミニアタック!!」
ポルックスが前に出て身を縮めた。と思う間もなく、カストルがその背を蹴り上げたので、大きな身体がグランディーナ目がけて飛んできた。
しかし彼女はポルックスを避け、その巨体はそのまま内壁をぶち壊し、草地さえのぞいたほどだ。
「なんと、兄者!」
「ドラゴンをも一撃で屠る我らの必殺技を、こうも軽々と避けるとは!」
トリスタン以下、解放軍の面々には、石壁を壊しても傷ひとつない様子で立ち上がったポルックスの方が不可解である。
だが、グランディーナ1人がジェミニ兄弟を見ていなかった。彼女の視線はカストルを飛び越えて、アラムートの城塞のてっぺんに向けられている。
そのことに気づいて、最初、トリスタンが上を見たのでアッシュとケインもつられ、解放軍の者もジェミニ兄弟もつい同じ方に目をやった。
そこには青い無地の旗が翻っており、見慣れた人影、ホークマンが手を振っているではないか。
「アラムートの城塞は我ら解放軍のものだ! ジェミニ兄弟、まだ無駄な抵抗をするつもりか?!」
「卑怯なり! 反乱軍め、我らを騙したのか?!」
「城塞を明けたのはあなたたちの方だ。抵抗するのならば、こちらも容赦はしない! 彼らを倒せ!」
「おおうっ!」
アッシュとケビンが呼応し、素早くカストルに斬りかかった。遅れてチェスター、アレックらが続く。
孤立したポルックスにもウォーレンたちが魔法を浴びせ、もはや囮という役目も必要なくなったのでケインがトリスタンを前線から戻す。
だが、ジェミニ兄弟が無防備に立っていたのもわずかのあいだでしかなかった。集中攻撃を受けて我に返ると、カストルの蹴りにアッシュとオルティア=イーデスが吹っ飛ばされ、ポルックスの拳にはオイアクスとキリクスが倒された。
「我ら兄弟をなめるな!」
続いて、カストルの繰り出した拳にアレックとフォボス=ケイが倒され、ポルックスの蹴りはケイエス=ロイとプレグラー=バイバルスを壁にぶち当てた。
そうしてジェミニ兄弟は再び並び立ち、対峙した解放軍を睨みつける。
「彼らを倒したぐらいでいい気になるな。そんな攻撃が私に効くと思っているのか?」
グランディーナが皆の前に進み出る。
「ジェミニアタックなど聞いて呆れる。ご大層な名前をつけても当たらねば話になるまい?」
ジェミニ兄弟の白い顔が、別人のように朱に染まる。2人とも鎧を身につけておらず、有翼人のように軽装だ。隆々とした筋骨が挑発に応じるように波打つ。
「その言葉、我らの攻撃を喰らっても言えるか」
「やれるものならやってみろ!」
「ゆくぞ、兄者!」
「おう、ポルックス!」
ジェミニ兄弟の繰り出した攻撃はジェミニアタックではなかった。疾風の正体は目にも止まらぬ速さで撃ち込まれた拳圧だったのだ。
だが、すでに剣を抜いていたグランディーナは、片手だけで自身の必殺技を放つと、いくらかでもそれを押し返しさえした。けれどもそれは諸刃の剣だ。その鋭い刃(やいば)は彼女自身ばかりでなく、側にいた者をも傷つけてしまう。
しかし、それでもジェミニ兄弟を驚かせるには十分だったし、4つの巨大南瓜を吹っ飛ばした疾風から皆をいくらかでも守った。
「信じられぬぞ、兄者」
「我ら兄弟をここまで虚仮(こけ)にした奴はいないぞ、弟よ。だがジェミニ兄弟の名にかけて、反乱軍はここで倒しておかねばなるまい」
グランディーナはポルックスの空けた穴に近づいた。
「ご託はいいからかかってくるがいい。アラムートの城塞を失って、あなたたちにこれ以上、戦う意味があるとも思えないがな」
「我ら兄弟に降伏はあり得ぬ! 我らかおぬしたちか、どちらかが倒れるまで戦うが定め!」
「行くぞ、兄者!」
「おう!」
ポルックスが再び身を縮める。
「いまだ!」
「なにっ?!」
黒い影が上空から兄弟に覆い被さったのと、城塞から現れた魔獣が襲いかかったのはほぼ同時だった。
ワイバーン2頭がポルックスをひっつかみ、2頭のケルベロスがカストルに襲いかかる。ワイバーンを操るのはニコラス=ウェールズだが、ケルベロスの後からラウニィーが姿を現した。
三つ首の獰猛な魔獣に怯(ひる)むようなカストルではなかったが、2頭も負けてはいない。彼に攻撃させじと間断なく攻撃し、ラウニィーが援護する。
ワイバーンとポルックスの戦いも激しいものだった。早々にワイバーンの爪から逃れたポルックスだったが、2頭に阻まれて、どうしてもカストルに近づけない。かといって孤軍奮闘するには敵の手が多すぎる。
2人は徐々に追い詰められていった。
だが半巨人の噂も伊達ではなかった。ふつうの人間ならば、とっくに倒れていそうな傷を負いながら、とても倒れそうにない。逆に小柄なワイバーンのクロヌス、ケルベロスのコイオスを続けざまに倒して、2人は吠え声を上げた。
しかし魔獣もそれで終わりではない。ホークマンのチェンバレンに操られた2頭のコカトリス、ロギンス=ハーチに操られた2頭のグリフォンが波状攻撃を仕掛け、残ったワイバーンとケルベロスも再攻撃に転じる。ラウニィーとニコラスも攻撃の手をゆるめない。
とうとうポルックスが膝をついた。
「もはやこれまでか、兄者!」
「なんの! 我らとてジェミニ兄弟、ただでやられはせぬ!」
襲いかかるコカトリスとグリフォンをなぎ倒して、カストルが飛び出した。
「かくなる上は我らとともに死んでもらうぞ!」
彼が目指したのはグランディーナだった。
だが、彼女にはそれがよほど意外だったらしく、抵抗はしたものの、片手用の剣などカストルの手で軽くへし折られてしまった。
「離せ!」
「我ら、アラムートの城塞を失っても反乱軍の将と相打ちとなれば名目も立とうというもの!」
「グランディーナ!!」
パンプキンヘッドが外壁に空けた穴から、カストルは海に飛び込んだ。その金髪と赤銅色の髪が同時に波間に消える。
泡ぶくが立ち、消えていった。
誰もが土壇場でのまさかの相打ちを覚悟したその時、2人の消えた海面が再び泡立ったかと思うと、多数の吸盤をつけた灰茶色の足が突き出して、ギルバルドの操る海の魔獣クラーケン2頭が海面に躍り出てきた。
1頭のクラーケンにはグランディーナがしがみついていたが、もう1頭がカストルを8本の足で押さえ込んでいる。
その場にいた誰もが歓声を上げずにいられなかった。
グランディーナには皆に視線を向けるほどの余裕があったが、死を覚悟して飛び込んだカストルはさすがにクラーケンから逃れる力もないようだ。
しかもギルバルドが鞭を鳴らすと、2頭は揃って海に沈み始めた。
2人が海面に呑まれてしまう前に、ライアンとカリナに操られた2頭のグリフォンが飛来してきて、その爪に1人ずつ引っかけて城塞に戻ってくる。
カストルの悲鳴は聞こえなかった。それは皆の見守る前で海の藻屑と消えたのであった。
「おぬし、わざと兄者に捕らえさせたな?」
ポルックスはもはや虫の息で、全身に受けた凄まじい傷が、この男の強靱さを逆に物語っている。
対するグランディーナも濡れ鼠の上、包帯が外れて右腕は垂れ下がり、いたるところ傷だらけだった。
「あなたたちを海にたたき込むつもりだったのは確かだ。まともに戦っても勝てないだろうからな」
「我らの負けだ。この世の名残にその手、取らせてはもらえぬか」
差し出された震える手を彼女は無言で握り返した。
丸太のように太い腕の筋肉が激しく波打ったが、その動きは不意に止み、ポルックスの眼からも急速に光が失われていった。
グランディーナは己の手を食い込むように握り締めた手をほどき、立ち上がった。ポルックスが握っていたのはわずかのあいだだったのに、太い指の痕が手の甲から平にかけてはっきり残っている。
しかし彼女は何事もなかったかのように短刀を振りかざした。
「アラムートの城塞は我らのものだ! 残党を駆り出せ!!」
「おおう!」
ケビン、チェスター、スティングが呼応して自分の剣を振りかざす。
遅れて、動ける者は皆、己の武器をかざして勝ちどきを上げると、数人ずつ組んで、アラムートの城塞中に散っていった。アイーシャたちも負傷者の手当に働き出す。
こうして、解放軍は数多(あまた)の犠牲を払って、アラムートの城塞を落とした。それはすなわち、ゼテギネアの東大陸がゼテギネア帝国の支配下から外れたことをも意味し、反帝国勢力の筆頭としての解放軍の存在が、誰の目にも明らかになったのである。
彼女らの前にゼテギネアで唯一のダルムード砂漠が横たわる。砂塵の彼方に待ち受けるのは、ゼテギネア帝国の中枢、それはもはや手の届かぬものではなくなっていた。
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