Stage Eleven「誓いの剣」4

Stage Eleven「誓いの剣」

風が左右から一段と強く吹き上げていた。島の幅はここだけ1バーム(約1キロメートル)もないだろう。島の切れたところから下に雲海が見えて、自分たちがいま、天空の島にいるのだという確かな事実を教えてもいる。
しかもカリナが石を放ると、それはそのまま、何物にも阻まれることなく島から落ちていき、同様に足を踏み外したら、命がないのが明白になった。
「何考えてるんだ、この馬鹿!」
「だって、やってみたくなるじゃないですかぁ」
「場所を考えろ!」
カノープスはホークマンの若者に拳骨の雨を降らせたが、皆の青ざめた顔は取り返しがつかない。
「迷っていてもしょうがない。進むぞ」
グランディーナとサラディンが最初に渡った。彼女も軽装な方だが、より軽そうなサラディンと手を繋いでいった。その後からランスロットとグレッグが手を繋いで渡った。
しかし時折、吹き抜ける突風は、そうでなくても軽装の者には身体が浮くほどで、特に治療部隊の女性たちにその傾向が強い。鎧を着て重そうな者と軽装の者が手を繋ぐことにしたのは、至極当然な話だった。
ラウニィーとノルンも仲良く手を繋いでいったが、ラウニィーは自分が浮かないのは鎧のせいだと言い聞かせていたそうだ。
だが敵が襲いかかってきたのも当然、そんな時だった。ガレス皇子の親衛隊を名乗った黒騎士たちだ。ただし、その数は10人足らずであった。
「貴様ら反乱軍をこれ以上、先に進ませるわけにはいかない! ゼテギネア帝国のため、我らが皇子のためにもここで倒れてもらうぞ!」
ランスロットは、早速ラウニィーともども応戦した。
しかし、サラディンやノルンが前線に立たされた上、後続が思うように進めない。
カノープスとカリナは、グリフォンでチェスターとオーサ=イドリクスを前線に運び、そのまま戦闘に加わった。
黒騎士たちの武器はガレス皇子に倣ってか、両手持ちの斧だ。攻撃こそ遅いが、その一撃の重いこと、並みの武器では歯が立たない。まともに打ち合ったカリナの鎚鉾は、一撃で真っ二つに壊されてしまった。
その攻撃をグランディーナは片手剣一振りで流すように凌いで、ランスロットが助けに駆けつけるまでサラディンを守って耐えた。
ラウニィーもノルンを庇っているので一歩も引けない。名槍オズリックスピアが娘の命を守るのに大いに役立ったと知ったら、ヒカシュー大将軍もさぞ喜んだに違いなかった。
チェスター、オーサもそれぞれに善戦し、カノープスやグリフォンたちの働きも言うに及ばずだ。
武器を失ったカリナだけは、グリフォンで騎士たちを輸送する役目に徹した。
とうとう黒騎士が最後の1人になった時、彼は島の端まで追い詰められていた。
「降参しろ! 武器を捨てるなら、命まで取る気はない」
グランディーナの勧告も素直に聞き入れそうにないが、彼にはもはや、武器を奮って突っ込んでくるか、島から身を投げ出すか、2つに1つの選択肢しか残されていなかった。
その時、ひときわ強い風が彼を巻き込むように吹き上げ、その身が大きくよろめいた。ひとたび平衡を崩してしまうと、鎧が重いだけに自力で戻せない。
彼の手から離れた斧がまず落ちていき、彼もそのまま島の外に投げ出された。
皆が目を背けた刹那、助けに飛んだのはカノープスであった。
「重てぇ〜っ!!」
「大将!」
カリナが手を貸さねば、2人は重さに負けたろう。
慌てて飛んできたエレボスがさらに彼らを助けなければ、そこから飛び上がることも一苦労だったろう。
「兄さん、無茶しないで!」
泣きついたユーリアに、カノープスは息を切らすだけで応えられなかった。カリナも黒騎士もしばらく口がきけなかったほどだ。
敵の生死はともかく、皆はカノープスが無事だったことに安堵して、後始末に立ち働いた。
取り乱していたユーリアも、アイーシャに慰められつつ、グリフォンの世話に戻った。
この場に残ったのはカノープスたち3人のほかには、グランディーナとサラディン、それに念のためにランスロットだけだ。
黒騎士はやがて兜を脱いだ。現れた顔はごくふつうの中年男性で、ギルバルドと同世代のようだ。髪も瞳も肌の色も薄く、典型的な旧ハイランド人だった。
「なぜ、わたしを助けたのだ?」
「身体が動いたんだ。理由なんかないさ」
「馬鹿な! わたしたちはおまえたちの命を狙ったのだぞ。このまま放されても、わたしはガレス皇子にお仕えする騎士として、またおまえたちの命を狙う」
「まぁ、その時は俺も手加減しないさ。だけど、あんな風で落とされるなんて不可抗力だろう? あんたが死にたがっていたなら話は別だけど、そういう風には見えなかったからな。それに俺には翼がある、一緒に墜ちる気はしなかったしな」
「大将、俺の貢献も忘れないでくださいよ」
「馬鹿野郎、おまえの貢献なんて、さっきの石投げでちゃらだ」
「そんなぁ」
騎士は呆れたような顔でカノープスを見た。
「信じられん。わたしたちは先ほどまで殺し合いをしていたんだぞ! いったい何が狙いだ?」
「狙いなんてご大層なものはねぇよ。うちのリーダーが言っただろ、武器を捨てて降伏しろって?」
「降伏させて何とする?」
「どうするんだ?」
「放す。私にわざわざ確認することではあるまい」
「リーダーのおまえが言えば説得力があるんじゃねぇかと思ったんだよ。味方があれだけ倒されりゃ、疑心暗鬼になってもおかしくねぇだろう?」
「疑心暗鬼はお互い様だ。帝国兵を武装解除しただけで解放することに、解放軍内でも反対の声はある。いまのところ、大した効果も上がっていないしな」
「ならば何のためにそんなことをするのだ?」
「解放軍は捕虜を殺さない。そう喧伝できて、帝国軍内に戦闘を避けたがる空気が広がれば、その方が互いのためにいい。殺し合うばかりが能では困る」
「わからんな。この戦いを始めたのはおまえたちの方ではないか。戦いを仕掛けておいて、それを回避したがるとはどういうことだ?」
「私たちの目的はゼテギネア帝国を倒すことだ。帝国に与する者とは戦うが、その全てを殺せば新たな怨嗟をまき散らすことになる。それでは意味がない、第2のゼテギネア帝国を生むことになるだけだ」
「甘いな。このまま放されれば、わたしはまた帝国軍に戻る。おまえたちを殺すために戦うことも厭わぬし、それこそ騎士たる者の務めと考える。わたしを解放するのなら確実にそうなるぞ。それでもかまわないと言うのか?」
「愚問だ。私は何度でも戦うし、何度でも解放する。半端に辞めるぐらいなら、最初から解放しない。満足したら去るがいい。せっかく拾われた命だ、無駄に使わないことだな」
「ちょっと待ってくれ」
立ち去ろうとする黒騎士にカノープスが声をかけたので、彼はますます理解に苦しむと言いたそうな顔で振り返った。
「せっかくだ、名前ぐらい教えてくれよ」
「そんなものを知ってどうするつもりだ?」
「今度、会った時に名前も知らないんじゃ不便だろう。よう、何だっけ? ってわけにはいかねぇし。そうそう、俺はカノープス=ウォルフっていうんだぜ」
「知っている」
「へぇ、そいつは光栄だね」
「おまえたちはゼテギネア帝国の賞金首だぞ! 知らぬわけがなかろう」
「で、あんたの名前は?」
「ヴラマンク=ロストウだ」
彼は兜をかぶり直すと、シャングリラ城の方に去っていった。
「いいのか、行かせちまって?」
「止めた方が彼のためだが、聞き入れまい」
彼女が進軍の合図を出したので、解放軍もまた進み始めた。その前を、ヴラマンク=ロストウと名乗った黒騎士がいつまでも歩いていた。
しかし解放軍がシャングリラ城を前に歩みを止めた時も、彼の歩みは止まるところを知らず、何者にも邪魔されることもなく、やがてシャングリラ城に入っていったのだった。
「今日はここで夜営だ」
解放軍が止まったのはシャングリラ城が間近に見えるところでだった。そのあいだには城の前庭しかない。
だがこれだけ接近したというのにシャングリラ城から人の出てくる気配はなく、不気味なくらいに静まりかえっている。
「どうなってるんだ、あの城は?」
「連れてきた兵士が全ていなくなったのだろう。状況を聞いてくる」
そう言うとグランディーナは歩いていった。見送るうちにその姿が物陰に隠れてしまう。
「大丈夫か、あいつ一人にして?」
「ここまで近づいても帝国軍のいる様子がないからな。だが本当に誰もいないのだろうか?」
「影が偵察できるんだから、見張りはあってもかなり緩いんだろうな。このまま攻め込んで、ガレス皇子を討つってわけにはいかねぇのかな?」
「皇子がどこにいるのかわからぬし、シャングリラ城の構造も知らぬ。数の上では有利かも知れぬが、あまり懸命な策とは言えぬな」
「だからって、ここで朝まで待ってるのも芸がないだろう?」
「ガレス皇子が我々の来るのを坐して待っているとも思えない。下手にシャングリラ城に攻め込めば、それこそ皇子の思うつぼかも知れぬぞ?」
「別にそんなことをしようとは思わねぇよ」
「ならば良い」
サラディンはそう答えると、黄昏れてゆくシャングリラ城を見上げた。
ゼノビア城の実用的な造りと大きく異なり、美しい形の城だ。大小の尖塔が5つ聳(そび)え、白亜の壁と藍色の屋根が調和している。ここに正義の女神が住んでいると言われれば、なるほどと頷かずにいられないような優美さがあった。
だが、いま、そこにいるのは、部下さえも躊躇うことなく殺すゼテギネア帝国の皇子なのである。しかも部下は一人も残っていないらしい。
やがてグランディーナが戻ってきた。彼女はいつものようにリーダーたちを集め、現在の状況を説明する。
「予想どおり、あの城にはガレスしかいない。奴はゼテギネアに使いを出したようだが誰も戻っていない。当然だな、カオスゲートの側にはギルバルドたちがいるのだから。つまり、このシャングリラには、私たちとガレスだけだということだ」
「だが今晩はガレス皇子を攻めないのですな?」
「夜はやめよう。影の報告によると、城内は吐き気がするそうだ。ただガレスが城から出てこなければ、こちらから攻めるしかない。奴が城を離れないのも何か理由があるのかもしれない。今晩、無事に済めば、明日はこちらから出向く」
「承知した」
サラディンがランスロットに雷鳴の指輪などを渡す。今回の作戦での彼の任務はとても危険なものだ。だから急遽、皆から護符が募られたのだが、出てきたのはシキュオーン=グルーナーからの精霊の護符と、カリナからのヤドリギの葉だけだったのである。
「見張りはいつもと同じでいい。明日は夜明けに発つ。解散」
それで皆が散ったが、グレッグはサラディンに近づき、魔法部隊も集めて明日の打ち合わせに余念がない。そのまま昼の話の続きもしたそうだ
チェスターは見張りを選びに行き、ユーリアはグリフォンとワイバーンの世話だ。
残ったランスロットの肩をカノープスが力強く引き寄せた。
「思えば、おまえとも短いつき合いだったな」
「縁起でもない言い方はやめてくれ。わたしはこんなところで倒れるつもりはないんだ」
「もちろん、おまえに倒れられたら俺だって困る。だから景気づけにつき合え」
「えぇ?」
カノープスが酒瓶を取り出して笑うと、どこから嗅ぎつけたのかカリナまでやってきた。魔獣部隊の面々は酒がからむと信じられないような嗅覚を発揮する。
しかしランスロットは、今日は素直に2人の厚意を受けることにした。
ガレス皇子の強さはアヴァロン島で経験済みだ。ブリュンヒルドの驚異的な威力があっても、どれだけ通用するかはわからない。強敵と戦うことに騎士としてやり甲斐は覚えるが、恐ろしくないと言えば嘘になる。だがせめて、いまはそれも酒に紛らわしてしまうのも悪くない。今宵一夜、戦いを忘れて眠るのも、必要なことではないだろうか。
そんなわけで、ランスロットは早々に酔いつぶれた。
彼が二日酔いで目覚めなければいいと思いながら、カノープスはカリナと2人、杯を傾ける。
グランディーナの天幕だけ、まだ灯りがついていた。アイーシャは今日も、ユーリアの側で休んだろうか?
シャングリラ城に突入した時、喩えようのない悪意が解放軍を包んだ。それは吐き気がすると言うも生易しく、城そのものが敵となって彼女らに襲いかかってきたようでさえあった。
しかしランスロットがブリュンヒルドを抜くと、白刃の光が柔らかく一同を包み込んだ。まるでシャングリラにいるという正義の女神が見守ってくれるようにも感じられた。
「ここで二手に分かれる。そちらはサラディンの指示に従え。先導は影に任せる。行くぞ」
シャングリラ城の内部構造はそれほど複雑なものではなかった。邪魔をする帝国兵もおらず、容易に玉座の間までたどり着いた。
玉座の間といっても、皆が想像するような豪奢な飾りつけがあるわけでもなく、ただ一人残ったガレス皇子が冷たい石の玉座に坐すだけだ。
「ようやく来たか、のろまな反乱軍め。だが、おまえらに用はない。俺が用のあるのは1人だけだ!」
しかし彼が両手持ちの斧を振り上げながら立ち上がると、ランスロットが素早くガレス皇子に突撃した。
「ガレス皇子、お覚悟を!」
アヴァロン島で戦った時は鎧の隙間に突き刺すのがやっとだったのに、ブリュンヒルドはここでもたやすく鎧を切り裂いた。しかし、その下にあるはずのものを見出すことができなくて、彼は目を背けたい気持ちになる。それでもランスロットは、ブリュンヒルドを柄まで通れと突き立てた。
「うおおお!」
ガレス皇子が両手持ちの斧を取り落とし、ランスロットの肩をわしづかみにした。その手が、鎧も変形してしまうほどの力で肩に食い込んでくる。恐怖も心をつかんだようだ。けれども彼は、聖剣をつかんで放さなかった。
サラディンの声が聞こえたのはじきのことだ。
「我は雷(いかずち)、我は風、ハーネラの力を宿す天より降(くだ)りし刃(やいば)! 受けよ、風が怒り、サンダーフレア!」
魔法使いも魔術師も、サラディンの合図で自身の魔力を彼に向けた。結果、彼が呪文とともに発したのは太い雷の束であり、それはブリュンヒルド目がけて、轟音とともにガレス皇子とランスロットに降り注いだ。その勢いは玉座の間の窓という窓が割れ、シャングリラ城自身も震えたほどだ。
さらにラウニィーとポリーシャたちもとどめの一撃を放つ。
皆の耳をつんざくほどの音を突き抜けて、漆黒の鎧から聞こえてきたのは、この世のものとは思われないような恐ろしい叫び声であった。
「ぎゃあああああ!!」
だが断末魔は唐突に止んで、鎧はばらばらに崩れ落ちた。
ランスロットも両膝を落としたが、聖剣を床に突き立てて、倒れることは免れた。むしろガレス皇子に与えた打撃の大きさを思えば、彼が火傷を負いながらも生きていられることは、奇跡にも見えた。
しかし、彼が身につけた鎧は砕けて落ちた。ガレス皇子に壊されたこともあって、鎧として形をなすこともできなくなっていた。
「ランスロット!」
カノープスが、次いでチェスターらが駆け寄った。
「わたしは大丈夫だ。みんな、心配しないで」
「強がり言ってんじゃねぇよ」
自力で立とうとした彼にカノープスが肩を貸す。
「あれほどの技を受けたのに火傷だけで済んだとは、雷鳴の指輪とは素晴らしい物なのだな」
そう言いながら、チェスターも反対から支えた。
「シキュオーンにも、助けられたよ。雷鳴の指輪と精霊の護符、どちらが欠けても、わたしが、こうして立っていることは、できなかったに、違いない」
しかし、ランスロットが皆に見せようと手を挙げると、どちらも見る間に崩れ、四散してしまった。彼にもそれはわかっていた。サラディンの発した強力な魔法が、この指輪と護符に吸い込まれるのを肌身で感じていたからだ。
「そなたを守ることで役目は終えたのだ」
「ありがとうございました、サラディン殿。これがなければ、わたしは死んでいたかもしれません」
「礼には及ばぬ。そなたに渡した品があったから、あのような術が使えた。そうでなければガレス皇子はとても−−−」
「危ない!」
グランディーナがサラディンに体当たりした、ちょうどその場所に暗黒の魔法陣が出現しかけて、すぐに消えた。だがその威力は彼女を巻き込み、傷つけるには十分なほどだった。
「そんななりになっても動けるとは大した執念だ」
彼女の視線の先にはばらばらになった鎧があった。その右手の部分だけがまるで生きているかのように動き、イービルデッドを放ったのだ。
だが、それはもう力を失っている。代わりにグランディーナの言葉に呼応して動き出したのは兜であった。目のところに赤い灯が点灯している。それがガレス皇子の生命であるかのように。
「ふははははっ!」
兜から聞こえてきた声は確かにガレス皇子のものだった。ランスロットもカノープスも、アヴァロン島で対峙した時を思い出さずにいられなかった。
「執念というなら、おまえのそれも大したものだ、ガルシア。この名に覚えがないとは言わせぬぞ。ほかならぬ、おまえの親がくれた名ではないか。おまえのことを信じている、そこのおめでたい連中に、なぜ本当の名が告げられぬのだ?」
「黙れ! 私の名はグランディーナだ!」
「これはおかしなことを言うものだ。俺はおまえがガルシアだった時をよく知っている。おまえはいつ、その名を棄ててしまったのだ? アヴァロン島で再会した時には半信半疑だった。ラシュディに育てられたおまえが、まさか裏切るとは思わなかったのでな、素直には受け入れられなかったのだよ」
「うるさい! おまえに裏切りなどと言われる覚えはない」
「子が親に楯突くのが裏切りでなくて何だと言う? おまえがラシュディに育てられたのは事実だ。親とはそういうものであろう?」
「笑止だな、ガレス。おまえに親がどうこう言われるとは思わなかったぞ」
「くくくっ、俺のことなどよりも、お仲間とやらを心配した方がいいぞ、ガルシア。そいつらはおまえが何者か知らなかっただろうし、おまえの正体を聞いて動揺も走ってるようだからな」
「言い訳などするつもりはない。確かに私は6歳ぐらいのころまでラシュディの元にいたのだからな。だからといって私が奴に恩など感じているとでも? その逆だ、奴もおまえも私が殺す。必ず殺してやる!」
ばらばらの鎧が人の姿を取って前に動いた。兜の中で赤い灯が点滅する。だがその姿は、倒される前に比べると動きも遅く、操り人形のようにぎこちなかった。
「ガレス皇子、覚悟!」
誰もが動けないでいたなか、ランスロットがブリュンヒルドで鎧を真っ二つにたたき切った。内部は空洞なのに、まるで生き物を斬るような手応えがあったのが不快だ。それによく身体が動いたものだと思う。
「おおおお! 忌々しい聖剣め! だが覚悟しろ、ガルシア! 次に会う時はこうはいかぬぞ! それまで首を洗って待っているがいい! その時までおまえが反乱軍にいられればだがな!」
派手な音を立てて鎧は崩れ落ちた。
ランスロットは聖剣に曇りひとつないことを確かめ、鞘に収めたが、その、ふだんならば何でもないような音に、皆が過剰に反応するのを見た。
その視線は彼から、やがてグランディーナに集中していった。ガレス皇子との対決で傷つき、相も変わらず動かぬ利き腕を吊った、赤銅色の髪の娘に、まるで突き刺さるような眼差しがその場のほとんどの者から向けられていた。
しかし彼女は、それらを無視して立ち上がった。ガレス皇子の座っていた玉座に近づき、その裏側に回る。
そうと気づいてサラディンも近づいた。
「待たれよ、グランディーナ殿」
呼び止めたのはチェスターだ。
「いまのガレス皇子の言葉にあなたから釈明すべきことはないのか?」
「奴の言ったことは事実だ。私が言うことはない」
「ではサラディン殿、あなたはどうなのだ?」
「わたしもかつてはラシュディ殿に師事した身、そのことを咎められるならば、言い訳はできぬな」
「しかし、あなたはドヌーブでラシュディに反旗を翻したではありませんか?」
「ならばグランディーナも解放軍のリーダーとしてそなたたちを率い、ゼテギネア帝国と戦ってきたはず、何を気にすることがある?
島の落下は止まったようだ。ガレス皇子が倒された時に動作しなくなったのだろう」
「そうか」
そう言って彼女が消え入りそうな笑みを浮かべたので、カノープスはアイーシャを連れて玉座に近づいた。先ほど彼女が受けたイービルデッドの手当ても、ましてやランスロットの傷もまったく顧みられていなかったからだ。
「ひとまず天空の島から撤退しよう。アラムートの城塞に戻って、そこであなたたちの話を聞く。それで良かろう?」
「待てよ、そんな必要ねぇだろう? おまえが誰に育てられようが、ここまで俺たちを率いて戦ってきたじゃないか。誰に遠慮することがある? おまえ以外の誰にもそんなことはできなかったじゃねぇか」
「だが、それでは気の済まない者もいるからな」
「何言ってんだよ、らしくねぇぞ!」
「すまない、グランディーナ。アラディが戻ってきたんだが、牢屋に囚人が閉じ込められているんだ」
「解放するだけでは済まないのか?」
「それがデボネア将軍らしいんだよ」
「何ですって?!」
すかさず血相を変えて詰め寄ったのはノルンだ。
「クアスはどこにいるの?! すぐに案内してちょうだい!」
「ノルン、私も行くわ」
「頼む、カノープス」
「承知した」
グランディーナの傍にはサラディンやアイーシャもいるし、ランスロットも来た。皆の雰囲気は険悪だったが、彼女に「頼む」とまで言われては断れない。カノープスはアラディとともに、ノルンとラウニィーを伴って地下に降りていった。
実際のところ、シャングリラ城に牢屋などなかったのだが、地下の一室が当てられたらしい。クアス=デボネアはそこに閉じ込められていた。
「誰だ? そこにいるのは? ガレスは、ガレス皇子はどこだ?」
「クアス! 生きていたのね、クアス!!」
真っ先に飛び込んだノルンがデボネアに抱きつく。彼は身体中に鎖を巻きつけられ、憔悴しきった顔で床に転がっていた。
部屋の中には空になって何日も経っていそうな皿があり、汚物などのために酷い臭いが充満していた。
カノープスもラウニィーも部屋に入るのを躊躇ったほどだが、ノルン一人でデボネアを担ぎ出すのは無理だ。やむなく彼とアラディが入り、デボネアを廊下に引っ張り出して、ラウニィーが急いで扉を閉めた。
「ノルン? 君か? どうして? どうしてこんなところに?」
「くわしい話は後で。いまは傷を手当てしないと」
「ガレス皇子はどうなった? 反乱軍が来たんじゃないのか?」
そう言ってから、デボネアは初めてカノープスに気づいたようだ。
「君は、反乱軍の?」
「解放軍のカノープス=ウォルフだ。あんたとは面識はなかったな」
デボネアは彼の言葉に笑顔を浮かべた。
「そうだったな、君たちは解放軍だった」
「ノルンの言うとおり、いまは傷の手当てに専念するんだな。俺たちも撤退しなけりゃならないし、ちょっと立て込んでるんだ」
「すまない」
「あんたが謝ることじゃないさ」
「カノープス、隣の部屋で殺されていた者がいましたが、いかがいたしますか?」
アラディがこっそり耳打ちする。
「知った顔か?」
「おそらくはガレス皇子の親衛隊の1人だと思いますが、顔が判別できないものですから」
「おまえ、デボネアを連れていってくれ。俺がそっちを見に行く」
「承知しました」
ラウニィーもノルンも不思議そうな顔をしていたが、いまはデボネアの方が優先だと思ったらしく、外に出ていった。シャングリラ城の前庭に池があり、デボネアの汚れた身体はそこで洗うことができたはずだ。
カノープスはアラディの教えた部屋に行ってみたが、予想どおり、ヴラマンクが無惨な姿で殺されていた。
「あの時、あんたを無理にでも引き止めてたらな」
彼の漆黒の鎧は、まるで人の仕業とは思えぬような力で破壊されている。十中八九、ガレス皇子のしたことなのだろう。ランスロットの鎧も、同様に肩当てが凄い力でねじ曲げられていた。
「だけど、俺が言いたいのはそんなことじゃねぇよ。何のために戻ったんだ、あんた? ガレス皇子のために戦ってたのに、どうして殺されなけりゃならなかったんだ?! 畜生!」
ラウニィーたちが外に出ると、カノープスを除く全員が外におり、ほとんどの者が発つ支度をしているところだった。デボネアの世話をノルンに任せてラウニィーが見ていると、グランディーナ、サラディン、ランスロット、ユーリア、アイーシャ、それにカリナというホークマンと魔獣以外の者は先に発つようだ。
「ご苦労だったな。デボネアの様子はどうだ?」
「大した怪我は負っていないわ。酷く憔悴(しょうすい)していたけれど、体力はあるはずだもの、じきに回復するでしょう。それよりも、あの人たちはなぜ先に発つのかしら?」
「私がいては話しづらいことも多かろう。思う存分、話させた方がいい」
「カノープスも言っていたけど、あなたらしくないわね、そういうの」
「私は独裁者じゃない。聞くべき意見は聞く」
「グランディーナ、まさかと思うが」
「私は解放軍を辞めるつもりも、リーダーを降りるつもりもない。それに話は聞くが聞き入れるとは言ってない」
「ならば、いいんだ」
そこへデボネアとノルンがやってきた。ラウニィーが見たところ、牢で見かけた時よりもデボネアの顔色は多少、良くなったようだ。
「大丈夫か、デボネア? 酷い目に遭ったな」
「グランディーナか。そうか、ガレス皇子を倒したのだな。エンドラ陛下を説得しようとしたのだが、逆に裏切り者と罵られ、捕えられてしまったよ。どうやら、君たちの方が正しかったようだな。いまさら虫のいい話だと思うだろうが、このわたしを仲間にしてくれないか?」
「帝国に剣を向ける覚悟はできたというわけか」
「そうだ。この命果てるまで、君とともに」
それから、ようやくカノープスが戻ってきたので、グランディーナは出発を言い渡し、3頭のグリフォンとワイバーンに分乗していくことになった。
「俺は飛んで追いかける。カリナ、つき合えよ」
「いいっすよ」
カノープスとカリナがそれで先に飛び立ったので、残る8人がグリフォンとワイバーンに2人ずつ乗った。グランディーナとデボネアがエレボス、サラディンとノルンがピテュス、ランスロットとラウニィーがピタネ、ユーリアとアイーシャがミニュアスという組み合わせだ。
途中はどこにも寄らず、カオスゲートのところまで一直線ということだった。
「ランスロット=ハミルトン、あなたはさっき、何も発言していなかったと思うけど、どう思ったの?」
「驚きました」
「それだけ?」
「いえ、とても驚いたのですが、わたしはこの戦いが始まる前に彼女に騎士として剣を捧げました。ですから、その気持ちにはいまも変わりがありません」
「解放軍にはトリスタン皇子もいらっしゃるわ。なぜゼノビア人のあなたがそうしないのかしら?」
「お言葉ですがラウニィー殿、一度、剣を捧げた騎士が二君に仕えるなどあり得ません。この戦いが終わるまで、わたしの剣は彼女のものです」
「失礼なことを言ってしまったわね」
「いいえ、ご理解いただけて幸いです」
「私はカノープスに賛成よ。リーダーにはトリスタン皇子の方がおふさわしいと思う気持ちに変わりはないけれど、自分で決められない出自を他人にとやかく言われる覚えはないわ」
「皆もそう思ってくれればいいのですが、こればかりは命令できるものでもありませんからね」
「そうかもしれないわね」
シャングリラ城に突入したのは朝方だったが、発つ時には陽もだいぶ西に傾いていた。
グランディーナたちがアラムートの城塞に戻ったのは金竜の月22日で、チェスターら本隊はそれよりさらに2日遅れた。
そのままグランディーナが解放軍の全体会議を招集したのは、全員がアラムートの城塞に戻った金竜の月24日のことであった。
[ − 戻 る − | − 続 く − | 目 次 ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]