Stage Eleven「誓いの剣」
4階の会議室は、廊下まで人が溢れ返って盛況と言うのも不謹慎なぐらいだった。
グランディーナはいつもの席に座っている。
右隣にサラディン、左隣にトリスタン皇子という布陣も前回と同じだ。
トリスタン皇子の側にアッシュ、ウォーレン、マチルダ、ポリーシャと並び、サラディンの側にギルバルド、カノープスと並んで、ランスロットの席も確保されていた。
ケインはトリスタン皇子とアッシュの後ろに立ち、なぜかラウニィーまで同じところだ。
ノルンの姿がないのは、デボネアの回復が遅れているからかもしれない。
グランディーナの向かいにヨハンを中心にケビンとチェスターが坐しているが、なぜかヨハンは居心地が悪そうだ。
その周辺にグレッグやペパーミント=フェッシュが座り、あとの席には座れた者が雑多にかけ、そうできなかった者のほかに、言いたいことがありそうな者から単なる野次馬まで押しかけていた。
ランスロットとカノープスが席に着くと、サラディンが立ち上がった。皆のざわめきは収まらなかったが、彼がかまわずに話し始めると、話し声も徐々に止んでいった。
「わたしが進行役を務めるのが適当とも思えないが、話は速い方が良い。早速、始めるとしようか」
すかさずかみついたのはチェスターだ。
「この件について、あなたは中立の立場にはない。僭越ながら申し上げるが、進行役はトリスタン皇子にお願いしたい」
「サラディンを中立でないと言うのなら、わたしも中立とは言えない。断ろう」
トリスタン皇子の思わぬ回答に、チェスターは面喰らったようだ。
「なぜ、そのように仰せられます?」
「わたしは彼女に替わって解放軍のリーダーになるつもりはないからだ。中立とは言えなかろうが、君の満足するような中立の者とは、いまだに立場を決めかねている者のことではないのか? そのような者が進行役を務めるのも適当とは思えないな」
「ですが、解放軍のリーダーがラシュディの娘であっていいはずはありますまい?」
「ラシュディがわたしたちの敵だからか? ならば、ラウニィーやサラディンも解放軍にいるのは許されないことになる。それはあまりに短絡的な意見だ。解放軍はこれまで、そんな単純な言い分は主張してこなかっただろう?」
「しかし、サラディン殿もラウニィー殿も解放軍のリーダーではありません。2人が帝国と関係があろうが、我々は逆に宣伝できます」
「では逆に訊こう。なぜ、わたしを解放軍のリーダーにと願う? 答えはわかりきっているな。わたしが神帝グランの息子だからだ。ゼノビア、ホーライ、ドヌーブ、オファイス王国のなかで生き残った、ただ一人の王族だからだ。だが、それだけだ。あいにく、わたしは解放軍の結成時からいるわけではない。むしろ、君たちより参加は遅いくらいだ。それに、わたしは解放軍のために貢献してきたつもりもないし、これからも解放軍のために身を粉にして働くつもりもない。そのような仕事は彼女に任せる。わたしたちのあいだでは、とうに解決している話だ」
「ですが、ラシュディの娘が解放軍のリーダーでは、あまりに外聞が悪すぎます。帝国軍がこの点を喧伝してきたら、人心はたちまち離れていきましょう。解放軍と名乗ることさえできなくなるかもしれない」
「その危険性も承知の上で、彼女に解放軍のリーダーをやってもらうことにしたんだ」
「ですがラシュディのことです。我々の知らないところで罠を仕掛けていないとどうして言えましょう? 確かに現状、我々は帝国相手に勝ち進んでいる。それがいざ、ラシュディを前にした時にこの娘に裏切られないと、誰に保障できます?」
「そのことならば、彼女から答えてもらった方がいいだろう」
突然話を振られて、興味なさそうに窓の外を眺めていたグランディーナが振り返った。
「そんな保障、誰にもできるわけがない。私だけでなく、あなたたちもだ。あなたたちにラシュディが罠を仕掛けていないと誰に保障できる? そんな話、するだけ無駄だ」
「そんな詭弁には騙されんぞ!」
チェスターが勢いよく立ち上がったが、対するグランディーナは座ったままだ。
「私の言うことは詭弁で、あなたの言うことは正論か。つまらない話だな。物心もろくについていない時のことをことさらに責められても迷惑だ。最初から事実を話さなかったことをあなたたちに責められてもしょうがないと思っているが、責任の取れないことを言われてもお話にならない」
「ラシュディの娘であることを責任が取れないと言い張るのか?」
「そうだ。私が選んでそうなったわけじゃない。誰も親は選べない。責任など取れるものか。それに、あなたはさんざんラシュディの娘と繰り返しているが、私は奴を親だと思ったことなど一度もないし、私が覚えている限りでも奴が親らしいことをしたこともない。親と言ったのはガレスで、あなたはそれに踊らされているだけだ」
チェスターがとっさに反論できずにいると、グランディーナは身を乗り出した。
「冷静に考えてみてくれ。なぜガレスがあの時にあんなことを言ったのか? 今度のことで得しているのは誰か? 私でもあなたでもない。解放軍の誰も得などしていない。利を得たのは帝国だけだ。それだって、これから手間暇かけて宣伝し続けなければ、役に立たない話だろう。ガレスは私たちを分裂させるために、あんなことを言ったんだ」
「グランディーナ殿の言うとおりだな。ラシュディを憎むおぬしの気持ちはわからなくもないが、どう考えてもラシュディとガレス皇子に踊らされているとしか思えん。少し頭を冷やせ、敵に翻弄されるなど、おぬしらしくないぞ」
チェスターはケビンを睨みつけた。相手が彼以外の誰でも頭ごなしに怒鳴りつけただろうが、この時はいろいろなものと一緒に呑み込んだようだ。立てる音も荒々しく椅子に座り直した。
だが、てっきりチェスターともども反グランディーナの先鋒となると思われたケビンのこの反応は、ランスロットやカノープスには良好と見えた。
「サラディン殿、あなたは以前にグランディーナ殿を助けた方だ。ラシュディとの関係をどのように考えられたのですか?」
その質問も、好奇心丸出しの話に比べれば、よほど理性的である。
「育ての親が誰であろうとグランディーナはグランディーナだ。だが、そなたたちのそのような対応は予想していた。だから何も言わなかったのだ」
「それではあなたは育ての親がラシュディであろうと何も問題はないと仰るのか?」
チェスターが即座にかみついたが、サラディンの声音は穏やかで、相手のけんか腰の態度も柳に風と受け流すかのようだ。
「そうだ。こんなことをしているあいだにも帝国がどのような手を打ってくるかわからぬ。わたしは時間を無駄にしたくない。こんな会議など辞めて、結論を出すわけにはいかぬのか?」
「結論だと?! その娘を解放軍のリーダーにしておくという結論か?!」
「トリスタン皇子が辞退された以上、ほかに誰ができると言うのだ? そなたの言い方では誰も引き受けるとは言えなくしてしまった。あるいはそなたがやると言うか? そうできぬことはそなた自身がよく知っているはずだ」
サラディンの言葉にチェスターは反論できないようだ。だがその表情からは歯ぎしりの音が聞こえてきそうで、会議室には重苦しい沈黙が下りていた。
しかし、そのような言い方をするならば、トリスタン皇子がリーダーを断った時点で話の趨勢は見えていたのだ。それを先も見ずに引き伸ばしたのはチェスターの方だった。
すかさずグランディーナが立ち上がる。彼女は腰の剣を抜き放つといきなり自分の前の卓にたたきつけ、皆の視線をかなり強引に自分に集めた。主に反対派を見据えたその眼差しは、相も変わらず手負いの姿でありながら、誰にも反対を許さぬ強い意志を見せつけているかのようだ。
「あなたたちの言いたいことは、どうやらそれで終わりのようだな。ならば、私の言い分はこうだ。私は最初からあなたたちを利用するつもりで解放軍を立ち上げた。1人でゼテギネアへ行くよりもその方が楽だろうと思ったからだ。ラシュディとガレスを倒す。そのためには聖剣だろうと天空の三騎士だろうと利用できるものは利用させてもらう。だから、あなたたちも、せいぜい私を利用するがいい。この剣の腕前もこの身も名も、利用できるものはいかようにも使うがいい。それでゼテギネア帝国を倒し、ラシュディとガレスを討てるのならば安いものだ。そうではないのか?」
「何をぬけぬけと言うか! それにご自慢の腕前とやらはバルモアから戻ってきて以来、動かぬままではないか。この先もいつ動くのかもわからぬ、それでどうやって利用せよと言うのか聞きたいところだ」
「そんなことはあなたに心配されるに及ばない。いままで、私の腕が動かなくて不都合があったか?」
「何を言うか。そのせいでアラムートの城塞攻めでは死者を出したのだぞ。シャングリラでは無事に済んだが、この先、また同じことがないとは限るまい? それが不都合でなくて何だというのだ?!」
「戦に死者はつきものだ。現に私たちは帝国軍を殺している、解放軍だけ死者がなくて済むということはあるまい」
「だったら、死者に対して、どう責任を取るつもりだ?!」
「そんなものはゼテギネア帝国を倒してから考える。案ずるな、誰もあなたのせいだとは言うまい」
「何だと?!」
「そうだ、やっと合点がいきました。チェスター、あなたは誰かの死をグランディーナ殿のせいにしたいだけなのではないですか?」
「何を言うか、ヨハン?!」
「確かにわたしたちにもラシュディを倒したいと思う気持ちはあります。ですが、あなたの反応は過剰だ。何かあると考えない方がどうかしている」
「ならば2人ともそこら辺でやめてくれ。ホーライ王国の同志として、また友として、このような事態に私怨で動くような恥さらしな真似はごめんだ」
「ケビン?!」
解放軍一恰幅の良い彼が立ち上がると迫力がある。ましてやチェスターを見下ろした視線は冷たく冴え、自分が睨まれたわけでもないのに、多くの者が肝を冷やした。
この2人が親友同士であることは皆が知るところだが、その所作は対照的で、チェスターの動に対し、ケビンは静と言われる。訓練の最中でも彼が雷を落とすことは滅多にないものの、ひとたび落ちれば、その重みは解放軍でも随一の重量級なのだった。
そのケビンがうるさ型のチェスターを非難して立ったのである。2人の周りから離れたくなるのも人情というものだろうが、あいにくと会議室には人が入りすぎていた。押し合いが始まって、廊下までざわついた。
しかしケビンが席を離れたので、皆が一斉に黙る。
彼はそんな者たちには目もくれず、真っ直ぐにグランディーナを目指した。
親友に恥とまで言われたもので、さすがのチェスターも黙り込んでしまっている。
皆が見守るうちにとうとうケビンはグランディーナの目前まで来て、愛用の長槍をその前に置いた。
さすがの彼女も彼を無視するわけにはいかない。不思議そうな顔で見上げている。
「グランディーナ殿、このたびは我がホーライ王国の同志が事を大きくしてしまったことをお詫びいたす。ゼテギネア帝国を相手に一丸とならねばならぬ時に、解放軍分裂の危機を招くようなことをするとは我が不覚のいたすところ、どのような罰もお受けする」
「何を言うのだ、ケビン? 騒ぎを大きくしたのはわたしだ、おぬしが−−−」
「おぬしでは意味のないことがわからんか! あれだけ言いたい放題に言っておいて、いまさら罰を受けるもないものだ。おぬしは黙っていろ!」
「何だと? おぬしの出しゃばりになど助けられたくないわ!」
「出しゃばりだなどと、おぬしに言われる覚えはない!」
「2人ともいい加減にしてください!」
ヨハンが声を張り上げなかったら、ケビンとチェスターはいつまでもそうしていたか、とっくみあいの喧嘩まで始まっていたかもしれない。しかし彼の言葉に2人は我に返り、ばつが悪そうに黙り込んだ。
グランディーナが静かに応える。
「誰にも罰など与えるつもりはない。それに、私がリーダーであることで解放軍にいられないと思う者は立ち去るがいい。私はあなたたちを引き止めようとは思わない」
「し、しかし」
「私は誰も裁かない。私の仕事はゼテギネア帝国を倒すことだけだ。不満がある者は去ればいい。また解放軍に戻ってくるのも吝(やぶさ)かではない」
急先鋒だったチェスターが黙ってしまったいま、反論の声はもはや上がらなかった。それにカノープスから見れば不器用なまでに同じ態度を貫くグランディーナに、疑いを抱く者はいなくなっていたのである。
彼女は立ち上がり、皆を見渡した。会議室から出ていこうという者はいない。
「話が済んだならば、あなたたちに紹介しておく者がいる。
入っていいぞ」
現れたのはデボネアとノルンだった。シャングリラで見かけた時のやつれはかなり回復したようで、以前の精悍さを取り戻している。彼は皆を見回すと、頭を下げることなく、こう言った。
「ゼテギネア帝国の四天王だったクアス=デボネアだ。故あって解放軍に加わることになった。よろしく頼む」
皆はざわめいたが拒絶するような反応は見られず、むしろ思わぬ大物の参戦を歓迎するような空気さえ漂った。
グランディーナが受けるように話を続ける。
「それと我々の次の目的地だが、ガルビア半島へ向かう。そこに天空の島へ至るカオスゲートがあるのと、影の報告では四天王の1人、フィガロがいるからだ。目的はラシュディの護衛だが、奴は我々が着くころにはいないと思って間違いないだろう。今日はシャングリラから戻ったばかりの者もいる。明朝、出発するので各リーダーは至急、遠征に加わる者を選べ」
「フィガロがいるのなら、わたしも行く。彼とは親友同士だ、説得したい」
「良かろう。その代わり、あなたの小隊には、ゼノビアで加わった部下たちを入れるぞ」
「望むところだ」
「私も一緒に行くわ」
「ノルン、君には危険だ」
「いいえ、もう絶対に離れない。今度、あなたに何かあったら、私は死にます。足手まといにはならないわ、クアス」
「しかし」
「私も行くわ、デボネア。フィガロ将軍も知らない人ではないのだもの、いまは敵だからといって、見過ごすわけにはいかないでしょう?」
「ありがとうございます、ラウニィー殿」
「堅苦しい言い方はやめましょう。私たちはともにゼテギネア帝国と戦う同志なのではないかしら?」
「はい」
そのあいだに皆は解散し、リーダーたちが集まって、誰を行かせるか話し込んでいる。
シャングリラから帰ってきた者たちは適宜休んで、遅くなった昼餉の支度も始まっていた。
結局、最後まで会議室に残ったのは、ランスロットにギルバルド、それにカノープスだった。
「意外と大したこと、なかったな」
「十分、大したことだったように思うがね。だが、チェスターはトリスタンさまのご意向は知らなかったのかもしれないな」
「一昨日の話を聞く暇もなかったろうからなぁ。まぁ、あいつの動機が何であれ、最初からアッシュの言ったように大したことじゃなかったのさ」
「人の噂も七五日と言う。皆もそのうちに気にしなくなるだろう。解放軍がここまで実績を積んできたのは幸いだった。これがもっと早い段階のことならば、取り返しのつかない事態になっていたかもしれない」
「そうだな」
「というわけで、せっかく全員、揃ってるんだ。今夜はひとつ無礼講といかねぇか?」
「カノープス、明日からガルビア半島に行くんだぞ。そんな呑気なことを言ってられないだろう」
「堅いこと言うなよ。
たまにはホーライの連中と飲んでみるのもいいかもしれねぇぜ?」
「あんなことがあった後だからな。酒に流してしまうのも悪くないかもしれん」
「ギルバルド、あなたまでそんなことを」
「参加するしないは個人の自由だ。
さぁ、行こうぜ。とっとと支度しておかないとな」
「だからって、君はわたしが行かない自由は認めてくれないだろう?」
「おまえのは義務だ」
「そうだな。いずれ国を担おうという人物が宴会にも出ないような堅物では部下が困る」
右からカノープス、左からギルバルドがランスロットの腕をつかんだ。
異論も反論も許されず、彼が引きずられていくのを大勢の者が目撃した。
それで、何のおふれもなかったにも拘わらず、夜は宴会だという話が広まって、ごく少数の者を除いて、これまた大勢が参加したのだった。
しかし、ランスロットにとってせめてもの慰めは、ケビンやチェスターも参加して、酒の席とはいえ、大いに盛り上がり、少しでもわだかまりを解消したことであった。