Stage Twelve「天空の騎士」
「昔々、人間とオウガが大陸の覇権をめぐって争ったことがある。戦いは何千年にも及んだという。人間は神を、オウガは悪魔を味方につけ、戦ったが、圧倒的な数と力を誇るオウガにくらべ、人はもろく弱かった。ついに人間がカストラート海の縁に追いつめられた時、天より3人の騎士が舞い降りた。12人の賢者を従えた三騎士は、最後の決戦を挑み、見事、オウガたちをうち滅ぼしたのじゃ。戦いを終えた三騎士は天へ帰り、あとには一本の剣が残された。聖剣ブリュンヒルドがな。こうして、我々人間がこの大地の主となったのじゃよ」
「おまえたちは反乱軍だな?」
真紅のお揃いの鎧の上に着る外套を身につけた騎士たちがカオスゲートを取り囲んでいた。
「あなたたちは、帝国軍ではなさそうだな?」
グランディーナの回答に1人の騎士が進み出る。
「我々は赤炎のスルストさまにお仕えするムスペルム騎士団、わたしが騎士団長のファーレン=ホールンスヘルンだ」
「ムスペルム騎士団が何の用だ? 赤炎のスルストはどうした?」
「スルストさまの命により、おまえたち反乱軍を捕える。抵抗はするな、我々も無闇に危害を加えるつもりはない。ここはおとなしく従ってもらいたい」
「スルストがなぜ私たちを捕えようとする? 私たちはゼテギネア帝国と戦うため、天空の三騎士の力を借りに来た。私たちを捕えよとスルストが命令したと言うのなら彼はゼテギネア帝国に与したと考えてもいいのか?」
「ならば、どうすると言うのだ?」
「知れたこと!」
その時のグランディーナの動きは速く、すぐ側にいたランスロットにも止められなかった。彼女はファーレンの首筋に剣を突きつけていた。
「天空の三騎士だろうとゼテギネア帝国に与するならば私たちの敵だ。動くな!」
ムスペルム騎士団の者たちは動揺したが、ファーレンはそれほどでもない。静かにグランディーナを見下ろし、ひとつ息を吐いた。
「実は、おまえたちに頼みがある」
「捕えるの次は頼みか。どんな用事だ?」
グランディーナは剣を引っ込めないが、ファーレンはまるで気にしてない様子で続ける。
「我らが主、赤炎のスルストさまはどうやら操られているようなのだ。先日、カオスゲートから現われた魔導師がムスペルム城をおとなってから、スルストさまは突然、反乱軍が現われたら捕えろと言い出した。だが、我々ムスペルム騎士団はムスペルムを守るのが仕事、地上の争いに関与することはない。スルストさまもそのことはご存じだ。これはスルストさまがその魔導師に操られているとしか考えられないだろう」
ここでようやくグランディーナは剣を収めた。
彼女は皆を振り返り、休息を言い渡すと、ファーレンと2人だけで話し始めた。
どうなることかと見守っていた解放軍もムスペルム騎士団も、やっと肩の力を抜いた。
「わたしはサラディン=カームと申す。あなた方、ムスペルム騎士団について伺ってもよろしいかな?」
「何なりと、サラディン殿。私は副団長のマリオン=カナールといいます」
肌の黒っぽい中年女性が差し出された手を握り返す。よく見るとムスペルム騎士団には女性が何人も混じっていたし、ゼテギネアでは珍しい黒い肌の者も何人かいた。彼らはボルマウカ人として知られる人びとと、共通の祖先を持っているのだろう。
「先ほどはあのようなことをして失礼しました。部下たちに飲み物を運ばせています。どうか、おくつろぎください。ここは地上より暑いでしょう?」
「そうですな」
確かに彼女の言うとおりだった。ましてや解放軍は厳寒のガルビア半島から来たばかりで、皆は汗だくになっていたのだ。防寒具と冬服を脱ぎ、またドラゴンに積み直した。しかし、いちばん体の大きいプロミオスに荷を積めないのは不便としか言いようがない。下手に可燃物を載せると、すぐ発火してしまうからだ。
「先ほど団長も申し上げたとおり、私たちは天空の三騎士のお一人、赤炎のスルストさまにお仕えしています」
「天空の島の方々は、オウガバトルの後に地上での絶えぬ争いを憂えて島に昇ることを許されたと記憶しておりますが、このような地になぜ騎士団があるのですか?」
「お恥ずかしい話ですが、戦いを棄てたはずの私たちのあいだでも小競り合いを起こす者がいます。天空の島は天空の三騎士の方々が治めているので、私たち騎士団の役割はその手足となって掟を破った者を捕まえたりすることになります。三騎士の方々が裁き、私たちはその実行部隊ということです。そのために私たちには剣を持つことが許されているのです」
「なるほど、よくわかりました。ではこの島で、あなた方のように紅い外套を身につけていない者が武器を持っていた場合、よほどのことがない限り、我々解放軍か、帝国軍の者ということになりますね?」
「そうです。ですがスルストさまは、あなたたちを反乱軍と仰いましたが?」
「我々はゼテギネア帝国に反旗を翻した者です。帝国から見れば反乱軍に過ぎないが、当初から帝国の圧政からの解放を掲げ、解放軍と名乗っておりました」
「そうでしたか。よくぞ、このムスペルムまでおいでくださいました。さあ、さっさと帝国のやつらを追い出しなさい! この野蛮人どもめ!」
言うなり、カナールは杯の中身をサラディンにぶちまけた。
手の平を返したような態度に解放軍は驚いたが、当のサラディンが腰を下ろしたままだ。彼は袖で顔をぬぐったが、ぶちまけられたのも水であった。
「ようやく本音が出たようだな」
「これが我らの偽らざる気持ちだ。天空の三騎士殿の力を借りたいだと? たかが地上の争いに半神たる御方を巻き込もうとは身の程知らずにもほどがある」
「だからあなたたちは甘いと言うのだ」
「何だと?」
カナールばかりか、ムスペルム騎士団の全員がサラディンを睨みつける。
だが彼の態度は変わらない。それで解放軍の皆も、事の成り行きを見守ろうという気持ちになれた。
「半神たる天空の三騎士を操ることのできるラシュディ殿の力を、あなたたちは甘く見すぎている。それに、これが地上だけの争いだと思っているのか? それほどの力を持つ方がたかがゼテギネア大陸の覇権を欲していると思っているのか? その程度の方ならば苦労することもない。この不肖の弟子が倒してみせよう。だが、あの方の狙いはそんなところにはない。決してそんなものではないのだ」
彼の口調は穏やかだったが、そこに込められた気迫には並々ならぬ覚悟が感じられた。
カナール以下、ムスペルム騎士団は思わず後ずさり、そこへグランディーナとファーレンが戻ってきた。
彼女は解放軍を集め、ファーレンもムスペルム騎士団を招集する。
「状況は先ほどファーレンが言ったとおりだが何点か補足する。ラシュディはムスペルムにいない。オルガナかシグルドに向かったのだろう。少数だが帝国軍も乗り込んできている。彼らはスルストの居城、ムスペルム城にいるらしいが、ムスペルム騎士団の者も若干混じっているそうだ。よって、私たちはこのままムスペルム城に向かう。この島はシャングリラより小さいが、あの火山、ムアスカル山を迂回しなければならない。ムスペルム城までは2日ほどかかるそうだ」
「騎士団の助力はいただけるのか?」
先ほどの件があったので誰もそんなものは頼みたくなかったが、サラディンが冷静に尋ねる。
「帝国軍が乗り込んできた時に何もできなかった人たちだ。戦力として当てになるとは思えない。頼めることはせいぜい道案内だろう。それもファーレンが買って出た」
「ラシュディ殿の力で操られているスルスト殿をどうするつもりだ?」
「倒す。ファーレンが言うには、天空の騎士は半神のために、殺されても、じきに生き返るそうだ。殺すほどの衝撃を与えればラシュディの呪縛から解放されるだろう」
「ならば、スルスト殿のお相手はわたしが引き受けよう」
「クアス?!」
デボネアはノルンを制しながら続けた。
「悪いが、このなかでわたし以上の腕の者は君以外にいないと見た。天空の三騎士ほどの方が並みの剣士で相手になれるとは思えない。そうではないか?」
グランディーナはデボネアと正面から向き合った。やがて、彼女はランスロットを見た。
「デボネアに聖剣を渡せ」
言われてブリュンヒルドがやりとりされる。
ランスロットのシャングリラで負った怪我はまだ全治していない。それだけでなくても、彼には自分がデボネアに敵わないことはわかっていた。ゼノビア城での戦い以来、彼も様々な戦いを経てきたが、デボネアとは天賦の才が違うという自覚はあった。
先にムスペルム騎士団の方が解散し、ファーレンだけが残っていた。
「ムスペルム城まで案内しよう。悪いが、このような事態だ。騎士団には各都市の自警に当たらせることにした」
グランディーナが頷く。
「ファーレン殿、ラシュディ殿はすでにオルガナかシグルドに向かったとのことだったな?」
「そうだ」
「あの方が使ったのは、どのカオスゲートだ? あるいは別の手段があるのか?」
「ムスペルムには特別なカオスゲートがある。オルガナとシグルドに行くことができるが、天空の三騎士殿の御力でしか開けない。ラシュディとやらはそれを使ったのだろう。スルスト殿がカオスゲートを開いたという報告も聞いている」
サラディンが頷き、グランディーナは皆にムスペルム城に向かうよう指示した。
かくして解放軍はムスペルム城を目指して発った。雷竜の月22日のことである。
ムスペルムの気候は地上よりも暑く、厳しい日差しが一行に照りつけていた。加えて島の中央にシュレフ火山地帯がある。アヴァロン島にも火山はあったが、これほど活発ではなかったし、ムスペルム自体が狭い島なので、火山の影響も受けて暑くなるらしい。他の山々もムアスカル山ほど頻繁ではないが、どれかの山がいつも白煙を吐き続けている。
「あの山が噴火したことはないのか?」
「記録に残っている限り、ないな。スルストさまは炎の女神ゾショネルさまの加護を受けた御方だ。あの火山はその象徴のようなものだとか。一説にはムアスカル山が煙を吐かなくなった時、ゾショネルさまの加護が失われ、ムアスカル山が噴火する時にはムスペルムが滅びるのだと聞いている」
「スルスト殿は太陽神フィラーハにお仕えする騎士だと聞いたが、ゾショネルの加護もいただいているのか?」
「そうだ。全ての生き物は四神のどなたかの加護をいただく。スルストさまも例外ではない」
サラディンとファーレンの話には皆が耳を傾けていたが、グランディーナが振り返り、また前方に向き直った。
ランスロットたちも、四神の加護が当たり前のように言われても自覚がない。四神の誰に加護されているのか、わかっている者など、ごく少数だ。
四神、つまり大地のバーサ、水のグルーザ、炎のゾショネル、風のハーネラは誰もが、ゼテギネアではそれほど親しみやすく、また縁遠いとも言える。人びとは気楽に女神の加護を願い、その頻度は主神フィラーハの比ではないからだ。
春の日、種まきの前に大地の女神バーサに願い事をせぬ農夫はない。昨年の実りが厳しいものであったなら今年は豊かであるように、昨年の実りが豊かであれば今年も足りるように誰もが祈る。その代わり、収穫の時には誰もがバーサに感謝を捧げることを忘れない。バーサを讃え、実りを祝う祭りは各地で開かれる。
水の恵みを願い、女神グルーザへの祈りも欠かせない。水不足は地域によって深刻なものとなるし、かと思うと多すぎる地域もある。足りぬことも多すぎることもないように、人びとはグルーザに願い、祈る。一方でお産に水はつきものと、人であれ家畜であれ、無事な出産を水の女神に願う地方も多い。
新しく家を建てる時、結婚する時、竈(かまど)に幸運を願わぬ者はいない。炎の女神ゾショネルはその象徴だ。新しい家庭が円満であるよう、新婦が料理上手に一家を切り盛りできるよう、誰もがゾショネルの祝福を願う。寒い冬にも、もちろんゾショネルの加護が必要だ。炎の暖かさが人びとに冬を乗り切る力を与えてくれる。
風の女神ハーネラは旅人の神である。遠き地よりの頼りを待ち望む時、己が旅に出る時、人はハーネラの祝福を願う。海沿いの者ならば、さらに願いは切実だ。良き風が吹くように、と願わずにいられる船乗りはいない。もちろん風も適当に吹くのが望ましい。
このように、四神への祈願はしょっちゅう行われるのだが、さて、ファーレンの言う四神の加護となると、誰もがとんと心当たりがないのだった。
「しかし、ゾショネルさまがムスペルムに降臨したとは記録にない。フィラーハさまも同じだ。天空の島は本来、三騎士の方々に与えられた島で、わたしたちはそこに住むことを大昔に許されたに過ぎない」
「ゾショネルの加護はラシュディ殿の力の前には、さしたる効果はなかったようだな?」
ファーレンは嘆息する。
「わたしにはわからない。フィラーハさまにお仕えするスルストさまが、なぜ守られなかったのかは誰にもわかるまい。だが地上のことに神々は介入できないとも聞いている。ラシュディがいくら強力な魔法の使い手でも、地上の者である限り、神々が手を下すことはできないのだろう」
「では私たちがスルストを殺しても、神は咎めないということだな?」
「そうだ、倒せるものならばな」
「あなたたちはスルストに抵抗しなかったのか?」
グランディーナの口調はいつものように淡々としていたが、ムスペルム騎士団長は皮肉ともとれる、その物言いに、しばし苦り切った表情で沈黙した。
「おまえたちはあの方の強さを知らないから、そんなことが言えるのだ。それにスルストさまはオウガやサタンとも戦った御方だぞ、わたしたちなど敵うはずがない」
「あなたたちは天空の島の住人だが、私たちと同じ人間だ。スルストは、あなたたちを殺すことができないのではないのか?」
「だが、いまのスルストさまはふつうの状態ではない。誤って我々を殺したことで、スルストさまが咎められるようなことがあっていいはずがない! それではわたしたちムスペルム騎士団の名折れだ」
「なるほど」
大して納得もしてなさそうな顔でグランディーナは頷いたが、騎士としてランスロットはファーレンに同情するところがあった。しかし彼女は容赦がない。
「名折れといえば聞こえはいいが、要はあなたたちではスルストを解放できそうにないから、私たちにやらせようということだろう。あなたたち天空の島の住人は、私たち地上の人間が殺されても痛くもかゆくもないのだろうからな」
「わたしたちはスルストさまと戦おうとは考えられない。あの方に敵わないとわかっているし、我々も含めてムスペルムの民はあの方を慕っている。スルストさまを助けるためにスルストさまが咎められるようなことには、できるだけしたくないのだ」
彼女は肩をすくめた。
「スルストというのはそんなにいい奴か?」
「陽気で優しい方だ。半神でありながら威張ったところもないし、いろいろなこともご存じだ。ムスペルムの民でスルストさまの悪口を言う者などいない。ただ、ひとつだけ困った癖がおありだが、誰しも欠点の1つや2つ、持っているものだろう?」
「なんだ、その癖というのは?」
ファーレンはまた黙り込んだ。よほど言いたくないことなのだろうと皆が推測し始めたころ、彼は渋々と口を開いた。
「スルストさまは惚れっぽいのだ。女性と見れば誰でも口説かずにいられない上、簡単に結婚の約束までされる。贈り物はいつものことだし、例外というものがない」
誰もが二の句も継げずにいると、ファーレンは口にしたことで勢いづいたらしく続きを話した。どうやら騎士団長という立場上、日頃からスルストの悪癖にかなり悩まされているようだ。
「騎士団の者も何人か被害に遭っている。肉体関係までいった者もいると聞いたが、なにしろ男女の仲だ。わたしが口を挟むわけにもいかない。スルストさまの悪癖については、ムスペルムの民は小さいころから聞かされているので本気にすることも少ないのだが、おまえたちも女性が少なくない。気をつけた方がよいだろう」
「スルストが正気を取り戻した後にでも話そう」
グランディーナはそう応えたが、皆が嫌そうな顔をしたことは、言うまでもなかった。
いつも煙を吐き続けているムアスカル山を左手に見ながら、解放軍はシュレフ山地沿いの街道を辿っていった。
途中の町にはムスペルム騎士団が逗留しており、住人たちの外出も極端に制限しているとのことだ。人びとは抵抗することもなく、騎士団の命令に従っているそうだが、天空の島で武器があるということは、それだけで脅威なのだろう。
帝国軍は大した数がおらず、ムスペルム全土を制圧するに至っていない。あるいは最初からそのつもりがなかったと言うべきかもしれない。
「サラディン、ラシュディは何のために天空の島へ来たと思う? フィラーハの許しがなければ動けもしない、天空の三騎士を味方につけるためか?」
「そうではないだろう。天空の三騎士は先のオウガバトルのことを覚えている数少ない人物だ。一時的にでも味方につけ、彼らしか知らない情報を引き出そうとした可能性がある」
「たとえば? シャングリラでもそうだ。奴は何を探している?」
「それは、わたしにはわからぬな。わかれば、あの方の目的も明らかになるのだろうが、わたしには想像もつかぬ」
「ラシュディという魔導師が、スルストさまが容易に地上には降りられないことを知らなかったという可能性はないのか?」
「あの方に限って、それはないか、限りなく低い可能性だ。あの方は驚くほど多くのことをご存じだ。弟子入りが許された時、わたしはその知識の源がどこにあるのか、何とか追い着こうとしたものだ。書を読み、調べ、賢人と名高い方々にも教えを請うたが、そのうちにそれが無理だとわかった。あの方の知識とは学んだものではないのだ、身についているものだ。追い着こうと思って追い着けるものではない」
「なぜ、そんなことがわかったのだ?」
「単純な話だ、あの方に訊いたからだ。通常ではあり得ることではない。だが、わたしはそのことで師の目的を疑うようになった。常人には持たざる知識が、あの方の行動に影響を与えているのは間違いない」
解放軍が夜営したのはムアスカル山を南に見られる位置でだった。山は白煙を吐き続けているが、静かなものだ。
「そうは聞いても、この光景はぞっとしねぇな」
カノープスはそんなことを言ったが、魔獣たちはおとなしい。フレアブラスのプロミオスも、こと夜営の火には敏感でも、ムアスカル山はほとんど無視だ。
「あの噴煙は我々に見せるのが目的だからだろう。ゾショネルの加護の証というのなら、その恩恵を忘れさせぬためのものであって、実体はないに等しいのかもしれない」
一方、グランディーナとデボネアは、ファーレンも交えて話し込んでいた。スルストと戦う時の話だろう。半神の強さがどれくらいのものか、ファーレンにもわからない。デボネア一人で対処できるのか、助太刀が必要なのか、それもわからないままで、戦闘もないというのに、いつもとは違う緊張感が解放軍内にあった。
しかし、いくら心配とは言っても、スルストのところまで全員が行くはずもない。リーダー以外は皆、のんびりとしているのも事実だ。
それにはムスペルムの気候が暑く、皆がこれほどの暑さに慣れていないという理由もあった。ゼテギネアでムスペルムに匹敵するほど暑くなるのは、ライの海周辺か、ダルムード砂漠ぐらいだからだ。もっともダルムード砂漠の暑さはもっと乾燥しているそうだ。
加えて女性たちには、強烈な日差しに日焼けを心配したり、肌の手入れを気にかけたりしているところに、この上、スルストが加わったら、どんなことになるのかという懸念もある。
「スルストさまがどのような方かはわかりませんが、私たち自身に油断があってもなりません。できるだけ1人で行動しない、浮ついたところを見せない。皆さんで気をつけていくことにしましょう」
マチルダ=エクスラインが皆に呼びかけて、ラウニィーやノルンも同意した。男性陣も、互いに気をつけようと言い合った。みんな、それで何となくスルストへの対策はできたような気がしていた。いくら天空の三騎士とはいえ、そこまで無茶は言うまい、との期待もあった。
だが、それでは甘かったことも、それでもそんなことをしないで済んだことも、皆はスルスト本人に会ってから知るのだった。
シュレフ山地が切れたところにムスペルム城はあった。裏庭は無人で、シャングリラ城と違って無骨な造りの城だ。高さも1階しかない平屋建てである。
グランディーナはそこで皆を止め、スルストと戦う者だけでムスペルム城に行くと宣言した。デボネア、サラディン、それにランスロットとカノープスだ。
さらにファーレンもともに行くことになったが、どうしても行くと主張したノルンは、万が一スルストが人質を取ったら身を守れないという理由で退けられた。
「ムスペルム城はムスペルムに住むことを許された者たちがスルストさまのために建てたと言われる。スルストさまは華美な装飾はお好みではないので、あのような簡素な形になったという話だ。ムスペルム騎士団も本拠を置かせていただいているが、実際に住んでいるのはスルストさまだけだ」
城は南向きに建っており、入り口までは皆の待機しているところから、かなり廻り込む必要があった。
玄関から、赤い鎧を身につけた肌の黒い男が出てきたのは前庭を半分も過ぎた時だ。
「スルストさまだ!」
ゼテギネアでは珍しい肌色にランスロットもカノープスも驚いた。彼の祖先もボルマウカ人と同じらしい。
「なるほど、それでゾショネルの加護を受けたというわけか」
と、サラディンは一人で納得していた。
スルストは帯剣しており、6人を認めると近づいてきた。彼が歩きながら剣を抜くと、白刃が強烈な日差しを受けて光った。
「あれがスルストさまの愛剣ザンジバルだ」
デボネアもブリュンヒルドを抜き、素早く皆の前方に出る。
「ラシュディさまに逆らう愚かな者たちよ。この天空を荒らす悪しき下界の殺戮者たちよ。我が剣を受けてみよ!」
「我が名はクアス=デボネア! 天空の騎士スルスト殿に挑戦させてもらう!」
聖剣と神剣が激しくぶつかり合う。
だが、最初の一撃でデボネアは己の不利を悟った。技に劣るとは思わない。しかし半神の力は人が及ぶようなものではなかったのだ。
鮮血が飛ぶ。デボネアは倒れなかったが、傷つけられていた。
けれどスルストは止まらない。地上の者に手を下せないとはいえ、殺しでもしない限り、罰されることもないのだろう。むしろ彼は壮絶な笑みさえ浮かべた。
デボネアの敗北どころか、死は時間の問題だった。
すかさず加勢に飛び出したのはランスロットだ。
グランディーナが舌打ちする。
しかし、いまの解放軍では最強の攻撃手のはずだ。
もっとも、カノープスが出遅れたのも、彼女はしっかりと捕まえていた。
だが、ランスロットとデボネアという2人を相手にしても、スルストは互角以上の戦いを繰り広げている。ザンジバルとて大剣ではない。しかしそれを振るう天空の騎士の力は、皆の想像を遙かに上回っていた。
「待て!」
それでも2人を加勢しようとしたカノープスをグランディーナが止める。
「サラディン! あなたたち2人で、私の右腕と身体を押さえておいてくれ」
「どういうことだ?!」
「いいから早く!」
グランディーナが右手の先をスルストに向ける。
「行け、スコルハティ! スルストを倒せ!」
差し出された腕から大きな影が飛び出して、その反動で3人は後ろにひっくり返った。
影はユリマグアスの門番だったスコルハティの姿となり、苦戦するランスロットとデボネアを越えてスルストに襲いかかった。
天空の騎士は神剣ザンジバルを振りかざして応戦しようとしたが、わずかに遅れた。
否、狼の方がそれほど速かった。
スコルハティがその喉元に食らいつく。
神をも殺すと言われた牙がスルストの喉笛を食いちぎり、骨をへし折り、首が転げ落ちて、彼は倒れた。
たちまち血溜まりが広がったが、素早く起き上がったグランディーナの視線はずっとスコルハティに向けられていた。
そうと気づいて、巨大な狼も近づいてきた。久々に見たが、フレアブラスが小さく思われるほどだ。その並外れた大きさに、カノープスは素直に背筋が寒くなった。
「よく我の存在に気づいたな」
「自分の身体のことだ。異質なものが宿れば察する。それにこの状況ではあなた以外に考えられなかった。使いたいところで使えなかったのは残念だが、しょうがない」
今度はカノープスにも、スコルハティの言葉が聞こえた。だがそれは、人の言葉とはあまりに異質なものだ。人の言葉を操っているが、無理に言葉にして出しているとしか思えない。そんな奴とふつうに会話しているグランディーナはどこかおかしい。
もっともスコルハティの方は、彼女以外の人物にはまったく無関心の様子だった。
「これで契約は果たされたのだろうな?」
「いま一度、戻ってもらいたいわけではあるまい? 我も長く門を空けた。大事はないが、そろそろ戻らぬとうるさいからな」
巨大な狼の姿がかき消えた。
ランスロットもデボネアもまだ息を荒くして、自分たちには見向きもしなかった狼のいたところを眺めている。ランスロットはともかく、カノープスが事情を説明しようとデボネアに近づくと、交叉してグランディーナが倒れたスルストに歩み寄った。
天空の騎士は血溜まりの中に倒れたままだ。スコルハティに食い千切られた首も、明後日の方に転がっている。
彼女はスルストの首を拾うと、傍らに膝をつき、胴体にくっつけた。
それだけのことで天空の騎士は生き返った。死んだ魚のようだった目に生気が戻り、さらに彼は、グランディーナを認めると勢いよく跳ね起きた。流した血もそのままだというのにだ。
「オオゥッ! わたしとしたことがとんだ醜態をさらしマシタ! 美しいお嬢さん、わたしを助けてくれたのはあなたデスカ?」
スルストは倒されても手放さなかったザンジバルを放り出すと、両手でグランディーナの手を握り、素早く迫ってきた。
「コンナところで立ち話もなんデスカラ、わたしの城に行ってお近づきになりマセンカ?」
「スルストさま?」
「アア! そんなに震えることはありマセン。わたしは女性は大事にするのデス、特にあなたのように若くて美しい娘さんはネ」
「スルストさま!」
「オヤ、ファーレンではありまセンカ。こんなところで何をしているのですカ?」
「スルストさまっ!!」
その場にいる誰もが、生真面目なムスペルム騎士団長のこめかみが脈打つのを見た。彼の心中を思えば無理からぬことだが、同時に彼が語っていたスルストの惚れっぽいという悪癖が、あれでも控えめだったこと、惚れっぽいと言うよりも、むしろ女たらしと言う方が相応しいことに気づいたのであった。
「オゥ、ファーレン、そんなに声を張り上げないでクダサイ。さすがのわたしも蘇生したばかりナンデス。本調子ではないんですカラ」
「あなたほどの方が蘇生しなければならなかったのがなぜかもお忘れですか? スルストさま、何があったのかも覚えていらっしゃらないのですか?!」
「エエ? 何があったかなんて、何を大げさなことを言ってルンデスカ−−−」
スルストの語尾は消え入り、それでもグランディーナの手を片手だけでも離さなかったのは、女たらしの面目躍如と言うべきだろう。
「そうデス! ラシュディがやってきて、それから、わたしは奴の手先となりマシタ。アナタたちと戦いマシタ。なんてこったイ! このわたしが三騎士の名誉を傷つけたなんテ!!」
「だが、あなたは正気を取り戻した」
「オオ、それだけではわたしの気が済みマセン。あなたたちがラシュディの言っていた反乱軍デスネ? わたしが力を貸してあげまショウ。それがいいデス。フェンリルさんやフォーゲルさんにも紹介してあげマ〜ス」
「ですがスルストさま、それではムスペルムの守りはいかがなりますか?」
「ファーレン、わたしを三騎士の名誉を傷つけただけでなく、恩知らずにさせたいのデスカ? それに、ラシュディに手を出すコトはできなくても、あれほどの魔術師が魔界に手を出さないとは考えられませんネ。わたし、そのためにもこの人たちに手を貸しまス。オウガバトルのように、人類が滅びる寸前になるまで天界が手を貸さないというわけにはいきまセンカラ」
スルストはそこでファーレンの背を力強くたたいた。
「大丈夫デス! ムスペルムにはあなたたちムスペルム騎士団がいるじゃありませんカ! わたし、あなたたちに稽古をつけてあげたでショウ? もっと自信を持ってくだサイ!」
それでもムスペルム騎士団長はまだ不安そうな顔をしていたが、スルストも後は笑うばかりで解放軍に同行すると言ったことを引っ込めようとしないので、とうとう不承不承に頷いた。
「承知いたしました、スルストさま。ムスペルムのことは我らムスペルム騎士団が守ります。ですが、お早いお帰りをお待ちしております」
「ハッハッハッ! わたしに任せなサ〜イ!」
スルストは豪快に笑ったが、ファーレンの顔からは結局、不安そうな様子は消えないままであった。
「けっこう、スルスト。そろそろ手を離してくれ」
そう言いながら、グランディーナは彼が手を離しそうにないのを見てとると、かなり強引に自分の手を引っこ抜いた。
「オゥ、そんなに素っ気なくしないでクダサイ。わたし、女性につれなくされると悲しいデス。あなたにも仲良くしてもらいたいのでス。わたしのことを悪く言う人もいますが、ミンナ誤解してマスネ。わたしは単に女の人たちと仲良くするのが大好きなんデスヨ」
彼女は立ち上がり、彼を見下ろすようにしたが、すぐにスルストも立った。身長だけでいったらカノープスと同じくらいで、筋肉質の体格もいかにも神の騎士と思わせる。しかし彼がなれなれしく肩に置いた手を、グランディーナはすげなく払いのけた。
「私は解放軍のリーダーだ。あなたとリーダーとして話したいことはあるが、女として話すことはないし、あなたにとっては一時の慰めにすぎない女たちと同じように扱われる覚えもない」
スルストはそれでも微笑んだ。
「わかりマシタ。あなたをわたしの城に招待しまショウ。そこでゆっくり2人だけでお話ししましょウ。それならいいデスカ?」
「わかった」
そこで彼女は、素早く肩を抱こうとするスルストをかわすと、サラディンたちを振り返った。
「そういうわけだから、あなたたちは先に皆のところに戻っていてくれ。話をつけたら私も行く」
「承知した」
「それと、デボネア」
「何だ?」
「浅いようだが天空の騎士に斬られた傷だ。甘く見るな」
「わかったよ」
彼女とスルストがムスペルム城に入っていくのを見送って、サラディンたちもファーレンも城の前を発った。あれだけグランディーナが言っても、まだ腕を組んだり、肩を抱こうとするスルストには逞しさと同時に厚顔なところも感じられる。
あの調子で解放軍の女性たちに迫られたらと思うと、ランスロットもカノープスも、当然デボネアもぞっとしなかった。
「ファーレン殿はこれからどちらへ行くのだ?」
「ムスペルム騎士団を招集する。ここから西にタニスという町がある。そこで皆を集めて、これからのことを話すつもりだ」
「世話になった。グランディーナに代わって礼を言おう」
「わたしは大したことはしていない。ただ、スルストさまがしばらく留守にすると知ったら、皆も驚くだろう。それで醜態をさらすことがないようにしなければな」
そう言うと、ファーレンはすぐに4人と別れ、西に道をとっていった。
気がつくと、ムスペルム城に来たのは昼前だったのに、陽はだいぶ西に傾いていた。
しかし皆に合流しようとするサラディンをカノープスが引き止める。
「なんでスコルハティなんかがあいつの腕から出てくるんだ? あんたは絶対知っていたんだろう? なぜ隠していた? あいつとあんたしか知らないことが、あと、どれだけあるんだ?」
「わたしもあれも知っていることをすべて、そなたたちに話すつもりはない。スコルハティがあれの腕を封じていたことで、そなたたちに何か不都合があったというのか? スコルハティを放ったことで、ランスロットとデボネアの命を救えたのではないのか? あれはこのような時のためにスコルハティに利き腕を封印させていたのだ」
サラディンの口調が激しさを増していったが、そうなった自分を恥じるかのように彼は口を閉ざし、顔を背けた。
ようやく事情を理解したデボネアが冷静な様子で頷く。一度は帝国四天王にまでなった男だ。その判断はカノープスよりもギルバルドに近いようだ。
「確かに、彼女がスコルハティとやらを放ってくれなければ、わたしたちは間違いなくスルスト殿に殺されていただろう。結果的に、スルスト殿はそのことで咎を受け、ラシュディの呪縛も解けたかもしれないが、解放軍の受ける打撃も相当なものになったはず。わたしはともかく、ランスロットを失うことは解放軍には大きいのではないか」
「だけどな、俺が言いたいのは、そうだとわかっていれば、俺たちにだって、できたことがあったんじゃないかってことだ」
「知っていたところで、わたしたちに何かできたわけでもないだろう、カノープス?」
「何だと?」
「スルスト殿が半神というだけで、わたしたちはその力を恐れた。デボネアが自らスルスト殿と戦う役を引き受けてくれなければ、わたしたちは戦ってもいないスルスト殿の力を恐れ、もしもスコルハティのことを知っていたなら、真っ先に彼女に使うように言っただろう」
「そのために封印させていたんだろう、どこかで使うのは当たり前じゃねぇか」
「だが、もしもスルスト殿をわたしたちの力で倒せても、スコルハティを使えということにならなかったか? 結果的にスルスト殿はわたしたち2人では敵わないほど強かった。だが、スコルハティの強さはそれ以上だ。ならば、彼女はもっと別の相手に使いたかったのではないか?」
それが誰かは、言われなくてもカノープスにも見当がついた。
「しょせんは借り物の力だ、思うように使えぬことはあれもわかっていた。さぁ、そろそろ皆のもとに戻るとしよう。だが、スコルハティのことは他言無用だ。よいな?」
サラディンはそう言うと3人の顔を見回した。反対できるはずもなかった。