Stage Twelve「天空の騎士」
「アイーシャ!」
「力を使い果たしたのでしょう。ゆっくり休ませてあげるといいわ」
「ありがとうございます」
グランディーナが目を開けると、サラディン、スルスト、フォーゲルが彼女を見下ろしていた。そこにランスロットとフェンリルが加わる。
「すまぬな、少し荒療治をしてしまった。傷は痛むか?」
「これぐらい大丈夫だ。支障はない」
「ならば話を聞かせてもらおう。返答によっては、このまま、おぬしをシグルドに拘留する。天空の三騎士として見逃せる事態ではないからな」
「フォーゲルさん、いきなり脅すことはないでショウ。彼女だって返事に困ってしまうじゃありませンカ。女性にはもっと優しくしてあげるべきでスヨ」
「いいや、私はこの方がいい。遠回しな言い方をされるより、よほど気楽だ。
それで、何から話す?」
「その前に起き上がれるか?」
「大丈夫だ。手を貸さなくてもいい」
「このままおぬしの顔を見下ろしているのも気疲れするのでな。俺たちも座ってしまった方がいいと思ったのだ」
「そうしてくれ。私も話しづらい」
しかし、その小さい部屋に5脚の椅子は多すぎて、ほとんど身動きは取れなくなった。
身を起こしたグランディーナはそれほど躊躇う様子もなく、サラディンを見た。
「あなたの知っていることから話してくれないか? 私の話だけでは足りないだろうし」
「話してしまっても良いのか?」
「この面子なら、かまわないだろう」
天空の三騎士の眼差しが一斉にサラディンにそそがれる。しかし彼はいつものように受け止め、頷いた。
「おまえとフォーゲル殿との戦いを見ていて、わたしなりの答えを得た。それとガルビア半島以来、ずっと気にかかっていたことも話そう」
「頼む」
「ラシュディ殿が天空の島へ来たのは、おまえの力を知るためだと思う。それも純然たるおまえ自身の力をだ。半神たる天空の騎士と戦わせることで、おまえがどれだけの力を備えているのか知る。それが目的だったのだと思っている」
「馬鹿ナ! 何を根拠にそんなことを言い出すのデス? だいいち、あなたの推論では誰も得しませンヨ。わたしたちを魅了してラシュディにとって何の役に立つのデス? 何の得になりまスカ?」
「まぁ、待て、スルスト。そのことも含めてサラディンが語ろうとしているのだ、話の腰を折るものじゃない。
さぁ、続きを話してくれ」
「ラシュディ殿はおそらく、単に確認したかったのではないかと思う。あの方が生み出した者の力を見たかったのではないかと思う。かつて、生まれながらに禁呪を操り、並の人間では遙かに及ばぬ剣の腕前を持った子どもたちをラシュディ殿は生み出した。だが、その子らはある時、死んだ。残ったのはグランディーナだけだ。ラシュディ殿の試みはその時に頓挫したと言わざるを得ないが、いまは敵と味方に分かれた。あの方が己の試みの成果を、あなたたちの力を借りて試したくなったところで、何の不思議もあるまい? 一度、己の支配下から解かれたフォーゲル殿をより強力な術で魅了した、その理由もわかろうというものだ」
「確かに、ブリュンヒルドが当たった時、私はこれでフォーゲルも解放できたと思い込んだわ。でも、結果はそうではなかった。あなたはあの時、まだラシュディの呪縛から解かれていなかったのね?」
「そうだ。バンクロフトと戦った時に一度は呪縛が解かれた。だが、俺はもう一度、ラシュディの虜にされてしまったのだ」
「フィラーハの守りが効かなかったのデスカ?」
「奴もかなり苦労していたから、守りを打ち破ったのかもしれん。何にしてもラシュディという魔導師、このままにはしておけん。
話が逸れてしまったな。続けてくれ」
「だが、これらのことはすべて推測にすぎない。わたしが確証に近いものを抱いたのはガルビア半島でだ。おまえがかつて同等の魔法を受け、傷が痛むと言い出した時、ラシュディ殿に言われたことを思い出した。オウガバトルの時代にドュルーダという賢者がいた。一度は十二使徒に数えられながら、後に神々を裏切った者だ。十二使徒のなかでも最も力の優れた者であり、一時は最も神に近い賢者とも呼ばれたとか。だが、ドュルーダは最後にはフィラーハに捕えられ、その力を封印された、魔石キャターズアイにだ。ドュルーダについてはわたしはこれぐらいしか知らない。しかしこの時、ラシュディ殿はこうも言ったのだ。もしもドュルーダが己の力を完全に使えたのなら、たとえ相手がフィラーハであろうと負けることはなかったろう。だがフィラーハは人がその力を完全に振るうことを禁じた。人の力を恐れ、その可能性を封印したと。それが嘘か真かは知らぬ。わたしは興味もない。もしもフィラーハが人に封印を施したのなら、それはただ恐れるなどという単純な理由ではなく、そうすることの災いの方が大きいからだろう。与えられた力のなかで懸命に生きていくのが分相応というものだと思うと答えたが、ラシュディ殿はわたしの言葉を一笑に付され、二度とドュルーダの話はしてもらえなかった」
「おぬしの言うことに嘘とも真とも、俺たちは応えることはできない。だが、その結果として彼女を生み出したのならば、ラシュディというのは恐ろしい魔導師だな。それに彼はどこでドュルーダの名を聞いたのだ? オウガバトルの伝説で地上に奴の名は伝わっていたのか?」
「わたしはラシュディ殿からしか聞いたことがない。ただ地上には12人の賢者の名も伝えられておらぬ。あるいは邪神を奉る者が伝えたのかもしれぬが、ラシュディ殿がどこで知ったのかは聞いたこともない」
サラディンはグランディーナに目をやった。
彼女の表情は変わることなく、ただ事実を受け入れようとしているようにも、ランスロットには見えた。
「あまり、驚かぬのだな」
「自分のことだ、思い当たることはいくつもある。あなたの言う災いにも心当たりがある。疑問が解消して、むしろほっとしているくらいだ」
彼女はそう言うと目をつぶった。穏やかな笑みさえ口元に浮かんでいるのは、いままで知らぬことが、いかに彼女を苦しめてきたかを物語る。
やがて彼女は目を開き、その眼差しをフォーゲルに向けた。その口元から笑みは消えていた。
「私から話せることは大したものじゃない。なにしろ14年前、子どもだったころの話だ。覚えていないことも多いが、勘弁してくれ」
「かまわん。おぬしと同じような力を持っていたという子どもらのことだな?」
「そうだ。私たちは2人ずつの兄妹、8人だった。そのなかで私と兄だけが魔法を使えず、ほかの6人が使えた。ただ、6歳のあの時まで、彼らが魔法を使えたなんてことを私は知らなかった。私の知らないところで使っていたのかもしれない、その可能性は否定しない。でも、隠れて魔法を使うには、私たちがいたのは使われなくなった教会で、1人きりになることは難しかった。私と兄も、剣が使えるなんてわかったのは6歳のあの時だ」
グランディーナはフォーゲルから目をそらし、フェンリルの方を見やった。
「それは、突然始まった。真っ先にサイノスが私にアイスレクイエムを放ち、私は倒された。それがきっかけで、ほかの6人も殺し合いを始めた」
「なぜアイスレクイエムだと言い切れるのです?」
フェンリルの声はわずかに震えている。水神グルーザの加護を受けた者として、禁呪の恐ろしさも、その力の扱いがたさも知っているからだろう。
「24年前の戦いでラシュディが二度、禁呪を使ったことがある。その地は天候が崩れ、年中冬となり、雪が降る凍土と化した。ムスペルムに行く時、その土地の1つにカオスゲートがあって、そこを通ってきた。その時に古傷がひどく痛んだ。それで14年前に私が受けたのも禁呪だろうと思ったのだ」
フェンリルはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
「不思議な因縁だけれど、あり得ない話ではないわね。でも禁呪を二度も使うなんて、なぜ、そんなに危険な人間を地上は放置しているの?」
それに答えたのはサラディンだ。
「ラシュディ殿を倒せるものならば、この件はあなた方の力を借りるまでもない、とっくに片づいていよう。だが地上では、ラシュディ殿とハイランド王国のために、わずか1年で4つの王国が滅ぼされた。ラシュディ殿を倒そうとする勢力など残っていなかったのだ。そのなかで解放軍はゼテギネアに現れた最後の希望だ。我らが倒されれば、もはやラシュディ殿を阻めるものは何もなかろう」
「それはとても危険なことね。地上がそのような状態に陥っているとは知らなかったわ」
「だから我々はあなた方の手を借りに来たのだ」
「その話は後でしよう。それほど話すことも残ってはいまいが、全部、話してくれ」
「ほかの5人がどのような魔法を使ったのか、私は知らない。実際に見ていないのと、同じような魔法を見たことも受けたこともないからだ。私は生き延びた。倒れていたから皆の注意が逸れたので、魔法が幾つも荒れ狂い、傷つけられたが死なずに済んだ。残った者が少なくなるのを待って、不意をついて殺した」
グランディーナがそこで言葉を切ったのは、発するのを躊躇ったからだろうとランスロットは推測した。だが相手は天空の三騎士だ。彼女は逃れられないことを知ってもいよう。やがてゆっくりと、つぶやくようにつけ加えたのだった。
「彼らは、堕ちた」
その一言にスルストとフェンリルの顔色が変わるのをランスロットは見ていた。あいにくとフォーゲルは変わったのかどうか、わからぬ色だ。
「その時の私が、そんなことを知っていたわけではないが、彼らが、二度と元に戻らないことはわかった。だから、殺した、何より、私自身が生き延びるために」
「暗黒道か。そうだろう、それだけの力を振るえば、堕ちるのは時間の問題と言ってもいい。だがそれも無理はない。人の心はそれほど大きな力を使うには脆い。力の大きさに心が耐えきれないのだ。遅かれ早かれ、おぬしの兄妹たちは暗黒道に堕ちていただろう。それを止めることもできなかったに違いない。むしろ6年もよくもった方だ。だが驚くのはおぬしのことだ。それだけの力を持っていながら、よく暗黒道に堕ちずにいられるものだ」
「その理由は、私にもわからない。スコルハティと戦った時は、彼が私を鎮めてくれた。いまも、あなたとアイーシャが助けてくれた。ありがとう」
「礼には及ばん。おぬしほどの力の持ち主が暗黒道に堕ちれば、取り返しのつかないことになる。今度は俺でさえ勝てるかわからん。現に、ラシュディに魅了されていた時には負けたのだ。おぬしともう一度、戦う羽目には陥りたくないな」
「私も、あなたやスコルハティのような強者とは、二度とやりたくない」
フォーゲルが笑い、グランディーナも笑った。竜頭でも笑っているところはわかるものだと、ランスロットはおかしなところで感心していた。
「ほかに聞きたいことはあるのか?」
笑みはすぐに消えたグランディーナが尋ねる。
「暗黒道に堕ちかけるといったようなことは、しばしば起きていたのか?」
「私が覚えている限り、今回で二度目だ。ただ、初めて戦場に出た時から、そのことに気づいてはいた。だからずっと力を抑えてきた。何があっても最悪の事態に陥るよりはましだ、私は自分の足下に転がっていた者たちと同じ過ちは犯すまい。それが自分の兄妹だとわかったのは、つい最近のことだ」
「なるほど。力を持っていても暗黒道に堕ちないでいることはできる。強力な精神力だけがそれを制せられる。おぬしが堕ちずにこられたのも、その自制心のゆえかもしれん。だが驚きだ。いかに強力に自らを制していても、人はひょんなことから容易に堕ちるのだ。それが2回とは、信じられん」
フォーゲルは腕を組み、うなり声さえ上げたが、急に後ろの2人を振り返った。
「スルストにフェンリル、おぬしたちも何か訊きたいことがあろう?」
それで赤い鎧の騎士が膝を乗り出した。
「なぜ、あなたのような人が、フィラーハに存在を許されているのですカ?」
「許されてなんかいない、あの時、私は殺されるところだった。理屈は知らない、ただ、自分の知らない強大な力を感じた。私たちを見下ろす冷たい眼、そこに至った経緯も理由も知らぬくせに、できそこないと私たちを見下す尊大な目を一生忘れるものか。だけど、1人の神が私を助けてくれた。だから、私はここにいられる、地上から放逐されないで済んでいる」
「まさか、ゾショネルですか?」
フェンリルの言葉にグランディーナは頷いた。
「でも、それだけのつき合いだ。私のすることに、いちいち干渉もしない。あなたたちの加護と似たようなものかな」
「ゾショネルが、あなたが堕ちないよう加護しているということはないのですカ?」
「それはないようだ」
天空の三騎士は視線を交わし合った。
昨日、シグルド城からマカルダーに来る時に、すでにこの話にはある程度の結論を出していたのだろうと思われる。それほど時間をかけずに、フォーゲルが再度、グランディーナに向き直った。
「それでおぬしの処遇だが、このまま天空の島に残るつもりはないか? フィラーハの天空の騎士となって、その力を天界のために振るってはくれないか?」
「断る。私はフィラーハが嫌いだ。一度、殺されかけた神に仕える気はない」
「地上に置いておくにはおぬしの力は大きすぎる。ただゼテギネア帝国というのも気になるから、いまの戦いが終わってからでも良い」
「いやだ。どうしてもと言うのなら、私を殺せ。そうなれば抗う術もない」
「おぬしが暗黒道に堕ちれば、地上は壊滅するかもしれん。そのことには気づいているのだろう? 二度、そうした危険を経たことで、おぬしはより闇に近づいている。三度目はなかろう」
「いやだ!」
そう言った彼女の手が震えた。うつむき、掛け布団をつかみ、ランスロットにはそれが精一杯の抵抗とも見える。
そこで口を挟んだのはフェンリルだ。
「だから私が言ったでしょう、彼女の同意が得られるはずがないと?
グランディーナ、それではこうしたらどうかしら。私たちはあなたに同行するわ、監視し、見張るためにね。申し訳ないのだけれど、あなたたちが私たちの助力を頼んで天空の島まで来たことは、幾つかの例外をおいて、できなくなります」
「例外とは何だ?」
彼女は顔を上げないまま訊き返す。
「アンタンジルに封印した暗黒のガルフ、アンタリア大地において彼への封印が行われなくなっていると聞きました。もしもガルフが復活しているようなら、これは私たちの手で倒さなければなりません。それとラシュディも危険です。これ以外の例外は認められないということです。そのあいだ、あなたに堕ちそうな兆候があれば、即座に天空の島に拘束します」
「断っても、ほかに選択肢は与えないのだろう?」
そう言って顔を上げたグランディーナはもはや震えてなどいなかった。フォーゲルを真正面から睨みつけ、スルスト、フェンリルの順に視線を移す。
「おぬしは選べるような立場ではない」
答えたフォーゲルが聖剣ブリュンヒルドを取り出す。グランディーナが手放したそれを拾ってきたらしい。それに彼はゼピュロスもまだ帯びたままだ。
「いずれにしても堕ちた時にはおぬしの命をもらう。その魂をもって、フィラーハに仕えるがいい」
彼女は掛け布団を握り締め、口元は一文字に引き結んだ。その眼差しが怒りに燃え上がっているのをランスロットは認めた。それも彼が知る限り、最も激しい怒りだ。彼女の赤銅色の髪が炎のように燃え上がったかと思うほどの激しい憎悪だ。グランディーナは力ずくで強制する者を嫌う。たとえこの場合、理が天空の三騎士の側にあるのだとしても、彼女にとってそれは、決して受け入れられないことなのだ。
だがグランディーナはすぐに大きく息を吐き出した。どのようなきっかけで堕ちるのかはわからないが、彼女が常に平静でいようとするのも、それと無関係ではなさそうだ。
「承知した。あなたたちの好きにするがいい。ただ、解放軍に来るのに、戦わない理由がそれでは厄介だ。あなたたちは地上の戦いには介入できない、ということにしておいてくれ」
「よかろう」
フォーゲルは頷き、ブリュンヒルドをフェンリルに手渡した。
「俺はバンクロフトに会ってくる。この剣はおぬしの手から渡してくれ」
「わかりました」
彼が出ていくと、彼女はすぐにグランディーナに近づき、枕元に聖剣を横たえた。
「何の用だ?」
彼女の声音はすでにいつもの調子に戻っていた。だがそのために、どれだけの労苦を払ってきたのか、ランスロットはいまさらのように思い至る。
「ブリュンヒルドはあなたに、正確には地上に預けるわ。もともと、そのつもりで地上に降ろしたのだし、私に返すことはないのよ。いままでは私たちをラシュディの魔力から解放するという目的があったから使わせてもらっていたけれど、その用も済んだわ。この剣がなければ、地上はまた、天界と連絡する手段を失ってしまうものね」
「これはあなたの、いいや、フィラーハの剣ではなかったのか?」
「ええ、そうね。でも、地上はこの剣を悪しきことに使わないと証明したわ。だから、ここで私が手放しても、もう罰せられることはないでしょう。そして、あなたにはそれを判断できる力があると思います。だから、いまはあなたに預けておくわ。地上でどこに置くのか、考えてほしいの」
グランディーナは頷いたが、ブリュンヒルドに手をかけなかった。
そこにフェンリルが手を重ねる。彼女は弾かれたように天空の騎士を見やった。
「ごめんなさい。あなたのことをろくに知りもしないで、酷いことを言ったわ」
「謝るには及ばない。私にはどうでもいいことだ」
フェンリルが手を離す。
「私に何かできることはない?」
「もう十分だ。あなたたちに望むことはない」
その答えに、彼女は寂しそうに微笑んだ。
「ならば、私たちはここから出ていくわ。あなたたちも地上に戻りたいでしょう。少しでも早く戻れるように、ワイバーンを手配するよう頼んできます」
「そうしてくれ」
だが天空の騎士が2人とも退室すると、グランディーナも立ち上がった。髪をまとめ、靴をはき直す。壁に立てかけてあった曲刀も、腰から提げた。
「怪我は大丈夫なのか?」
「走ることだってできる。ワイバーンなどに乗らなくても、このまま歩いて帰ってもいいぐらいだ」
「無理を言うな。おまえは自分の怪我をすぐ軽く考える」
「別にいまに始まったことじゃない。それに動けないままでいるのは嫌いなんだ。戦場では無理をしてでも動く」
「それでどこへ行こうというのだ?」
「少し頭を冷やしてくる。これからのことも考えなければならないし。あなたたちは休んでいてくれ」
「わたしも行こう」
「1人になりたいんだ」
「誰がいても君は1人だ。だが、いまの君は少し危なっかしい」
「好きにしろ」
そこで部屋を出ていったグランディーナとランスロットは、アイーシャが目を覚まして、一連の話を一部始終、聞いていたことを知らなかった。震える彼女の頭に手を置いたのはサラディンだ。
「すまぬな。ランスロットはともかく、そなたまでとんでもないことに巻き込んでしまった」
「いいえ、サラディンさま、私のことならば、お気遣いには及びません。ですが、あれではグランディーナがかわいそうです」
「生まれた時から、あれはそのような特異な星の下にいるのだ。それも承知の上で解放軍の将となり、己の力を振るってきた。これからも、ゼテギネア帝国を倒すまで、その運命(さだめ)から抜けられることはあるまい。だから、わたしからそなたに頼む。決して、あれを哀れんでくれるなと。たとえラシュディ殿に与えられた生とはいえ、あれは精一杯、抗い、自らの手で運命を選び取ろうとしている。できるなら、そなたがそれを支え、助けてやってほしい。もしもできぬと言うのなら、今日の話はすべて忘れよ。二度とあれには近づくな」
アイーシャは起き上がり、赤い目をサラディンに向けた。話を聞きながら、彼女は自分が起きていることを知られぬよう、ずっと堪えていたのだ、泣きはらすほど目を赤くして。
「わかっております、サラディンさま。私は彼女の側にいましょう。それが母の願いであり、私の望みでもあるのです。どうか案じられますな。私が彼女を守ります」
「すまぬ」
そう言ったきり、サラディンは絶句し、目頭を押さえた。
アイーシャはそんな彼を抱擁した。その温かさは彼に大神官フォーリスを思い出せるものであった。
グランディーナはしっかりした足取りで町の外まで出ていった。昨日、自らに負わせた傷を思えば、いくらアイーシャが優秀な癒し手とはいえ、かなり無理しているのだろうとランスロットは思ってしまう。
けれど、彼女はいつもそうしてきたのだ。解放軍の結成前から、常に危険な綱渡りをしてきたのではあるまいか。その自制心は彼の想像など遙かに超えている。
見るものが違うはずだ、グランディーナは最初から天空の騎士、半神と同じ次元にいるのだから。
「バルモアであなたたちに言ったことが本当になってしまったな。それも今度はうるさい監視付きだ」
「別に気にすることはないさ。知っているのは天空の三騎士の方たちとわたしたちだけだ。誰からも話が漏れることはあるまい」
「話など、したければするがいい。カノープスなど黙っていなかろう?」
「サラディン殿やわたしが適当に答えておくさ。皆に話してまわるようなことではないからね。ただ、できたらトリスタンさまには君の方から話してくれないか? あの方だけは事実を知っておくべきだと思う」
グランディーナはランスロットを見た。
初めて出会った時は迷いのない眼差しだと感じたことを思い出した。
だがいまは、彼女が脆いものを隠していることに気づく。彼女の足下の、ひどく頼りなかったことを思う。
「わかった。トリスタンには私から話す」
「ありがとう」
思わず微笑んだ彼に、グランディーナもつられたように笑った。バルモアで、カノープスも含めて笑いあったことが、遠い昔のように思える。
「あなたはおかしな人だな」
「何だい、藪から棒に? それに、いまさら言うことでもないが、失礼だぞ」
「あんな話を聞かされて、私への態度が変わらないのが不思議だ。そんなことをしていたら、あなたまで天空の騎士に目をつけられるぞ」
「わたしにそんな力はないよ。それにバルモアでも言っただろう、わたしの気持ちは変わらないと? 君に捧げた剣をわたしは悔いたことはない。それがわたしの、騎士としての誇りだ」
「後悔してからでは遅い。いまのうちに引っ込めておけ」
「君流に言えば、余計なお世話だ」
「だから、おかしいと言うんだ」
「もう、この手の不毛な会話はやめにしないか? 君に何があろうと、わたしの気持ちは変わらないし、変えられないよ」
「私もよく頑固だと言われるが、あなたには兜を脱ぐな。確かに、あなたの言うとおり、これ以上、不毛な会話もない」
「はははっ」
その時、グランディーナの傍に降り立った者があった。純白の翼の天使たちが3人だ。
彼女が剣を抜くより早く、そのうちの1人、スローンズが2人に十字架を向けて、高らかにこう命じた。
「人間たちよ、聖なる父の御名において命じます。地上にて行方不明になった天使長ユーシスを探し出し、暗黒のガルフを打ち倒しなさい!」