Stage Twelve「天空の騎士」8

Stage Twelve「天空の騎士」

残念ながら、天空の騎士は2人とも適当な場所を知らず、その日の晩は天幕を張ることができなかった。けれど、その翌日からはカリシンピ、タルエスサラーム、マカルダーといった町々に泊まることができ、風の心配もしないで済むようになった。
だがグランディーナたちは、マカルダーで思いもよらぬ人物と再会する。シグルド騎士団長のバンクロフトが、瀕死の重傷を負って神殿に庇護されていると聞かされたのだ。
「そういえば、彼はエンテペの町でも見送りに来なかったわね。いったい誰に傷つけられたというの? まさか、帝国軍?」
「いいえ、それがフォーゲルさまのようなのです」
「なんですって?!」
「で、ですが、マカルダーにはあれほどの傷を癒せる者がおりません。スルストさま、フェンリルさま、何とかしていただけないでしょうか?」
「私が参ります!」
2人の返答よりも速く、アイーシャが進み出た。
「私はロシュフォル教の司祭です。どれだけのことができるかわかりませんが、治療の心得があります。お手伝いをさせてください」
スルストとフェンリルは目を合わせ、どちらからともなく頷いた。
「そうね、あなたにお願いするわ。
タグロット、彼女を案内してあげて」
「は、はい」
「あなたたちはどうするつもりだ?」
「そのことで相談したいことがあるの。こちらへ来てちょうだい」
グランディーナはサラディンとランスロットを振り返って頷いた。怪我人はアイーシャに任せて、5人は別の部屋に移動する。天空の島の神殿に必ず1つある、窓が開けっ放しの部屋だった。
「いまはバンクロフトがどうしてあんなことをしたのか詮索しないわ。それよりも重要なのはもしも彼を傷つけたのが本当にフォーゲルならば、タグロットによれば瀕死の重傷を負ったのですもの、彼にかけられた魅了の術が解けているかもしれないということよ」
「バンクロフトの回復を待たずに、それを確かめに行くのか?」
「そうしたいのは山々だけれど、彼を放っておくわけにもいかないでしょう? それに、フォーゲルの魅了が解けていなかったら意味がないものね。その前に、バンクロフトがどうしてそんな無茶をしたのかも訊いておきたいわ」
「わたしもフェンリルさんに賛成でスネ。バンクロフトさん、フォーゲルさんに挑むなんて無茶をする人じゃありまセン。何があったのか、とっても気になりマス」
「真相を確かめに行ったんじゃないのか?」
「何のでスカ?」
「私たちより先行したということは、ワイバーンを使ったのだろう。そんなに急いで確かめたいことなど、そうそうあるとは思えない」
「まさか。彼は慎重な方よ。何のためにそんなことをする必要があるの?」
「私の言葉に動かされるところがあったか」
「ともかく、本人に確認してみましょう」
それで彼女らがバンクロフトの部屋に行くと、タグロットと呼ばれたシグルド騎士団員が助手になって、アイーシャを手伝っていた。彼女の表情でランスロットはバンクロフトが一命を取り留めたことを知ったが、彼は深い眠りに落ちているそうだ。
「話はできそう?」
「明日にならなければ難しいと思います。今日は休ませてあげてください」
「あなたは大丈夫なのか?」
「今日はつきっきりで看病することにしました。容態が急変したら困りますから。どうぞ、皆さんはお休みください」
「誰かに替わることはできないのか?」
アイーシャは微笑みながら、グランディーナの手を取った。
「私は大丈夫。もしも私が休んで、手遅れになってしまっても嫌だから、このまま看病させて」
グランディーナは不承不承に頷いた。それで彼女ら3人は別の部屋で休むことになり、スルスト、フェンリルと別れた。
別のシグルド騎士団員が食事も用意してくれたが、スルストの言ったとおり、シグルドではどの町でも宴会が開かれることはなかった。それもバンクロフトが言っていたようにフォーゲルへの恨みによるのなら、それは相当、根深いものと思われた。
「あの様子ではアイーシャはしばらく離れられぬかもしれぬな。どうする? その場合は先にシグルド城へ行くのか?」
「フォーゲルもフェンリルのように楽に片づくならばな。彼の実力がどれほどのものか、まだ2人に確認していない」
「だが、ブリュンヒルドが当たれば、フォーゲル殿も正気に返るのだろう? それほど難しいこととは思えぬが」
「当てられるのならばだ。あなたは、ディバインドラゴンについて、何か知らないか?」
「ドラゴンの最終進化の形態だと聞いたことがある。全てのドラゴンはディバインドラゴンになる可能性を秘めているとか。だが、確かにディバインドラゴンは天竜、神のドラゴンだ。人が容易に狩れる存在ではない。フォーゲル殿の御力、スルスト殿もフェンリル殿も及ばぬのかもしれない」
「だとしたら厄介だな」
「おまえは手を出すな。天空の騎士のことはお二人にお任せするのだ」
「いざとなったら、そんなことも言ってられないだろう? 私だって要らぬ危険は犯したくない」
「そうしてくれ。わたしとしてはフォーゲル殿には絶対に手を出さぬと約してほしいぐらいだ」
「できない約束はしない。明日にでも確認する」
軽口をたたいているようだがサラディンの表情は真剣だ。グランディーナも先日の話を思い出したように黙り込む。
「フォーゲル殿の魅了が解けたということはありませんか?」
「ファーレンの話では、それはフォーゲル殿が禁を破り、人を傷つけたからになる。とすれば、フォーゲル殿は罰を受けねばなるまいが、さてフィラーハの与えられる罰が地上に降りることを禁ずるものでなければ良いのだが」
「それも、かもしれないというだけだ。スルストもデボネアを傷つけたがお咎めを受けた素振りはない。ならば、フォーゲルも罰は受けておらず、魅了の術が解けていない可能性もある。それにしても面倒なことをしたものだな」
「責任を感じているのかい?」
「まさか! 自分の命を張って、何を証明するつもりだったのやら。だがアイーシャがついているんだ、もう心配ないだろう」
今日も真っ先に寝ついたのはサラディンだった。
灯りを消してもグランディーナが眠らずにいたので、ランスロットもつい起きていたのである。
ついに彼女は立ち上がり、足音を忍ばせて部屋を出ていった。ムスペルムやオルガナでも、町に泊まった時は彼女はいつも夜中に抜け出している。
ランスロットは彼女の後を追って部屋を出た。
すでに廊下にグランディーナの姿はなかったが、右手から話し声が聞こえてきた。2人の天空の騎士は休む必要がないと言っていたが、そこに混じったものらしかった。
「明日にしようと思ったが、ちょうどいい、いま教えてくれ。あなたたちとフォーゲルの力の差はどれぐらいのものだ?」
「わからない、と言った方がいいかもしれないわね。彼は私たちより先に天空の騎士に任ぜられたわ。そのせいか、戦っていても、いつも余裕があるように感じたこともある。でも、彼は力を求めるあまり、ディバインドラゴンを殺したことを悔いていたわ。だから、いつも全力は出していなかったようなのよ」
「そうですネ。それに、わたしたち、長いこと戦っていませン。たまに手合わせすることはありますが、お互いに本気を出しませんネ」
「ならば、あなたたちの感触ではどうなんだ? 勝てるのか、勝てないのか?」
少し沈黙があったが、グランディーナの声音も、いらついているようではない。彼女は単に事実を知りたがっているだけなのだ。
「勝つようにするわ。いまはそれしか言えない。せめて、あなたたちの手を借りるようなことにならなければ、よいのだけれど」
「そうなるよう願う」
「でも、もしもそうなったら、あなたは勝てるつもりでいるのかしら?」
また沈黙。聞いているだけのランスロットの方が、息が詰まるようだ。
「ならば逆に訊こう。あなたたちは1対1でスコルハティに勝てるか?」
「難しいわね。それが神殺しの由来だもの。だけどフォーゲルならば勝てるかもしれないわ。やっぱり勝てないかもしれないけれど」
「それが答えだ」
踵を返したグランディーナと、ランスロットは鉢合わせした。彼女は無言で彼を引っ張っていき、誰もいない部屋に連れ込んだ。
「こんなところで何をやっている?」
「君が毎晩のように出かけるから追いかけてみたんだ。すまない、立ち聞きするつもりはなかったんだが、話に入るわけにもいかなくてね」
グランディーナが珍しくため息をつく。
「あんな話、私はかまわないが、天空の騎士まで同じように考えるとは限らない。あなたまで目をつけられたいのか?」
「わたしなら大丈夫だ。やましいこともしてない」
「そういう問題じゃない」
そう言ってから、彼女はまた、ため息をついた。
「君こそ大丈夫か、グランディーナ?」
「明日はどうなるか、わからない。もう休め」
「君はどうするんだ?」
「少し頭を冷やしてくる。あなたは、もう休め」
「わかっているよ」
翌闇竜の月10日、アイーシャが朝食後に、バンクロフトが話せるようになったことを知らせてきた。彼女の看病が功を奏したことに、タグロットが感謝していたのがランスロットには印象的だった。
「あまり長時間は無理ですが、バンクロフトさまもお話ししたいそうです」
「いったい何を話してくれるんでしょウネ?」
それで彼女らが入っていくと、シグルド騎士団長は頭に包帯を巻いた痛々しい姿であったが、笑顔を浮かべて出迎えた。
「あなたらしくない無茶をしたものね。いったい何がこんなことをさせたのかしら?」
「彼女と話した後、どうしてもフォーゲルさまの真意を確かめたくなったのです」
そう言ってバンクロフトが眼差しを向けたのはグランディーナだ。彼女はそれほど驚いた様子もなく、先を話すよう促した。
「わたしはフォーゲルさまにお仕えする騎士でありながら、周りの言うことを鵜呑みにしているだけで、ずっとフォーゲルさまのことが信じられませんでした。でも彼女にそのことを指摘されるまで疑問にも思わなかった。当たり前のことだと思っていたのです」
「それは無理ないでスネ、バンクロフトさん。シグルドの姿を見れば、誰だってそう思いまスヨ」
「いいえ、スルストさま、フェンリルさま。それなのに、わたしたちは決してシグルドを離れようとは思わないのです。フォーゲルさまの悪口を陰で言い合うだけで、決して本人にはぶつけない。言ったことがない。わたしたちはそれをおかしいとも思わず、自分の当然の権利のように考えていたのです」
バンクロフトは軽く咳き込んだが、話すのを止めることはなかった。
「でも、わたしは初めて、彼女に言われたことで疑問を抱きました。それで、どうしてもフォーゲルさまの意志を確かめたくなり、ワイバーンが用意されていないことにして、シグルド城へ向かったのです」
そこで彼は目をつぶり、しばらく沈黙したが、また続きを話した。
「わたしは、わたしの正しさを証明するためにも、フォーゲルさまにご自分の意志でラシュディとかいう魔導師に従っていてもらいたかった。フォーゲルさまにシグルドを治める資格などないのだと言いたかったのです」
スルストとフェンリルが息を呑んだ。
「申し訳ありません、スルストさま、フェンリルさま。わたしは何と愚か者だったのでしょう。たかが人間のわたしが、あなた方の資格を疑うなど、許されることではありますまい」
「いいえ。それよりも教えてちょうだい。フォーゲルはどうだったの? まさか、彼は?」
「とんでもありません、フェンリルさま!」
彼がまた咳き込んだので、アイーシャが急いで背をさすり、白湯を与えた。
「ありがとう。あなたがいなかったら、わたしはとうに死んでいただろう」
「お礼などより、どうかお話を。本当ならば、私はあなたを止めなければならないのですよ」
「それはすまない。だがわたしはあなた方、地上の人びとのことも誤解していた、思い上がっていたのだ。どうか、わたしたちのことを許してほしい。
グランディーナ、あなたもだ」
「私のことなど、どうでもいい。アイーシャの言うとおり、さっさと先を話して休んだらどうだ」
「そうしよう。だが、話すべきことは、もうそれほどない。フォーゲルさまはラシュディに操られており、愚かにも戦いを挑んだわたしを殺そうとしました。けれど、わたしが深傷を負ったところで正気に返られ、それでわたしはこうして生き延びることができたのです。フォーゲルさまはわたしが来たことにひどく驚かれたようでしたが、黙ってシグルド城の奥へ消えてゆかれました」
「ありがとウ、バンクロフトさん。わたしたちはこれからシグルド城へ行って、確かめてきマス。フォーゲルさんが正気に戻ってくれれば万々歳でスネ。あなたが危険を冒した甲斐もあったというものデス」
「そうね。フォーゲルと戦わないで済めば、それに越したことはないわ。
アイーシャ、あなたはまだ彼についていなければならないのかしら?」
「できたら、もう2、3日はそうしたいのですが」
「だったら、シグルド城にはスルストと私で行くわ。あなたたちは留守番していてちょうだい」
「そうしまショウ」
「そううまくいくかな?」
2人の天空の騎士が立ち上がると、グランディーナが言葉を発した。しかし彼女はすぐに立ち、外に出ようと2人を促す。当然、サラディンとランスロットもついて出た。
「いまのはどういうこと? あなた、今度は何を心配しているの?」
「フォーゲルがそのまま正気に戻ったとは思えないというだけだ」
「何を根拠にそんなことを言い出すの? まさか、バンクロフトの言ったことは信じられないとでも言うつもり?」
「そうは言ってない。ただ、これでフォーゲルが正気に返ったら、ラシュディが天空の島に来たことがすべて無駄になる。あなたたちの力によるものじゃない、奴が眼中にもなかったシグルド騎士団長のためにだ。何が目的かは知らないが、奴がこのまま天空の島を去るとは思えない」
「わたしもグランディーナに賛成だ。シグルド城にはもっと慎重に行くべきだと思う」
サラディンの言葉に、スルストとフェンリルは顔を見合わせた。
「どう思いまスカ、フェンリルさん?」
少し長く考えてから、彼女が答える。
2人からは、フォーゲルが解放されたかもしれないという楽観的な態度は、もう失せていた。
「そうね、一理あるかもしれないわ。それに、もしもフォーゲルが正気になったなら、何か連絡があるのではないかしら? 彼はそういうところは真面目な人よ。でも、あなたもまだ、彼からの連絡は受け取っていないでしょう?」
「そういえばそうですネェ。フォーゲルさん、バーサの加護を受けていマス。きっと植物か何かに託して知らせてくれるはずでスネ。でも、それがないということは、バンクロフトさんのしたことは無駄になってしまったのデスネ」
「それはしょうがないわね。彼だって、元々そんな気持ちで行ったのではないでしょうし。だけど、それならば、ラシュディはなぜ天空の島に来たの? 彼の目的は何? 彼がキャターズアイの行方を知りたがっていたという話はスルストから聞いたわ。でも、それだけのことならば、フォーゲルをまた虜にする必要はないわよね?」
「私たちが案じているのも、そういうことだ」
「だったら、あなたたちはどうしたらいいと思いまスカ? アイーシャさんが一緒に来られるようになるのを待つのでスカ?」
グランディーナはこれに即答しなかった。目を伏せ、しばらく考え込む。
「シグルド城はここから1日の距離だったな?」
「そうデス。いますぐ発っても、戦うのは明日になりマスネ」
「行こう。どちらにしてもフォーゲルをこのままにはしておけない」
「サラディンさんとランスロットさんも行くのでスカ?」
彼女は頷いた。
「だったら、タグロットに言って、食糧をもらってこなくてはね。シグルド城にはそれほど蓄えはないでしょうから」
「わかった」
それで彼女たちが慌ただしくマカルダーを発ったのは、闇竜の月10日の午後のことだった。
町の外に出ると相変わらず風がきつく、ランスロットは改めてその不便さを思った。こんな風では翼の重いワイバーンはともかく、グリフォンや有翼人はかなり飛びづらそうだ。
良くも悪くも、天空の島はシグルドが最後だ。かなり慣れてきたとはいえ、彼はそろそろゼテギネアが恋しかった。足下の確かな大地を踏みしめたいのだった。
シグルド城の入口に異形の騎士が座っていた。竜の頭に緑色の鎧を着込み、夜のように真っ黒な剣を己の前に突き立てている。
「あれがフォーゲルさんでスネ。あの剣はゼピュロスといって、彼が天空の騎士になった時に西風神から贈られた剣だそうデス」
一行が近づいていくのをフォーゲルは待ちかまえていたが、やがて立ち上がり、ゼピュロスを抜き放った。
スルストとフェンリルを先に行かせて、グランディーナたちは手前で立ち止まる。まずは天空の騎士にフォーゲルを任せ、あとは戦局を見て臨機応変に対応するという話だけまとまっていた。
「ラシュディさまに逆らう愚かな者たちよ。この天空を荒らす悪しき下界の殺戮者たちよ。我が剣を受けてみよ!」
彼の動きは素早く、フェンリルはかろうじて剣を合わせたが、スルストは遅れた。
鮮血が飛んで後退した彼に、フォーゲルが怒濤の勢いで斬りかかってくる。
とっさにフェンリルが割って入らねば、スルストはそのまま切り刻まれていたかもしれない。
だが、彼女はスルストに比べて力が劣る。フォーゲルの攻め方が速さから力主体に変わり、フェンリルも押されてしまった。
スルストがすぐに加わって2対1としたが、それでもフォーゲルの強さの方が際立つばかりだ。
2人の強さも弱さも、彼は熟知しているのだろう。いちばん最初に天空の騎士に任ぜられたフォーゲルには、オウガバトルの最終盤で天空の騎士になった2人より一日の長もあるようだ。
それでも2人は善戦している方だ。
だが、あと一太刀が足りない。竜頭の騎士にブリュンヒルドを当てることができない。
「はああああぁぁっ!!」
「うおっ?!」
グランディーナが割って入ったのはその時だ。
スルストとフェンリルを相手にしても一方的に攻めていたフォーゲルの動きが、初めて防戦に転じた。
彼女の攻撃はそれほど激しく、しかもその動きが徐々に速さを増して、次第に捉えるのが困難になっていった。
「何をしているのだ、フェンリル! 早く、ブリュンヒルドを早くフォーゲルに当てぬか!」
サラディンが青ざめて叫ぶ。
ランスロットにもこれが尋常でないことはわかっていた。スコルハティと戦った時のグランディーナが脳裏に蘇る。フォーゲルと激しく剣を打ち合うさまは、まさにあの時の再来だ。
だが結果、彼女は巨大な灰色狼に負け、地面に押さえつけられた。代名詞でもあった曲刀が折れてしまい、戦い続けられなくなったからだ。
「駄目です!」
フェンリルの悲鳴のような声がランスロットを現実に引き戻す。
「私ではこの戦いに介入できません!」
「ならば、ブリュンヒルドをよこせ!!」
グランディーナが下がって、手を差し伸べたが、フォーゲルが斬りかかってきたので聖剣は渡されなかった。
同時に血しぶきが飛んだ。
斬られたのはグランディーナの方だ。一瞬の隙さえも、フォーゲルとの戦いでは命がけなのだ。
「貴様がグランディーナか」
フォーゲルの声には抑揚がなかった。
「ラシュディさまの言っていた反乱軍のリーダー。だがおもしろい。この俺と対等に戦える奴が、この世に残っているとは思わなかったぞ!」
フォーゲルの攻撃が勢いを増す。スルストやフェンリルを相手にしていた時とは明らかに違う。
彼はグランディーナの方を、より強敵と認めたのだ。
だが彼女もこれを捌(さば)いた。
その激しさはスコルハティのそれに勝るとも劣らなかったが、彼女も易々と当てさせない。
しかし、一度、先手を取られると反撃に転じにくいらしく、さすがの彼女も防戦一方だ。
そこへ果敢にもスルストが斬り込んだ。彼の剣はムスペルムに置いてきてしまったので、どこからか持ってきた無名の剣を使っているが、フォーゲルに敵わないのはそれだけが理由ではなさそうだ。
それでもフォーゲルが退き、グランディーナが攻撃に転じる。
さしもの彼も傷つけられ、その竜頭からは想像もつかない赤い血を流した。
「何をしているか、フェンリル! いまのうちにブリュンヒルドをフォーゲルに当てよ!」
サラディンの再度の叱咤に彼女は我に返った。
グランディーナに加えてスルストもフォーゲルを攻撃する。切り札を持ったフェンリルから、少しでもフォーゲルの気をそらすためだ。
とうとう竜頭の騎士にブリュンヒルドが当たった。
彼の動きが止まり、己を傷つけた聖剣を凝視する。
「スルスト、フェンリル?」
だが次の瞬間には、彼はフェンリルを後方に殴り飛ばし、そのままスルストに斬りかかった。
それで済んだと思った油断が2人の天空の騎士を動けなくさせたのだ。
スルストはたちまちのうちにフォーゲルにめった斬りにされた。
フェンリルも倒れたきり動かない。
けれど、そのあいだにグランディーナも、曲刀を捨ててブリュンヒルドを拾っていた。
フォーゲルが彼女の動きに舌なめずりをする。
「これで邪魔者はいなくなった。おまえの力、とことん見せてもらうぞ!」
2人のあいだでさらに激しい戦いが繰り広げられた。
それはもはや常人が到達できる腕前を遙かに超えていた。
サラディンもランスロットも言葉もなく、目にもとまらぬ早業をただ眺めているしかできない。
その時、ランスロットはブリュンヒルドの歌う声を聞いたように思った。天空の島シャングリラで、邪龍ティアマットと戦った時に自分を振り回したように、聖剣が改心の使い手を得て、その喜びを謳っているような気がした。
ついにフォーゲルが倒れた。全身からの夥しい出血が彼の受けた打撃の多さを物語っている。
その傍らでグランディーナがブリュンヒルドを放り出して膝をつく。激しい息づかいはいまの戦いの厳しさの証であり、彼女も無数の傷を受けて、返り血も浴びていた。
だがランスロットは、彼女に近づこうとするサラディンを止めた。
「何をするのだ?!」
「駄目です! いまの彼女に近づいてはなりません。あなたでさえ殺してしまいます、わたしを楯にして逃げてください!」
「馬鹿な」
「近づくな!!」
グランディーナの声は悲鳴同然だった。
彼女の手足が意志に逆らって動き出す。
それでも彼女は抵抗を試みた。持っていた短刀をいきなり自分の足に突き刺したのだ。
「グランディーナ!」
「来ないで、サラディン! 怖い、あの時と同じだ、目の前にあるもの全てを壊したい、あなたたちも誰もかも殺してしまいたい、私も呑み込まれる、私もみんなと同じだ!!」
「どきなさい、ランスロット」
「しかし、危険です!」
「そなたもそのために楯になろうとしているのだろう? だが、わたしもそうだ。いつかこんな日が来るのではないかと恐れ、覚悟してきたつもりだ。それなのに、こんなことにならぬよう何の手が打てなかったのもわたしの落ち度、ならば、グランディーナを止めるのはわたしの責務ではないか」
「ですが−−−」
2人が話す合間にも肉を切り裂く音が不気味に響く。片足だけでは動けると判断して、グランディーナがもう片方の足にも短刀を突き刺したばかりか、これをひねったのだ。
「やめなさい、グランディーナ!」
「駄目だ!!」
近づこうとしたサラディンに彼女は血まみれの短刀を向けた。
すると脇から手が伸びてきて短刀をたたき落とした上に、彼女の首筋に手刀をたたき込んだ者があった。
いつの間にか蘇生したフォーゲルだ。彼は気絶したグランディーナを抱えて立ち上がった。
「迷惑をかけてしまったな。おぬしたちには、いろいろと訊きたいこともある。しばらくシグルド城で休んでいかぬか?」
「そうさせていただけると助かります。彼女の傷の手当てもしなければならない」
「スルスト! フェンリル! おぬしたちもとうに気がついているのだろう? ともに来い」
名を呼ばれて2人の天空の騎士は、ばつが悪そうに立ち上がった。
ランスロットはフォーゲルに駆け寄り、グランディーナを引き取った。アイーシャの来なかったことが悔やまれるような怪我だ。
「フォーゲル殿、いまから急いでマカルダーに戻ることはできませんか?」
「なぜだ?」
「わたしたちの仲間がマカルダーにいます。彼女はあなたに傷つけられたバンクロフト殿の看病のため、マカルダーに残ったのです。サラディン殿もわたしも、このような傷の手当てはできません」
「ならばワイバーンを出そう。そのあいだに血止めをしてやるがいい」
「ありがとうございます!」
「すまぬ、ランスロット。そなたの方が実用的な考えができたな」
「いいえ、わたしはアイーシャがいてくれればと思っただけです」
やがてフォーゲルが2頭のワイバーンを引いてきた。
シグルドでの評判はどうであれ、ワイバーンは彼によくなついているようだ。ランスロットは改めて、自分の見たもの、感じたことで、フォーゲルについても判断したいと思った。
「サラディン殿、グランディーナと乗ってください。わたしが一緒では、いくらワイバーンでも重くて速度が落ちてしまうでしょう」
「うむ、そうさせてもらおう」
2人を乗せたワイバーンはすぐに飛び立った。ランスロットとしてはグランディーナが途中で目覚め、さっきの惨劇を続けぬよう願うばかりだ。
そんな気持ちで見送っていると、フォーゲルに肩をたたかれた。
「おぬしも行くとよい。彼女が心配なのだろう?」
「ですが、ワイバーンはあと1頭しかありません。皆さまを歩かせるのは申し訳ないと思います」
「気にするな!」
今度は背をはたかれて、彼は咳き込んだ。とても大きな手だ。
「俺たちは歩いてゆく。天空の騎士同士、積もる話もあるしな。最初からそのつもりでワイバーンを連れてきたのだ。おぬしは騎士なのだろう? 騎士が守るべき者から離れてしまっては駄目だ。俺たちのことなど気にせず、先に行け。マカルダーでまた会おう」
「そうよ。あなたも先に行きなさい」
フェンリルにまでそう言われては断るのが悪いようだ。ランスロットはとうとうワイバーンにまたがった。
「それでは先に参ります」
「うむ。気をつけてな」
ワイバーンはよく仕込まれていて、初めて乗せるランスロットにもおとなしく従った。
サラディンたちを乗せた、もう1頭のワイバーンはまだ東の空に見え、だんだんと追い着いていった。
「サラディン殿!」
彼は手を振って応じた。グランディーナは幸い、まだ目を覚ましていないようだ。
「先に行って、アイーシャに知らせておきます!」
「頼む!」
上空はさらに風が強かったが、ワイバーンの羽ばたきはそれぐらいで左右されることもなく、ランスロットもいまは風どころではなかったので、急いでマカルダーに向かった。
ようやく町に着いた時、西の空にはとっくに太陽が沈んでいた。
ランスロットの心配をよそに、グランディーナは手当てが終わってからも目を覚まさなかった。ふだんの彼女からはあり得ないほど、深い眠りに陥っているようだった。
アイーシャはつきっきりで看病し、サラディンとランスロットも交代でグランディーナに付き添った。
そのうちに天空の三騎士が帰ってきても、彼女は目覚めることはなかった。
それなのに彼女はしばしば、苦しげに息を吐く。寝苦しそうに何度も寝返りを打ちながら、決して目を覚まさない。
誰もが眠れぬまま、夜が明けた。闇竜の月11日になっていた。
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