Stage Thirteen「暗黒のガルフ」
海竜の月2日未明、アンデッドの攻撃がやむことはなく、解放軍からはプロミオスとメラオースが戦線を離脱するという事態もあって、ギルバルドは各門を守る人員を次のように決めた。
東門は引き続きデボネアの小隊が守ることになった。西門にマチルダ、南門にラウニィーという配置も昨晩と同じだ。ライアンも引き続き南門だったが、ギャネガーとマーウォルスを使う。さらに3つの門に自警団が6人ずつついて、昨晩と同じく、3人一組となって防衛に当たる。それに加えて、北門にいた自警団の者も東門と西門に分けて配置され、3人の影も各門に1人ずつ加わった。残ったギルバルドとユーリア、プロミオス、メラオースが北門に廻った。
「北門は君たちだけで大丈夫か?」
「アラディの話では破られる恐れはなさそうだ。こちらに廻ってくるアンデッドはさらに北上するのだろう。危険なのはむしろケルーマンよりもバーミアンなのかもしれない」
「だが、あちらにはガーディナーたちのほかに天空の三騎士殿がお二人もいるだろう? このような非常事態だ、当てにできないかな?」
「だといいがな。だが、いまはバーミアンのことよりもケルーマンの守りに専念しよう」
「皆、一昨昨日(さきおととい)からの戦いで疲れている。特にロシュフォル教会の司祭たちが酷い。なかには声が出せなくなった者もいるそうだ。彼女たちに浄化してもらわなければアンデッドだって減らない。そんな状態で守りきれると思っているのか?」
「そうしなければ我々はここで倒れる。諦めるわけにはいかないだろう?」
「わたしは精神論ではなくて君がそう言う根拠を訊いているのだがね」
しかしデボネアの意に反してギルバルドは呵々(かか)と笑い返した。
「なんの、こんな時には精神論だって、そう捨てたものでもないさ」
デボネアが反論しようとすると、アンデッドの襲来を告げるロシュフォル教会の鐘が鳴り響いたので、それ以上、話を続けるわけにはいかなくなった。彼はギルバルドと別れて急いで東門へ走っていったのだった。
果たして、戦局はデボネアの案じたとおりとなった。
昨日の疲れが誰も取れていない状態で、自然と怪我人が増えた。
司祭たちは、解放軍の者もロシュフォル教会の者もすっかり喉を枯らしていて、呪文を唱えることもままならない。
ラウニィーの手には慣れたはずのオズリックスピアが重たかった。
ライアンにもギャネガーとマーウォルスを何度も戦場に引っ張り出すことは難しかった。2頭は尽きることのないアンデッドとの戦いに飽きている。だが今晩は満身創痍のプロミオスを使うわけにはいかない。
デボネアも苦戦していた。スティングたちの疲労が濃いと思うと、つい自分の担当している時間が長くなってしまうからだ。だが昨日ほど身体が動かない。
ケルーマンの自警団も慣れたとはいえ、調子に乗って任せるのは危険だ。第一、怪我など負わされた途端に、せっかく培った勇気も経験も台なしにならないとも限らない。
解放軍の誰もがいよいよ自分たちが八方塞がりの状態に陥りつつあることを悟った。グランディーナたちは今夜中にケルーマンに着くことはないだろう。スルストとフェンリルもバーミアンを離れることはあるまい。助けは来ないのだ。ケルーマンにいる者たちは自分たち自身の力で、この困難を乗り越えなければならなかった。叱咤も激励も、いまの彼らには空しく響くだけだろう。
「ギルバルドさま、何だか大勢の人たちがいらっしゃいましたわ」
ユーリアに促されて、彼がそちらを見ると確かに棒切れを持った大勢の女性がギルバルドたちの守る北門にやってくるところだった。その年齢は老いも若きも様々で、手にした棒切れもめん棒だったり、薪だったりとまちまちだった。前掛けをした女性もいれば、乳飲み子を背負った女性もいる。ただ彼女らに共通していたのは眼差しだった。強い意志を感じさせる視線だけが彼女らに共通しているものだった。
「このような時間にいかがした?」
ギルバルドが近づいていくと、数人の女性が進み出た。身なりの良さから名士の妻たちと思われたが彼女たちが起きている時間でもないことは明らかだ。
「私たちはあなたたちの手伝いをさせていただきたいと思ってうかがいました。町がこのような時にこれ以上、私たちが傍観したままでいることは許されないでしょう。私たちも一緒に戦わせてください」
「相手はアンデッドだ。見たところ武器と思しき物は持っているようだが効果はあるまい。志はありがたいがアンデッドと戦うことはできなかろう。お引き取り願おう」
「それではおうかがいしますが、あなたたち解放軍の方々はアンデッドに効果的な武器をお持ちなのですか? いいえ、ケルーマンの自警団の方たちでもかまいません。あなたたちにはアンデッドに通用する武器があるのですか?」
「そうではない。残念ながらアンデッドに効果のある武器はここには一つもないのだ。我々にできることはアンデッドがケルーマンに入らぬように守り、ロシュフォル教会の方々に浄化してもらうだけだ」
「でしたら、私たちにもできることはありましょう。お願いです。町の者でもない、あなたたちが戦っているのに私たちが見ているだけなんてできません。どうか手伝わせてください」
「なぜ女性しかいないのか訊いてもよろしいか?」
「男たちが立ち上がらないからです。彼らはあなたたちと自警団に任せたきり動こうとしません。ですがケルーマンは私たちの町です。町を守るのに、いつまでもあなたたちに頼ってばかりいられません」
すると彼女たちの後方が騒がしくなって、女性たちをかき分けるようにして男たちが現われた。彼らは手に何も持っておらず、女性たちがこんな時間に町を守るためと言って出かけてきたことを、ついさっき聞きつけて慌てて起き出してきたような風だった。
「帰るんだ、ブレンダ。武器を持ったこともないのに、おまえたちがケルーマンをどうして守ろうと言うのだ? この方たちは忙しいのだ、おまえたちが邪魔してはいかん」
そう言った男はケルーマンの町長だった。彼が手をつかんだ女性は妻なのだろう。しかし彼は、すぐにその手を振りほどかれた。
「もうあなたたちの言いなりにはなりません。ケルーマンは私たちの町なのですよ? 自分たちの町を自分たちで守ろうとして何が悪いのです?」
「何を言うのだ。そのために自警団を結成したのではないか。おまえたちの出る幕ではない」
「自警団の人たちについては確かにあなたの仰るとおりでしょう。ですが、この方たちはケルーマンとは何の関係もないではありませんか」
「だが彼らは解放軍だ。このアンデッドがゼテギネア帝国の仕業ならば、帝国と戦う解放軍が対処するのが当然ではないか」
「なんて情けない!」
その言葉をきっかけに女性たちから非難の声が沸き上がり、男たちを責め立てた。彼らはそんなことを言われるのがギルバルドのせいであるかのように恨めしそうな視線を向けた。
「あなたたちはそうやってロシュフォル教会の方たちにも頼り切るつもりなのね。だけどアンデッドが出るようになって何日経ちましたか? 皆さんが疲れて戦っているというのに、どうしてそれを見ているだけなんてことができるのです?」
「我々は戦士ではない。どうしてアンデッドと戦えるなどと思うのだ?」
「私たちも戦ったことなどありません。ですが、これ以上、何もしないでいることなどできません。いいのです、あなたたちが戦わなくても。私たちが戦うと言っているのです」
「そんなことをさせられるわけがない!」
「あなたたちが戦わないと言うのですから私たちが戦います。ケルーマンの町は解放軍の方々や自警団の方たちとともに私たちが守って見せます。
さあ、あなたが解放軍のリーダーなのでしょう? 私たちに指示をしてください」
「そんな勝手なことは許さんぞ!」
男たちは力ずくで女性たちを止めようとしたが、彼女たちがめん棒やら薪やらを振り回したので手を出すことができなかった。
このやりとりを黙って眺めていたギルバルドは彼女らを戦いの場に出すことの危険性と、その手伝いなしで朝まで持ち堪えられるかを天秤にかけていたが、女性たちが本気であることを察して、ようやく頷いた。
「ならば、あなたたちにもともに戦ってくれとお願いしよう。だが手伝いなどとは思わないでほしい。戦う以上、あなたたちも立派な戦力だ。まずはこちらへ来てくれ。いくらなんでもめん棒でアンデッドと戦うわけにはいかない」
「ありがとうございます!」
男たちを尻目に女性たちから歓声があがった。
「待ちなさい、ブレンダ」
しかしもう一度、町長がギルバルドとその妻のあいだに割って入った。
「おまえを戦わせるくらいなら、わたしが戦おう。それに赤子を背負った者までいるではないか。
ギルバルド殿、まさか、あなたはこのような女性にまで戦えとは言いますまいな?」
「何人かの方たちには気持ちだけいただいてお断りするつもりだった。だが、このような事態にあって男性も女性もあるまい。我らの解放軍にも戦う女性はいる。大事なのは戦うという意志だ」
その言葉に女性たちがさらに大きな歓声をあげ、拍手さえわき起こった。ここにきて重い腰だった男たちも、ようやく町を守るという意志を明らかにした。
ギルバルドは彼ら彼女らをまず南門に連れていった。ありったけの短槍と、同じ長さの棒が持ち寄られ、6人一組になって、昨晩、自警団に施したのと同じ訓練がなされた。
女性たちは男たちよりも声を上げ、実際に町を襲わんとするアンデッドを見ても容易なことでは怯(ひる)まなかった。赤ん坊を背負った若い母親や年寄りは帰されたが、それでも半数近くの女性と大勢の男たちが残り、町の守りについた。なかには赤ん坊を預けて出直してくる母親までいたほどだ。
やがて彼女たちは三手に分かれて、順に前線に立った。いまやケルーマンの町に眠っている者は少なかった。解放軍とロシュフォル教会と自警団に守られるままだった人びとが自らを守るために立ち上がったのだ。老若男女の別なく人びとは短槍や棒を振るい、一緒になってアンデッドを押し返した。
この夜、浄化魔法で消滅させられたアンデッドは少なかった。新たな守り手が大勢加わったことを鑑みて、ギルバルドが使い手たちをほとんど休ませたからだ。連戦の疲労も溜まっていて、休ませる前からろくに呪文も唱えられなかった者も大勢いたためもある。
それでもともに戦うことを選択した人びとの表情は明るかった。既に戦っていた自警団の者たちにも新たな勇気を与えたのだった。
そして海竜の月3日未明には目に見えてアンデッドが減り始めた。それらを生み出したオミクロンが倒されたことを確信したギルバルドは町長に翌日には町を離れることを伝えた。
「残念ですな。せっかく色々とお世話になったというのに、一席も設けないでお別れとは」
「気を遣われることはない。我らはいつもこのようなものだ」
「あなた方がいなくなると妻が寂しがります。あなた方には興味もない土地でしょうが、また来られることがあったなら是非、寄ってやってください」
「喜んで。その時は奥方ご自慢の手料理もご馳走になりたいですな」
「わっはっはっは! あいつ、そんなことまで言いましたか!」
「グランディーナ、わたしはバーミアンに戻ったら、スルストとフェンリルと合流してアンタンジルに行く。天使とおぬしたちを連れていくわけにはいかないが、あらかじめ言ったようにサラディンにともに来てもらいたい。おぬしたちはユーシス殿に従って、バルハラに向かってくれ」
「バーミアンに戻るのはいいが、カオスゲートのある島までどうやって行くつもりだ? グリフォンも必要だろう?」
「そうだな。だがアンタンジルにグリフォンを連れていく必要はない。カオスゲートの付近で待たせておくことはできるか?」
「カノープス!」
彼女が呼ぶとバルタンはすぐに飛んできたが、同じ問いを繰り返したフォーゲルには首を振った。
「誰かいねぇと無理だろう。自分の面倒は自分で診るが、奴らにとっちゃ残りたい理由はねぇからな」
「ならば誰か1人、ともに行かせないと駄目だな」
「何の話だ、いったい? 俺かギルバルドが一緒に行くってわけにはいかねぇのか?」
「バーミアンに戻ったら話す」
そう言って、彼女はカノープスを追い払った。
「ユーシスがバルハラに行きたがるのに、なぜ私たちがつき合わなければならない理由がある? 天使長が何をしようと私の知ったことではない」
「バルハラにいるのはミザール殿だけではないからだ。ラシュディと契約を交わし求められるままに天使を召喚していよう。それにゼテギネア帝国の者がともにいる可能性も高かろう」
「なるほど。どちらにしてもバルハラは旧ホーライ王国の王都だ。放っておいていいはずはなかったな。あなたたちはバルハラに行く気はないのか?」
「ミザール殿に会いたいし、おぬしから目を離すのも不安が残るが、そうすると話がややこしくなる。ユーシス殿はバルハラに急ぎたいだろうが、我々はせっかくアンタリア大地に来たのだ、アンタンジルとガルフのことを先に片づけたい。グリフォンがあるとはいえ、慣れない地上で行ったり来たりしたくもないのでな。それに我らがミザール殿に会ったところでもはやできることはなかろう。フィラーハがいままで天使長を堕天させたことは一度もなかったのだ、たとえキャターズアイが天界に取り戻されたとしても、ミザール殿の堕天が取り消されることも、あのまま再び天界に迎え入れられることもあるまい」
そう言うと、フォーゲルはユーシスの方に目をやった。彼女はカンダハルで助け出されてから、ほとんどのあいだ視線を北の方に向け、フォーゲル以外の者と話すこともなかった。
バルハラはアンタリア大地からガルビア半島を経てずっと北だ。肉体を得て地上に降りたユーシスには、その距離は天界よりももっと遠くに感じられているのかもしれなかった。
海竜の月4日、ギルバルド率いる解放軍の本隊はケルーマンを発ち、その日のうちにバーミアンでグランディーナたちと合流した。
デボネアが案じたバーミアンを襲ったアンデッドはケルーマンほどの数には至らず、天空の騎士2人とガーディナーたち、それにロシュフォル教会の司祭たちの協力で事なきを得ていた。
バーミアンからガルビア半島に渡り、街道を一路北上してアラムート海峡に至った解放軍はミナチトランで補給を受け、ガルビア半島への遠征からこちら3ヶ月も一緒に行動してきた人員の交替も行った。
アラムートの城塞を攻めた時に出た多数の怪我人がようやく復帰してきて、それとともにミナチトランとテグシガルパのロシュフォル教会に出向していたフランソワ=シャルンホルスト、コーネリア=カルノーをそれぞれのリーダーとする司祭や僧侶たちも一斉に戻ってきたからである。
「私たちは次にバルハラへ向かう。天宮シャングリラでミザールの名において私たちを襲ってきた天使や当のミザールがそこにいるからだ。それに都市の機能を失ったとはいえバルハラは旧ホーライ王国の王都だ。遅くなったが、この地の奪還はいまだ解放軍に参加していない者、旧ホーライ王国の旧臣たちに強く呼びかける効果もあろう。ただし、サラディンとユーリア、天空の三騎士の5人はグリフォンとともにアンタリア大地に残り、アンタンジルに向かってガルフを片づける。我々は明日の船でガルビア半島に戻り、バルハラを目指す。今日はよく休め!」
こうして解放軍はアンタリア大地での戦いを終え、バルハラに向かった。
24年前の戦争でラシュディの放った禁呪のために永久凍土とも揶揄される、かつての王都をいま堕天使ミザールが支配する。
氷土に散るのは解放軍か堕天使か。
新たな戦いが始まろうとしていた。