Stage Thirteen「暗黒のガルフ」
「聖なる父の御名において、堕ちたる者ここに断罪せん。聖なる父よ、この者の罪と、あなたの下で新たに徳を積むことを許したまえ」
その言葉とともにまるで砂の像のように天使たちの姿は崩れ、霧散した。
ユーシスが息を吐き、十字架を下ろす。
バルハラに入ってから、彼女に断罪された天使は数十にのぼる。それがなぜかは言わないが、グランディーナはもとより同じスローンズのエインセルにも手を出させないのは、彼女が天使長だからという特別な理由があるからに違いなかった。
けれど、そのために彼女たちの歩みは遅かった。前の天使長ミザールの名の下に召喚された天使たちが、まるでユーシスを追ってくるかのように、ひっきりなしに遭遇するからだ。
もっとも、バルハラにいる帝国軍は天使ばかりではない。人間が相手の時は解放軍が対処するのだが、それも大した数ではなかったので、グランディーナはミナチトランで交替した、ほとんどの部隊をアラムートの城塞に戻したのだった。
残ったのは彼女と行動をともにするランスロット、カノープス、アイーシャ、それに構成員を改めたケビン率いる小隊と、カリナ=ストレイカーが連れてきた2頭のコカトリス、補給部隊のフレドー=ケフェンフラーだけだった。
フォーゲルら天空の三騎士とサラディン、ユーリア、さらに5頭のグリフォンはアンタリア大地で別行動をとり、アンタンジルへ向かっていた。カオスゲートを開く必要があるので聖剣ブリュンヒルドもそちらだ。
バルハラは24年前の大戦でラシュディが禁呪を使ったので、ガルビア半島同様、年中吹雪いている。それもバルハラ城に近づくほどひどく、ウィルクスランドのような辺境では雪がちらつく程度になるのだ。その程度でも本来の穏やかな気候からの変化は激しく、旧ホーライ王国の王都とは思えないほど衰退していた。
禁呪が使われたことがあったのでランスロットはガルビア半島のようにグランディーナの古傷が痛むことを案じたが、彼女の返答は「大丈夫だ」の一点張りで、現に帝国兵と戦うこともあるほどだった。
そして彼女らはユーシスに率いられてウィルクスランドから一路北上してバルハラ城を目指していた。ラシュディを愛し、魔石キャターズアイを盗み出した咎で堕天させられた前の天使長ミザールに会うために。
「今日はここで休みます。用意をしなさい」
ユーシスの言葉にグランディーナが頷いて皆を振り返った。
仲を取り持つ天空の三騎士が不在なので、天使たちの高圧的な態度が案じられていたが、彼女たちは話し相手をグランディーナ1人にしぼり、天使たちの方もエインセルたちに口出しをさせないという取り決めができていたので、アンタリア大地に向かった時ほどの不快さは覚えずに済んでいた。
天使たちはやはり眠りもせず食事もしなかったが、ユーシスが1人で天使を断罪することに疲労も覚えるらしく、夕方頃になると休むと言い出したことも解放軍には好都合であった。
その一方でユーシスは町に寄りたがることはなかった。グランディーナが影に手を回させているのか、人びとが新たな天使長に目通りを願い出ても祝福を与えるのみだ。
彼らは突然バルハラに現れた大勢の天使たちに驚き、戸惑っていた。神話、あるいはお伽噺の中の存在が自分たちの世界に踏み込んできたのだ。解放軍には大いに理解できる感情である。
しかも一方がゼテギネア帝国、もう一方が解放軍について戦っているとなれば、さらに迷うのも無理はない。だが聞けば、ミザールはバルハラ城に閉じ籠もり、人びとの前に現れることはないし、彼女の名の下に召喚された天使たちも人目に触れることはほとんどないらしい。
自ら出向くことをしないとはいえ、ユーシスは訪れた人びとに会うことは拒まなかったし、フィラーハと天使長の名において、彼らに祝福を与えるのだから、その違いは明らかであった。
そして24年前は従騎士に過ぎなかったとはいえ、旧ホーライ王国騎士団の生き残りで固めたケビンの小隊の存在も、ゼテギネア帝国に対して解放軍の正当性を裏づけるのに役立っていた。
それほど禁呪の影響はバルハラの人びとを苦しめていた。ゼテギネア大陸のほぼ中央に位置し、大商業都市マラノにも近い旧ホーライ王国の王都は、激変した気候のためにかつての賑やかさを失い、人口も往事の10分の1に減ってしまったのだ。
いまのバルハラには自分たちが生きていける産業もない。食料はほかの地域から運んでこなければならないし、ほかにめぼしい特産品もないからだ。
切れることなく降り続ける雪が人びとの生活を根底から崩してしまった。だからこそ、このような状況をもたらしたラシュディとゼテギネア帝国への恨みは深い。これに対する帝国の答えが、徹底した弾圧だったことも人びとの感情の悪化に拍車をかけていた。
バルハラの解放は、旧ホーライ王国の王都だったとは思えないほど順調だった。バルハラがゼテギネア帝国にはもはや何の価値もないことの証でもあろうが、解放軍には意味がある。バルハラの解放が済めば、ゼテギネア大陸の東半分が帝国の支配下から脱したことになるからだった。
海竜の月23日、ユーシスたちと解放軍はバルハラ城を望むところまで接近した。
もはや彼女たちの上空を天使たちが舞うことはない。そこに残るのはわずかなゼテギネア帝国兵とミザールだけだ。
まるで氷のように表情を変えることなく、来る日も来る日も天使たちを断罪し続けたユーシスは、ここに来て初めて愁いを帯びた様子を見せた。
「あの城には明日、向かいます」
彼女の言葉にグランディーナは皆に野営地を設置するよう合図した。
吹雪はこの辺りがいちばん酷く、都市は雪に埋もれている。
住人のほとんどが逃げ出したいま、王都としての機能は皆無に等しく、かつてはゼテギネア一と謳われた優美な城も、まるで巨大な墓標のようだった。
「まさか、これほどひどいとは思わなんだ」
ケビンがため息とともにつぶやいた。
「これではバルハラの復興など望むべくもないではないか」
「むしろ好都合ではないのか? このような状態でバルハラの復興を言い出す者はあるまい。逆におぬしの言っていた鎮魂の場としてなら、これほど雄弁に語るところもない」
アラムートの城塞から一時的にケビンの小隊に加えられたチェスター=モローがそう返す。
2人はバルハラに来てからというもの、フレドーも交えて毎晩のように、その鎮魂の場について話し合っていた。ケビンもチェスターも激しやすい性格の上、興奮するとフレドー1人では抑えきれないところだが、話題が同胞の弔いにまつわることであるだけに、話し合いは終始静かなものであった。
傍でこっそり耳を傾けていたランスロットとカノープスの方が静かすぎて拍子抜けしたくらいである。
そしてその夜、フレドーがグランディーナに解放軍から抜けたいと申し出てきた。なぜかケビンとチェスターも一緒にだ。
「辞めるというのはあなたたちも一緒にか?」
「いいえ、わたしだけです。解放軍の戦いも途上だというのに、彼らを辞めさせるわけにはいきません。ですが、わたし1人ならば、それほど影響はないだろうと判断しました」
「あなたの功績を考えると影響がないとは言えないがヨハンは承知しているのか?」
「彼らとも話し合った上です。皆のなかでわたしがいちばんの適任だろうということになったのです」
フレドーはヨハンと同じく旧ホーライ王国に仕えた文官だが、専門は建築だそうでアラムートの城塞の外壁を修復する工事の時にも指揮を執ったのだった。
「わかった。このままバルハラに残るのか?」
「そのつもりです。残った者を集めて下調べから始めようと思っています」
「私は手伝えないが、うまくいくといいな」
「ありがとうございます。こんなところで抜けるのは心苦しいのですが、ゼノビアのようにホーライも復興にとりかかりたいと思います。それにはまずバルハラから始めなくては。解放軍の武運をお祈りしております。そしていつか、皆様をバルハラにお招きしたいですね」
「あなたも元気で」