Stage Thirteen「暗黒のガルフ」
翌闇竜の月14日、カノープスを乗せたエレボスを先頭に、5頭のグリフォンが次々に飛び立っていった。
カオスゲートの周辺には相変わらず猛烈な吹雪が荒れ狂っている。それはガルビア半島のどこよりも強いもので、ラシュディの仕掛けた罠が二重の影響を与えているものと思われた。
ランスロットはグランディーナの身を案じたが皆より軽装なくらいで異常があるとは見えないのは相変わらずだった。
「私たちはこのままガルビア半島を南下する。行くぞ!」
グランディーナの号令でフレアブラスとライアンを先頭に、解放軍も移動を開始した。目指すゾルムスタインは、ここから4日のところにある。
ゾルムスタインへ向かう途中、解放軍は天空の三騎士も天使たちも、食事もせず睡眠を取る必要もないと知らされて、かなり驚かされた。
さらに天空の三騎士とも異なるのは天使たちが暑さや寒さもまったく気にしていないことだ。自分たちと同じように見えるが、特に天使の場合は形だけの肉体であり、それは地上に降りるために必要な「物」なのだと言う。身体など天界では無用の長物だとも言われるに至っては、まったく異なる存在だと思わないわけにはいかなかった。確かにその肉体はただの器なのだ。
そのせいか、彼女らは3人とも光り輝くような美貌の持ち主であったが、その美しさは人のものとはまるで違い、無機質なものとしか感じられなかった。いくら着飾らせても人形や彫像には惚れないようなものだ。
しかし一度、その身体を得て地上に降りた天使たちは今度はその身に捕われてしまう。自由に空を飛ぶことはできるものの肉体という枷から逃れることはできない。肉体が囚われの身になってしまうと人間同様、逃げ出すことは容易ではなく、その身の及ぶ限りのことしかできなくなるのであった。
地上に降りたきりアンタリア大地で行方不明になった天使長ユーシスもまた、囚われの身となったものと天使たちは考えていた。
「もしも肉体が破壊された場合はどうなるんだ?」
グランディーナの問いにエインセルは不快そうな顔を隠さなかった。肉体が器に過ぎないのに感情があるというのもまた不思議な話だ。
「私たちは死にません。肉体が破壊されても私たちはまた天界に蘇るだけです。ですが、そのようなやり方は好ましくありません。私たちが天使として積んできた経験が全て無駄になってしまうからです。ですから頻繁に地上に降りるのは、そのような危険を犯すことにほかならず肉体を得ても速やかに天界に戻るべきなのです。その禁をミザールが破ったために、このような事態を引き起こしてしまいました。でも、そんなことがユーシスを捜すのに何の関わりがあるというのですか?」
「万が一、ユーシスを人質にとられても、その身を気遣わないで済む」
「何て野蛮な考え方なのですか! 天使長を見殺しにするなど、解放軍とやらも帝国軍と変わらぬ野蛮人のようですね。そんなことをすると、あなたたちには天罰が下りますよ」
「死んでも蘇る天使と、死んだらそれきりの私たちとでは死の重さが違う。天罰など下したければ下すがいい。ユーシスを見殺しにして解放軍から犠牲者を出さないで済むのなら私の腹は決まっている」
エインセルは十字架をグランディーナに向けたが、素早くフォーゲルに制せられた。そこで彼女の怒りの矛先は、今度は天空の三騎士に向けられたが、2人のエンジェルの十字架も揃ってグランディーナの方を向いていた。
「フォーゲルさま! なぜ、あなたが指揮を執らないのですか? 天空の三騎士ともあろう方々が、たかが人間の言いなりになっていてよろしいのですか? そうでなくてもこのような不遜な輩を放置しておくなど怠慢が過ぎるのではありませんか?!」
皆を安堵させるのは天空の三騎士、特に竜牙のフォーゲルが天使たちの過敏な反応に冷静に対処していることだ。
「先日、申し上げたとおり、我らが地上に降りるのはオウガバトル以来、何千年ぶりかのことです。地上の風景は様変わりし、我らの知らぬ国ばかりとなりました。人の姿も生業(なりわい)も変わっております。いまの地上で知らぬままでいては具合の悪いこともありましょう。天空の三騎士とはいえ我が物顔で地上を歩くのは気が引けるのです。それにゼテギネア帝国との戦いはあくまでも解放軍のものです。我らが下手に指揮を執っては、勝てる戦を落としてしまうかもしれません」
フォーゲルの返答にますます不機嫌になった天使の肩をスルストが素早くつかむ。女たらしの彼には器ばかりの天使たちも関係ないらしく、嬉々として相手をしているようだ。
「そうでスヨ、エインセルさん。最初から張り切っても疲れてしまうだけでスネ。それに暗黒のガルフのことも気にかかりマス。もとはといえば、わたしたちが奴を封じるしかできなかったのも悪いノデス。奴も死んでしまうわけではありませんが、二度と天界や地上に手を出したくないと思わせるぐらい、こっぴどい目に遭わせてやらないといけませンネ」
「疲れない御身とはいえ、慣れない地上では気詰まりもいたしましょう。どうぞ、皆様、こちらでお休みください」
フェンリルの差し出した手にスローンズは己の手を重ねた。天空の三騎士の気配りに表情は少しだけ和らいでいたが、グランディーナに向けられた眼差しは氷のように冷たかった。
「あなたには天空の三騎士さまの御心があっての地位だということを忘れないでもらいたいものですね」
しかし彼女は狸寝入りを決め込んでか、あるいは例によって本当に寝ているのか返事もしなかった。
「バルハラとガルビア半島の凍土の下には、我らの同胞が眠っている。その亡骸が掘り返され、弔われる日が来ることもあるのだろうか?」
かつてホーライ王国騎士団の従騎士としてバルハラでの戦いに参加したケビンは、変わらぬ光景に、そうつぶやいた。騎士団の9割がラシュディの放った禁呪に倒れたという一方的な戦いで、彼が生き残ったのはいくつもの幸運が重なったからに過ぎない。解放軍にも彼の同僚はおらず、同じホーライ人でもバルハラの戦いは伝え聞いたのみと言う者も珍しくない。
そのためケビンとそういう話ができる者が少なく、彼の言葉はたいがい皆に聞き流されてしまうのだが今日は違っていた。
「フレアブラスの灼熱の息をもってしても、この根雪を溶かしきることはできないだろう。放っておくだけで水も氷になるような所だ。そこで24年前に倒れた方々の遺体を掘り出すのは至難の業となるだろう。ならばバルハラもガルビア半島も、このまま弔いの場としてしまった方が合理的だとわたしは思うが、それではそなたたちの気は済まぬだろうな」
サラディンが応じるとケビンは考え込むような顔をした。いつも答える者などないのが当たり前なので彼の話は一考するに値したのだろう。だが冷たい風が、そんな会話さえ奪い去っていく。それが止む日が来るのかも誰も知らないことだ。
「そうでもありますまい。バルハラの戦いを話でしか聞いたことのない者の方が多くなってきました。ならば何があったのか知らせる手段をこれから考えていかなければならないと思います。それにはバルハラやガルビア半島はもってこいの地です。何より、いまのままではバルハラもガルビア半島も厳寒の地と敬遠され、いずれ廃れてしまうでしょう。それよりも弔いの地ということで人びとが集まるようになれば、倒れた者たちの魂も慰められるのではないでしょうか?」
話しながらケビンは、いままで自分のなかにあった漠然とした案がはっきりした形になるのを感じた。見えそうでいて、なかなか見えなかった同胞を弔うための方法がサラディンと話すことで見えてきたのだ。
それを察してか彼の表情も穏やかに励ますようだ。
「ならば、そなたから始めればよい。そうすれば志を同じくする者が集まってくる。それは力となって、周りの者を動かすだろう。だが、そなた1人で行うには事が大きすぎる。同士を、それもできるだけ多く集めなければなるまい」
「そうですな。いずれにしてもこれは生き残った者の仕事です。何もしないでいるより行動を起こすことこそが亡き同胞へのいちばんの弔いとなってくれるかもしれません。この戦いが終わる前に、ひとつ考え始めてみるとしましょう」
言ってから彼が北方に向かって祈りを捧げたので、多くの者も思わずそれに倣った。自分たちが知らぬうちに倒れた人びとの亡骸を踏みつけていたかもしれないと感じたからかもしれなかった。
ゾルムスタインを離れた時、ようやく厳しい寒さから解放軍は自由になった。
彼らが天空の島で過ごしているあいだに季節はとっくに夏になっていたのだ。