Stage Thirteen「暗黒のガルフ」4

Stage Thirteen「暗黒のガルフ」

「ユーシスは口実だろう。なぜ一緒に来た?」
「我々の目的はおぬしの監視だ。ユーシス殿のことが気になるのも事実だがな。それにカオスゲートの場所を教えるとも言っただろう」
「そうだった。だが、あなたに言われなくても、あのような事態を二度と引き起こすつもりはない。私もまだ命は惜しい」
「残念だが、おぬしの言葉を完全に信じるわけにもいかないのでな。それにシグルドで譲歩したのは我々の方だ。事情を知らぬ者たちに誤魔化すぐらいの協力はするが、おぬしには多少の不自由さは我慢してもらわねばならん」
「勝手にしろ。だがちょうどいい。アンタンジルについて詳しく教えてくれ」
「アンタンジルについて、どのようなことを知りたいと言うのだ?」
「遅かれ早かれ、いずれ私たちはアンタンジルに行かなければならなくなるのだろう? ならば、そこで迷わぬすべてをだ。あなたたちがガルフとの戦いを引き受けてくれるのだとしても、私たちとて何もしないでいいというわけにはいかなさそうだからな」
「アンタンジルにはできるだけ少人数で行くつもりだ。もちろんエインセル殿たちも連れていくつもりはない。天使は魔界の瘴気には耐えられまい。我々3人のほかにはサラディンが同行してくれれば、おぬしたちに事情を説明するのに適任だと思うが、どうだ?」
「サラディンに負担をかけたくない。私が行こう」
「無理をするな。オウガバトルの間からアンタンジルはこの地上に現れた魔界となってしまった。そこでする息は一口ごとに人の身を蝕み、そこで見るものも聞くことも人の身に悪意を持っていよう。もしもそこで採れる物を一口でも食べれば人は魔界に囚われ、やがて魔界の住人となってしまうだろう。それは暗黒道より、なお酷で確実なことだ。おぬしがアンタンジルに行けば、堕ちてしまわないとも限らない。ガルフの復活は確かに厄介だが、さしもの奴も全盛期の力を取り戻すまでにはまだ時間がかかるはずだ。それよりもアンタンジルの瘴気にさらされることでおぬしが堕ちるならば、我らは当初の目的を最優先で遂行する」
「あなたたちは、どうしても私をフィラーハの狗にしたいようだな」
「その方が最善の道だから言うのだ。天空の騎士になれば堕ちることはない。地上はおぬしという脅威を失うし、天界は最高の戦士を得る。地上に置いたままにしておくには、おぬしの力は大きすぎるのだ」
「天界のことなど知らないし興味もない。己の生き死にをフィラーハに左右されるのも真っ平だ。私は地上で生き、死んでゆく。万が一の時にはあなたたちの手を煩わせるには及ばない」
「確かに、おぬしの精神力の尋常ならざることは俺も認めよう。俺たち3人の誰も、それだけの力には耐えきれまい。フィラーハの守りがあればこそ、これだけの力を振るえる、堕ちることもなしにな」
グランディーナはしばらくのあいだ、黙ってエレボスの手綱を握っていた。目的地は西の無人島と漠然としていたが海の上で見失うことはないだろう。万が一の時はカノープスもいる。
「あなたは暗黒道も極めた最強の戦士だったと聞いたが、天空の騎士になる前はどうだったのだ?」
「そう、確かに俺は強かった。地上では敵なしで天界にまで行ったぐらいだ。俺の生まれた時代は世界がまだ混沌としていてな、いまのように天界と地上、それに魔界が分けられていなかったのだ。だから天空の島へ来ることもあの時は簡単にできたのだ。だが、たとえ天空の島へ渡ることが難しかったとしても俺はそれを諦めたりしなかったろう。俺は戦える相手、俺を高揚させ、満足させてくれる相手を求めて地上をかけずり回っていたが、そんな者はいないとわかってしまったからだ。だからディバインドラゴンに挑むという愚挙も犯したし、倒した後のことを考えもしなかった。ただ強い相手と戦えればよかったからだ。俺はおぬしのように堕ちる心配はなかったが、結果的にシグルドを分断させ多くの人を死なせてしまった。神にも等しいディバインドラゴンを倒そうとした時にすでに堕ちていたとも言えるだろう」
「馬鹿馬鹿しい。私が聞きたいのは、フィラーハの喜ぶような戯言じゃない。それともあなたもスルストのように天空の騎士になったことを後悔していないと言うのか? だったら、こんな話はおしまいにしてくれ。あなたたちに何と言われようと私は天空の騎士になる気などない。たとえ、この身がオウガになろうと誰かの意のままになるなど真っ平だ」
「そうはいかぬ。おぬしはすでに身をもって体験したはずだ。堕ちれば破壊衝動は耐え難いほど増す。そうなったおぬしを誰が止められる? サラディンやランスロットを殺したところでそれは決して止まるまい。目の前に殺す者がいなくなれば破壊できる物を破壊し、その衝動が求めるままに殺し、壊し続ける。放っておけば魔界や天界にさえ来るだろう。堕ちるとはそういうことだ。おぬしがその兆候を見せれば、そうなる前に天界に連れていく。それが、お主の自主性を尊重しての最大限できる譲歩だ」
「きりがない。アンタンジルの地理はどうなっている?」
「おぬしたちがアンタンジルに行くことはない。そんなことを訊いてどうする?」
「行く機会がまったくないわけではあるまい。それに知らないところの話を聞くのは嫌いじゃない」
「なるほど」
するとフォーゲルが身体を揺すり始めたので笑っているのだとわかった。
「何がおかしい?」
「おぬしは好奇心が旺盛だし話のすり替えも多少強引だが巧みだ。おぬしが堕ちずにいられるのは、そういうことの積み重ねかもしれないと思って感心させられたのよ」
「人の気も知らないで呑気なものだな」
「そうだ、だから天空の騎士でいられるのよ。力ある者が力なき者を気遣うのは当然のこと、いつ堕ちても不思議のないおぬしが地上にいたいと言うのは単なるわがままに過ぎん。おぬしは地上にいるためにして当然のことをしているだけだ」
「そんなことは言われなくてもわかっている。いちいち口うるさいぞ」
フォーゲルは、なおしばらく笑い続けた。女好きのスルストや人のいいフェンリルよりも、ずっと老獪なようだ。
「すまんすまん。おぬしにとっては笑い事ではなかったな」
「あなたの言うことは間違いではない。私が怒る筋合いではないだろう」
「その精神力が尋常ではないと言うのだ。だが、いまはアンタンジルの地理についてだったな。カオスゲートを出るとムバンダカという町がある。アンタンジルでは最も大きい町だ。いまも町として機能しているのかは知らないがな。町の周囲は広大な湿地帯で、おそらくダーイクンデイー湿原よりも広いだろう。オウガバトルのころはそれほど広い湿原ではなかったが、魔界から漏れ出す瘴気がアンタンジルの大地を変えているだろう。ところどころに底なし沼があって、踏み入れると抜け出すこともできぬ。しかもそこには死霊がいて生者をおびき出そうとしていたり、取り憑いて殺そうとしていたりする。沼が魔界につながっていると言う者もいる。魔界の水がただの水のはずはないからな。いくら浄化してもアンデッドが尽きることもなかった。だが事実は誰にもわからぬ。この地を我が物顔で歩くアンデッドさえ知ることはあるまい」
「そのムバンダカからガルフが封印されているところは遠いのか?」
「ムバンダカからイノンゴの廃墟を経て、4日ぐらいでガルフを封印したところに着ける。それにアンタンジル全体は広い土地ではない。10日もあれば、端から端まで歩き尽くせてしまうだろう」
「なぜ、そんなに狭い? アンタンジルも元はゼテギネアの一部だったのではないのか?」
「魔界の瘴気を漏らさぬために、アンタンジルを結界の中に封じ込めねばならなかったからだ。ガルフを封じたところがその中心だ。そこもアンタンジルと呼ばれていた」
「結界の中にはムバンダカも入っているのか?」
「ムバンダカだけではない。アンタンジルにはほかにもいくつか町があったが、それらも全て結界の中だ。地上にありながら、アンタンジルへ行くのにカオスゲートを使わなければならないのは結界のためだ。魔界の瘴気が拡がるのは速かった。逃げ遅れた者を待つあいだに結界を張らなければならない土地は拡がり、瘴気はそれだけアンタリア大地にも漏れ出していただろう。地上に悪影響を及ぼさないためには広めに結界を張っておかねばならなかったのだ。そこにいた人間たちを犠牲にしてでもな」
「あなたたちにはブリュンヒルドがあったしガルフは最後に倒した魔界の実力者だったはずだ。なぜ、そのままアンタンジルに残って彼らを助けなかった?」
「ガルフを倒すと同時にオウガバトルは終わった。本来ならば地上の復興も手伝ってやるべきだったろうが生き残った人間たちが支配者の座を巡って争い始めた。フィラーハは俺たちに地上への介入を禁じ、聖剣ともども天空の島へ引き上げるよう命じた。フェンリルがその禁を破って地上にブリュンヒルドを隠させた経緯は、おぬしも知ってのとおりだ」
「オウガバトルが終わって、すぐに争いを始めたというのか?」
「すぐという言い方は、おぬしと我々とでは異なるだろう。10年くらいのあいだのことだ、おぬしならば長いと見るか?」
「それは十分長い時間だと思う。私は権力には興味がないから、その場を離れてしまうだろうが」
「オウガバトルはもっと長く続いたのにか?」
「そうだ。人は10年前のことなど簡単に忘れる。逆に10年もよく持った方だとさえ言うだろう」
「残念だがフィラーハはそう考えなかった。人間を愛しているがゆえに許せなかったのだ」
「ふん。争うのは人間の本性だ。神が望むような争いもしない人間など人ではない。そんなものがほしいのなら天使で満足していればいい。争いを嫌った人間たちが逃げ込んだ天空の島でさえ争いはなくならない。そちらは寛容できるが地上の争いは駄目だとは勝手な言いぐさだ」
「天空の島での争いが殺し合いになることは稀だ。一緒にするのこそ、おかしな話だろう」
「殺し合いにならない程度の争いが大したことはないとでも思っているのか? そんなものは紙一重の差だ、あるいは人が死なないだけ、もっと陰惨な話かもしれない」
「殺す者と殺さぬ者の差は小さいものではあるまい。少なくとも天空の島で地上のような権力争いは起きていない」
「あなたたちという絶対の支配者がいるのに、その下で権力争いなどしても空しいだけだからな。それにあなたたちに話せば事も大きくなるし衆目に知られる。そうならないよう、表に出ないようにしている者が何をしているかなどわかったものではあるまい。確かに戦は起きてないだろう。そんなものを選ぶのは物と金の無駄、いちばんの下策だからな。だからといって、あなたたちの言うように天空の島が楽園のはずがない。むしろ地上のように逃げ場所がないだけ追い詰められている者だっているかもしれない。表沙汰にされる前に死んだ者だっているかもしれない」
今度はフォーゲルがしばらく沈黙した。スルストならば軽く流してしまいそうな話題だが、そうしないのはフォーゲルの真面目さなのだろう。あるいはフェンリルならば深刻に受け止めて考え込んでしまうかもしれなかった。
「半神を相手に誰が本音を話す。天空の騎士など、面白くもない仕事だ」
フォーゲルがまた笑った。そのたびにグリフォンが揺れたがエレボスは意にも介さない。しかし体格の良さなら天空の三騎士一なので並みのグリフォンでは耐えられないだろう。
「なるほど、スコルハティが気に入るわけだ。おぬしたちはよく似ている。だからこそフィラーハは、どちらも放ってはおくまい」
「ふん。フィラーハの意向など知ったことか。それよりもだいぶ話が逸れたな。アンタンジルに残された人びとはどうなったんだ?」
「時間が経つにつれて魔界の住人に変わっていっただろう。それも何千年も経って代替わりしたはずだ。アンタンジルでまともな人間には会えまい。だがアンタンジルの民のことより己の身を案じるがいい。魔界の息はさほど人に害をなす。だから我らは魔界に攻め込むことができなかったのだ」
「そんなところにサラディンを連れていこうなんて、どうかしている」
「彼以外にアンタンジルで対処する術を心得た者がいないのでな。ほかの者を連れていっても結局、彼の負担となる。ならば最初から1人の方が良かろう。彼の身は我らが守るから心配するな」
「魔界に攻め込むだなんて、フィラーハは魔界も我が物にするつもりだったのか?」
「オウガバトルは魔界が引き起こした。そのために地上や天界の被った害は計り知れない。フィラーハがすべてを治めれば、うまくいくと考えられたのだ」
「愚かな。悪魔や魔界の者がフィラーハに従うはずがない。太陽神らしく太陽の届くところだけ治めていればいいんだ」
「結果的にはそうなった。いまや地上にさえフィラーハの威光が届いているとは言いかねる。たいがいの国の首長とは軍事的な権力を持つ者だからな。だが、それは仕方のないことだ。オウガバトルで勝利を収めたとはいえフィラーハの力も衰えた。神代は遠い。いずれ人が神を必要としなくなる時代が来るだろう」
「それでも、あなたたちは神に仕えるのか?」
「フィラーハに使えることが元々、一方的な契約なのだ。俺はディバインドラゴンを殺した罪で天空の騎士となり、スルストやフェンリルも天空の騎士となったことは己の意志でだが、そもそもアヴァロン島に囚われたことが強制的だ。もしも俺たちがフィラーハに仕えることを辞めたいと思っても、かなえられることなどあるまい。神が地上を歩くことはもはやない。代行者としての我々は必要なのだ」
「あなたにも天空の騎士を辞めたいと思う時があるのか?」
「さぁ、どうだろうな。スルストやフェンリルは知らないが、俺も人であった時よりも天空の騎士である方が遙かに長い。もはや人であった時のことは忘れてしまったよ」
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