Stage Thirteen「暗黒のガルフ」
その日、グランディーナたちはバーミアンの西方にある小島に降り、そこで休んだ。途中で一度休憩したきりの強行軍だったので、かなりの長距離を飛んだことになる。
「グリフォンに乗って、こんなに移動したのは初めてだ。あまり楽なものではありませんな。すっかりくたびれてしまいましたよ」
珍しくケビンがランスロットに愚痴をこぼす。そこに横槍を入れたのがカノープスだ。
「だから言っただろう、あんたは力を入れすぎなんだって。あんな飛び方で馴らされたグリフォンが乗せてる人間を落とすなんてありえねぇ。もっと肩の力を抜いた方がいいぞ」
「慣れもあるだろう。みんな、君たちほど魔獣に慣れていない。
わたしも初めて乗った時は疲れたものですが、いまでは慣れました。2、3日も乗れば慣れますよ」
「カストラート海まで行かれた方は違いますな。お二人はグランディーナ殿とも、よく一緒に行動しておいでだ。疲れたの何のと言っていられませんな」
「そうでもねぇぞ。グランディーナの頑丈さは特別だ。俺たちだってつき合いきれたものじゃねぇ」
「そう言うな」
カノープスが笑い、ランスロットとケビンもつられた。そこへアイーシャが3つのお椀を抱えてきた。
「皆様、薬湯を作りましたので、どうぞ」
「これはかたじけない。さてはアイーシャ殿、いまの話を聞かれましたかな? 騎士たる者がグリフォンに乗ったぐらいで疲れたと弱音を吐くなど、みっともないところをお見せしました」
「とんでもありません。私はただ皆様がお疲れのようだったので薬湯をお作りしただけです。ケビンさまのお話はまったく聞いておりませんでした」
モーム=エセンスならば、もっと気の利いた台詞も言おうがアイーシャは真面目に返答する。
「それは却って余計なことを申し上げましたな。ははは、失態失態」
そう言って大きな身体を揺すって笑いながら、ケビンは焚き火の方に戻っていった。
「ケビンさま?」
「あんまり気にすんな」
戸惑うアイーシャの頭をカノープスが捉まえた。
「あれで冗談言ったつもりなんだから親父ってのはやだねぇ」
「あれが冗談に聞こえたなら君も十分、親父だと思うが?」
「いちいち細かいことを気にするな! ここで大事なのは置いてけぼりを喰らったアイーシャをどう補佐してやるかだろう?」
「君のそういう気配りに、わたしとしては異論を唱えないつもりだがね」
「じゃあ何が気に入らないってんだ、まったく」
「見た目はともかく、君はケビン殿より年上だろう?」
「そいつはみんな知ってるんだから秘密でも何でもないだろうが?」
「そこまでわかってるのなら、わたしが口を挟む筋合いではないさ」
「おぅ。それにしても苦いなぁ、こいつは」
「良薬口に苦しと言うじゃないか。苦い方がよく効くのさ。それよりケビン殿が弱音を吐くぐらいだ、皆は大丈夫だろうか?」
「心配してもこればっかりは慣れるしかないからな。アイーシャだって最初は鞍ずれを起こしたが慣れたじゃないか。レイカはそこまでひどくないらしいし、チャールスもまあ元気だったし、おまえ、サンダースと一緒だったんだろう?」
「彼は口に出せないほど疲れていたようだったな。
レイカだって鞍ずれはできなくても大変だったんだろう?」
「はい。そのお二人の具合が良くありません。レイカさまは食事も取らずに寝てしまわれました」
「携行食では食欲も出ないだろうからな」
「薬湯ぐらい飲ませたんだろう?」
「はい」
「後は本人次第だな。いくら疲れているからって、この島に置き去りにするわけにもいかねぇだろうし」
「この蒸し暑さも良くないのだろう。皆も無事だといいが。
さて、わたしたちも戻るとしよう」
「グリフォンは放っておいてもいいのですか?」
「ああ。エレボスがいれば、あいつらは勝手に飯を食いに行く。餌の持ち合わせもないし、任せるさ」
「なんだ、君が来なくても大丈夫だったろうに」
「だからってバーミアンで留守番なんかしてられるか。守りにまわるのは趣味じゃねぇ。疲れも溜まってないし、だいいち俺がいなかったら偵察にだって不自由するだろうが?」
「そういうことにしておくよ」
3人が戻ると、グランディーナが携行食糧の包みを手渡した。
「夜営はフォーゲルがやるそうだ。休んでいいぞ」
「いくら天空の騎士殿が眠らないからといって、そこまで甘えてもいいのか?」
「戦闘になっても、どうせ当てにできない。こんなことぐらいでしか頼れないのなら、使わぬ手はないだろう。明日は遅くに出発する」
「わかった」
彼女はそれだけ言うとすぐにいなくなった。そう広い島ではないがグリフォンが狩れる獲物もあるし、それなりの木立も茂っている。
「それにしても、ここは夜になっても暑いな。バーミアンに比べたら風があるだけ、まだましなように思えるが」
「ケルーマンはもっと暑いぜ。あそこは海から遠くて風が弱いらしい」
「それはギルバルドたちが気の毒だな」
彼らが話しているあいだにも、チャールスがサンダースの隣で休み、レイカは皆から離れたところで横になっている。ケビン1人が槍を振り、就寝前の鍛錬に忙しそうだ。彼は鎧をとうに脱いでいたが、もう一度ランスロットたちに混じった時には滝のような汗をかいていた。
「疲れた時にまで鍛錬してねぇ方がいいんじゃないのか?」
「長年の習慣でこれをやらんと落ち着かんのです。怠るとすぐに贅肉もついてしまいますしな。それにこれぐらい疲れたうちには入りませんぞ」
そこにサラディンが加わった。グランディーナは先ほどからフォーゲルと話し込んでいる。
「サラディンさま、こんなに暑いのに焚き火は必要なのでしょうか?」
「灯りは必要だ。アンデッドが来た時のためにも、あった方がよい」
「ではもう1つお教えください。なぜ、オミクロンという方はアンデッドばかり造られるのでしょうか? アンデッドはとても気の毒な存在です。本当は死んで安らぎを得られたはずなのに、この世に無理に呼び出されてしまったから生者を憎んでいる。だからアンデッドは私たちを襲うのだとうかがったことがあります。私たちロシュフォル教会の者がアンデッドを浄化する術が使えるのも現世に囚われた魂を解放するためだと教わりました。ましてやアンデッドを造り出すのに天使長さまの力を使うなど、恐ろしいことです」
「ホーライ王国の神官長の位にあったオミクロン殿がどうして死霊術に手を染めるようになったのかは誰も知らぬ。だが、ここアンタリア大地には昔からアンデッドが出没する。オミクロン殿がアンタリア大地に来た時、憐れみ、あるいは好奇心からアンデッドについて学んだのかもしれない。しかし道を踏み外すのも容易なことだ。手慰みのつもりがいつか本職になった例はいくらでもある。オミクロン殿は死霊術のためにホーライ王国を追われたが、同時にラシュディ殿に助けられた。ならば、その技をますます磨こうと考えるのも自然な流れかもしれない」
「そのためにたくさんのアンデッドを生み出していると仰るのですか?」
「アンデッドは恐れも疲れも知らぬ。退去させるのも厄介だ。いまのゼテギネア帝国には重要な戦力となろう」
「それでも死霊術は必要な技なのでしょうか?」
「相手のことを知らないで戦うことはできない。わたしも死霊術は一通り学んだ。ただ使わぬだけだ」
「使う人の心次第で剣もただの殺戮の道具となります。どのような力を持っていても制するのは人だということですね」
「そうだ。もう休みなさい。多少グリフォンに慣れているとはいえ知らぬ土地での行軍はいつもより疲れるはずだ」
「はい、ありがとうございます」
サラディンとケビンが先に行き、アイーシャも休みに行った。ランスロットがグランディーナとフォーゲルの話がまだ終わらなさそうなことを確認してからカノープスの方を見ると、彼がちょうど小瓶をくわえたところで目が遭ってしまった。
「何だい、それは?」
「見てわからねぇか、酒だよ、酒。大した量でもないが景気づけさ。おまえやグランディーナに言っても理解されないだろうが、あるのとないのとじゃ大違いなんだ」
そう言って彼は小瓶を一口呷った。
「だったら、君たちのために天空の島から酒をもらってくればよかったかな」
「へぇ? おまえが飲ませたいと思うほど美味かったってことか?」
「そうではないけれど、スルスト殿もお酒が好きな方だからな。酒を分けていただけないか、頼んでみれば良かったよ」
「スルストに? いや、そいつはしないで正解だろう。くれるからって無心してみろ、あの調子でどんな難癖をつけられたか、わかったものじゃねぇぞ」
「スルスト殿は悪い方ではないよ」
「俺たちに無理は言わねぇだろうが、酒のためにグランディーナに面倒かけるわけにもいかねぇからな」
「そうか」
「それにファーレンたちだってご馳走のひとつもよこすでなし。酒もあるならあると言ってくれれば、いくらでも試飲してやったのに。どうも天空の島の連中は俺たちを欲の塊だと思ってやがるらしい」
「君とギルバルドは底なしだ。天空の島の酒樽を空にしてしまうつもりかい?」
「そこまで欲の皮が突っ張ってるつもりもねぇが、せっかく行ったのに、自分たちの持っていった分しか食わなかったのはもったいなかったろう?」
「半月分も持ち合わせがあったのか?」
「ガルビア半島にいた時に一回、スンツバルに戻ったじゃないか? あの時に買いに行かされたんだ。携行食糧ばかりだから、参ったがね」
「それは気の毒なことをしたな」
「まったくさ」
オルガナでスルストとともに接待された話は、当分しない方が良さそうだった。
カノープスが腰を下ろしたので、ランスロットもつられた。バルタンは小瓶を大事そうにしまいこむ。半バス(約15センチメートル)足らずの大きさからいっても、その瓶に大した量が入っているはずはない。
「それにしても天空の騎士が眠らなくていいとは聞かされていたが、実際に見ると驚かされるな」
「スルスト殿の話だと、眠る必要がないだけで眠ることはできるそうだがね」
「だからって、一晩中、見張りに立ってるなんて、そう言えることじゃないぜ?」
「フォーゲル殿はそういう方だよ。シグルドではあの方がディバインドラゴンを倒したので島が分断されたといって反発を買われていたが、わたしは信頼に値する方だと思う。少し厳格すぎるところはあるかもしれないが誠実な方だ」
「グランディーナは嫌ってるみたいだけどな」
「彼女の立場を思えば無理もないさ。でも夜営を任せられるほど信頼はしている。だろう?」
「なるほど、と言いたいところだが、あいつの信頼はパンプキンヘッドにも向けられるからなぁ。俺には理解できん」
「我々が知らないだけでパンプキンヘッドにもいいところがあるんじゃないか?」
「おまえ、それを本気で言ってるのなら恐れ入るぜ。まぁ、フォーゲルに関しては同意してもいいけど」
「彼女は理由のない評価はしないよ。確かにパンプキンヘッドの攻撃は当てにならないけれど、彼らの存在はそれだけのものではないのだろう」
「おいおい、どういう風の吹き回しだよ。まさか、おまえまでパンプキンヘッドを買っているなんて言い出すんじゃねぇだろうな?」
「わたしは彼女ほど達観できないよ」
「そいつは違いねぇ!」
カノープスが伸びをして、大きなあくびをした。ランスロットもつられてあくびをかみ殺す。まったく、あくびというものはどうしてこう伝染しやすいのだろう。
「あっちの話は終わりそうにねぇし、そろそろ俺も寝るか」
「そうしよう。いくら明日の出立が遅いからといって昼過ぎまで寝ていたら顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまう」
「おまえは早起きじゃねぇか」
「ゼルテニアでは日の出とともに起きて日の入りとともに休むのが当たり前だったんだ。そう言う君だって十分、早起きじゃないか」
「俺はグリフォンの面倒を診てやらないとな」
しかし、そう言いながらカノープスは横になった。それを見てランスロットも身体を横たえる。そこから先は競争のように、どちらからともなく寝息が聞こえて2人は眠っていた。
幸いなことにアンデッドは来なかった。ダーイクンデイー湿原を渡るアンデッドの群れの進路は、この島からは外れているらしかった。