Stage Fourteen「砂塵の果て」2

Stage Fourteen「砂塵の果て」

そうやってカノープスが野営地のなかを走り回っていた間、グランディーナとランスロットは一足先に悲鳴の出所にたどり着いていた。予想どおり、見たことのない男が司祭のクラリス=ザデーを捕らえ、首筋に短刀を突きつけている。
「その髪の色、おまえが解放軍のリーダーだな?」
「そうだ。プロキオンの手の者か?」
「答える義理はない。さぁ、腰の刀を前に置くんだ、そっちの騎士もだ、早くしろ!」
グランディーナが言われたとおりにしたのでランスロットも倣う。クラリスの顔は蒼白で、近くに水筒が転がっているところを見ると水を汲みに来たらしい。
「2人とも、ほかに武器はないんだな? おまえだけ両手を挙げてこっちに来い。そっちの騎士は動くんじゃねぇぞ!」
クラリスを人質にとられているのでランスロットは動けなかった。グランディーナも言われたとおりに両手を挙げ、ゆっくりと近づいていく。
「ひとつ訊いてもいいか?」
「おまえと余計な話はするなと言われてるんだ。まさか、こんなに早くお目当ての女がやってくるとは思ってもいなかったがな」
グランディーナが、わずかに笑みを漏らしたようだ。男の手が動きかけて止まる。
「何がおかしい?! 余計なことをすると、この女の喉をかっ切るぞ!」
「愚かな。そんなことをすれば、あなたは人質を失う。それで生き延びられると思っているのか」
「馬鹿を言え! 俺が1人で来ていると思っているのか?」
「思ってなどいない。だが、ここにいるのは、あなただけだ。独りきりで私と対峙しようとは甘く見られたものだな」
「何だと?!」
男が動く間もなく、グランディーナは素早く駆け寄った。一気に間合いを詰める間に曲刀を手にし、目にも止まらぬ早業で一閃した。
音を立てて転がり落ちたのは短刀を握りしめたままの手だった。腕から血が噴き出すのと男が叫び声を上げたのは、ほぼ同時だった。
遅れて何が起こったかを察したクラリスが悲鳴を上げる。彼女は男の血を浴びて首から下が真っ赤だった。
「ランスロット、マチルダを呼んでこい!」
返事をするより先に彼は走り出していた。振り返ると右手を失った男は尻餅をつき、グランディーナがクラリスに近づいていくところだった。
カノープスが居合わせたのは、ちょうどそんな時だ。
グランディーナの言葉も聞いていた彼は、ランスロットが何か言うより早く、親指を立てて反対の方向にマチルダを呼びながら飛んでいった。
その機転に感謝して、ランスロットも彼女の名を呼んで走る。
野営地は、それほど広くない。
最初の悲鳴を聞きつけた時から、マチルダは有事に備えて待機しており、先に彼女を呼んだカノープスの声に反応した。
ランスロットも、すぐにそれを知り、3人は一緒にグランディーナとクラリスのところに戻った。
男は倒され、手首から血を流したまま気絶していた。
クラリスは両肩を抱えて1人でうずくまっている。彼女が震えていることは近づかなくても、はっきりとわかるほどだった。
グランディーナは曲刀を鞘に収め、腰に提げていた。それを見て、ランスロットも自分の剣を拾い直す。
「クラリスさん」
マチルダが声をかけると彼女はこわごわと顔を上げた。首から下は真っ赤だが、顔は青ざめて唇も血の気を失っていた。
「怖い目に遭ったのですね。だけど、もう大丈夫ですわ」
「マチルダさま!」
それっきり彼女はマチルダにしがみついて激しく泣きじゃくった。マチルダが、いくらなだめても、その場を立ち去ろうとせず、そのうちに何事か起こったのを察して司祭のゾーラ=ボナハンがやってきて、ようやく2人がかりでなだめられて皆の方へ連れていかれたのだった。
その間、グランディーナはあり合わせの布で男に止血をし、手首の傷口を覆った。
「何があったんだ、いったい?」
「この男にクラリスが人質にとられた。私とランスロットが駆けつけると、私を人質にとりたかったのだろう。もしかしたら、私を殺せると思ったのかもしれないが、近づいてこいと言うから不意を突いて手首を切り落とした」
「とはいえ、このままじゃ死んじまうだろう。誰か司祭を連れてくる」
カノープスが軽快に走っていくのをランスロットが見送っていると、男が唸り声をあげて目を覚ました。グランディーナは即座に彼の左手を取り、少し強くつかんだようだ。
「戻ってプロキオンに伝えろ。私を殺したければ直接、出向いてこい。このまま続ければ優秀な部下を失うだけだとな」
「プロキオンさまを失って我々に未来などあるものか! プロキオンさまに栄光あれ!」
昨日の男と違い、彼は舌をかみ切った。
カノープスがルル=ブリッヒャーを連れてきた時には、ただの肉塊と化していた。
「くそっ」
珍しくグランディーナが舌を鳴らす。
「いつまで帝国に尻尾を振り続けるつもりだ。暗殺団を皆殺しにするまで表に出てこないのか」
「明後日にはホルモズッサに着く。そうなればプロキオンだって出てこないわけにはいかなくなるさ」
「城など落としたところで暗殺団には痛くもかゆくもない。そのまま帝国に逃げ込めばいい」
「俺たちも倒せずに逃げ帰るような奴らを帝国が黙って受け入れると思うか? ダルムード砂漠を越えたらハイランド領はじきだ。解放軍を、ここで食い止めろと言うと思うぜ?」
「あなたはプロキオンが逃げないと思うのか?」
「たとえ最後の1人になったって手ぶらでゼテギネアに帰っても居場所はねぇだろう。奴がこれまで帝国にどれだけ貢献してきたのかは知らねぇが、少なくとも帝国がここを守らせているのは俺たちを素通りさせるためじゃねぇと思うぜ」
「部下を消耗させ続けるだけなら離反する者も現れるだろうな」
「間違いなくな」
「そのためにも近づく者は確実に防ぎ、少しでも早くホルモズッサに行かなければならないか」
グランディーナが立ち上がった。
「私はアッシュと話がある。彼を埋めてくれ」
「わかった」
しかし、そこに近づいてきたのはマチルダだ。すでに互いの顔など見分けられないほど辺りは真っ暗になっていたが松明と険のある声で彼女とわかったのだった。
「グランディーナ、クラリスが解放軍を辞めたいと言っています。先ほどのことに、ひどく衝撃を受けたようでカーンガーンのロシュフォル教会で休んだらと申し上げたのですが、いますぐにでも故郷に帰りたいと聞かないのです」
「司祭一人で、どうやってダルムード砂漠を渡るつもりだ。後続が来ればつき添いもつけられるが、それまでは、あなたの言うとおりロシュフォル教会でおとなしくしていてもらうしかない」
「是非、あなたの口から説得してあげてください。まさか、いまにもアラムートの城塞へ向かおうとしているのを放っておけとは言いませんわね?」
「私が言っても逆効果だろう。あなたから言った方がいい」
「彼女は、あなたのしたことに脅えているんですよ!」
「クラリスの代わりに私が人質になれば良かったとでも言うつもりか」
「そうではありません。ですが」
「辞めたいと言う者に私がこれ以上、関わり合う必要はあるまい。言っただろう、辞めたければ、いつでも辞めていいと。私が聞きたいのは結果だけだ。経緯に興味はない」
「お待ちください」
「マチルダ、止めるんだ」
「なぜですか、ランスロットさま?」
「確かにクラリスは気の毒だ。彼女はとばっちりを受けただけなんだからね。だけど、ここも戦場なんだ。君たちが戦いに従事することはなくても、いつも危険にさらされていることは忘れない方がいい。たとえ、どんな臆病者であろうと戦えない者がいていい場所ではないんだ」
「そんな、ランスロットさままで、そのように仰るのですか?」
「酷なことを言えばクラリスの行動も軽率だった。昨日や一昨日のことは君たちも知っているはずだ。確かに戦闘も終わり、野営地の設置という皆が油断しやすい時間だったとしても1人で行動するのは危険だ。それに彼女がグランディーナのしたことに脅えたのなら、いくらグランディーナといえどクラリスに残れと説得することはできないだろう」
マチルダは反論しなかった。ルルが心配そうに見守っているのも気づかぬ風で考え込んでいたが、やがて頷いた。
「申し訳ありません。私が浅はかでした。クラリスには私からカーンガーンのロシュフォル教会に身を寄せるよう説得しましょう。そこで待てば故郷に安全に帰る機会は、いくらでもあるでしょうから」
「そうしてくれると助かるよ。彼女も少し冷静になっているかもしれないしね」
「はい。本当にありがとうございました、ランスロットさま」
「礼を言われるほどのことではないさ」
それでもマチルダは深々と頭を下げて、ルルと皆の方に戻っていった。
「俺たちも飯にしようぜ。おまえのことだ、どうせ今晩も夜営に入るつもりなんだろう?」
「もちろんさ。だけど、わたしの言ったことは正しかったのだろうか?」
「マチルダが納得してたしグランディーナの意向にも添う。どこに問題がある?」
「その場にいたから言うが若い女性に、あれは酷な体験だった。もしも、あの時、人質に取られたのがアイーシャでも彼女は同じように言ったろうかと思ったんだ」
「言っただろうな、やっぱり」
カノープスは即答した。
「俺が、あいつの立場でも言っただろう。たとえ野営地の中だろうと、ここも戦場であることに違いはない。おまえの言ったとおりさ。戦う相手が誰であっても戦えない奴がいていいところじゃないんだ」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
「礼を言われるほどのことでもないのさ」
先に吹きだしたのはランスロットの方だった。つられてカノープスも笑い出し、2人は笑いながら皆の方に戻っていった。
その夜も暗殺団の夜襲は行われた。しかし正体を見破られると1人を残して撤退していった。その1人は囚われの身となっていたが、グランディーナの前に連れていかれても自害しようとはしなかった。
「あなたが解放軍のリーダーか? ならば頼みがある。わたしを旧ゼノビア王国のトリスタン皇子に会わせてもらいたい」
「何の用だ?」
「わたしの名はナスル=イリイチ。現在の暗殺団の指導者プロキオンに反旗を翻す者だ。仲間がいるが、皇子の庇護をいただきたい」
「どう身の証を立てる? トリスタンに会いに行ったその足で暗殺しないと何をもって保証する?」
「そのようなものはない。こうして無抵抗で囚われたぐらいだ」
「私はいいが、それではゼノビアの旧臣たちが納得しないだろう。そこで、ひとつ提案がある。プロキオンの暗殺に手を貸せ。それだけの功績があれば、たとえ仇敵といえど問題はあるまい」
「わたしは戻るわけにはいかない。捕まれば自害するよう命じられている。明日の襲撃に仲間が混じっていないかもしれない」
「仲間との連絡はどうしている? 仲間を見分ける方法は?」
捕縛されたといってもナスルは後ろ手に縛られただけだ。顔を右側に向けて、真後ろに立ったランスロットに右手を動かしてみせた。その中指に嵌められた指輪を抜き取って、彼はグランディーナに手渡した。ナスルが投降した時に、ちょうど次の夜営と交替になったので彼も尋問につき合っていたのだった。
「昨日の男もさっきの男もこんな指輪をしていたな。特に調べてもみなかったが、これは?」
「元は暗殺団の証であり、暗殺の道具だ。裏に鶏が刻んであるだろう? それが仲間の符丁だ」
「この指輪を見せれば、仲間と認めてもらえるのか?」
「そうだ。それにプロキオンはホルモズッサ城にはいない。暗殺団は王からの呼び出しがない限り城への出入りは禁止されていたからだ」
「王家は24年前に滅ぼしただろう。誰にはばかる必要がある」
「長年の習慣だ。それに我々の本拠地ならば罠も仕掛けられるし守りもたやすい。ホルモズッサ城は開けすぎていたのだ」
「それでプロキオンは、どこにいる?」
「ホルモズッサの郊外、ラシュトの砦にだ」
「あなたにも、ともに来てもらう。
ランスロット、サラディンとカノープスを起こしてくれ。私はアッシュの天幕で待つ」
「わかった」
ナスルはグランディーナに促されると立ち上がり、先に歩き出した。
ランスロットは急いでサラディンとカノープスを起こし、手短に理由を話した。3人は揃ってアッシュの天幕に入っていった。
元騎士団長も、なりゆきはグランディーナから聞いたようだが、さすがに渋い顔だ。
「こやつの言うことが罠という恐れはないのか? ラシュトの砦なら、わしも知っているがオファイス王国のころには、とうに放置されていたはずだ」
「放置されたと思われているところに後ろめたい連中が集まるのは常套手段だろう。それに罠かどうかも行ってみればわかる。このままプロキオンと不毛な戦いをしているよりましだ。逃げた奴らとてグリフォンより速くは戻れまい。敵の本拠地に乗り込むのだから待ち伏せも覚悟の上だ」
「しかし4人とは少ないではないか」
「昼間の戦闘で、わかったことがある。暗殺者は総じて魔法に弱いし一対一での戦いにも脆い。弱点をつけば、それほど手強い相手ではない」
「だが本拠地には、その弱点を補うための仕掛けが施されていよう?」
「その対策のためにも彼を連れていく。あなたは、このまま本隊を率いて予定どおりホルモズッサ城まで進んでくれ。ついでにギゾルフィに会う用も片づけてくる」
アッシュは、ようやく頷いた。
「じゃあグリフォンを連れてくる。5人だからエレボスを入れて2頭でいいな?」
「そうだな」
しかしカノープスが天幕を出ると、そこにいたのは思いも寄らぬ人物だった。
「ギゾルフィさんに会うなら、わたしも行きたいデス。グリフォンは3頭にしてくダサイ」
「どこから聞きつけてきたんだ、そんな話?」
「わたし、眠る必要もありませんから夜は散歩しマス。この天幕に、あなたとサラディンさん、ランスロットさんが入っていくのを見マシタ。こんな時間に、それだけの人が集められて何かないと思わない方が不自然デス」
「それにしても立ち聞きとは、悪い趣味だな」
「人聞きの悪いこと、言わないでくダサイ。あなたが先に出てきたのでグリフォンが必要だと思ったのデス。それなら行き先はホルモズッサ、それにギゾルフィさんのところでショウ?」
「まぁ、許可するのは俺の判断じゃできねぇから中に入って訊いてくれ」
「その必要はありまセン」
「ええっ?」
振り返ると後ろにはグランディーナがいて、サラディンとランスロットも続いて出たそうだった。
「カノープス、スルストの言うとおりグリフォンを3頭頼む」
「承知」
「断らないのデスカ?」
「元々、あなたはギゾルフィに会うために同行しているのだろう。それを断るのもおかしな話だ。だけど、その前につき合ってくれ」
言うなり彼女はスルストの首筋に抱きついた。彼がこれを拒絶するはずもなく熱烈な口づけで迎える。
「グランディーナさんから誘われたのでは断れませンネ。あなたたち、少し待っていてくだサイ」
スルストは軽々と彼女を横抱きにして、天幕へ連れていってしまった。
「すぐに出かけるのではなかったのか?」
最後に出てきたアッシュは苦虫をかみつぶしたようなしかめ面だ。
カノープスは呆気にとられていたが、「しょうがねぇだろう」と答えるしかなかった。
グランディーナとスルストが天幕から出てきたのは、それからしばらく経ってからで、もう夜明けも近い時間だった。ほとんどの者は、まだ休んでいるころで、見送ったのはアッシュとユーリアだけだ。
グリフォンにはグランディーナとナスル、サラディンとランスロット、それにカノープスとスルストという組み合わせで乗った。先頭を飛ぶのはグランディーナの操るメムピスで次がランスロットのピタネ、最後がカノープスのシューメーだった。サラディンがスルストとピタネに乗ろうとしたのをグランディーナが変えさせたのだ。
よりによってスルストと一緒にさせられたカノープスは渋い顔だったが、その不満は、すぐに当のスルストによって解消されることになった。
「わたし、グランディーナさんにだしに使われてしまいましたタ。フェンリルさんやフォーゲルさんが一緒だったら、こううまくはいかなかったでしょうネ」
「どういうことだ、そいつは?」
「グランディーナさんから、あなたへ伝言でス。『サラディンが行動したら一緒に動いてほしい』そうでス。もちろん、わたしも、いい思いはさせてもらいましたけどネ」
「まさか、ナスルの目をごまかすためにか?」
「ほかに誰の目を避ける必要があるんですか? ここからホルモズッサまではグリフォンなら1日でス。その間に彼の目を盗んで、あなたやサラディンさんに伝えるのは難しいだろうとグランディーナさんは考えたんですヨ」
「もちろんサラディンにも」
と言いかけてカノープスは納得した。グランディーナはグリフォンから動かなかったが、サラディンとスルストには接触の機会があったことに気づいたからだ。
「当たり前でス。いまごろランスロットさんも話を聞いているはずですネ」
「だけど何だって、そんな面倒な真似をしてるんだ。ナスルを疑ってるなら、そう言やあいいのに」
「それ以上の理由は、わたしも聞いてませン。なにしろ、わたしはだしに使われただけなんですからネ」
スルストは憤慨しているようだがカノープスは知らぬ顔だ。前を行くサラディンとランスロットも、そんな話をしているのだろうか。その前を行くグランディーナとナスルの会話は、さらにわからない。
強烈な日差しは容赦なく彼らに照りつけた。ダルムード砂漠では陽が陰るということがなく雨も年に数回降れば多い方だから、ほとんどの日は、ひたすら晴れている。
だから、さすがのカノープスもダルムード砂漠に入ってからは上着を着、ホークマンたちも同様だ。そうしないと1日も経たないうちに身体中が真っ赤に火傷してしまっただろう。
ランスロットを初めとする騎士たちも昼間は鎧を脱いでいる。たとえ外套やマントを身につけていても金属は焼いたように熱くなるからだ。
しかしグランディーナは休憩もせずにグリフォンを飛ばしているので、カノープスはだんだん喉が渇いてきた。今日に限って、グランディーナが水筒を持たせなかったからだ。
とうとう彼は、たまりかねてシューメーをメムピスに追いつかせて怒鳴った。
「いい加減に休憩させろよ! このままラシュトまで行くつもりじゃねぇんだろうが?」
「わたしもおまえに言いたいことがある。下りなさい!」
そう叫んだのはサラディンだ。
グランディーナはナスルの後ろに座ってグリフォンを操っていたが、振り返りもせず、黙ってメムピスを下降させた。
「何だあ、あいつ?」
「カノープスさん、グランディーナさんの言ったことを忘れないでくださいネ」
「わかってるよ」
最初に下りたのはサラディンだった。彼はグランディーナが下りてくるところを待ちかまえていて、いきなり平手打ちを喰らわした。
「プロキオンのことよりもギゾルフィ殿をお訪ねする方が重要だと、あれほど言っただろう。ナスル1人が加わったところで何になる。予定どおり、わたしはギゾルフィ殿のところに向かう。預けた秘石を渡しなさい」
「確かにナスルは1人だが砦に行けば仲間がいる。なぜ信用できない? ギゾルフィを訪ねることなどプロキオンを倒してからでも十分、間に合うだろう」
「それでは十二使徒の末裔たるギゾルフィ殿に失礼だと言っているのだ。これ以上、おまえにつき合う気はない。さあ、秘石を出しなさい」
「俺もサラディンと一緒に行くぜ。悪いが、こいつは信用できない」
そう言ってカノープスはナスルの方に顎をしゃくったが、彼は表情を変えもしなかった。
「なぜだ、カノープス? 彼が暗殺団の一員だからか?」
「そうさ。オファイスの連中なんか信用できるか。それも、よりによって暗殺団なんてな」
「君が、そんな偏見の持ち主だと思わなかったぞ」
「へん! きれい事をぬかすな」
その間にグランディーナからサラディンに小袋が渡された。彼はすぐにシューメーにまたがり、カノープスも続く。2人は、すぐに東の方へ飛び立っていった。
「カノープス、あれたちの姿が見えるところで引き返してくれ」
「ぎりぎりのところで追いかけるのか? ナスルは、うまく騙せたかな?」
「グランディーナとわたしのことを知っていれば、わざとらしかったかもしれないな。だが5人が一斉に捕まるよりは、ましだっただろう」
「だけど、あいつは何だって、あんなことをさせたんだ?」
「ナスルが信用できぬから、わたしとそなたに別行動をとらせたかったようだ」
「何を根拠に、そんなことを?」
「そこまでは知らぬ。あれだけの時間では、それだけ書くのが精一杯だったのだろう」
「じゃあ、ほんとにスルストはだしか」
「そうだ」
「女好きが役に立つこともあるとはな」
グランディーナたちは、あれからすぐに発ったらしかった。つかず離れずの距離を保ちながら、カノープスはグリフォンを操った。今晩は火も天幕もなしで野宿かと思うと、ぞっとしないが、この状況では、それも致し方なかった。
一方、カノープスの見立てどおり2人と別れてから、すぐに発ったグランディーナたちは、今度は彼女とスルスト、ランスロットとナスルという組み合わせでグリフォンに乗り換えた。
ランスロットはグランディーナを見習って後席に乗ったが、これはけっこう操りづらいものであった。
「先ほどのカノープスの言ったことは、あまり気にしないでくれ。解放軍にはドヌーブやホーライの者もいるし、帝国軍から脱走してきた者もいるんだ。君たち、オファイスの者だけが差別されるなんて、あってはならないことだ」
「暗殺団はオファイスの時代にも毛嫌いされていた。あのような態度は、いまに始まったことではないさ。それにプロキオンの裏切りのために我々の立場が微妙なことも理解している」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「だが、あの者たちは古い仲間なのだろう。なぜ、いきなり、あのようなことになったのだ?」
「実は彼らはダルムード砂漠に入る前からグランディーナと揉めていたんだ。サラディン殿は、どうしても魔法に関することを優先したがるのでね」
「彼がサラディン=カーム?」
「そうだ。魔術や伝説に造詣が深い方で、そのようなことに疎い我々にはありがたいのだが、その分、衝突してしまうことも多いんだ」
「グランディーナとは10年前からの浅からぬ関係だと聞いているが?」
「それだけに互いに遠慮がないのだろう。わたしたちでは、ああは言えないよ」
「ふーん。もう1人のバルタンはカノープス=ウォルフだな?」
「そうだ」
「あんなに気位の高い奴だとは知らなかった」
「解放軍には旧ゼノビア王国縁の者が多いのでね。彼も気さくに振る舞っていたのだろう。だが本当は、とても自尊心の高い男なんだ。古代高等有翼人の末裔だからかな。ところで、わたしの名はランスロットだ、ランスロット=ハミルトン、よろしく頼むよ」
「あんたが反、いや解放軍の立役者か。大物ばかりだな。すまない、どうしても反乱軍の方が呼び慣れていたものでね」
「気にすることはない。帝国から逃れてきた者は皆、そういうものだ。ただ解放軍の立役者という言い方は、わたしには分が過ぎる。グランディーナあっての解放軍だからね」
「そうか。何にしても俺の役割はトリスタン皇子につなぎをつけることだ。解放軍のリーダーがいれば顔は立つ」
「わたしも訊いてもいいかい?」
「何をだ?」
「ラシュトの砦というのはラシュトの丘にある古い砦のことだろう?」
「そうだ。砦といっても小さくてな、丘を掘ったりして利用しているところも少なくない。何でも暗殺団ができる前からあるそうだが、うち捨てられていたところを改造して住めるようにしたのだ」
「ではアラムートの城塞ほど大きくないのだろうな?」
「とても及ばないね。ホルモズッサ城の方が、まだ大きいくらいだ」
「だがプロキオンには、そこにこだわる理由があるのだろう?」
「使い慣れているという以上にはないだろう。それにホルモズッサ城は開けている。守りにくいとは思ったろうがな」
「なるほど」
やがてホルモズッサ城を眼下に見、陽も西に沈みかけたところでグリフォンは着陸した。ラシュトの丘の麓で、上空から砦も見えた。確かにナスルの言ったとおり小規模な砦だ。
「暗くなるまで、この影で待とう。砦に近づく道は、どこも砦から丸見えだ。グリフォンも目撃されているに違いない」
グランディーナは頷き、岩陰に座り込んだ。ランスロットとスルストも適当な場所に陣取った。
「グリフォンは、どうするんだ?」
「スルスト、あなたが見ていてくれるとありがたいが?」
「わたしを追い払おうったって、そうはいきませンヨ。グリフォンを見てるなんて退屈デス。あなたたちと一緒に行きマスネ」
「わかった。ならばグリフォンは本隊に戻らせる」
それで追い立てられた2頭のグリフォンは別々に飛び立ったが、やがて揃って東南の方へ飛んでいった。
「あなたの仲間は何人ぐらいいる?」
「はっきりコンシュ派とわかっているのは12人だ。プロキオンの王家殺害に反対した者は少なくなかったが、帝国と結びついた奴には敵わなかった。何人もの同志が殺され、我々はその存在を秘匿しなければならなくなったのだ」
「だが我々が近づいてきた。帝国なき後のことを考えた、というわけか」
「そうだ。正直、いまの我々にプロキオンをオファイス王家の仇と狙う気持ちは薄い。だが、おまえたちの台頭で支配に蔭りの見えてきたゼテギネア帝国に固執されては困るのだ。だから奴を排除すると言うのなら力を貸そう」
「首をすげ替えただけで暗殺団が新しい国に受け入れられると思っているのか?」
「何も国が認める必要などない。影を必要とするのは常に権力者と決まっているからな」
ランスロットは、その言葉を不快に思ったが口にはしなかった。
「プロキオンに近い者は何人くらいいる?」
「側近と呼べるのは2人、ほかに厚遇されている者が2人、奴に心酔している者が7人いる」
「それ以外の者は?」
「良く言えば中立、悪く言えば力のある方に転ぶだけさ」
「我々の野営地を襲った者が2人とも自害したが、彼らもプロキオンに心酔しているのか?」
「フルドとアルドラだろう。反乱軍のリーダーの首級をあげるまで戻るなと言われているからな」
「あなたたちはあげられると思って来ているのか? 私も舐められたものだな」
「話は誇張されて伝わるものだ。それに、おまえたちと戦った者が帝国に戻ることは少ない。事実は余計、伝わりづらくなる」
「伝聞だけが敵を知る手段でもあるまい。影としてトリスタンに仕えるつもりならば実績も見せなければ、お話にもならないぞ」
「それだけ、おまえが強いということだ」
「そういうことにしておこう」
話しているうちに辺りは暗くなっていった。焚き火を起こすわけにもいかないので互いの顔も見分けられなくなっている。
「夜になれば見張りも立つのだろう。倒していいのか?」
「仲間ならばともに砦に行くが、そうでなかったら仕方ないな」
「ならば行くとしようか」
月明かりがあるとはいえ辺りは暗い。着陸した地点から考えると砦までは、しばらく平坦な道が続き、やがて登りになるはずだった。
やがて前を行くスルストが立ち止まったのでランスロットも止まった。周囲には木1本生えておらず、荒涼とした丘だ。それもダルムード砂漠の北端というばかりの理由ではなさそうだった。
スルストがまた歩き出す。先へ進んだランスロットは脇に転がる人間に目を止めた。見張りを倒して進んだのだろう。
だが、それは危険な賭けだ。見張りが戻らなければ、いずれ砦の者に知れる。その前に侵入し、プロキオンまで倒さなければならないのだとしたら自分たちに許された時間は、とても少なくなる。
ランスロットは、そのことをグランディーナに確かめようとして、すぐに思いとどまった。それは彼女がナスルを疑っていることと結びついているかもしれないからだ。下手に口を挟んでナスルに彼女の想定外の行動をとらせるわけにはいかない。サラディンとカノープスに別行動をさせているのも、捕まるのが前提の上なのかもしれないのだ。
彼が予想していたとおり、やがて道は登りとなり、暗いなかに、なお黒々と沈む砦が見えてきた。
四方八方から鉤のついた投げ縄が投じられたのは、その時だ。
グランディーナが、まったく抵抗もせずに捕らわれたのを見て、ランスロットもスルストも倣った。彼女たちは、いつの間にか大勢の暗殺者たちに取り囲まれていたのだ。
「こいつらを牢につないでおけ!」
そう命じたのがプロキオンなのか、ランスロットにはわからなかった。何本かの松明が掲げられているが、ほとんどの顔は、その後ろの暗がりに引っ込んでいるからだ。
じきに彼らは牢屋に連れ込まれた。グランディーナと引き離されたのもそうだが、先客がいたことにも驚かされた。それが誰かを観察する暇もなく、ランスロットとスルストは鎖でつながれてしまったのだった。
「まさか、ここまで筋書きどおりに運ぶとは思いもしませんでしたネェ。でも、ここから、どうやって挽回するんでしょうカネ?」
「それは、わたしにはわかりかねます。ただグランディーナが何の勝算もなく、このような行動をとったとは思えませんので、彼女を信じて待ちます」
「信じられるのでスカ?」
「信じるのです」
スルストは肩をすくめたようだった。
するとランスロットの左手の方から呼びかける声があった。この牢の先客の一人である。その声は嗄(しわが)れていて最初は誰のものかもわからなかったほどだ。
「ラン、スロッ、ト」
「誰だ?」
その声は、1人おいた隣の人物から発せられているようだった。
「ラ、ンス、ロット、さま」
「この声は」
首を動かしたが隣の男が邪魔なのとランスロット自身も壁から離れられず、よく見えない。
「まさか、アラディ? 君なのか?」
「そう、です。あなた方まで、捕まる、なんて」
「いいや、これには別の理由があるはずだ。しかし、君は拷問されたんじゃないか?」
「はい。大した、ことは、ありません。ですが」
「無理してしゃべらなくてもいい。傷の手当てもされていないんだろう。
くそっ、こんな風につながなくたって、どうせ、わたしたちは牢破りなんかできはしないんだ。彼の傷の手当てをさせてくれ! 誰か、いないのか!」
しかし返事はなく、ランスロットの声は空しく響くだけだった。
「彼は、わたしがここにつながれる前から、そこで拷問を受けていた」
「君は?」
ランスロットはアラディから隣の男に目を移した。目が暗がりに慣れてきたため、この牢獄の中にスルストと自分も含めて4人つながれているのがわかった。
「わたしは反プロキオン派のリーダーだったリゲル=カナベだ。裏切り者のために、このざまさ」
それが誰なのか訊くまでもない。しかし、こうなってしまうとリーダーだと言うリゲルの言葉さえ疑わしく思える。
「そう、あんたが疑うのも無理はない。自分だって20年以上のつき合いを裏切られるとは思ってもみなかったのだからな。だが、ここにこうしてつながれていることで身の証は建てられると思うのだがね」
「君たちがアラディを売ったのではないと?」
「彼が捕まったのは不幸な偶然だ。我々とは関係がない」
「そうなのか、アラディ?」
「わたしは、すぐに、正体を見破られて、しまいました。わたしに、そっくりの、者が、いたための、ようです」
「彼を見た時は、わたしも驚いたものだ。よく似た男を知っているものでね」
ランスロットは考え込んだ。
「それで、わたしたちはこれからどうなる? いいや、グランディーナは?」
「我々は明日、処刑される。あんたたちも恐らく一緒だろう。あんたは帝国の賞金首だが生死は問わないことになっていたからな。だが反乱軍のリーダーは生きたままゼテギネアへ連行するよう帝国上層部から命令が出ている。だから明日以降、プロキオンが連れていくだろう」
「なぜプロキオン直々に? 部下に任せることはしないのか?」
「そんなことをしたら奴の手柄にならない。反乱軍のリーダーの存在は帝国の命運を決定づける。彼女を捕らえれば帝国の奴らは枕を高くして眠れることだろう。だからこそ我々は、それだけは何としても回避しなければならないわけだ」
「手はあるのか?」
「1つだけな。だが時間的な問題で彼を助けるのは難しいだろう」
アラディは息もか細くなって、意識があるのかも怪しい状態だ。
「彼は大事な仲間なんだ。何とかならないか?」
リゲルは首を振った。
「彼一人のために皆を危険な目に遭わせるわけにはいかない。気の毒だが諦めてくれ」
そこまで言われてはランスロットも強硬に頼むわけにはいかない。かといってアラディを諦めることもできなかった。
「アラディ! 目を覚ますんだ、アラディ。ここで意識を失っては駄目だ、意識を保って頑張れ。返事をしてくれ、アラディ!」
リゲルが首を彼の方に向けた。
「息はしているが意識はないようだな。無理もない、あれだけの拷問の後で、よくも生きているものだ」
「アラディ! 目を覚ましてくれ!」
「ランス、ロッ、トさま? 何か、あったの、ですか? グラン、ディー、ナさまは、ご無事、ですか?」
「ここがどこかもわからないのか、アラディ?」
返事はなく、彼はしばらく沈黙した。やがてランスロットにもアラディが激しく歯を打ち鳴らす音が聞こえてきた。
「寒い」
「アラディ?!」
しかし、それが彼の最後の言葉となった。その後はランスロットが、いくら声をかけても怒鳴ってもアラディは、まったく反応しなくなったのであった。
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