Stage Fifteen「女神」1

Stage Fifteen「女神」

「こんな男、わざわざ賞金首にするまでもないだろうに」
「とんでもありません。マラノではうだつが上がらないと言って帝国教会の枢機卿の地位を買ったものの、結局、帝国でも上手に立ち回れなくてライの海へ飛ばされ、今度はあなた方が迫ってきたというので恥ずかしげもなくマラノに庇護を求める一方でクリューヌ神殿にいるというルバロン将軍に助けを求めるような男です。いま討っておかなければ、この先、いつ、マラノに災いをもたらすとも限りません」
滑らかに口上を述べ立てたちょび髭の男が、そこで一息入れたので、聞いていた者たちも頷きあったり思案したり小声で話し合ったりとさまざまな反応を示したが、彼が続いて発した言葉に、それぞれずっこけた。
「というのは口実で、あなたにお会いできなくて寂しくしておりましたところ、ランドルスから助けてくれと申し出がありましたので渡りに船と十三人会を焚きつけたのですがね」
そう言ってジャックは朗らかに微笑んで、皆の動揺など気づかぬ様子で、滔々(とうとう)と話し続ける。
「しかし幸いなことに皆さん、わたしの言い分を理解してくださり、討伐を解放軍へ依頼する全権大使まで任せていただけました。わたしはランドルスが倒されたことを確認するまで、あなた方に同行させていただきます。もちろん自分たちの食糧に天幕、万が一の時には自衛手段も用意してありますから我々のことは心配御無用に願いますよ」
少し間を空けてからグランディーナが返答した。
「それはかまわないがジャック、私はランドルス討伐には行かない。魔女タルトに会いに行くんだ」
打てば響くようにジャックが答える。
「でしたらランドルス討伐の確認には、わたしの副官を同行させましょう。タルト殿には是非一度、お会いしたいと思っていたのです。そちらにご一緒させていただきます」
「あなたが魔女に用があるのか?」
「魔女に限らず魔法を使う方々は、わたしどものお得意様です。喜んでいただける品物の1つや2つは用意がありますし、興味深い物もありましょう。良い機会です、解放軍の方々もいかがでしょう?」
「それは是非、拝見させてもらいたいな」
サラディンが乗り気なところを見せたのでジャックは意を得たりと微笑んだ。それでグランディーナも〈何でも屋〉と、その副官一行の同行に同意し、皆にも報せがまわったのだった。
黒竜の月17日、ライの海の手前、セウジト地方ゼペットで解放軍は〈何でも屋〉のジャックに追いつかれた。彼はマラノ十三人会の名においてハイドリッヒ=ランドルス枢機卿討伐の依頼人として解放軍への同行を申し出てきたのである。
グランディーナは彼と話すために進軍を止め、話し合いの結果、解放軍本隊には〈何でも屋〉の副官カラドック=ブリフブラが、そして彼女にはジャック自身が同行することになった。
ライの海一帯はゼテギネア大陸唯一の熱帯地方で、解放軍が訪れた黒竜の月は雨期に当たっていた。
雨期になると一日に数度、猛烈な雨が降り、ライの海の人びとは、その間の外出を控えるという。解放軍も、その習慣に倣いと言いたいところだが、移動するので、そう都合良くはいかなかった。なにしろ前触れもなしに雨が降ってくるので天幕を張る暇がないのだ。建物の下に避難しようにもライの海は辺境なので町の近くにしか人家もない上、それぞれが大きくない。一度に全員が雨をしのげる建物などなく、グランディーナが言うまでもなく雨に濡れたところでしょうがないと皆が考えるようになっていた。雨に濡れても、また陽が射せば、すぐに乾く暑さのためもある。
しかし、そうは言っても熱帯の雨は彼らの知る雨とはひと味違い、視界も足下も悪くなってしまうので、どうしても歩みは遅くなるのだった。
そうして黒竜の月19日、ライの海の玄関ウォーレアイに到着した解放軍は、ここで部隊を3つに分けた。ソロン城に向かい、ランドルスを討つ本隊、魔女タルトに会いに行く別働隊とウォーレアイに残る駐留部隊である。
グランディーナは、ランドルスの呼び出しに応じてクリューヌ神殿からルバロン将軍が出てくる可能性も考慮して、先陣にデボネアの小隊を当たらせた。デニス=ルバロンはゼテギネア帝国の四天王筆頭である。元四天王としてデボネアは彼と戦うことを熱望したのだった。さらにルバロンと顔なじみのラウニィーが2頭のケルベロスを率いて、ともに行くことになった。彼女はルバロンに会い、できることなら戦いを止めるよう説得したいと申し出たのだ。
「でも、そんなに期待しないでね。デニスは、最初に四天王に選ばれた人だから、いちばん自尊心が強いの。たとえ、いまの帝国が間違った道を歩んでいるとわかっていても、それを他人から指摘されることを嫌うわ。私の言うことにも耳を貸さないかもしれない」
「彼の説得など期待してもいないが、その指示で兵が引けば、無駄な戦いをしないで済む」
「せめて、それぐらい同意してくれればいいけれど。それもこれも彼がランドルスの要請に応えてソロン城まで出てきた場合の話ね」
「ルバロン殿を動かせるのはエンドラさまかヒカシュー大将軍のみです。いくら危急のこととはいえランドルスの呼びかけに応えることはありますまい」
「ならば、あなたはデニスがエンドラさまかお父様の命令でクリューヌ神殿に行ったと考えているのね?」
「おそらく。そうでなければ、このような時にルバロン殿を帝都から動かしはしますまい」
「でもクリューヌ神殿に何があるというの? 帝国教会の施策ではあんなところ、古くさい過去の遺物なんて言って、いままで見向きもしなかったじゃないの。
そうでしょ、ノルン?」
「ええ。帝国教会はロシュフォル教会が聖地としたアヴァロン島も重視していませんでしたし、クリューヌ神殿も同様です。帝国教会の聖地はハイランドのみで、わざわざザナドュからゼテギネアに遷都までしたそうです。そのくせ肝心の教義はロシュフォル教会の引き写しに過ぎないのですから、信者は集まりませんわねぇ」
「でも帝国国民は帝国教会の信者なんでしょう?」
「そうですけれど、ほとんどの僧侶や司祭はロシュフォル教会から改宗させられた方ばかりでしたから違いを実感した方なんて、いらっしゃらなかったんじゃないでしょうか。それにエンドラさまが最高神と言われても、ぴんときませんわ。ランドルス枢機卿のように地位をお金で買う方も後を絶ちませんでしたし、人心は離れてしまいましょうねぇ」
「結局、あなたはクリューヌ神殿に何があるのか知らないのだな?」
「ロシュフォル教会のことならばアイーシャの方が詳しいんじゃないの? 彼女は大神官さまの娘なんでしょう?」
ラウニィーの言葉にランスロットがアイーシャを呼びに行こうとして腰を浮かせる間もなく、それまで押し黙っていたアッシュが口を開いたので、また座り直した。
「いいや、ルバロンがクリューヌ神殿に遣わされたのは過去の遺物を探すためではあるまい。亡き陛下が副騎士団長パーシバルを遣わしたことを聞きつけ、その目的を知ろうとの企みあってのことだと思う」
「それが何か、あなたは知っているのか?」
「パーシバルの行動は極秘であったゆえ彼がなぜ、あのような時に留守をしていたのかは一部の者しか知らぬ。だが、その者たちも亡き陛下が彼に何を託してクリューヌ神殿などに行かせたのかは知らないのだ。無論、わしもな」
そう言って話し終えたアッシュは、24年前を懐かしむように眼を細めた。
「ならば帝国がルバロンを行かせたのは、その何かがわかったからかもしれないな。だが、それが何かを推測していてもしょうがない。我々はライの海でランドルスを討ち、そのままクリューヌ神殿へ向かう」
「ランドルスなど、すぐに倒してクリューヌ神殿へ急げばいいさ」
「お気をつけください、デボネア殿。ランドルスは、いまの地位こそ金で買いましたがラシュディに師事して力を得たという噂です。ライの海の人びとが、ルバロン将軍を呼びつけるほど、あなた方を恐れる彼を軽蔑していても表立ってそうとは言えないのは、その魔法を警戒しているためだそうですよ」
「まるでアプローズ男爵と同じね」
「あの方ほど強くはないらしいですがね」
こうして解放軍はアッシュを責任者とする待機部隊をウォーレアイに残してライの海へ進んだ。先陣を切るデボネアとラウニィーの小隊は帝国軍の抵抗を受けたが、その士気は低く、ランドルスのために命を張ろうとする者は、ほとんどいない有様だった。
「ここまで人徳がないと逆に気の毒になるわね」
「油断は禁物ですよ、ラウニィー殿。アプローズ男爵がどれほどの使い手か知りませんが、どんな相手にも全力で立ち向かってこその騎士ですからね」
「アプローズは」
言ってからラウニィーが口ごもったのでデボネアは不思議そうな顔をした。
「少しガレス皇子に似ているわ。シャングリラで会ったでしょう、彼に? 暗い気持ち、手当たり次第に物を壊したくなるような、人を見れば誰でも傷つけてしまいたくなるような、そんな気持ちにさせられるのよ、彼といると。最初のうちは、そんなことはおかしいと言えるの。そんなことをしてはならないという自制が利くの。でも、だんだんそんな気持ちが薄れてしまう。どうして、そんなことをしてはならないのかと思い始めてしまうの。そんなことをしてもいいじゃないかと思うようになるの。実際に私は気まぐれに侍女を打とうとしたわ。彼女の悲鳴で我に返って、恐ろしくなってマラノから逃げ出したのよ。あれ以上、アプローズ男爵の傍にいたら気が狂ってしまいそうになったから。あなたはガレス皇子に会った時に同じような経験はしなかった?」
「それが陛下の命で囚われて以来、ずっと捕縛されたままシャングリラまで至ったもので殿下とは話をしていないのです。シャングリラに着いてからも、あの部屋に閉じ込められたままで殿下が来たのも一度きり、その後はお恥ずかしながら周りを見る余裕もなくなっていました」
「デボネア将軍ともあろう人が情けないわね。そんなことでデニスと戦えるの? 彼はお父様からでさえ3本に1本は取る人よ。伊達に四天王最強とは言われていないわ」
「だからこそ戦ってみたいのです。わたしとて、いつまでもシャングリラに閉じ込められたデボネアではありません。フィガロと戦い、難敵を討ち果たした。いまのわたしがルバロン殿にどこまで通用するのか、それを試してみたい」
「あなたにはランドルスは写ってもいないのね」
「ええ。マラノの者には気の毒ですが、ルバロン殿がランドルスに応じてくれないかとさえ思いますよ」
「それだけはあり得ないわ。自分でも言ったでしょう? エンドラさまやお父様からの命を果たしたのなら、デニスは一刻も早くゼテギネアに帰りたいと思うでしょうからね。逆に命を果たせなければ、果たすまで残る。それが彼の長所でもあり欠点でもあるわ。もしも戦うことになった時、私たちで太刀打ちできるかどうか」
そう言ったラウニィーの鎧に大粒の雨が1つ2つと落ちてきて、あっという間に土砂降りになった。
「まったく嫌な天気ね!」
彼女たちは枝を大きく広げる木の下に走っていったが、着くころには誰もが濡れ鼠になっていた。
たちまち辺りは蒸し暑くなり、まるで蒸し風呂にでもいるかのような暑さになってきた。ダルムード砂漠とはうってかわった気候に解放軍のほとんどの者は手こずっていた。いちばんの敵は帝国軍ではなく、この天気だとも言えた。
一方、別働隊のグランディーナたちはウォーレアイを発ち、ブーロアーナという港町からジャックの船に乗り、タルトの住むラモトレック島に向かった。カストラート海に行った時に借りた〈漆黒の涙〉号ではなく、ひとまわり大きな〈黒獅子〉だ。
船長以下20人の船員を乗せた船には専属の料理人までいる。〈漆黒の涙〉号の時もそうだったが、〈黒獅子〉号も動かすのに十分な船員を乗せているので何も手伝う必要がないとはジャックの弁だ。
グランディーナに、その気がないのはもちろんで日がな一日、帆柱のてっぺんの見張り台に陣取っていた。
もっともジャックによれば見張りなどするわけではなく、単に眠っているだけなのだそうで、カノープスは昇る意味がないだろうとぼやいた。
「そうは言っても幽霊船を真っ先に見つけてもらったこともありますし、本当に寝てばかりいるのかは疑わしいところなんですよ」
ジャックが急いで訂正する。
「寝てるだけなら船倉にでも籠もっていれば良さそうなもんだ」
「ファイアクレスト号に彼女をお乗せした時には船倉には船員しかおらず、若い女性を一緒にするのは危険だと、わたしの副官に諫められてしまいまして」
「あんたの部屋は?」
「これが彼女から丁重に断られ、甲板で寝ていたら、これも邪魔だと。その辺の樽の上でも目障りだと。彼女は、しょうがなく見張り台に昇ったのです。ほかにどうしようがあったでしょうか?」
「どこまで事実なんだ、そいつは?」
「ほんともほんと、すべて真実でございますよ!」
「だからって、あんなところにいたって眠れるもんじゃねぇだろうが?」
「それが、そうでもないようです。彼女はバウシュの港からフェルナミアまで、ほとんどそこで過ごしましたが、一度も落っこちてきたことなどございませんでしたから。一度だけ、わたしどもに幽霊船の接近を告げるため飛び降りたただけです」
「あの高さから飛び降りただあ?」
「はい。ファイアクレスト号の帆柱はもう少し高いのですが、彼女は易々と飛び降りて警告してくれたのです。おかげでわたくしどもは無事に彼女をフェルナミアに送り届けマラノに向かうことができました」
そう言ってジャックは微笑んだが、カノープスも、一緒に話を聞いていたランスロットも信じられないものでも見るような目つきで見張り台を見上げた。
しかし、そこには赤銅色の髪が風に翻っているのが見えるだけだった。
そのころ、ウォーレアイに駐留する解放軍を訪ねた者があった。
「わたしはコールマン=タルピダエという者ですが、ランスロット=ハミルトンという方はいらっしゃるでしょうか?」
もちろんランスロットはいなかったので対応したのはギルバルドだ。
「ランスロットは不在だが、どんなご用件かな?」
「実はマラノでランスロット殿にお世話になったのですが、解放軍がウォーレアイに来ていると聞いたので懐かしくなって訪ねてきたのです。足りるかどうかわかりませんが、これは今朝、捕ったばかりの魚です。よろしければお納めください」
「それはそれは、わざわざよくおいでくだされた。我らも移動中のことゆえ、大したもてなしもできないが、良かったらゆっくり話していかれよ。魚もありがたく戴こう」
「私が運びますわ」
コールマンの持ってきた桶には見慣れない魚が入って、いっぱいになっていた。ユーリアが桶を持っていくと、やがて野営地の奥の方から女性たちの歓声があがるのが聞こえてきた。
「ライの海の方がマラノまで行くとは珍しいこともあるものだ。それにランスロットに世話になったとは、どのような経緯であろうか?」
「わたしはパドバの守備隊長だった者です。それが戦闘で敗れ、捕虜に取られましたが、アプローズ男爵について知っていることを話せと言われたので教えると、そのまま解放されました。その時、ランスロット殿に故郷まで持つだけの糧食と水を分けていただいたのです」
「解放軍では、それは当たり前のことだ。捕虜をとっても閉じ込めておくための場所も人材も割けないとリーダーが言うのでな」
「ええ、そのようですね。解放されたのはわたしだけではなく、同じパドバにいた者や、ほかの町にいた者も同様でした。傷ついた者も旅に支障がないくらいに手当てしてもらい、互いに助け合いながら帰途に就いたのです。その時点で帝国に帰ろうという者はいませんでした。敗残の兵の戻る場所は帝国にはありません。おそらくわたしはパドバが守れなかった咎で罰せられたでしょう。皆も、それは同じです。あなた方に負けたことだけでなく、戦いはもう真っ平だという気持ちでした」
「無事に故郷に戻れたのなら恐悦至極であったな」
「はい。わたしは帝国がそれほど重視していないライの海ということも幸いしました。しかし元々ハイランドの出身だった者たちはどうなったのか、別れてから消息も聞いていません」
コールマンの表情が沈んだ。マラノからライの海までの距離を思えば、その帰途が決して穏やかだったはずはない。
「だが解放軍と聞いてランスロットのことを思い出してもらったのはありがたいことだ。彼が、おぬしの無事を聞いたら喜ぶだろう。必ず伝えよう」
「いいえ、わたしの方こそ、世話になりっぱなしです。ランスロット殿には是非、よろしくとお伝えください。それに解放軍が捕虜を取らず、降伏した者を見逃していることは確実に帝国軍のなかにも広まっています。あなた方のしていることは決して無駄ではありません。元を正せば同じゼテギネアの者同士です。戦いを忌避する声は届いています」
「ありがとう、コールマン。我々のなかにもリーダーの取る策に懐疑的な意見を述べる者が少なくなかったが、おぬしの話はそれを否定するものだ。我らはこれからも降伏した者を解放しよう」
「是非お願いします。同郷の者がまだシュラマナやザナドュにいるはずなのです。彼らとて無用な戦いは望まないでしょう。それにしてもあなたは、私が帝国軍におり、それなりの地位にあったことを知っても何も仰らないのですね。解放軍とは皆さん、あなたのように寛大な方ばかりなのですか?」
「そうではない。だがわたしもかつてはおぬしと同じような身の上だ。他人をとやかく言う権利はない」
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「わたしはギルバルド=オブライエン。旧ゼノビア王国の魔獣軍団長でありながら、ゼテギネア帝国に降った男だ」
コールマンは、しばし言葉を失ったようだ。自分の名も意外と有名なものだと思い、ギルバルドは背中がむずがゆくなった。
「あなたの名はうかがったことがあります。民を守るためと言いながら、その実、我が身可愛さに帝国に降伏したと」
しかし彼はそう言った瞬間には明るい笑顔を見せた。
「でも人の噂など当てにならないものですね。あなたにお会いすることができて、その危うさを改めて確認することができました。わたしがこうして話したあなたは、そんな臆病なことをするような人ではないとわかります。むしろ、あなたはご自分の身の上より民のことを案じられたから帝国に降伏したのだと思います。ランスロット殿はお留守でしたが、あなたにお会いできて良かった」
ギルバルドは何度も咳払いをしたが、コールマンは笑うばかりだ。
「わたしはこれで失礼します。あなた方がこれからも勝ち進めるようバスクにお祈りしています」
「ありがとう。おぬしも元気で」
コールマンが帰ってから、ギルバルドはその話を控えめにリーダーたちに伝えた。
皆の反応は様々だったが、トリスタン皇子がそれほど興味を示さないのがギルバルドには気にかかった。皇子はろくに話も聞いていないようで心ここにあらずといった様子で物思いにふけっている。
「トリスタンさま、何か気にかかることでもおありですか?」
しかし返事がない。
「殿下!」
アッシュの声にようやく反応し、トリスタンは皆を見回した。
「我々は待機中であり、それほど緊迫した状況にありませんが、話し合いには参加していただかないと困ります。解放軍の全権はグランディーナに任せておいでだが、この場にいる者の多くはいずれ殿下の興される国に仕えることになりましょう。そのような者たちを前にして気もそぞろでは不安になりますぞ」
「すまない、アッシュ。少し気になることがあって話に集中していなかった」
「我らにお手伝いできることはございませんか?」
トリスタン皇子は一瞬、考えたようだが、すぐに首を振った。
「ありがとう。だが、いまはまだ時期ではないと思う。いずれ話せるだろう」
アッシュの視線がケインに向けられたが、皇子の側近たる若者は目を伏せたままで無言だった。
改めてギルバルドの話を聞いたトリスタンは頷いた。しかしアッシュは、話を聞いても皇子が何も言わないことに、なお不満そうであった。
ブーロアーナからラモトレック島へは船で1日の距離だ。〈黒獅子〉号が到着すると、グランディーナとサラディン、今回、同行しているフェンリルとジャックだけが下船してタルトに会いに行くことになった。ランスロットとカノープスは〈黒獅子〉号の乗組員とともに留守番だった。
「不思議ね。ラモトレック島の周りには、いつも大渦があって島に近づくのは容易なことではないと聞いていたのだけれど、こんなに簡単に上陸できるなんて思ってもいなかったわ」
島に近づいていくのを甲板から見ながら、フェンリルがそう呟いた。
「それは、あなたさまがご一緒のせいですよ、フェンリルさま」
「私が何をしたというの?」
「タルト殿は十二使徒の末裔とうかがっております。ラモトレック島を囲う大渦は外敵や邪な者どもからタルト殿をお守りするための仕掛けでございましょう。逆に申し上げれば、天界からおいでの天空の三騎士のお一人を乗せた船を、タルト殿が拒むことはございますまい」
「言われてみれば、それもそうね」
フェンリルは納得して微笑んだがグランディーナが口を挟む。
「そんな守り、空から突破すれば済む話だろう」
「そう単純にはゆかぬようなのですよ。空から近づこうとすれば島全体が霧に巻かれてしまうのです。タルト殿のほかには誰も住んでいないという島です。それでも支障はないのでしょう。それも突破されれば、ほら、守護神もいるというわけです」
見えてきた大きな木の周囲には動かぬ大きな人型がいくつも立っていた。それらは木の根元にある小さな庵を守っているようで、ゴーレムを彷彿とさせた。その人型に命が吹きこまれたのは、彼女らが近づいてからのことだ。跪いていた足を、ゆっくりと伸ばして立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。その背はジャイアントほどもあった。
同時に庵から老婆が出てきて、一行を出迎えた。
「ようこそ、ラモトレック島へ。わしの名はタルト、見てのとおりのばばあですじゃ」
「久しぶりね、タルト。元気そうで何よりだわ」
真っ先にフェンリルが近づいていき魔女と抱き合う。
「しばらくぶりでございます、フェンリルさま。オルガナをお訪ねしたのが昨日のことのように思い出されますよ」
「あなたと話したいことは山のようにあるのだけれど先に紹介しておくわ。ゼテギネア帝国と戦う解放軍のリーダー、グランディーナとサラディン、それに商人のジャックよ」
「遠いところから、よく来たの。用件は存じておるが、まずは一休みしなされ」
庵に戻っていきながら話すタルトを、フェンリルを追い越してまでグランディーナが追いかける。
「休まなければならないほど疲れてはいない。用件を先に済ませてもらおう。フェンリルとは、その後でゆっくり話し合えばいい」
「そう急かすものではないぞ。わしは年寄りじゃ。機嫌を損ねると面倒なことになるかもしれん」
庵は外から見た以上に広く、4人が入っていっても狭さを感じさせなかった。本当は大きいのを小さく見せているのか、小さいのに内部は広いのか、どちらにしてもサラディンには興味深いところだが、先に入ったグランディーナは喧嘩腰だ。
「ほかの4人は皆、死んだ。自分も同じことにはなりたくないというわけか」
「ほっほっほ。わしは、これでも150年くらい生きておる。いまさら生にしがみつく気もないし死も恐れん。ただフィラーハさまから賜った使命だけは恙なく果たしたいものじゃなぁ」
「女神の秘石とやらを渡すのが使命だろう」
「そうじゃ。わしらの役目はそれで終わるが、おぬしにはまだ続きがあるぞ。女神フェルアーナさまに会ってもらうというな。神々はいつも地上のことを気にかけておいでだが、人はすぐに神々から賜った恩恵を忘れてしまいがちじゃ。おぬしには女神さまにお会いする心構えができているのかえ?」
「どうせ女神もゼテギネア帝国を倒せと言うのだろう。天界は地上には介入できないから我々にやらせようとする。頼まれなくても帝国は倒してやる。そんなことでいちいち口を出すな」
「ほっほっほ。これは噂以上に性急な御仁じゃ。ならば秘石を出すがよい。ポルトラノからもらった物も含めてな」
言われてサラディンが卓の上に3つの石とクイックシルバーを並べると、ジャックが感嘆の声を漏らした。
それらを見てタルトは頷き、袂に手を突っ込んだ。出されたのは紫柱石で、魔女はそれを緑柱石、藍玉と重ねた。すると3つの石は、まるで水が混じり合って区別がつかなくなるように重なり合い、最初から1つの秘石だったかのように光沢のある紅色に変わってしまったのである。
「これが、わしらの預かった知の秘石、賢者の石の真の姿じゃ」
タルトが紅色の石を指すのと同時にポルトラノから託されたクイックシルバーが姿を変えて、曇りのない水晶となった。
「こちらはポルトラノが預かっていた真の秘石オールドオーブじゃ。ギゾルフィが受け取った明の秘石ジェムオブドーンと合わせて3つの秘石を揃えた者は正義と慈愛の女神フェルアーナさまにお目通りがかなう。早速、会いに行くがええ」
そう言ってタルトが3つの秘石を差し出したのでグランディーナは手を出した。もっとも彼女は、それらをサラディンの持つ小袋に入れようとしただけだったのだろう。
だがグランディーナが3つの秘石に触れると同時に、その姿は歪み、霞のように消えてしまった。
呆気にとられたサラディンとジャックに、タルトはお茶の入った器を差し出した。
「心配することはない。3つの秘石を揃えた者はフェルアーナさまの神殿に召喚されるようになっておるのじゃ。あの娘は、いまごろはフェルアーナさまにお会いしておろう。せっかく秘石を揃えたのに女神さまに会いに行くのが後回しではフェルアーナさまが気を悪くしないとも限らんでのぅ」
それでサラディンは、ひとつ咳払いをした。
「それは帰りの道も保証されているのですかな? フェルアーナの神殿は天空の島シャングリラにあったと記憶しておりますが」
「それは女神のみがご存じであろうよ」
魔女がほくそ笑みながら言うのと同時に、〈何でも屋〉が椅子ごと引っ繰り返った。「荒いことには慣れていない」と広言するとおり、グランディーナが目の前で消えたことは、よほど衝撃的だったようだ。
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