Stage Sixteen「神帝の陰」
Stage Sixteen「神帝の陰」
翌朝、皆が召集され、トリスタン皇子やケインたちがいなくなっていた事情がグランディーナから次のように説明された。
「あなたたちも予想していたようにゼノビアの王妃フローランが生きてシュラマナ要塞に囚われている。トリスタンは彼女の救出に向かったが要塞を守るプレヴィア将軍に阻まれて達せられなかったそうだ」
「阻まれてとはプレヴィア殿はトリスタン殿を、そのまま帰したのか? トリスタン殿を捕らえることもせずに?」
グランディーナに促されてトリスタンが応える。
「そのとおりだ。彼は、わたしたちと正々堂々と戦いたいと言って、わたしを解放したんだ」
けれども彼はプレヴィア将軍が母のことを人質というより守るためと言ったことは伏せていた。
皆がプレヴィア将軍の態度に驚きの声をあげるなか、グランディーナが話し続ける。その声はよく通ったので話し声は、すぐに止んでいった。
「その代わりというわけでもないがプレヴィアの出した条件が、ひとつある。トリスタンに解放軍の指揮を執れと言ってきた。
後のことはトリスタン、あなたが指示してくれ」
それでグランディーナが腰を下ろしてしまったのでトリスタンは立ち上がった。もっとも話すべきことなど昨晩のうちに打ち合わせ済みだ。シュラマナ半島の地理も頭に入っている。
彼はグランディーナがよくするように地図を描くことから始めた。
シュラマナ半島は旧ハイランド王国と旧オファイス王国の境にあり、長く旧オファイス王国の支配下にあった。半島一帯はホマス火山地帯がほとんどを占め、多くの焔竜(フレアブラス)とその眷属が棲息しており、人間の居住範囲は街道と一部の平地に限られている。
街道は現在、解放軍のいるマランバから南に下り、ライデバーグ、フラワーヨで火山地帯を南北に越えて南の海岸線に至り、プレトリアから西に向かう。ハボローネ、マフェキング、セローウェと海沿いに進み、セローウェで船に乗って対岸のオカハンジャからが旧ハイランド領であった。
シュラマナ要塞はセローウェを見下ろす山頂にあり、アラムートの城塞ほどの重要性はないが長い間、北方に睨みをきかせてきた。マランバからオカハンジャはほぼ西に真っ直ぐのところにあるが、間には険しいクネネ山岳地帯が広がり、山を越えてハイランドに行くのは、ほぼ不可能だからだ。
「おそらく帝国軍も、わたしたちが街道を進軍してくるものと想定していると思うが、こちらはその裏をかく」
そう言ってトリスタン皇子はマランバからシュラマナに直線を引いた。
「正規の街道ではないがホマス火山地帯を通ってシュラマナ要塞の裏手に出る道がある。今回は、わたしがグランディーナの小隊を率い、ほかにアッシュとライアンの小隊にもともに来てもらう。それ以外の者は、街道沿いにセローウェまで移動だ。大軍を展開させる必要はないが、解放軍がマランバから動かないのでは我々の動きが疑われるし、今後、旧ハイランド領に攻めることもあるからね」
「わたしとカノープスの、どちらが小隊から外れますか?」
ランスロットの質問に皆がグランディーナとトリスタンを見たが、その返答は意外なものだった。
「いや、外れるのはグランディーナだ。彼女には別働隊を率いてもらう」
「プレヴィアと戦うのに彼女を外すのは無謀ではありませんか、トリスタンさま?」
ラウニィーの発言に皆が、こっそりと頷き合う。
「それがプレヴィア将軍に出された条件なんだ。母を取り返したかったら自分の実力で来いとね。解放軍を率いる指揮官として挑んでこいと言われたんだ」
「アルフィンらしい言い分ね。自尊心が高い人だけれど説得したら解放軍に加わってもらえないものかしら?」
「それは、あなたに任せよう」
そんな可能性が万に一つもないことを知りながらトリスタンは、そう言わざるを得なかった。
「わしの隊には、どなたを加えていただけますか? いまのお話だとラウニィー殿は必要なようですが」
「ケインとヨークレイフ、それにマチルダに来てもらいたいが、いいかな?」
「喜んで、殿下」
ラウニィーはそう言って快諾したが、幼なじみはすぐに返答しなかった。
「ケインが駄目なようならウォーレンに頼むが」
「いいえ、大丈夫です。わたしが参ります!」
「頼むよ、ケイン」
「俺も行けってことは当然プロミオスに用があるんだろうな?」
「そうだ。このシュラマナ半島には稀少な焔竜がいるというからね」
「万が一、遭遇しても、こんにちはさようならってわけにはいかねぇかもしれないぜ? 焔竜同士の戦いがどうなるか、見たことのある竜使いは少ねぇんだ」
「ドラゴンにはドラゴンを当てるのがいいだろう。それに、こちらにフレアブラスがいることで、ほかのドラゴンを避けられるかもしれない」
「その逆がねぇことを祈りたいもんだ」
トリスタン皇子を相手にしても歯に衣着せぬ物言いのライアンに、いつアッシュの癇癪(かんしゃく)が爆発するかと皆は気が気でなかったが元騎士団長は黙っていた。当のトリスタン皇子が楽しそうに見えたからだ。
「支度はできてるんで、いつでも発てるぜ?」
言われてトリスタンは周囲を見回した。
「フラワーヨまでは同じ道のりだ。みんなは大丈夫か?」
「私たちも急いで支度してまいりますわ」
それで、ひとまず解散ということになって解放軍が一斉にマランバを発ったのは昼ごろであった。
翌双竜の月15日、フラワーヨで本隊と別れたトリスタンたちはリゲルの案内でホマス火山地帯に踏み入った。この道を使うことで本来はマランバから6日かかる日程を4日に縮められるのだ。
トリスタンも、この道を使ってシュラマナ要塞に行ったばかりだったが、その時は強行軍に次ぐ強行軍で往復に6日かけただけだったのである。
ケインもヨークレイフも、そのことをすぐに思い出したようだったが、2人ともその話はしなかった。
トリスタンの方もリゲルがいなければ進むこともままならない獣道など、わざわざ話すようなこともなく、誰かに問いかけられでもしない限り自分からは話さなかった。
それで真っ先に訊ねられたのはフローラン王妃の安否だった。
「会わせてもらえなかったから本当のところはわからない。ただプレヴィア将軍は大切に扱っていると保証してくれた」
「妃殿下の行方が24年も秘されていたことについては何かわかりましたか?」
「プレヴィア将軍は何も言わなかったがヒカシュー大将軍の手の内にあったので表に出てこなかったからのようだ。母上は虜囚扱いされていたがゼテギネア帝国としても敢えて喧伝するような必要もなかったのだろう」
「ごめんなさい。フローランさまのことは私、初めて知りました。お父様が私に隠し事をしていたなんて思いもしなかったわ」
「それは無理もないことだ、ラウニィー殿。大将軍は、あなたから秘密が漏れることを恐れたろうし、敵とはいえ無力な女性を捕らえていることを、あなたには知られたくなかったのではないかな」
「まぁ、トリスタンさまったら」
彼女と笑い合いながらトリスタンは、この会話に加わっていない者の話に耳を傾ける。特にグランディーナに近いところにいるランスロットやカノープスの発言は要注意だ。
「グランディーナの具合はそんなに悪いのか?」
「アイーシャが戻ったくらいだから、よほどだろう。指揮もウォーレンに任せたというし」
「珍しいな、こんなところで。バルハラを離れてずいぶん経つんだし、もう禁呪の影響もねぇだろうに」
「シャングリラから戻った時にだいぶ無茶をしただろう。天空の島では女神フェルアーナにお目にかかったそうだし、さすがの彼女も疲れが溜まったんじゃないのか?」
「そんな可愛げのある奴だったかなぁ?」
「うら若い女性に言うことじゃないだろう」
「まぁ、ギルバルドが飛んできたんだから、相当酷いんだろうけど。
それにしても暑いところだなぁ。こんなところ、えっちらおっちら歩いていかないでグリフォンででも飛び越えちまえばいいのに」
「グリフォンだって1日では飛び越えられないだろう。山中でフレアブラスに襲われると厄介だぞ」
「じゃあ、こんな火山のど真ん中を進まねぇで北の海岸線に沿って進んだらどうだ? そっちも街道から外れているんだろう? 帝国軍に遭遇する率は低いんじゃねぇか?」
「それはわたしが判断することじゃない」
トリスタンは内心で苦笑した。
カノープスの言うとおりグリフォンで行けばシュラマナ要塞には2日ぐらいで着けるだろう。もちろん解放軍に飛行魔獣の足りないはずがない。ドラゴンを飛ばせるわけにはいかないが彼の言うように北の海岸線に沿って進めばドラゴンと遭遇する可能性はほとんどないのだから本隊に残していけばいいのだ。
だが、それでは本当の目的が果たせなくなってしまう。グランディーナを本隊に残したのも皆を欺くためなのだからランスロットのように納得してもらわなければ困るのだ。
トリスタンはカノープスの名を気のつきすぎる人物として心に刻んだ。
やがて山道は急な登りになって皆のおしゃべりも自然と減っていった。トリスタンも皆と同様、額に汗を流していた。
一方、街道沿いに進む解放軍の本隊はホマス火山地帯を越え、プレトリアに近づいたところで帝国軍に遭遇し、戦端を開いた。
だがグランディーナは体調が優れないことを理由にフラワーヨにアイーシャと残っていたため、指揮を執ったのはウォーレンだった。
プレヴィア将軍の派兵は手堅く、皆にアラムートの要塞に至るまでの戦いを思い出させた。魔法の撃ち合いに始まり敵味方入り乱れての混戦となったが、猫の額のように狭い戦場は、なかなか結着をつけさせない。
やがて、いたずらに負傷者が増えるのを嫌って戦場に大音声を轟かせた者があった。
「我が名はチェスター=モロー、解放軍の剣士だ! このまま戦闘を続けていても双方、被害を増やすのみ、腕に覚えのある者同士で結着をつけたいと思うがいかがか?! 我と思う者は名乗られよ!」
その声は皆の手を止めるのに十分な力を持っており、誰もが頭1つ分抜きん出て背の高い剣士長に注目した。
これに応じたのが敵の剣士長だ。
「我が名はプレヴィア将軍配下のキングストン=フルゴーニ! 貴公の挑戦に応じよう」
それで一騎打ちのために戦場が空けられた。
「チェスター殿、ご武運を祈ります。万が一にも負けることなどなきように」
そう言って近づいたウォーレンは彼の手に素早く護符を滑り込ませた。
「言われるまでもない!」
チェスターがキングストンと対峙する。
どちらも少し反り返った片刃刀を持ち、騎士に比べると軽装だ。キングストンは刀を斜め上段に構えているがチェスターは切っ先を右下に向けている。
両軍が固唾を呑んで、この勝負の行方を見守った。
先に仕掛けたのはキングストンだ。素早く間合いを詰めてチェスターに斬りかかる。
だが彼は、これを髪の毛ほどの差で避け、相手の勢いを利用して返す刀で下から斬り上げた。
見守る解放軍から歓声が上がる。
血しぶきが鮮やかに飛び、キングストンは膝をついたが帝国軍の兵士が慌てて近づこうとするのを片手を挙げて制した。
「プレヴィアさまの、仰るとおりだ。ゼテギネア帝国は、なぜ貴公のような、剣士を、野に、埋もれさせたままで、おくのか。味方とすれば、これほど、心強い者も、なかろうに」
「たとえ礼を尽くして請われてもあり得んことだ。我が祖国ホーライを滅ぼしたのは貴公の言うゼテギネア帝国、旧ハイランド王国だ。我が力は帝国を滅ぼすためにのみ存在する!」
キングストンの顔が歪んだ。
「ホーライの、残党だと? ホーライが、ハイランドに、破れたのは、力がなかった、からではないか。ハイランドが、負けた四王国を、併合したのは、当然の権利だ、恨むなら、弱い祖国を、恨めばいい!」
「ガレス皇子がゼノビア王国のグラン王を暗殺しなければ、あれほど簡単にゼノビアが負けるはずなどなかったわ!!」
チェスターの怒号は空気まで震わすかのようだった。
「ラシュディがバルハラとガルビア半島で禁呪など使わなければホーライ王国の敗北もなかったろう! おまえたちハイランド王国の勝利など薄氷を踏むように危ういものだったのだ!」
「そうだ、ラシュディさまは、偉大だ。ラシュディさまが、ハイランド王国に、与した時に、四王国の、勝利は、あり得なかった、のだ。だから、わたしは、ハイランド王国に、仕えた」
キングストンの言葉が途切れ、急に前のめりに倒れた。いちばん近くにいたチェスターには、彼の最期の言葉がかろうじて聞こえた。
「ホーライ、などという、弱い国は、見捨てたのに、なぜ、いまに、なって」
チェスターが目を閉ざしてやったのを見てキングストンの死を察したのだろう。帝国軍は蜘蛛の子を散らすように逃げていき、解放軍はここにプレトリアを解放したのだった。
「お疲れ様でした、チェスター。見事な勝ちっぷりでしたね」
グレッグ=シェイクが近づいて話しかける。チェスターも刀を鞘に収めた。
「いや、褒められるほどの戦いではない。だが、このようなところで同国人に遭うのは、あまり気持ちのいいものではないな」
「と言いますと?」
「キングストンはホーライ王国からゼテギネア帝国に鞍替えしたのだ。そのような者がいることはわかっていたし聞いたこともあったが、こうして遭ってみると思っていたよりは割り切れないものだな」
「それは仕方のないことです。そういう人物はホーライ王国に限らず、ゼノビア王国やドヌーブ王国にも、もちろんオファイス王国にもいるでしょう。あるいは24年も経って、ゼテギネア帝国の人間になりきっているかもしれません。最初からゼテギネア帝国の人間だと言う者もいるかもしれません。そのような方々は我らが同郷だと知っても遠慮などしないでしょうし、慮ったりもしてはくれないでしょう」
グレッグの冷静な物言いにチェスターは神妙な表情で頷いた。
「そうだろうな」
「ですが我々も同じように割り切れるかと言いますと、それはまた別問題だと思います」
同志とも言えるグレッグの言葉に、チェスターは励まされる思いもするのだった。
同じころ、グランディーナとアイーシャは、とうにフラワーヨにおらず、ギルバルドが残していったグリフォンのシューメーに乗ってホマス火山地帯をかすめて、北の海岸線に沿って西進していた。
仮病を使ってまで本隊を離れ、トリスタン皇子たちを追うようにシュラマナ要塞を目指すグランディーナは、アイーシャがどんなに訊いても決して理由を言わなかった。
グリフォンの翼は速く、2人乗りでも昼近くにフラワーヨを発ったのに、その日のうちにオチワロンゴという街道から外れた町に着いていた。
「私は用事を片づけてくる。あなたはシューメーと一緒に、ここで待っていてくれ」
グランディーナの用とは〈何でも屋〉のジャックを呼び出すことだった。
しかも、それから間もなくジャックの馬車が現れたのでアイーシャはシューメーの面倒を診ながらジャックの用心棒だというバンと一緒に待つことになった。グランディーナがオチワロンゴで泊まるつもりがないことがわかったので、少しでもグリフォンを休ませてやりたかったからだ。
「女の、魔獣使いは、珍しいな」
「いいえ、私はこれでもロシュフォル教の司祭です。魔獣のお世話はユーリアさんから少し教わっただけで、この子がとても優しい子ですから私のように慣れない者の世話も喜んで受け入れてくれるのでしょう」
「俺は、そうは、思わない。グリフォンは、気難しい、魔獣だ。いくら、懐いていても、誰の、世話でも、受けるものじゃ、ない」
「ありがとうございます。バンさまは優しいお方ですね」
アイーシャが微笑むと彼の色黒な顔が少しだけ赤くなった。
そこにグランディーナとジャックが馬車を降りてきて2人に混じった。
「おやおや、珍しいこともあるものですね。あなたが顔を赤らめるなんて末代までの語りぐさですよ」
「それは、困る」
「おやおや! わたしはあなたの声を聞くのも何ヶ月かぶりのような気がします。どういう風の吹き回しですか?」
「うう」
うめき声をあげたバンを尻目に、グランディーナに助けられながらアイーシャはグリフォンに乗り込んだ。
「ジャック! 私たちは発つ。また後で!」
「くれぐれもお気をつけて!」
2人を乗せたグリフォンは、たちまち西の空に小さくなった。
その姿を名残惜しそうに見送ってから、〈何でも屋〉は馬車に向かった。いつもならバンが手綱を取るところだが今日は御者席に先に座り込んだジャックが持ち、馬車はオチワロンゴの町の方へ軽歩で走り出した。
「彼女は非業の死を遂げられたロシュフォル教の大神官フォーリス殿の一人娘アイーシャ=クヌーデル殿です」
馬車が動き出して、しばらくしてからジャックはいつもの調子で話し始めた。
「知っている」
「おやおや。今日は、あなたに驚かされっぱなしですね。ですが、このことは知らないでしょう? 彼女はいずれロシュフォル教の大神官になりますよ。ああ、勘違いしないでほしいのは彼女と身分違いだなんてことを、わたしが言いたいのではないということです」
「そんなことが、どうして、わかる?」
「どなたも、なり手がいないからです。フォーリス殿の処刑に皆さんが脅えているせいもありますが、ロシュフォル教会が育てている次の大神官候補は、まだ幼い娘さんです。だから彼女が引き受けざるを得なくなるのです。先の大神官フォーリス殿の娘御ならば反対する方も少ないでしょうからね」
バンがいつものように押し黙ったのでジャックは話し続けた。
「あなたが彼女をものにしたいなら強引にさらってしまうことです。そうしないと彼女は自分の信念に殉じてしまいますよ、お母上のようにね」
「そんなことを、しても、アイーシャは、幸せでは、ない」
「男性であれ女性であれ、愛する人と家庭を築くのも幸せのうちだと思いますがね」
「ボス、俺のことよりも、あんたは、どうなんだ?」
「これは手厳しい。まさか、わたしも昨日までは、あなたと、このような会話をすることになろうとは思いもしませんでした」
そう言った〈何でも屋〉はしごく上機嫌だった。
「残念なことですがグランディーナとわたしには1つだけ共通点があるのです。幸せな家庭などというものに落ち着けないというね。だからまぁ、彼女とは、いまの関係が続いてくれることが、いちばん望ましいのですよ」
そう言ってジャックは、なおも笑った。
「まったく皆さんに、あなたの言ったことを教えてあげたら、どんなに驚くことでしょうかね!」
グランディーナとアイーシャは日没ぎりぎりまでグリフォンで西進し、人里離れた海岸で野宿した。
「明日はシュラマナ要塞へ向かう。あなたはその近くで待機していてくれ。場合によってはオチワロンゴまで戻る」
「何のために、そんな手の混んだことをするの?」
「いまは、まだ話せない。話さなくても良くなるかもしれないし、あなたに頼み事をするかもしれない」
「話が全然、見えないわ」
「わからなくていいんだ。わからないなら何も知らない方がいい」
火を焚く必要もないくらい辺りは暖かだったがアイーシャは食事のために火を起こした。その向こうに座ったグランディーナの表情は、どこか沈んでいるようにも思える。アイーシャは薪の枝を弄ぶ彼女の手をそっと取った。
「私の力が必要な時は、いつでも言ってね」
「ありがとう」
同じころ、トリスタン皇子の一行はシュラマナ要塞まで、あと1日の距離に近づいていた。
フラワーヨに戻ったアイーシャに替わってフローネ=ボンボルルが同行していたが行程は順調だった。
「そろそろ明日の話をしよう」
しかしトリスタンがそう切り出すと皆は話し止め、彼を注視した。痛いほどの緊張感を覚えながら彼は言葉を選んで話す。自分の企みを彼らに気づかせてはならないと思いながら。
「まずプレヴィア将軍の人となりについてラウニィー、君の知っていることを話してほしい」
トリスタンに指名されて彼女は立ち上がると話し始めた。口調は冷静であろうとしているがプレヴィア将軍と戦うことは辛そうに見える。ハイランド人であり、大将軍の娘でもあるラウニィーには、これからも避けて通れない道だ。
「アルフィンはデニスと同じ時期に四天王に選ばれた人だわ。つまり神聖ゼテギネア帝国ができたばかりのころにね。四天王は剣技に優れた人という条件でお父様が選ぶのだけれど、アルフィンだけは例外で魔法にも剣にも優れている人なの。剣士としても非凡な人ではないけれど、それだけでは四天王に選ばれるには足りないと思うわ。でも魔法に優れているから剣技と合わせた技ではデニスに勝ったこともあるほどよ。もしもアルフィンが一騎打ちを求めてきたら、申し訳ないのだけれど私たちでは難しい相手でしょうね。だけど私に解せないのはアルフィンがフローランさまを人質に取ったという話よ。とても自尊心が高い人だから卑怯者だと言われるようなことはしないと思っていたのに」
ラウニィーは我がことのように悔しそうに唇を噛んだ。プレヴィア将軍との親密さがうかがえる仕草だ。
それでトリスタンは急いで言葉を継いだが、それは彼女の眉間の皺をさらに深く刻んだだけだった。
「人質の件はヒカシュー大将軍の命令だそうだ。プレヴィア将軍には人質など取らなくても解放軍はここで食い止めてみせると言われたよ」
「だったら、どうしてアルフィンはフローランさまをお返ししなかったのかしら? 人質に使う気もないのなら傍に置く理由もないでしょうに」
「そこまではっきりと大将軍の命令に逆らえるものではないのだろう。プレヴィア将軍としては母を戦闘に巻き込まないというのが精一杯のところではないのかな?」
「だがヒカシュー殿ほどの方が人質など取りますでしょうか?」
アッシュの言葉にラウニィーの表情が苦々しそうに歪む。いまの彼女はヒカシュー大将軍とプレヴィア将軍の板挟みの上、自身は解放軍として両者と敵対する立場にあるのだから、その苦悩は想像するに余りある。それでも前線に立つことを厭わない勇気にはトリスタンは頭が下がる思いだ。
「それは、お父様だって神聖ゼテギネア帝国の大将軍ですから、どんな手でも使いましょう。たとえ、それが皆様や私に非難されるような非人道的な策であっても、お父様の第一義は神聖ゼテギネア帝国とエンドラさまをお守りすることにあるのですもの、どんなことでもいたしましょう」
「そうか」
しかし元騎士団長は口で言うほどには納得していないのが見てとれた。彼の知るヒカシュー=ウィンザルフという人物は、それほどまでに高潔な人柄らしい。
だが、やがて彼はお互いの上に流れた24年の歳月を思い出し、明日の戦闘に気持ちを切り替えた。
「誰がプレヴィア将軍と戦いますか?」
アッシュに問われてトリスタンは皆の顔を、ひととおり見渡した。
ランスロットでは力不足だが今回はグランディーナはもとよりデボネアもいない。デボネアはクリューヌ神殿に向かったというルバロン将軍と戦うために天空の騎士の1人、竜牙のフォーゲルのもとで特訓に励んでおり、ノルンともどもライの海に残ったのである。
「プレヴィア将軍が名指ししてくるかもしれないし、それは明日、決めよう」
トリスタンはそう答えたが、あまり気の利いた回答ではないと思わずにいられなかった。
その日の夜半、トリスタンたちより1日早くシュラマナ要塞に着いたグランディーナは、アイーシャとシューメーを離れたところに隠れさせて1人で要塞に潜入した。
やがて見つけたフローランはプレヴィアと同じ部屋にいたが眠っているようだった。それをプレヴィアが見下ろしている。
グランディーナは彼が立ち去るのを待とうとしたがプレヴィアはいつまでも動かず、そのうちに椅子を持ってきて座ってしまった。
とうとう彼女が意を決して窓を開くと彼は、さほど驚いた様子もなく振り返った。
「トリスタン皇子の手の者か? その髪の色、まさか、おまえは」
「私を知っているのなら話が早い。フローランとともに逃げろ。足は用意してある、ゼテギネア大陸を離れるがいい」
「トリスタン皇子から聞かなかったのか? 彼女は気が触れている。いまも、わたしの魔法でようやく眠ったところで目が覚めている時は殺されたグランの死に顔に脅え続けているのだ。そんな彼女を連れて逃げることなどできるわけがない」
「ならば、このまま死を待つと?」
「それが悩みどころだ。トリスタン皇子の命を奪って彼女が正気に戻るのなら、そうもしよう。だが彼女は、おそらくトリスタン皇子の死に気づくこともあるまい。彼女の目に映る者は全てグランに見えるのだから、それが誰であろうと彼女には同じことなのだ。ならば腹いせにトリスタン皇子の命を奪うか? それも虚しいな。いまさら名誉など要らぬ。名も惜しむまい。エンドラさまのため、ヒカシュー大将軍の命という大義名分にも興が湧かぬ。いまのわたしにはゼテギネア帝国さえ軽い」
「では、なぜトリスタンに解放軍を率いてこいなどと言ったのだ? あなたの選択で兵士が死ぬことは考えなかったのか?」
「グランの息子が、どのように戦うのか興味があったからな。それに、これは賭けでもあった。彼の返答如何ではシュラマナ要塞を無傷で明け渡すことも考えていたのだ。だが彼の答えは、わたしの期待を大きく裏切るものだった。おまえも、そうではないのか? だから彼の意に反してフローランを逃がそうとしているのだろう?」
「私は彼に期待もしていないが失望もしていない。彼の犯そうとしていることを責めようとも思わないし、そんな権利もない。フローランを逃がそうとしたのは、ただ彼女に同情したからだ。もちろん、あなたが戦わずにシュラマナ要塞を明け渡してくれるのなら喜んで受け入れよう」
プレヴィアは、ここでようやくグランディーナに向き直った。
「そんなことをして何の得がある? おまえたち反乱軍は戦わずして要塞を手に入れるが、わたしたちはどうなる?」
「名誉も名もいらないのだろう、フローランと2人、市井の人となり慎ましく暮らすがいい。権力からも忘れられれば、フローランも正気に戻るかもしれない。それとも、あなたは彼女が元に戻るのを期待してもいないのか?」
プレヴィアは眠るフローランを振り返った。グランディーナも彼女に目をやったが、その眠りはこれぐらいの会話では乱されることもないらしかった。
「期待しないわけがない。だが難しいと言っているのだ。彼女は二度とグランのこともトリスタン皇子のことも忘れないだろう、忘れられるはずがない。この24年間というもの、彼女にとってグランと息子たちは忘れられた存在だった。彼女のなかでトリスタン皇子は、この世にいない人間だったのだ。だが彼は生きていた、我が帝国を脅かせるほどの存在となって。まるでグラン自身が復活したような物言いで。それ以来、彼女はグランの亡霊に取り憑かれたままなのだ」
「ゼテギネア帝国もいい加減だな。ウーサーのようなチンピラを使ってゼノビア王国に仕えた者を一族郎党まで殺し尽くしたかと思えばグランの遺児が生き延びたことは知らぬままとは」
「トリスタン、当時はフィクス皇子の生死は我が国にとっては最優先事項だ。だがゼノビアの混乱は酷かった。フィクス皇子はグラン暗殺時の混乱かゼノビア敗戦のどさくさのなかで行方不明になった、それが定説となったのだ」
「だが彼は生きていた、か」
「そうだ。グランも、ジャンとフィクスも殺された、孤独だったはずの彼女は突然、ゼノビアの王妃に戻された。安穏とした暮らしは、あってはいけないものになってしまった。彼女の心はグランやジャンに対する罪悪感で占められている。シュラマナ要塞に移されてからは水しか受けつけなくなった。難しいというのは、そういうわけだ」
「フローランの余命がわずかならば最期を静かに過ごさせてやろうとは思わないのか?」
「そのためにシュラマナ要塞を無血で解放しろというのか?」
「結果的には、そうなる。トリスタンが来る前に出ていくがいい。〈何でも屋〉のジャックという商人が、あなたたちをゼテギネアの外まで連れていってくれるだろう。元はフローランを逃がすために手配したものだが、あなた1人が増えたところで大差はあるまい」
「用意のいいことだな」
「最初から、そのつもりで来ている」
プレヴィアは微笑んだ。
だが次の瞬間には部屋の隅から聞こえてきた声に、その表情は凍りついた。
「そうはさせませんよ、プレヴィア将軍。人質まで与えられているというのに人質も使わずシュラマナ要塞を戦闘もなしに反乱軍に解放するなど神聖ゼテギネア帝国の将軍として許されないこと、最後まで雄々しく戦っていただかねば、あなたの大事な女性のお命は奪わせてもらいます」
「誰だ?!」
眠るフローランの奥に、いつの間にか1人の影が立っていた。その手にある短刀はフローランの首筋ぎりぎりのところに添えられて、グランディーナもプレヴィアも迂闊(うかつ)に動くことができなかった。
「こんなこともあろうかと上は、あなたを監視させていたのですよ。プレヴィア将軍が情に流されてゼテギネア帝国の益を損ねることがないようにとね」
「戦えば、どちらかに犠牲が出る。それはゼテギネア帝国にとって益を損ねたことにはならないのか?」
「それは、わたしが判断することじゃない。ですがプレヴィア将軍、いまの発言はゼテギネア帝国に叛意ありと受け取られる。よろしいですか?」
「影の分際で、このプレヴィアを脅す気か?!」
「わたしは事実を申し上げたまで。ですが、そのような反応をされるのならば、こちらにも考えがある」
「何をする気だ?!」
影はフローランを抱き上げた。窓が開かれ、外にいた者が彼女を受け取るのが見えた。
「二人づれとは用意のいいことだな」
「あなた相手では何人いても足りませんからね。あなたが見事、反乱軍を食い止めれば、フローラン王妃はお返しします。できない時は、おわかりですね?」
「わたしが負けたら彼女はどうなる?」
「そんなことを気にする暇があったら反乱軍を負かす方法でもお考えなさい」
「待て!」
「反乱軍のリーダー、あなたがなぜフローラン王妃に関心を持つのかは尋ねますまい。ですが、あなたが近づけば彼女の命はない。それだけは心得ておいてくださいよ」
グランディーナは窓を開け放ったが、もはや人影を追うことはかなわなかった。
「戻るがいい。フローランの行方は彼らしか知らない。おまえが、ここに来た意味も失われただろう」
「彼らの言いなりになるのか?」
「それ以外に彼女を取り戻すすべはない。わたしが倒されれば彼女の命もあるまい。おまえが行っても彼女の命はないと言った。ならば、わたしにできることは限られている」
「諦めるのか、2人で生き延びることを?」
「わたしが、ここで反乱軍を食い止めれば済むことだ。わたしたちは、もともと敵同士だったのだ。わたしたちのあいだには倒すか倒されるかしかない。そうではないか?」
「あなたが、そう言うのなら私が、どういう選択をするのかもわかっているはずだな?」
その言葉の終わらぬうちにプレヴィアは素早く身を引いた。
「殺気も見せずに近づいてくるとは末恐ろしいことだな。だが、わたしもおとなしく殺されるわけにはいかない。どちらが勝つか、おまえは見ているがいい」
「ならば私は好きにさせてもらう」
来た時と同じようにグランディーナは窓から出ていった。夜も白々と明けようとしている。
独り残されたプレヴィアは初めて唇を噛みしめた。固く握りしめた拳のあいだから血が滴っていることにも気づかぬようであった。
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