Stage Eighteen「ケルベロスの旗の下」
光竜の月19日、ギルダス=W=バーンはオカハンジャに現れた反乱軍を見下ろしていた。総勢100名以上、魔獣も何十体もいる大所帯だ。ケルベロス騎士団だけで食い止められる相手ではない。先頭に立つ、赤銅色の髪の人物が噂に聞く反乱軍のリーダーだろうか? ラウニィーの姿は遠目には確認できなかった。
彼は近づいていったが、その姿はとっくに捕捉されていたらしい。反乱軍にはホークマンを初めとする有翼人がおり、その視力は人間の何十倍もある。けれども彼は歩むのを早めもしなかったし、止まりもしなかった。ただ堂々と近づいていっただけだった。
やがて互いに声の聞こえるところまで近づいたが、そのころには彼がやってくるのを見守っていた反乱軍のリーダーは、さらに近づくよう促した。この距離だと若い女性だということがわかった。腰に提げた引きずりそうな曲刀まで手配書のとおりだが似顔絵は似ていない。
「実物のが美人だな」
つぶやいてギルダスはやがて立ち止まった。もう一歩踏み込めば互いの武器が届く距離だ。そのころには彼女の背後には騎士と真紅の羽根の有翼人が立ち、そこに見覚えのある金髪の娘が走ってくるのが見えた。
「ギルダス!」
「お久しぶりです、ラウニィーさま」
彼は一礼した。彼女が聖騎士団に入ってから何年も会っていないが、こちらを覚えていてくれたのは好都合だ。
「やはりケルベロス騎士団の一員か。私が解放軍のリーダー、グランディーナだ、何の用だ?」
「俺はギルダス=W=バーン、ケルベロス騎士団の前団長マーガレット=W=スルサリョーワの使いで来た。ケルベロス騎士団はヒカシュー=ウィンザルフ大将軍の命令のもと、反、いや解放軍と徹底抗戦の意で待ちかまえているが、できるだけ戦わない方向に持っていってもらえないだろうか」
「そちらは戦う気があるのだろう。我々に逃げ回れと?」
「どんな方法でもいい。だが戦闘になれば巻き込まれるのはザナドュの民だ。ザナドュを守るべき我々がザナドュを戦場にするわけにはいかない。ヒカシュー大将軍の命だと言ったが常態ではないんだ。本意とは思えない。理解してもらえないか?」
リーダーと名乗った娘はラウニィーよりも若く見えたが抜き身の刃のような鋭さを持っていた。後ろの2人も相当な手練れだ。これだけの人数を従えているのだから並みの娘ではないのだろう。手配書には傭兵上がりの剣士とあったことを彼は思い出した。
「ザナドュを戦場にしたくないのは私たちも同感だ。それと私の持つ情報が古いようだな。マーガレット=スルサリョーワが前団長とは何かあったのか?」
「大将軍の命で解任された。いまはアダルバ=W=リベルマンが団長だ」
「なるほど覚えておこう。ではもう一つ、ヒカシューが常態ではないと言う根拠は?」
「団長が解任されたのは大将軍の命令に反対したからだ。その時に酷い傷を負わされた。いままでの大将軍ならば考えられなかったことだ」
「ラウニィー、心当たりはあるのか?」
しかし話を振られた彼女は真っ青な顔をして立ちすくんでいた。握り締めた両手が激しく震えている。
「答えるまでもないな。
ギルダス、あなたはこれからどうする?」
「俺はラウニィーさまをお守りしたい。解放軍に加えてくれ」
「どうぞ。あなたの経歴は問わない。我々は誰でも歓迎する」
グランディーナはラウニィーに近づいた。しかし彼女は無反応だ。ヒカシュー大将軍の変貌に心当たりでもあるのだろう。無理もない、そうギルダスが思った途端に威勢のいい音が響いた。グランディーナがラウニィーに平手打ちを喰らわしたのだ。
「目を覚ましたか。父親と戦いたいと言ったのはあなただ、まだその意志はあるのか?」
「当たり前だわ!」
「ならば少し早いが作戦を話す。
ギルダス、あなたも一緒に来い」
彼女が去るのを待ってギルダスはラウニィーに近づいた。形の良い唇の端からわずかな血が垂れていたが、彼女は拳でもってぬぐってしまった。ザナドュにいた時には考えられなかった行動だ。
「大丈夫ですか、ずいぶんひどく張られたようでしたが?」
「ええ。お父様のことで呆然としていた私が悪いわ。常々、お父様との決着は自分でつけるといいながら、肝心の時になると駄目ね」
「ほかならぬ御館様のことです、仕方ないですよ」
「後でザナドュのことを聴かせてちょうだい、懐かしいわ、何年ぶりかしら?」
「あなたが聖騎士団に入るために帝都へ行ってからですから、3年になりますか」
「そうね」
皆が揃うのを待ってグランディーナは話し始めた。
「まず紹介する。ウィンザルフ家の私設騎士団、通称ケルベロス騎士団の一員だ」
それで皆の注目が一斉にギルダスに集まった。
その顔を見渡しながら、先ほどグランディーナの後ろに立っていた2人がランスロット=ハミルトンとカノープス=ウォルフであることも彼は思い出していた。道理で見覚えがあるはずだ。ほかにも手配書に描かれた面子がずらりと揃っている。それだけでもケルベロス騎士団には荷が重い相手だろう。とうていザナドュで食い止めるなどできそうにない。
「俺はギルダス=W=バーン、紹介されたとおりケルベロス騎士団の一員だったが、ゆえあってともに戦うことになった。よろしく頼む」
それほど拒絶するような反応が見えないのは、すでにラウニィーを受け入れているからか、いまさらゼノビアやホーライなどにはこだわらないほど雑多な集団だからかなのか、どちらともギルダスには判別できなかった。
「彼は主にラウニィーの補佐につける。
ジャンワリアに行ってからと思っていたが、ついでだ。ザナドュ攻めについて話す。
まず、いつものようには各都市の解放を行わない。ザナドュの民衆が我々に対して強い反感を抱いている。彼らに言わせると我々は解放軍ではなく侵略軍だそうだ。都市を解放しても民衆をなだめるのに時間がかかるだろう。ゼテギネアを前にして足踏みは避けたい。よって各都市を解放せず、ザナドュまで飛行魔獣で部隊を組んで、一気にヒカシュー=ウィンザルフをたたく。飛行魔獣ならば3日ぐらいで着けるだろう」
「私は反対だわ」
ラウニィーがすかさず立ち上がった。
「理由は?」
「各都市の守りにはケルベロス騎士団が当たっているのでしょう。彼らと話すことはウィンザルフの名を継ぐ者の義務だわ」
「彼らに遭えば戦闘になる。そうなればザナドュが戦場だ。あなたの言う義務とやらは住民の安全よりも優先されることなのか?」
ラウニィーは唇を噛みしめた。
「まぁ、いい。どうせ住民が我々を侵略軍だと考えていることにも納得していないのだろう? 自分の眼で確かめてこい。ウィンザルフの名前で彼らが引っ込むというのならやぶさかでもない」
「わかったわ。作戦を始めるのはジャンワリアに着いてからいいのでしょう?」
「そうだ」
「ならば私は急いでジャンワリアに行きます。あちらで合流しましょう」
「わかった」
ラウニィーがさっさと歩き出したのでギルダスの方が慌てた。オカハンジャは旧ハイランド領だが、ここからジャンワリアまでは2日かかる。手ぶらで発って行けるところではないのだ。
「ヨハン! ギルダスに補給させてやれ」
「はい」
言われて中年の男性が進み出た。文官らしい身なりだが詳しい話を聞いている暇はない。
「2日分の野宿道具が2人分、必要そうですね」
「ああ、助かる!」
ヨハンと呼ばれた男性は、こういう事態に慣れているらしく、すぐに言った物を揃えて持ってきた。
「ありがとう。この礼は後で!」
「お気になさることはありません。これがわたしの仕事ですので。お気をつけて、ギルダス殿」
彼が解放軍の野営地を離れた時にはラウニィーの姿はずっと北上していた。まったく、ああいうところは変わっていない。
「ラウニィーさま!」
「ギルダス?! あなたまで一緒に来なくても良かったのに」
「そうはいきません。あなたをお守りするのが自分の役目と心得ておりますので」
「いつまでも子どもじゃないんですもの、無茶なことはしないわ」
「そう仰らないでください。ザナドュ、いや御館様のことを聞きたいんじゃなかったんですか?」
ラウニィーの表情が急に陰った。それもそのはずだ。彼女が父親を尊敬することはケルベロス騎士団員の比ではない。母親はラウニィーが産まれて間もなく亡くなったそうだから父一人娘一人なので無理もないが、大将軍もまたラウニィーをたいそう可愛がっていた。
「そうよ、聞きたいわ。でもほかならぬお父様のことなのよ、聞きたいし聞きたくない。ましてやマーガレットを傷つけたなんて話、知りたくもないわ。あのお父様がそんなことをするはずがない、するはずがないのに、するかもしれないって知っているからよ」
「それはどういうことです?」
ラウニィーは口をつぐんだ。話しづらい理由もわかるがジャンワリアはまだ先だ。ギルダスが、ここはのんびり待とうかと思い出したころ、彼女は口を開いた。
「私が聖騎士団に入団してからもお父様とはたびたび会っていたの。住まいはザナドュだけれど帝都はゼテギネアだから私が家を出る前から、家を空けることはしょっちゅうあったわ。でも、そのうちに気づいたのよ、私に見せるお父様の顔とほかの人に見せる顔が違うということに」
「御館様はラウニィーさまには甘いですからね」
「いいえ、そういうのとは違うわ。お父様が部下を叱咤しているのを見たことがあって、それが凄く怖かったの。まるでその人のことを憎んでいるような、そんな風に思えて。ほかの人がいるところで怒ることはないでしょう? 以前のお父様だったら絶対にそんなことはなさらなかったはずだわ」
「それは何か理由があったからではないんですか? 御館様はゼテギネア帝国全軍を統括する大将軍だ。全体を把握するのは難しいから、つい厳しくなってしまったとか?」
「いいえ。それは年を追うごとに厳しくなっていったわ。城内でいきなり部下を殴りつけたのを見たこともある。足蹴にしたことだってあったかもしれない。そのうちにお父様はだんだんゼテギネアに来られなくなったの。エンドラさまも以前はあんなにお父様を頼りにしていたのに、いつの間にか疎遠になってしまわれていた。ガレスさまもそうよ、エンドラさまともお父様とも疎遠になられて。だから聖騎士団の任務で外に行くのが嬉しかったわ、城にいると息が詰まったもの。ガウェイン団長も、それはうすうす感じていられたようだったし」
「なるほどラウニィーさまだけじゃなくてガウェイン殿の話が出ると信憑性が上がりますね」
「真面目な話なのよ」
ラウニィーは睨んだがギルダスは思わず笑い出した。
ガウェイン=アデルバートは聖騎士団の団長だ。誠実な人柄だが腕は確かで、あと一歩踏み込んでいたら、いまごろ四天王の末席はクアス=デボネアではなくてガウェイン=アデルバートだっただろうと言われるほどだ。
「ですが御館様お一人で城内の雰囲気を悪くされたわけではないんでしょう?」
「もちろんよ。大元はエンドラさまとガレスさまにあったわ。ガレスさまは何かというと斧を振るわれるし、みんな、話すことさえ怖がっていた。お父様だって止めやしないの。でも、それもお二人のせいというより賢者ラシュディのように思えたけど誰もそんなことは言えなかったわ」
「賢者殿ですか」
賢者ラシュディは旧ハイランドの民にとっては女帝エンドラやヒカシュー大将軍にも匹敵する救国の英雄であり、五英雄の最後の1人でもある。だが、一歩、旧ハイランド領を出ると、その評価は先の四王国戦争の諸悪の根源と、評価は天と地ほども変わるのだ。
それも無理はない。賢者は旧ホーライ王国の首都バルハラと、やはりホーライ領のガルビア半島で二度も禁呪を使い、旧ホーライ王国騎士団を壊滅状態に追い込んだからだ。
また戦争の始まりとなった旧ゼノビア王国の神帝グランの暗殺にも深く関わっているとも噂される。旧ゼノビアの騎士団長アッシュ=クラウゼンがその主人に手をかけたのは賢者ラシュディに操られたからとも言われているのだ。
「旧ゼノビアの裏切り者だったアプローズ男爵を覚えている?」
「ああ、確か、イグアスの森で旧ゼノビアの捕虜を虐殺したという?」
「正しくはゼノビアからの避難民だそうよ。私も解放軍で初めて知らされたのだけれど」
「ええっ?! 本当ですか?」
「ウォーレン、旧ゼノビア王国に仕えていた占星術師だった人が言っていたから間違いないと思うわ」
さすがのギルダスも驚愕した。アプローズ男爵のことは知っているが、実は名前だけで顔は知らない。祖国を裏切ってゼテギネア帝国に降ったと知らされた時は軽蔑しか湧かなかった。その功績がポグロムの森、旧名イグアスの森の虐殺ときてはアプローズ男爵などを取り上げた首脳陣に不信感さえ抱いたものだ。しかもそのような人物が一時とはいえ、ラウニィーの婚約者だったというのだから、いくら尊敬するヒカシュー大将軍の選択とはいえ、大いに首を傾げたのであった。そう感じたケルベロス騎士団員は何も彼だけではない。団長のマーガレットでさえ「何も彼でなくても」と言ったほどで、ラウニィーの婚約を知って心から祝福したいと思った者は皆無と言ってもいいぐらいだったのである。
「まぁ、そのアプローズ男爵はマラノで私たちが倒してしまったからいいんだけれど、ほんの短いあいだ、彼と一緒にいて、あの空気がどこかに似ていると思い返したらゼテギネアだったわ」
「それでザナドュが近づいたら思い出されたと」
「そうよ、思い出さなければならなかったんですもの。でも思い出したくもなかったわ。大好きなお父様が大嫌いなアプローズ男爵と同じようになったなんて信じたくもなかった。いっそザナドュを通り過ぎてしまえれば良かった。お父様がそんなことを許すはずがないとわかっているのにザナドュを通り過ぎてゼテギネアを落とせば、お父様と和解できるんじゃないかって思いさえしたわ。エンドラさまに忠誠を誓うお父様がそんなことを許すはずがないのにね」
「ではなぜ御館様と戦われるんです? そんなに迷いがあって勝てるような方ではないですよ」
「いいえ、ほかの誰にもお父様を倒させない。それがたとえあなたでもよ。お父様が間違ったことをしているのなら止めるのは娘の私の義務だわ」
「ラウニィーさまが命令してくだされば俺はたとえ相手が御館様でも戦いますよ。それでは駄目なのですか?」
「ええ、私でなければお父様は止められないわ。でも、ありがとう、ギルダス。あなたがいてくれてどんなに心強いか」
「俺は騎士ですから」
2人とも精一杯、急いだがジャンワリアは遠かった。モジダスクルーゼスの村を通り過ぎても、まだ1日はある距離だ。
ギルダスはラウニィーにモジダスクルーゼスで泊まることを提案した。
「いいえ、ここで泊まったら本隊に追いつかれるわ。それでは先に発った意味がない。行けるところまで行って野宿しましょう。あ! でも天幕も何もかも忘れていたわ」
「そんなことだろうと思って借りてきました。別に俺はモジダスクルーゼスで泊まってもいいんですよ? ケルベロス騎士団の者だと名乗れば無料で泊めてくれるでしょうから」
「いいえ、先を急ぎましょう。私はまだまだ駄目ね。気持ちばかり急いて野宿することも忘れていたなんて。あなたがいなかったら、ここで立ち往生していたわ。ありがとう、ギルダス」
「いいえ、これも我らの務めです。俺も野宿の経験はあまりありませんが、一応、一通りは教わっています。適当なところで休みましょう」
ラウニィーに、やっと笑顔が浮かんだのでギルダスを安堵させる。
冬の日暮れは早い。それでも勝手知ったる街道を2人はできるだけ北上し、辺りが真っ暗になってから林の端で野宿することにしたのだった。
「ラウニィーさま、先ほどグランディーナ殿の言われていたことですが」
「ザナドュの人たちが解放軍を侵略軍だと考えているという話?」
「そうです。あれは事実ですよ」
そう言ってギルダスが帝国教会での話をしてやるとラウニィーは口を挟むこともなく黙って聞き入った。
「だから行ってもあまり成果は得られないと思います。むしろ追い返されるのが落ちではないかと」
「そうね、私もそう思ったわ」
「わかっているなら、なぜ急がれるのです?」
「私がウィンザルフ家の者だからよ。駄目だと言われたからって簡単にはい、そうですかって言うわけにはいかないの」
「はぁ?」
「だってザナドュは私たちの町だわ。小さいころ、お父様に言われたことをよく覚えている。『これからおまえが守っていく町だ』、お父様はそう仰った。私、こう答えたのよ。『はい、父上のような立派な騎士になります!』って。ねぇ、あなたにとって騎士ってどんなものかしら?」
「騎士ですか。主君に仕える、それが騎士道だと任じてます」
「私にとっては違ったわ。弱い者を守るのが騎士、そう教わったとおりに鍛錬して聖騎士になったの。でも実際は違っていた。お父様は部下を所構わず叱りつけるようになり、守るべきエンドラさまとも疎遠、ザナドュのことだけじゃない、お父様はゼテギネア帝国の大将軍なのだもの、帝国の臣民を守るのだと信じていたらそうではなかった。一歩、ハイランドから出たら私が聞いたのはゼテギネア帝国への怨嗟の声ばかり、家族を殺され、自分も殺されそうになった人たちの恨みの声しか聞こえなかったのよ。そんな時に私を助けてくれたのが解放軍だったの。マラノから逃げ出したカストロ峡谷でだったわ」
「なるほど、それ以来、行動をともにしているわけですね。道理で行方がつかめないはずだ」
「私と同じ立場の人は最初、ノルンしかいなかったから肩身が狭いと思ったこともあったわ。でも知ってるかしら? グランディーナを育てたのは賢者ラシュディだって」
「それは、初耳ですが、誰がそんなことを言ったんですか?」
「ガレスさまよ。天空の島シャングリラで戦った時に捨て台詞を吐いていったわ」
ギルダスは一瞬、開いた口がふさがらなかった。
「捨て台詞。ラウニィーさま、解放軍に毒されてないですか? 言葉遣いが下品になられましたよ?」
「いいでしょ、そんなこと! 真面目に話しているのに茶化さないで」
「すみません。ですが、つい突っ込みたくなったものですから」
ラウニィーは睨みつけたがギルダスは笑って誤魔化した。実際、いまの彼女の言葉をマーガレットが聞いたら卒倒しそうだ。
「ともかく、肩身の狭い思いをしていたのは私だけじゃなかったってことが言いたかったのよ」
さっき見かけた解放軍のリーダーは、そんなことはつゆほども気にしてなさそうにギルダスには思えた。傭兵上がりだと聞いているし、醜聞は常につきまとうだろう。あれは、そういうものには惑わされない人種だ。しかし、このことはラウニィーには黙っておくことにした。
「それで私は考えたの。私が解放軍にいる意味は何かって。そうしたら気づいたのよ、私はいままでお父様のことを誰よりも誇りに思って尊敬もしてきたし、いまでも目標でもあるのだけれど、同時にお父様の娘ということで抑圧も感じていたって」
「そうでしょうね」
「あら、知ってたの?」
「そうでなかったら団長にあそこまで頼み込んで稽古をしやしないでしょう。聖騎士団に入るには十分な実力だと言われていたのに異常でしたよ、あの時のラウニィーさまは」
「あの時は何が何でも首席で入りたかったのよ。お父様の名を汚すまいと必死だったの」
「ええ、わかっていたから団長もラウニィーさまの求められるままに協力したんでしょうし。おかげでとばっちりは我々が受けたわけですが」
「ごめんなさい。マーガレットには本当に感謝しているわ。あなたたちケルベロス騎士団のみんなにもね。でも本当に大変だったのは聖騎士になってからで、ガウェイン団長にはずいぶんお世話になったわ。そう、それで話を戻すけど私が解放軍にいるのは、やっぱり大将軍の娘としてなんだってことなの。だから誰一人として成功しなかったけれど四天王のみんなを説得することも、それが私の役割なんだって思ったのよ」
「そうでしたか。シュラマナ要塞が落とされたと聞いた時、四天王も無事ではないと思ってましたが。この様子だとルバロン将軍も無事ではなさそうだな」
「ええ。私たち、シュラマナ要塞からクリューヌ神殿に行ってデニスとも戦ったわ。彼は最後までゼテギネア帝国こそ強者だと譲らなかった」
「ならば、いまごろ御館様のお耳にも入っているでしょうね」
「そうだと思う。お父様が解放軍と戦えと命じたのよね?」
「はい」
ラウニィーは顔を覆い、膝に伏した。
話が途切れたのでギルダスは辺りを片づけた。明日も同じ調子で行けば夕方にはジャンワリアに着ける。少しでも早く出発できるようにと思ってのことだった。
「ごめんなさい、あなたにばかり働かせて」
「お父上を前にラウニィーさまは考えたいこともおありでしょう。そのために俺がいるのですから、ご遠慮なさらず。第一、あなたらしくないですよ」
彼女は笑ってみせたが、それは笑顔には見えなかった。ザナドュにいた時の弾けるような笑顔は、しばらくラウニィーからは失われるだろう。それでもギルダスは努めて明るい声を出した。
「さあ、明日も早いのですから休みましょう。あなたと2人きりというのは気が引けますが、このギルダス=W=バーン、誓って手出しはいたしません」
「馬鹿ね」
彼女は言われたとおり横になった。けれど、長いこと寝つかれないことにギルダスは気づいていたし、そういう自分も寝つけないことは同じなのだった。
翌光竜の月14日の夕方、ラウニィーとギルダスはジャンワリアに着いた。
「明日、行きますか?」
「いいえ、暗くなる前に行きましょう」
閉ざされた門にラウニィーは近づいていく。その上に陣取った見張りが見えたが、彼女はおかまいなしだ。
声をかけられたのは彼らの持つ投げ槍が届きそうな距離に入ってからだった。
「近づくな、侵略者め!」
「出ていけ!」
「そうだ、出ていけ!」
「待って! 待ってちょうだい! 私はラウニィー=ウィンザルフです!」
「ラウニィーさまだって?」
「ヒカシューさまの娘御の?」
「誰か本人だって確認できるかね?」
「俺の鎧に見覚えはないか? ケルベロス騎士団所属のギルダス=W=バーンだ!」
「うーん」
ラウニィーは、さらに進んだ。
やがて門の上に老人が現れたので彼女は止まった。強引に開門させるのは簡単だが、それは本意ではない。だが、町の警戒ぶりは彼女の予想を上回っていた。
「確かにラウニィーさまに間違いはない。もうお一人は見覚えがないが、鎧の紋章はケルベロス騎士団のものだ」
「なるほど、町長の言うことならば間違いはないだろう。だがラウニィーさまとケルベロス騎士団がこんな時期に何の用でいらっしゃったのか聞かせていただこう」
「解放軍へのあなたたちの誤解を解くためよ」
「誤解とは何を根拠に仰るのです?」
「解放軍は侵略軍などではないわ。ウィンザルフ家の名において私が保証します。だから彼女たちのために門戸を開けてちょうだい」
「それはできません、ラウニィーさま」
「なぜです?」
「我らザナドュの民はケルベロス騎士団と協力して反乱軍のこれ以上の進軍を阻止せねばなりません。それがヒカシューさまのご命令です」
「まさか、お父様が! あなたたちはそれを受け入れたというのですか?!」
「敬愛する大将軍が仰ることにどうして逆らえましょう。ここはお引き取りください。町の者は血気盛んですが、わしはあなたと戦うのは忍びない」
「待って! 私と一緒に町のみんなを説得しましょう。戦えば、ザナドュの町が戦場になるわ。解放軍と戦って傷つけられるのはケルベロス騎士団だけではないのよ。あなたたちはそれでもいいというの?」
しかし町長はそれ以上、応えようとはせず、黙って下りてしまった。
「ラウニィーさま、これ以上、話をしても町長に危害が及ぶかもしれません。引き下がりましょう」
「そうね」
彼女が素直に同意したのでギルダスは拍子抜けしたが、万が一を考えてモジダスクルーゼスまで戻ることにした。
町長の話から推測するにケルベロス騎士団もジャンワリアに戻っているはずだ。確か守備隊長はアレクサンドル=デュロンだが、彼がヒカシュー大将軍の命令に忠実ならば追ってきて戦闘にならないとも限らない。ケルベロス騎士団を相手にラウニィーに戦意が保てるかどうかは未知数だし、戦闘はしないに越したことはなかった。
だがモジダスクルーゼスに戻る前にギルダスは野宿することに決めた。さすがに夕闇の迫る街道を来た以上、村まで戻るのは厳しかったし、追っ手が心配ならば不寝番でもすればいいと判断したからだ。モジダスクルーゼスまで戻れば解放軍本隊に合流できるだろうし、したところで誰も何も言わないだろうが、それも何となく気が引けたのだった。
ラウニィーは終始無言で、天幕を張ると食事もせずに横になってしまった。
食事といってもヨハンがよこしたのは携行食糧だったのでギルダスだって食欲が増すわけではないが、食べられる時には無理をしても食べるは軍隊の常だ。水と一緒に彼は片づけたのだった。
「さてと、来るなら来いだ」
食事を済ませたら不寝番に立つ。ついでに何もなければ、ここで本隊を待とうと彼は考えた。
果たしてギルダスの予想は外れて誰も追ってはこなかった。アレクサンドルは、いくらヒカシュー大将軍の命とはいえラウニィーと戦うことは避けたようだ。
彼女が目を覚ましたのは明け方になってからだった。
「おはようございます、ラウニィーさま。よくお休みになれましたか?」
「ごめんなさい、私ばかり休んでしまって」
「これぐらいで根を上げるようでは騎士は務まりませんよ。美味くもないですが先に食事を済ませてください」
「あなたの言うとおりなら私は騎士失格ね。自分のことばかり考えて突っ走っただけだわ」
「その言い方もどうかと思いますが、気になさらないでください。どこまでもおつき合いするとお約束したでしょう」
「ええ?! でも、あれは子どもの約束よ。そんなものにいつまでも縛られていなくてもいいのよ?」
「そう仰らないでください。俺はあれで騎士になると決めたんです。もういいと言われるまで一生お仕えするとね」
「ありがとう」
彼女は天幕に戻り、2人分の携行食糧を持ち出してきた。
「ここで本隊を待つんでしょう?」
「ええ、ジャンワリアから見えるところで合流して彼らを刺激するのも嫌ですからね」
「仕方ないわね」
「すみません、天幕を片づけるあいだ、見張りを頼んでもいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
彼女らが本隊に合流したのは昼頃だった。本隊はそのまま移動を続け、ジャンワリアに着くのは夕方になるだろう。
ラウニィーの報告にグランディーナは頷いたが、その日はそれ以上、話はせず、彼女らはそのまま進んだのだった。