Stage Eighteen「ケルベロスの旗の下」
翌光竜の月16日、ジャンワリアの郊外に野営地を築いた解放軍はザナドュを目前に最後の作戦会議を開いた。
季節が真冬となったザナドュでは野宿は厳しいものがあるが、これだけの大所帯を受け入れられるような施設もなかろうし、グランディーナがジャンワリアに入ると言わない以上、ラウニィーの申し出が拒絶されたのは容易に想像できることだったからだ。
「まず確認する。
ラウニィー、ヒカシュー討伐部隊に加えていいのだな?」
「もちろん行くわ。お父様をどうしても止めなければならない」
「よかろう。討伐部隊だが、あなたとギルダスのほかにヨークレイフとケイン、それにケビンをつける。また私の小隊も同行、ほかにトリスタンとアッシュがヒカシューに会いたいそうだが異論はないな?」
「ええ、任せるわ」
「出立は会議が終わったらすぐだ。
カノープス、飛行魔獣を6頭用意してくれ」
「了解」
「さて3日前の続きだ。本隊はウォーレンをリーダーに街道沿いに北上、ザナドュを目指す。この際、先日申し渡したように各都市は無視する。ただし都市を守備するケルベロス騎士団と戦闘になった場合は撃退しろ」
「グランディーナ、それはどういうこと?」
すかさずラウニィー、次いでギルダスも立った。
「ザナドュとゼテギネアは対岸だ。ザナドュを落としたら、すぐにゼテギネア攻めを始める。そのために本隊に余計な時間を潰されては困る。ケルベロス騎士団から逃げ回ってヒカシューが討たれるのを待つわけにはいかない。しかも戦力では我々の方が大きい。差を見せつけて彼らに諦めさせる」
「お父様の命で動いているのよ、彼らが諦めるなんてするわけがない」
「ならばヒカシュー=ウィンザルフは恐怖でケルベロス騎士団を支配しているのか? かなわぬとわかっている敵と戦うのは指導者が恐ろしいからだ、まともな軍隊ではあるまい」
ラウニィーは力なく腰を落とした。ギルダスも慌てて座り直す。
グランディーナの言葉は、あの時の皆の様子を言い当てている。そうだ、あの場を支配していたのはヒカシュー大将軍を敬愛する気持ちなどではなかった。恐れる気持ちの方がずっと強かったのだ。だがマーガレット以外はヒカシュー大将軍に反論する勇気は持たなかったし、ギルダスだけがあの場から逃げることを選んだ。
だが、なぜ気づかなかったのだろう? ずっとザナドュにいて、ずっと傍にいて、誰よりも尊敬する人物の異変になぜ?
グランディーナは話を続けた。
「命令を受けた時は従ってもヒカシューから離れれば恐怖も薄れよう。そうなれば戦闘を回避するという知恵も湧くはずだ。それまでは適当にあしらえ」
「戦闘よりも進軍が優先ということですか?」
「順当に街道をたどればジャンワリアからザナドュまで7日かかる。だが今回はどうせ町を解放する必要はないから多少は端折れるだろう。短縮できれば、それだけ早くゼテギネアを攻められる」
「善処しましょう」
「ほかに何かあるか?」
「地理がわからねぇから地図を描いてくれ。みんなだって盲滅法に進むのは具合が悪いだろう? 地理に詳しい2人は先行しちまうようだし」
戻ってきたカノープスが口を挟んだ。
「わかった」
それでグランディーナは皆のあいだにザナドュの地図を描き始めた。その動きは手慣れていてギルダスは解放軍ではいつもの光景なのだと感じた。足下が雪というのも描きやすい条件だったのだろう。
そのあいだにラウニィーが皆を紹介するから忙しい。しかし解放軍も10人以上が手配書を貼り出される重要人物とあっては覚えるのも、それほど苦労しない。
「始まりがここ、ジャンワリア」
元の場所に戻ってグランディーナが説明を始める。彼女のほぼ向かいに立っていたのは魔術師風の男だ。
「シキュオーンの場所がザナドュだ。ジャンワリアから、ほぼ真北にある」
それから彼女は右斜め前方に移動した。
「ザナドュは地形が入り組んでいる。特に中央に位置するカンポ・グランデとカンピナ・グランデの2つの山脈、それらの山脈に挟まれたブルメナウ氷河のために街道は大きく迂回させられることになる」
話しながら彼女は真ん中に2つの山脈と氷河の位置を記し、さらに街道も描いた。
「ジャンワリアから北北東にクアラシュペー、そのまま進んでピラシカバ、ここでカンピナ・グランデ山脈にぶつかって北東に進路を変えてパトスデミナ、ザナドュを南北に分断するブルメナウ氷河を越えてルシアニアから街道は西進する。ピラボラを経てカンポ・グランデから離れてアナポリス、最後がザナドュだ。
覚えたか?」
「つまり、俺たちは邪魔な2つのグランデ山脈とブルメナウ氷河を飛び越えるから3日でザナドュに着くというわけだな?」
「そういうことだ」
「途中で山脈か氷河で野営しないで済むように進まねぇとな」
「先導はあなただから判断は任せる」
「ふぅむ。こいつは意外と厄介だぜ」
カノープスは思い切り省略して力業でまとめたが、地上を行く本隊はグランディーナの言ったことを全部、理解した者は半数もおらず、ガルビア半島以来の足下が雪原という環境も皆をいたく不安にさせたようだった。もっとも禁呪のために年中、荒れているガルビア半島やバルハラと違い、ザナドュの雪は静かに降り積もるものだ。
「どちらにしても偵察のために常にカリナ、チェンバレン、オイアクスのうちの1人を飛ばすこと、それだけは忘れるな」
「承知しています」
「それと先に伝えておこう。ゼテギネアはゼテギネア大陸にない。あそこはガリシア大陸だ」
「はあ?」
地図を見ながら話し合っていた者も含めて全員の動きが一瞬、止まった。
「どういうことだ、それは?」
「言ったとおりだ。ゼテギネア大陸はザナドュまで、帝都はその対岸に築かれたものだ」
「ガリシア大陸ってどこだっけ?」
「ゼテギネアの北方に位置する大陸だ。ローディス教国とパラティヌス王国が二大勢力だったはずだが」
「ランスロットの言ったとおりだ。ゼテギネアとガリシアはここザナドュとカストロ峡谷で接しているがザナドュとゼテギネアはライの海で分断されているから陸続きなのはカストロ峡谷だけだ」
「へぇ」
「2つの大陸を隔てているのがグアビアーレ海峡、ザナドュの東がライの海、西がオベロ海だ」
「待て待て、そんなに一度にたくさん言われても忘れちまうぞ」
「別に覚えなくてもいい。この戦いがなければ、こんなところまで来ることもなかったろうしな」
「あ、そ」
旧ハイランドの者には常識だが、四王国の者は知らなかったのだろう。帝都ゼテギネアは旧ハイランド王国の時代には顧みられることも少ない対岸の寒村に過ぎなかった。
「海峡なんて言うが、アラムートの海峡より、ずいぶん狭くねぇか?」
「ここがいちばん狭い。幅は1バーム(約1キロメートル)もないだろう。ゼテギネアの北にダミエッタ山脈がある。そこは越すのも容易ではない天然の要害だ。最高峰のヴィアフェラータ山は1万バス(約3000メートル)以上の高さだと言われている」
「うへぇ、想像もつかねぇな。
それにしてもランスロット、おまえも詳しいな?」
「彼女ほどではないが、わたしも傭兵としてあちこち歩いたからね。ローディスに行ったのは10年以上前のことだが」
「カノープス、そこで油を売っているということは魔獣は用意できたんだな?」
「当たり前だ」
「では解散としよう。ウォーレン、ザナドュで待っている」
「はい」
「わたしも一緒に行かせてくだサイ」
突然、発言したのは黒っぽい肌のひときわ、背の高い騎士だった。
ラウニィーが「天空の騎士のお一人、スルストさまよ」と囁いた。
「カノープス、魔獣をもう1頭頼む」
「おお」
話し方に変わった訛りがあるが、とても陽気そうな人物だ。
さらにラウニィーが解説してくれるには「天空の騎士さまは3人いらっしゃって半神なの。天空の島から下りていらっしゃったのよ」ということだが、ギルダスには、そもそも天空の島から説明してもらいたいところだ。
飛行魔獣は7頭に増えた。
ラウニィーが言うには組み合わせは、いつもグランディーナが決めるので勝手に乗るわけにはいかないそうだ。
今回は次のように決められた。
先導がカノープスとピタネ、しんがりをサラディンとケビン=ワルドがエレボスに乗る。あとは前から順にグランディーナとスルストがピテュス、アイーシャとラウニィーがシューメー、トリスタン皇子とアッシュがファメース、ランスロットとギルダスがメムピス、プルートーンにヨークレイフとケインだった。
「ラウニィー殿、ご武運をお祈りいたします」
「ありがとうございます、皆さん」
皆の激励を受けて6頭のグリフォンと1頭のワイバーンは飛び立った。今日も朝から雪がちらついている。上空はかなり寒いだろう。
「ギルダスといったね。わたしはランスロット=ハミルトンだ。よろしく頼む」
「ああ、よろしく」
ランスロットは慣れた様子でグリフォンの手綱を操った。解放軍にいると戦う以外にいろいろなことを覚えさせられるらしい。そんなことを言ったら彼は笑い出した。
「確かに君の言うとおりかもしれないな。だが思うように飛べなかったら困るのも事実でね。できるだけ早く本拠地に着きたい時には、これほど便利なものもない」
「それもゼノビア流か?」
「いいや、グランディーナの考えだ。彼女は我々のように形式にこだわらないし折れるべき時も見誤らない。理想的なリーダーさ」
「それで破竹の勢いでザナドュまで進んできたってわけか」
「君たち、ハイランドの人には気に入らないだろうことは承知している。だがゼテギネア帝国は倒されなければならない、それだけは共通の目標だ」
「なんだ、解放軍も一枚岩とはいかないのかい」
「ゼノビアの者だけではないのだから、いろいろあるさ。第一、グランディーナだってハイランドの出身らしいし」
「あの髪の色はそうとも思えないが。賢者ラシュディに育てられたことも関係しているのかな?」
「知っているのかい?」
「ラウニィーさまに聞いただけだがね」
「君はそれを聞いて、どう思ったんだ?」
「別に何も気にしなかったな。俺も大将軍に拾っていただかなければ、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない。他人の素性はどうこう言えない」
「なるほど。だが、ほとんどの者はそうは思わないだろうな、それがザナドュの民ともなれば」
「さあ、どうだろうな。ヒカシュー大将軍、エンドラさまとガレスさまへの信頼はしょっちゅう聞いたが賢者ラシュディはそれほど人気はないぞ?」
「だがハイランドの人には救国の英雄ではなかったのか?」
「賢者のしたことが胸を張れるようなことではなかったからな。俺たちだって敵の騎士団が大勢倒されたと聞いて手放しで喜んだわけではないんだ。ゼノビアのグラン王はともかく敵を皆殺しにすることに抵抗を覚える者は少なくない」
「そうか。何か、君たちハイランドのことを誤解していたようだな。謝罪するよ」
「お互い様さ。みんなも早く誤解を解いてくれればいいんだがな」
「そうだね」
「話すついでに、いろいろ聞かせてもらいたことがあるんだが、かまわないか?」
「どうぞ。わたしに答えられることならば」
一行はカンピナ・グランデ山脈の麓でその日の行程を終えた。時間的にはザナドュにおいてもまだ早かったが先に進めばブルメナウ氷河で夜を過ごすことになる。さすがにグランディーナも、これは敬遠したのだ。
しかし、てっきり近くに見えるセロアズールの町で泊まるものだと思っていたギルダスは野営と言われて唖然とした。
「解放軍では常識よ。さあ、水を汲みに行くのを手伝ってちょうだい」
「は、はあ」
ラウニィーの言うとおり、皆は慣れた様子で天幕を設置していく。火も焚かれ、食事の支度も始められたようだ。
グランディーナ1人が野営地を離れてセロアズールの方に近づいていく。
「彼女は何をするんですか?」
「見張りに行ったのだと思うわ。セロアズールにも守備隊はいるでしょうから奇襲されても困るしね」
「セロアズールの守備隊ですか。あっ!」
「どうしたの?」
「隊長はエリザベートですよ、確か」
「えっ? どこへ行くの、ギルダス!」
「エリザベートなら戦わないで済むかもしれません。彼女は団長の親友だ!」
「ええっ?」
それで2人は樽を放り出して走り出した。水のことは途中ですれ違ったランスロットに頼んだが、皆は何事かと思っただろう。
2人はグランディーナと、エリザベート=W=コーコランと守備隊が対峙しているところに駆けつけた。
「ラウニィーさま?! それにギルダスまで!」
「知り合いか?」
「ええ」
「そうだ」
ギルダスとエリザベートが同時に肯定する。
「申し出はありがたいが、そちらの世話にはならないでおこう。ただ我々を見逃してくれればいい。
後は任せた」
そう言ってグランディーナは野営地の方に戻っていったがラウニィーとギルダスには何のことやら、さっぱりだ。
「何があったのか、説明してくれる?」
「ええ。南の方から魔獣が何頭も近づいてくるという報告を受けて調べに来ていたんです。そうしたら彼女に遭って、解放軍だと言うので私は戦うつもりはないと申し上げたんですわ」
「なぜ? お父様の命に逆らってもいいの?」
「ええ。ですが私はマギーの意見に賛成なんです。御館様にはとても申し上げる勇気はありませんでしたけれど」
「ほら、俺の言ったとおりでしょう?」
「そうね。戦わないで済んでよかったわ」
「ラウニィーさまがいらっしゃるということはザナドュに行かれるんですね?」
「ええ。行ってお父様を止めるわ、たとえ戦うことになったとしても」
「申し訳ありません、ラウニィーさま。私たちが不甲斐ないばかりに御館様をお止めすることもできず」
「いいえ、ギルダスから聞いたわ。あなたたちはよくやってくれました。でもお父様を止めるのは実の娘である私がすべきでしょう。だから、あなたたちは見守っていて」
その言葉にエリザベートは涙ぐんだ。聖槍騎士になるほどだからラウニィーよりもいい体格をしているが、情に厚く、涙もろいことで有名だ。親友のマーガレットが、わりと理論派なのと対照的である。
「そうだ、団長のことだけれどザナドュの帝国教会で匿ってもらっている。いまごろはだいぶ回復していると思う」
「まぁ、やっぱり。そんなことだろうと思ってアダルバがルーティを呼び出したのだけれど知らぬ存ぜぬの一点張りだったそうですわ。ほかに何人かの司祭や僧侶に尋問しようとしたら強硬に抗議されたんだとか。そのうちに御館様がマギーの行方は放っておいていいと仰ったのでうやむやになりましたけれど」
「それはよかったわ。じゃあ、私たちは行くわね」
「ラウニィーさまもギルダスもお気をつけて。どうか、御館様が元に戻られますように」
「ありがとう。あなたたちも気をつけてね」
野営地に戻ると皆は夕食の最中だった。ラウニィーとギルダスは皆の輪に交じって食事をしたがザナドュ育ちの2人にも快適とは言いがたかった。
「見張りにはスルストが立つそうだから皆は休んでいい」
「任せてくださイ。わたしたち、寝る必要がないので安心して休んでくださいネ」
「エリザベートは戦う気はないと言っていたわ。見張りを立てる必要などないのではないの?」
「万が一ということもあるからな」
ラウニィーは不服そうだったが、それ以上、異議は唱えなかった。ケルベロス騎士団には各都市の守備隊のほかに都市のあいだを廻る遊撃隊もいる。セロアズールは主街道から外れているが彼らに遭遇しないとも限らないと考えたのだろう。
「そういえば、セロアズールはノルンの出身地だったわ。もっとも生家は残っていなくて、ほとんどザナドュで暮らしていたけれど」
「そう言えば、あなたたちは知り合いだったな」
「ええ。もっとも彼女のことだからセロアズールに行ったなんて話をしても、それほどうらやましがることもないでしょうけれど」
そのノルンはデボネアの看病でクリューヌに残った。いまごろは発ったろうか、まだクリューヌだろうか。デボネアはヒカシュー大将軍に再会したいと願っていたが、かなえられることはなさそうだ。
割り当てられた天幕は男性が2つに女性が1つ、魔獣が1つだった。カノープスが魔獣の天幕で寝ると言い出したので男性用の天幕には4人ずつで休むことになった。1つの天幕がトリスタン皇子、ケイン、アッシュとヨークレイフ、もう1つの天幕がサラディン、ランスロット、ケビンとギルダスだ。
「真冬のザナドュで天幕で野宿するなんて演習以来だな」
ギルダスは思わずぼやいた。
「解放軍ではいつものことだよ。それにガルビア半島やバルハラで、もっと酷い吹雪を経験したから、まだましな気がするね」
「そう言われてもね」
あいにくとギルダスはザナドュを離れたことがない。ガルビア半島やバルハラのことなど、噂でしか聞いたことがなかった。
「次のゼテギネアでも野宿することになる。いまのうちに慣れておくがいい。そなたの主人も耐えている。そなたが耐えられぬということはあるまい」
そう言われては返す言葉もない。
「ギルダス殿、カノープスならば酒を持っていると思いますぞ」
「いや、そのために天幕を出るのも気が進まない」
するとケビンは呵々と笑い出した。
「ならば、おとなしく休むしかありますまいなぁ。ちょっと失礼」
彼は、まだ笑いながら槍を小脇に手挟んで天幕を出ていった。
「彼は何しに行ったんだい?」
「寝る前の鍛錬だろう。日課だと言って、どんなに疲れていても休んだことがない」
「へぇ。あんな槍を使えるんだ、相当な使い手だろうに熱心なことだな」
「ケビン殿はそういう人だよ。わたしも見習わなければならないと思うが、こう寒いと天幕を出るのも辛いからね」
「まったくだ。おたくのリーダーは、よほど酔狂な性格らしいな」
「彼女が並みの人間でないことは確かさ」
言ってからランスロットは慌てて口をふさぎ、サラディンの方を盗み見た。しかし彼は2人の話には関心がなさそうで、さっさと寝てしまった。それを見て、2人とも思わず苦笑いだ。おかげで、その後は声を潜めて話す羽目になった。
「この戦いが始まってすぐのころ、宿舎を提供してくれた町もあったんだ。だが彼女はそれを断って野宿しろと言った。後でウォーレンに聞いたところ、彼女はこう言ったそうだ。『これから人数も増える。そのたびに好意とやらに甘えていたのではきりがないし好意の負担も大きくなるばかりだ。負担と感じればそれは好意ではなくなる。義務になれば我々の存在意義が危うくなる』とね。以来、ほとんどの場合は、こうして野営するのが決まりだ」
「なるほど、それは一理あるな。だからって、いまの季節のザナドュで野宿は辛いぜ?」
「そのために毛布は多めに持ってきているし焚き火も絶やさない。サラディン殿も仰っていたが耐えてもらうしかないな」
やがてケビンが戻ってきた。ギルダスは、うっかりすると凍えそうになっているのに赤い顔をして汗までかいている。これが年も明ければ汗も凍りつくところだが、いまの季節は幸い、そこまで寒くならない。
「熱心だねぇ」
「うむ。これをしないと却って眠れないのだ」
「いいねぇ。明日は俺もつき合わせてもらおうかな。今晩は寒くて、とても眠れそうにない」
「慣れない者には気の毒だな」
やがて3人も床に入ったが、ランスロットとケビンがすぐに寝ついたのに対し、ギルダスは予想どおり、なかなか眠れなかった。少しうたた寝をして寒さで目が覚めることを繰り返して、気がついたら辺りは明るくなっており、先に目覚めたサラディンが静かに天幕を出ていくところだった。
「おはようございます。お早いんですね」
「別にわたしだけが早いわけではないよ」
水がないので雪で顔をこすったが頭がすっきりして気持ち良かった。
「ヒカシュー殿の異変に、そなたたちは気づいていなかったのか?」
「ええ、お恥ずかしながら。いっそ不忠者とラウニィーさまに責められた方がましでした」
「気づいていたところで、そなたたちには何もできまい。それがラシュディ殿に起因するならば、なおのことだ」
「まるで神聖ゼテギネア帝国は最初から崩壊する定めだったとでも言いたそうですね」
「それが暗黒道の怖ろしさだ。よほど意志が強くなければ、その誘惑に簡単に屈する」
ギルダスはヒカシュー大将軍や女帝エンドラ、それにガレス皇子のことを考えた。この3人にサラディンの言う強固な意志がなかったとは彼には思えない。四王国相手の戦争からしてそうだ。あれを遂行するためにどれだけの意志が要ったか、彼には予想もつかないし、神聖ゼテギネア帝国の維持だって強固な意志が必要だっただろう。
だが3人は耐えられなかったというのか。それが尊敬するヒカシュー大将軍が変わり果てた原因だというのか。彼は容易に頷くことはできなかった。
「だからザナドュの民も事実を見ることに脅えているのだろう」
ギルダスの言葉にサラディンは語った。
「我ら解放軍はゼテギネア帝国打倒を旗印に掲げている。それを受け入れれば彼らの敬愛する指導者を否定することになる。共感はできないが理解できないわけではない」
「だからグランディーナは都市を解放しないと言ったっていうのか?」
「おそらくは。だがゼテギネア帝国打倒を掲げている以上、その為政者を放置しておくわけにはいかない。彼らを彼らの地位から下ろせば民も目を覚ますだろうという期待もあるはずだ。と同時にそなたの仲間も恐怖という束縛から解放されるとな」
彼は視線を動かしてグランディーナを探した。赤銅色の髪の娘は食事の支度をするアイーシャと歓談中だ。
「参ったな」
彼は顎をかいた。
「これでは最初から俺たちは負けていたことになる。見ているものが違いすぎる」
「だから我らはここまで進んできたのだ。だが、あれもだいぶ無理をしている。自分から休みたいとは決して言い出さないからな」
アイーシャと笑いながら話すところを見るとグランディーナも年相応に見えた。だが、その場から離れた途端に解放軍のリーダーの顔に戻ってしまう。その自制心がサラディンの言う「無理」なのだとしたら、彼女は、ずいぶんと背伸びをしてきたのだろう。
「だけど、ここまで来て休むってわけにもいかないだろう。帝都は目と鼻の先だ。そこを落とせば、いくらでも休めるじゃないか」
「あれも同じことを言った。わたしの気苦労ならばよいのだがな」
そう言ってサラディンがアイーシャの方に近づいていくのをギルダスは黙って見送った。
「おはよう、ギルダス。サラディン殿と何を話していたんだい?」
「帝国のこととかザナドュの民のこととか、いろいろかな」
屈託のないランスロットの声は彼を安堵させる。少なくともサラディンと話す時のような緊張感はない。
「聞きたいことがあるのなら今日はサラディン殿と同じグリフォンに乗るといい。グランディーナも、それぐらいは許可してくれるだろう」
「いやあ、1日、あの人につき合うのは辛いかな。こちらの懐まで見透かされそうだ」