Stage Eighteen「ケルベロスの旗の下」
結局、彼らは昨日と同じ組み合わせでグリフォンに騎乗した。今日の目標はカンピナ・グランデ、カンポ・グランデ両山脈とブルメナウ氷河を飛び越えることだ。幸い、両山脈ともにそれほど高度はないが先導するカノープスは氷河の上を飛んで、なるべく上空に上がらないように進路を選んだ。地上の寒さから鑑みれば上空のそれは、さらに下がる。飛び慣れた魔獣はともかく皆が長時間、耐えられる寒さではないのだった。
しかし、そんなに気を遣っても夕方になってグリフォンを降りた時にはグランディーナとスルスト以外の者は皆、凍えそうになっていた。
「わたしが火を起こしてあげまショウ。今日は特別でスヨ」
スルストが粗朶に火をつけたので震える手で薪に移す。しばらくのあいだ、皆が火の周りに集まって暖を取った。
「いま、敵に襲われたらたまらないね」
「グランディーナとスルストが見張りに立っている。まったくの不意打ちにはなるまい」
「ちょっと先に町が見えたけど何てところだい?」
「たぶんウベラバナだと思うわ。その先がアナポリス、そしてザナドュよ」
「君に見えてわたしたちに見えないということは距離はかなりありそうだね」
「ウベラバナの守備隊長は誰だったかな?」
「トリスタンさま、大丈夫でしたか?」
「ああ、これぐらいの寒さで風邪を引くほど、やわじゃないよ」
「薬湯茶を入れましょうか?」
「いいのいいの、おまえも暖まってろ。そら、まだ指が震えているぞ。そんな手で茶を入れようとしたって無理だろうが」
「すみません」
「謝ることないわよ。進路を決めたのはカノープスだもの、私たちが凍えているのは彼のせいだわ」
「えっ、そういう話になるか? だいたい山脈を越えようと言ったのはグランディーナだぞ、責任を取るならあいつの方だろう」
「だからって街道沿いに飛んでいったらグリフォンに乗っているっていっても時間の短縮にはならないわよ?」
「ほかに山脈を迂回できたっていうのかよ?」
「たぶん、ないわ」
「なにぃ?」
「あなたの選んだ進路がたぶん最短、そうでなければ山脈を越えなければならないから、もっと短くて済んだかもしれないけれど私たちは凍死していたかも」
「ラウニィーさま、冗談が過ぎますよ」
「いいじゃない、少しぐらい」
「勘弁してくれよ」
「さあ、そろそろ天幕を張りに行こう」
「一難去ってまた一難とくらぁ」
皆が笑い声をあげた。ギルダスとケビンも続き、昨日と同じように天幕を組み立てていく。魔獣を入れる天幕がいちばん大きいが、1頭当たりの大きさを考えると、これでも狭いくらいだそうだ。ただ臭いさえ我慢できれば暖かさは比べものにならないとカノープスは太鼓判を押した。
「むむむ」
そう言われると考えてしまったのがギルダスだ。昨日の晩、眠りが浅かったが、グリフォンの上も寒かったので居眠りするどころではなかったのである。
「おまえさんが加わったところで広さは違わないだろう。どうする?」
「試しに入らせてくれ」
「どうぞどうぞ。ただ魔獣は案外、繊細だからな。いきなりわめくようなことは止めてくれよ?」
「わかった」
しかし天幕に一歩入ったギルダスは、濃厚な魔獣の体臭に息が詰まった。しかも内部は暖かいどころか暑いぐらいで彼にはとても耐えられそうにない。それで彼は即座に逃げ出した。
「何だ、予想以上に早ぇな」
「すまん。俺にはとても無理だ」
「まぁ、ハイランド人は魔獣には慣れてないからな。別に無理をしなくてもいいんだぜ。おまえが増えるとその分、天幕も狭くなるしな」
「すまん」
肩を落として元の天幕に戻ったギルダスを、ランスロットとケビンが慰めてくれた。
「わたしたちだって一晩一緒にいるのは難しいさ」
「そうですとも。あまり気を落とされるな」
「ああ、2人ともありがとう」
「魔獣と一緒に寝られるのは魔獣部隊の者とグランディーナぐらいだな」
ギルダスは思わず言葉を呑み込んだ。自分の祖国がどういう人物を敵に回したのかと思って、背筋が寒くなったからだ。だが彼が真綿にくるんだような言い方をするとランスロットもケビンも頷き合った。
「実際、彼女でなければ、ここまで解放軍を率いてはこられなかったろうな」
「まったく、あの方には頭が下がる。一時期、トリスタン皇子を押される声もあったが断られて正解だったな」
「そんなことがあったのか。確かにトリスタン皇子なら、あの神帝の後継ぎだ、リーダーに不足はなかったろうな」
だがギルダスは神帝を見たことはないし、良くも思っていない。またトリスタン皇子を間近で見ても、もしも彼が解放軍のリーダーでもグランディーナのように脅威には感じないだろうと思うだけだ。
「しかし、あんたたちの話を聞いていると何だってトリスタン皇子を担ぎ出すようなことになったのか不思議だな」
「そなたも知っているだろう、あれがラシュディ殿に育てられたから揉めたのだ」
「ああ、なるほど」
確かに解放軍の内と外では受け取り方が違うのかもしれない。だが、この2人はグランディーナ支持で変わることはなかったようで、それを嬉しいと感じるのがギルダスには不思議でもあった。
「この様子だとヒカシュー大将軍と戦うのは明後日になりそうだな」
「ウベラバナの南では、そういうことになるな。ザナドュに着くのは、たぶん夕方近くだ」
「さて、わたしは失礼しますぞ」
「ケビン、俺もつき合わせてくれ」
「ふむ。それでは模擬戦とするかな?」
「身体が暖まれば、どっちでもいいさ」
「では、いざ」
ケビンが槍を構えたのでギルダスも剣を抜く。ただ彼の得物は両手持ちの剣だが、ケビンの槍とは大きさが違いすぎて、まともに当たったら折れそうだった。
「まぁ、その時はその時だ!」
「ふんっ!」
先に斬りかかったがケビンの槍は攻防一体の働きをして容易に両手剣などはね飛ばした。
だがギルダスも重厚な槍の攻めを受け流す。槍の形はずいぶん違うようだが、その戦い方はマーガレットを思い出させて、彼はすぐに否定した。
ケビンのそれはもっと実戦的で、泥臭かった。解放軍の戦力として前線で戦ってきた者の槍法だ。洗練されたマーガレットの戦い方とは違う。
解放軍が神聖ゼテギネア帝国軍を打ち破ってきたのは、もちろんグランディーナに負うところも大きいだろう。だが、それを支えてきたのがケビンのような一人ひとりの兵士たちであることをギルダスは身をもって実感したのである。
「いやあ、かなわない。やっぱり死線をくぐってきた者は違うな」
「いや、おぬしの剣とでは相性が悪かった。同じ得物だったなら、おぬしが勝っていてもおかしくなかったろう」
「そうよ、ギルダス! ケルベロス騎士団の一員として胸を張りなさい!」
いつの間にか、2人の模擬戦を何人かが見ていた。この寒空の下、物好きもいたものだ。
「しかしラウニィーさま、いまのは俺の完敗です」
「いいえ、2人ともよく戦ったわ」
「ラウニィー殿にお褒めいただくとは騎士の誉れですな」
ケビンが機嫌よさそうに腹を揺すった。
「おだてないで、ケビン。あなたたちにあげられる物もないんですもの」
「ですからお褒めの言葉をいただいたのが何よりの褒美です」
「まあ、お上手ね。
さあ、次にどなたか、やらないの?」
「珍しいな、君は見てるだけかい?」
「この面子だと微妙だよなぁ。皇子とやるわけにはいかんし、アッシュだって怪我人だ。アイーシャは戦闘要員じゃねぇし、グランディーナとスルストには歯が立たねぇ。ケビンとギルダスはやったばかり、サラディンとケインは魔法使いだから出てこねぇだろうし、やっぱりおまえ?」
「ヨークレイフ殿を忘れているよ。だが足下が滑りやすいから君の方が有利かな?」
「そんなことを言うんなら飛ぶのは封印してやる。どうだ、やるか?」
「わかったよ。却って君を挑発してしまったな」
「身体を動かせば暖まる。一石二鳥じゃねぇか」
それでランスロットとカノープスが皆の前に出た。誰が声をかけるまでもなく2人の身体は自然と動く。第一撃は同時に繰り出し、剣と鎚のぶつかり合う小気味いい音が響き渡った。
ランスロットは、いつも構えている楯がないので両手で剣を振るい、それがカノープスには意外な重さに感じられた。
カノープスは、やはり足場の悪さが災いした。有翼人は総じて靴を履かない。足にはグリフォンに似たかぎ爪が生えており、たとえ履いても破けてしまうからだ。その足ならば多少、足場が悪くても踏ん張れるが雪原では握り締めるわけにもいかず、安定しなかった。
対するランスロットは踏ん張り方を知っていた。彼にとって、それはいつものことで、いかに身体を支えるかは永遠の課題と言ってもいい。どこで戦うとしても常につきまとう問題であった。
「ランスロットの勝ちね」
ラウニィーが宣言した時にはカノープスはランスロット以上に荒い息を吐いて、汗もひどくかいていた。
「大丈夫か?」
「予想以上に消耗したわ。俺もまだまだだな。翼を使わねぇとこんなにだらしないとはね」
「まだ伸びしろがあるということじゃないか。うらやましいよ」
「そういうことにしておいてやるよ」
最後は不様に尻餅をついたカノープスだったがランスロットが手を出すと素直に握って立ち上がった。今回は魔獣部隊は彼だけだ。息苦しさもあるのだろう。
「今晩の見張りもスルストがやってくれるそうだ。皆は休め」
グランディーナが声をかけたので皆は、それぞれの天幕に戻ったがランスロットたちは汗を拭かなければ寝ることもできなかった。
今晩もサラディンだけ先に休み、残った3人は内緒話だ。
「これでヒカシュー大将軍と戦えるのか不安になってきた」
「何も君一人で戦うんじゃないだろう。ラウニィー殿もみんなもいるじゃないか」
「それはそうだが」
「しかし、そのラウニィー殿は実の父上と戦うのだろう。強気なことは言っていても優しい方だ、ヒカシュー大将軍を前にされたら、やはり躊躇(ためら)われたりしないだろうか?」
「ずっと大将軍と戦うのは自分だと広言されてきた。いまさら撤回はしないだろう」
ケビンは案ずるような唸り声をあげた。ギルダスも無言だ。
ランスロットは、ふと彼らにまったく別の疑問をぶつけようとして止めた。グランディーナが前言を撤回してトリスタン皇子を押しのけて女王になろうとするだろうかなどと訊くのは他国の者とすべき話題ではないからだ。新参者のギルダスはともかく、ケビンはグランディーナを信頼している。彼が新しい国の王に旧ゼノビアのトリスタン皇子よりもグランディーナを望んでいないとは限らない。
そしてウォーレン、ランスロット、カノープスが3人とも断って以来、トリスタン皇子は再度、軍団長になってほしいとは言ってこない。カノープスが言った「時期尚早」だと判断したのか、3人、あるいはランスロットがその地位に相応しくないと考えを変えたのかは不明なままだ。
彼は、そっとかぶりを振った。トリスタン皇子の信頼を裏切ったとは思っていないが、その真意を疑うのも禁物だ。皇子には皇子の考えがある。一介の騎士が邪推するようなことではない。
結局、結論は出せずに3人は眠りに就いた。ギルダスにとっては、昨晩よりも眠れたのが救いであった。
翌日の行程はずっと楽なものになった。彼らは眼下にウベラバナとアナポリスを見ながら北上した。やがてザナドュが見え、その向こうには海と帝都ゼテギネアが広がっていた。あいだに横たわるのが2つの大陸を隔てるグアビアーレ海峡だ。
だがザナドュの近くに下降していくと守備隊が走ってくるのが見えた。マーガレットに替わって団長となったアダルバ率いる一隊だろう。
「奴らを取り押さえろ! ザナドュに行かせてはならん!」
「ふん、たった6人で私たちを止めるつもりか」
「待って! 先に彼らと話させてちょうだい」
「そうだったな」
ラウニィーとギルダスが揃って前に出た。魔術師のアダルバはいちばん奥に陣取り、手前に5人いる。ギルダスにとっては、かつての同僚たちだ。
「よくも我々の前に顔を出せたな!」
「俺はあんたが団長だってことも認めたくないし御館様の命令にも従えん。解放軍に与するのがいちばんの選択肢だったのさ」
「待って、ギルダス。それでは挑発だわ、私に先に話させてちょうだい」
「すみません」
「これはこれはラウニィーさま。いまごろザナドュにおいでとは何の御用ですか?」
「あなたに用はありません。用があるのはお父様だけです」
「そういうわけにはいきません。いまのあなたは敵だ。我々が何のためにいると思うんです、敵と戦うためだ」
「あなたもお父様が恐ろしいから従っているの?」
「何ですと?」
「お父様はあなたたちの前でマーガレットに乱暴をしたそうね。そんなお父様はいままで見たことがなかったはず、だからあなたはお父様の命に従っているのではないの?」
「冗談じゃありません。ラウニィーさま、わたしは長年、御館様にお仕えしてきて、いまほど魅せられたことはありませんでしたよ。神聖ゼテギネア帝国一の軍人でありながら、その力をずっと秘めてこられた。弱い者を助ける高潔な騎士? そんなヒカシュー=ウィンザルフが見たかったわけじゃないんですよ、わたしは」
「だったら、あなたは仕えるべき主人を間違えたのよ、ガレス皇子でもアプローズ男爵でも選べばよかったのよ、ケルベロス騎士団には相応しくないわ!」
「そうはいきませんよ。ガレスさまの黒騎士団に入ることができるのは屈強な騎士たちだけだし、アプローズ男爵はゼノビアの裏切り者だから世間体が悪い。わたしの才能では賢者殿にも拾ってもらえない。ケルベロス騎士団の居心地が、いちばん良かったのです」
「愚かな」
「しかしラウニィーさま、敬愛するお父上をガレス皇子やアプローズ男爵と同列に扱っていいのですか? いやいや、そんなことを仰るということはあなたはご存じなんですね?」
ラウニィーの顔に脅えが走り、アダルバの顔が暗い喜びに歪む。
「そう、素晴らしいじゃありませんか、暗黒道は。あの御館様の性格さえ変えてしまわれたんですよ。それもこれも賢者ラシュディが女帝陛下とガレスさまに教授してくださったからだ!」
ラウニィーは力なく膝を落としたが、思い直したように顔をあげた。
「ねぇ、みんなはそれでいいの? あなたたちはアダルバの意見に賛成なの? お父様はもう、あなたたちの知っていたお父様じゃないのよ!」
5人のうち4人が動揺した様子を見せてアダルバを振り返った。これに勢いづけられてラウニィーは言葉を継ぐ。
「あなたたちはマーガレットを傷つけるお父様を見て何とも思わなかったの? あなたたちは何のためにケルベロス騎士団に入ったのですか? 思い出しなさい! いまのお父様のように誰かを傷つけるためではなく守るためでしょう! それともお父様の命に盲目的に従うだけが能ですか? 恥を知りなさい!!」
先に動いたのは2人の有翼人だった。彼らはすぐに飛び立ってラウニィーの側に着地し、その場で膝をついた。
「仰るとおりです、ラウニィーさま」
「ですが俺たちは御館様が恐ろしかったのです。どうか、お許しください」
「いいえ、レアード、マイティ、あなたたちの勇気ある選択を私は嬉しく思います」
「貴様ら、裏切る気か?!」
「マーガレットさまが団長ならばいざ知らず、あんたは信用がならない。御館様のことだってひどい言いぐさじゃないか」
「なにっ?」
「そうだ。あんたはいつも俺たちを有翼人風情と見下していたからな。誰かに守ってもらわなければ戦えない魔術師のくせに!」
「何だと?!」
「待ってください! 俺もラウニィーさまとは戦えません!」
若い騎士が手を挙げて、急いで抜け出してきた。
「ウッドロウ、貴様もか! これだから若造は当てにならんと言うんだ!」
「いいじゃないか、アダルバ。腰抜けが抜けたところで痛くもかゆくもない。俺たちだけでザナドュを守ろうじゃないか!」
逃げてくる騎士の背中から、そう言ったもう1人の騎士が斬りかかろうとした。そこに割って入ったのはギルダスだ。レアード=モルガンとマイティ=プシュパンジャリが逃げてきた時から、彼は残る3人の動きに注視していたのだ。
「おいおい、誇りあるケルベロス騎士団の上級騎士ともあろう者が仲間を後ろから斬ろうとは地に落ちたものじゃないか?」
「何とでも言え。裏切り者は斬り捨てるのみ!」
「ならば俺が相手だ!」
ギルダスとブノワ=サンチェスは激しく斬り結んだ。同じ上級騎士同士、実力は伯仲しているがブノワはふだんとは違った激しさで斬りかかってきた。しかしギルダスも容易に先手を取らせるつもりはない。彼の後ろにはラウニィーがいる。彼女を守るためにケルベロス騎士団に入ったのだ。その思いは、たとえ永久に打ち明けられないとしても彼の原動力であり続けた。
けれども戦う2人を回避して、剣士が1人、ラウニィーの方に突っ込んできた。彼女は素早くオズリックスピアを抜くと、彼の武器を早々に弾き飛ばした。
「バート、無駄なことはおよしなさい! この後に及んで命を粗末にしてはなりません!」
それで彼は早々に無力化されたが、そこにアダルバが魔法を唱えた。
「きゃあああっ!」
「ラウニィーさま?!」
「そら! よそ見はいけないなぁ、ギルダス?」
「くそっ」
しかし解放軍からも反撃の魔法が飛ぶ。その声でラウニィーはケインが撃ったことに気づいた。
「とどめを刺しますか?」
「いいえ、彼は魔術師ですもの、守る人がいなくなれば無力化するわ」
「では後はギルダスさま次第ということですね」
「おいおい、責任重大だな!
そういうことだから、さっさと降参してくれ!」
「馬鹿な」
さすがに1人だけになるとブノワも戦意を喪失したらしかった。
「アダルバ、ブノワ、バート、どこへなりと好きなところへ行きなさい」
「くっ」
言われてアダルバは早々に逃げ出したが、ほかの二人は解放されると言われて驚くばかりだ。
「レアード、マイティ、ウッドロウ、あなたたちも同じよ。解放軍は捕虜を取りません、好きなところへお行きなさい。
それと、みんなに会ったら伝えてちょうだい。ケルベロス騎士団は私、ラウニィー=ウィンザルフの名において本日、光竜の月19日をもって解散とします。長いあいだ、ご苦労様でした」
「ラウニィーさま、それは俺も初耳なんですが?」
「解散すれば、いつまでもお父様の命令を聞かなくても済むでしょう? 私にできることはこれぐらいだわ。みんなには、まだ納得してもらえないかもしれないけれどね」
「わかりました。俺たちが伝えに行きます」
意気込んで2人の有翼人が申し出る。ラウニィーは頷くばかりで彼らが発つのを見送った。
「さて、俺の記憶だと、ここに残っているのは御館様だけのはずです」
「だといいのだけれど。
グランディーナ、確かめてきましょうか?」
「いや、いい。出てこない者をわざわざ藪を突くこともあるまい。もうじき日も暮れる。予定どおり、ヒカシューと戦うのは明日にしよう」
「ありがとう」
それから彼女たちはザナドュの郊外に野営した。
「俺は帝国教会に行ってきてもいいかい? 団長に報せてきたい」
「いいわね。マーガレットやルーティもきっと心配しているわ。会って、これまでのことを教えてあげましょう。
いいわよね?」
「守備隊はあれだけかもしれないが油断は禁物だぞ。今日、行く必要があるのか?」
「それほど急ぐ用事ではないわ。でもお父様と戦う前にマーガレットに会いたいの」
グランディーナは後方を振り返った。
「いいだろう。ただし私も同行する。教会には泊まらず、今晩中に野営地に戻る。それでいいか?」
「ええ」
「皆はここで待機していろ」
「グランディーナさん、今晩も見張りをするんでスカ?」
「当たり前だ」
「しょうがないですネェ」
それでグランディーナ、ラウニィー、ギルダスの3人がザナドュの門をくぐり、ほかの者は引き続き野営地の設置に追われたが、ランスロットは開いた口がふさがらなかった。
「まぁ、言いたいことは呑み込んでおけ」
カノープスが彼の肩に手を置いた。
「あの2人だけで行かせるのは不安が残るが俺たちの誰が行っても、あいつほど隠密には動けん。だから、ああいう選択肢になったんだろう」
「だからって」
「守備隊はもういねぇんだ、そう心配することもないさ」
ランスロットが言われたとおりに黙ったのはサラディンが何も言わなかったからだ。だが彼は納得したわけではなかったし、それはサラディンも同じ気持ちだっただろう。
ザナドュに入った3人は急ぎ足で帝国教会に向かった。そこはウィンザルフ家の屋敷に近く、ザナドュの中心部だ。
「私は外で待っている」
「ええ」
それで教会内にラウニィーとギルダスが入ろうとしたがギルダスは途中で引き返した。
「どうしたの?」
「団長のことはラウニィーさまにお任せします。俺も外で待ちますよ」
「わかったわ」
「2人もいてもすることなどないぞ」
「教会は女性の領分だからな、居心地が悪いのさ」
「それは口実だろう。私に言いたいことがあるのならさっさと言え。ラウニィーのことだ、時間はかかるだろうがな」
「ならば頼みがある。ラウニィーさまとヒカシュー大将軍を戦わせないでくれ」
「それは彼女が言い出したことだ。どうして私に止められると思う」
「解放軍のリーダーならば止められるだろう。実の父と娘が戦うなんてあってはならないんだ」
「私とてあなたの言い分に反対するいわれはない。だが逆に彼女を説得できるのは道義からだけだ、それでは弱いな。さらに彼女は父を止められるのは自分だけだと思っている。あなたにそれを覆せるか?」
「無理だろうな。一度、言い出したらお父上の命でも聞かない方だ」
「ならば私に頼むのが筋違いというものだ。確かに彼女を止めたことは何度かある。だが、それには十分な理由が要った、たとえ彼女が納得していなかったとしてもだ。父と戦う、父を止める。カストロ峡谷で彼女を助けた時から、ずっと言い続けてきた。それを私の一存でやるなとは言えない。ラシュディを育ての親だと言うのなら、私も同じ親殺しをやろうとしている身だ」
「だがラウニィーさまにはあんたのような覚悟がない。土壇場で尻込みをしないとも限らないんだ」
グランディーナがわずかに笑った。
「自分の主人に対して、ずいぶん信頼のない態度だな。案ずるな、あれで彼女もそれなりの死線を潜ってきた。ケルベロス騎士団よりもずっと実戦慣れしているはずだ。9ヶ月、ともに戦ってきた私が保証する」
「ふん、いいだろう。この話はそれでおしまいだ」
「まだ何かあるのか?」
「ああ」
とギルダスは応えたが、そこにラウニィーが飛び出してきた。
「ギルダス、大変よ!」
「どうしたんですか?」
「マーガレットは私たちと入れ違いに教会を出ていったと言うの。ルーティもニコラも行き先は聞いていない、気がついたら離れがもぬけの殻だったと言うのよ」
「何ですって?!」
「まさか屋敷へ帰ったのかしら?」
「そんな馬鹿な。団長は御館様に殺されそうになったんですよ?」
「探すのか?」
「いいえ。屋敷ならば、そこから動くこともないでしょうから明日には会えるわ。ほかの町に行ったのなら確認するまでもないでしょう。戻りましょう」
「よかろう」
来る時は2人の後をついてきたグランディーナだったが帰りは慣れた様子で先頭を歩いた。後でランスロットに聞いたところでは彼女の地理感覚は並外れているそうだ。
「団長の性格から考えてもほかの町に行ったなんてはずがありません。屋敷に戻ったのでは?」
「そうね、そうかもしれないわね。でも行ってどうするの? マーガレットの真意を確かめるのは明日でも同じことよ」
「わかりました」
野営地に戻ると皆は夕食を終えて天幕で休んでいた。アイーシャが食事を温め直してくれたので彼女らは急いで食べた。
今晩もケビンは槍を振るっていたが、さすがに昨晩のような模擬戦はなしだそうだ。ギルダスも彼の隣で黙って剣を振った。ヒカシュー大将軍は剣の師匠でもある。何度も試合はしたが勝ったと思った覚えは一度もなかった。そう思うと、いくら鍛錬しても足りない気がしてしまう。
「ギルダス、休むことも大切だぞ」
そう言ってケビンは背中をたたいた。
「ああ、そうするよ」
「もし、おぬしがいける口ならばカノープスが持っているはずだ。訊いてみるがいい」
「それに頼るのも悔しいけどな」
「何、ランスロットだってガレス皇子と戦った時には前夜に呑まされたそうだぞ。別に恥ずかしいことではないさ」
「ちょっと訊いてみるか。ありがとう、ケビン」
それで彼はカノープスと魔獣たちの休んでいる天幕を訪ねた。その臭いは相変わらず彼の息を詰まらせるほどだったが、酒には替えられない。
「どうした? さっさと休まねぇと明日、辛いぞ」
「酒があったら分けてほしいんだが」
「何だ、おまえ、いける口か?」
「ああ」
途端にカノープスは上機嫌になった。隅の方に転がした荷物から小さな酒瓶を取り出し、ギルダスに差し出した。
「杯がないから直接呑んでいいぜ」
「どこの酒だい? ずいぶん葡萄っぽいけど」
「オファイスで買ってきたやつの残りだ。あそこは乾燥してる土地が多いから葡萄がよく育つらしい」
「へぇ、詳しいな」
「何だ、ハイランドの酒しか呑んだことがないとでも言うのか?」
「そのまさかだ。強い蒸留酒(うぉっか)が一般的なんだが呑んだこと、あるかい?」
「ハイランドの酒はゼノビアでは入手しづらいからなぁ。マラノでだったら買えたんだろうけど」
「興味があるなら、今度、美味い店を紹介する。俺の行きつけだ」
「おっと、これでおしまいか。じゃあ、明日の戦いが済んだら案内してくれ。ギルバルドにも教えてやらねぇとな」
「ありがとう。これでよく眠れそうだ」
「へへっ、そんなことなら、そっちの天幕に行ってやったのによ」
「あっちは4人もいるから狭いだろう?」
「違いねぇ」
別れ際、カノープスは拳を突き出してきた。ギルダスが応えると彼が笑ったので、ヒカシュー大将軍と戦う前にひとまず寝不足という事態には陥らないで済みそうだった。