Stage Eighteen「ケルベロスの旗の下」
翌光竜の月20日、一行は魔獣を置いてウィンザルフ家に侵入した。カノープスが言うには「エレボスがいるから勝手にどこかに行くことはない」そうだ。
しかし彼女たちの前に、まず立ちふさがったのは予想どおり、前ケルベロス騎士団団長マーガレット=W=スルサリョーワであった。
「ここは通せません、ラウニィーさま。どうか、お引き取りを」
「駄目よ! お父様はゼテギネア帝国の大将軍、お父様をそのままにして先に行くわけにはいかないわ」
傷も治ったのか、マーガレットは完全武装の体で槍を構えている。
「ならば、いかがいたしますか?」
「力尽くでも排除するわ。たとえ、あなたでも立ちはだかることは許しません!
これは一対一の戦いよ、誰も手を出さないで!」
「しかし、ラウニィーさま!
団長、これはいったいどういうことなんです?!」
「どういうことも何もない。これが私の答え、ケルベロス騎士団団長の任は解かれても御館様を最後までお守りするのが私の使命。御館様と戦いたくば私の屍を乗り越えていくがいい!
行きますよ!!」
ラウニィーも即座にオズリックスピアを抜いて反応したが、マーガレットの鋭い突きに後退した。
「なぜ、解放軍を侵略軍じゃないと言ったあなたが私たちと戦う必要があるの?」
「言ったでしょう、御館様をお守りするのだと。私は御館様にお仕えする騎士、ならば命賭しても御館様をお守りしてみせます!」
「馬鹿な、お父様はもう以前のお父様じゃないわ! あなたが命を賭ける価値なんてない! お願いよ、マーガレット、無益な戦いは止めて! 私たちを先へ進ませて!」
「問答無用!!」
だがオズリックスピアは飛ばされなかった。マーガレット得意の下段からの跳ね上げにラウニィーは堪えたのだ。
それから2人の女性は激しく打ち合った。
マーガレットの技量の高さは隣のケビンが感嘆のため息を漏らしたことでも察せられた。槍は屋敷の中で振り回すような得物ではない。それを自在に操っているのだから並みの腕前ではないのだ。
比べてラウニィーのそれは荒削りだった。その分、勢いはあったが体力がなくなるのも早いだろう。
しかし皆の予想に反して先に得物を飛ばされたのはマーガレットの方だった。
彼女は後方に飛び下がって槍をつかみ直そうとしたが、素早く前進してそれに追いついたラウニィーは、その首元に穂先を突きつけた。
「私の勝ちよ、これ以上、抵抗しないで」
「抵抗しなかったらどうなりますか?」
「お父様のところに行くわ。あなたは好きなところへ行っていい」
けれど、そう言って槍を引いたラウニィーに足払いを喰らわせるとマーガレットはまた得物を持ち直した。
「言ったでしょう、私の屍を越えていけと?! だから、あなたは甘いと言うのですよ!」
今度は彼女は猛烈な突きを繰り出し、ラウニィーを防戦一方にさせてしまった。これが名槍オズリックスピアでなければ、たちまち柄を削られ、使い物にならなくされてしまっただろう。
しかしラウニィーは耐えた。変幻自在に繰り出される突きを受け流し、反撃の機会を待った。
それに彼女は知っていたのだ。マーガレットの傷が全治したわけではないことを。だから時々、その動きが鈍る。反撃の機会は、その時しかなかった。
「ここよ!」
満を持してラウニィーがオズリックスピアを突き出すと、それは狙い過たずマーガレットに突き刺さった。
ラウニィーが槍から手を離して駆け寄ろうとするのをギルダスが後ろから引っ張った。マーガレットは最後の力を振りしぼって槍を突いたが、おかげで、それは空振りした。
「マーガレット!!」
「団長!」
マーガレットは倒れ、その手から槍もこぼれた。
「アイーシャ、お願い!」
「はい!」
しかし彼女が診るまでもなかった。オズリックスピアはマーガレットの胸を貫通し、前からも後ろからも血が溢れていたからだ。
「マーガレット! 死なないで、マーガレット!」
「ラウニィーさま、お許しください」
「許すわ、許すから死なないで! 私、まだ、あなたに教えてもらいたいことがたくさんあるの! だから死なないで、マーガレット!」
「御館様は、死の、覚悟を、して、いらっしゃる、のですよ。私だけ、生き延びて、どう、なります? せめて、最後まで、ご一緒させて、ください」
「マーガレット!」
「ご武運を、ラウニィーさま。お強く、なられましたね」
それが最後の言葉だった。
しかしラウニィーは泣きわめいたりしなかった。涙をこすって立ち上がり、先頭に立って奥へ進んだ。ヒカシュー大将軍の私室は屋敷の最奥だ。
「父上、いらっしゃいますか? ラウニィーです、父上を止めるために戻ってまいりました」
ヒカシュー大将軍は愛用の安楽椅子に腰かけていた。
だが、その部屋の空気の何と澱んでいたことか。後方で何人かがうめき声をあげたが、ギルダスも中に入るのは躊躇われた。
ラウニィーだけが室内に入ることができた。最愛の父と再会するために。全身の毛が総毛立ち、こみ上げる激しい嫌悪感を抑えながら彼女は父の前に立った。
「ラウニィーか。よもや、おまえと剣をまじえることになるとはな」
「父上。剣を収めてください。帝国はすでに崩壊しました。父上とてエンドラ殿下が以前と違うことに気づいているはず。これではハイランドの名誉が」
「言うな! 我がウィンザルフ家は代々王家に仕えてきた家柄。最後まで王家をお守りせねばならんのだ。それがわからぬおまえではあるまい」
「しかし、しかし、父上。私は」
「よいのだ。おまえは自分の信ずる道を歩めばよい。同じ過ちを犯す必要はない。わしはわしの名誉と誇りのために王家のために戦うのだ。さあ、武器を抜け、ラウニィー。聖騎士の力を父に見せてくれ」
大将軍の私室は広くない。ラウニィーのほかにはあと1人しか戦うことはできなそうだ。それでギルダスも思い切って侵入した。
だが大将軍は彼に一瞥くれただけでラウニィーの方にしか関心がないらしかった。
ラウニィーとギルダスは銘々の武器を抜き放った。
「そうだ、ラウニィー、わたしを殺せ。わたしにはもう時間がない」
「父上っ!」
「このままでは、わたしはおまえを殺す!」
「みんな、伏せろ!」
大将軍が剣を振るうと風が渦巻いて通路まで駆け抜けた。ラウニィーとギルダスの背後に控えたケビンが身体を張って止めなければ大惨事になるところだ。
「ここはわたしが守り抜く! お二人は攻撃を!」
「ありがとう、ケビン!」
しかしラウニィーとギルダスの攻撃をヒカシュー大将軍は軽くいなした。たとえ2人が同時に攻めたつもりでも、わずかな差を見抜き、一対一にしてしまうのだ。まさに彼は神聖ゼテギネア帝国一の武人であった。
ラウニィーは最初、戸惑っていた。父の剣技があまりに禍々しくて、まるで別人のようにしか思えなかったからだ。だが彼女に対峙しているのは紛れもなく誰よりも敬愛する父であり、マラノでアプローズ男爵の元から逃げる決意をした時に覚悟してきた戦いでもあった。何度も弱気になりながら自分を説き伏せ、焚きつけ、叱咤した相手だ。父との戦いだけは、たとえ親殺しの汚名を負ったとしても誰にも譲れないと思ってきたのだ。そう思うと息も上がりかけていたが気持ちは紅潮した。重く感じ始めていたオズリックスピアも軽々と振るえるのであった。
ギルダスも違和感を感じていた。長年、尊敬し、目標としてきた大将軍の剣技と違っているように思えたからだ。その剣は剛胆にして細心、大将軍の人柄そのままに絶対的な強さを誇っていた。だが、いまはまるで違う。強さは確かに変わっていない。ラウニィーと2人で攻めても傷1つ与えられないのだから圧倒的と言っていい。けれど、その剣には濁りがある。それが彼には信じられなかった。
そう思っていたらヒカシュー大将軍は再度、剣風を放った。ラウニィーにぶつけるというより、彼女の背後に控えた者たちが目障りでしょうがない風だ。
だが、それでヒカシュー大将軍の注意が一瞬でもラウニィーから逸れた。ギルダスは彼女に目配せ1つすると、正面切って大将軍に攻撃した。
「邪魔をするな!」
「そうはいきませんよ!」
「ならば、貴様から死ね!」
ヒカシュー大将軍の剣戟が激しさを増した。
右、左、左、右、右、ギルダスは合わせるだけで精一杯だというのに徐々に、その速さが増していく。
限界かと彼が覚悟を決めたその時、後ろからラウニィーがぶつかってき、ヒカシュー大将軍を串刺しにした。
それは初めて彼を止めた。
ラウニィーも躊躇ってなどいない。素早くオズリックスピアを抜き放つと今度は喉元めがけて繰り出した。そこは鎧で覆われていたが継ぎ目を狙えば同じことだ。
ヒカシュー大将軍は血を吐き出しながら、なお鋭い一撃を繰り出した。だがギルダスは渾身の力を込めて剣を振り下ろし、剣をへし折られはしたものの、これを防いだのであった。
「見事だ」
ヒカシュー大将軍は前のめりに倒れた。ラウニィー、次いでギルダスが駆け寄ったが彼は虫の息であった。
「父上、しっかりしてください。父上!」
「頑固な父ですまなかった。ただ、忘れないでくれ。父は、父はおまえのことを誇りに思っているぞ。すばらしい娘を持ったとな。殿下を、エンドラ殿下を止めて、く、れ。ラシュディに惑わされているだけ、なのだ。た、頼んだぞ。ラウニィー、愛しい娘、よ」
「父上! お父様!!」
ヒカシュー大将軍は微笑んだ。しかし、その眼から急速に光が失われていき、ラウニィーの手を握り返していた手も力を失った。
「お父様?! お父様!!」
覚悟していたこととはいえラウニィーは滂沱の涙を堪えられなかった。
その肩に優しく手が置かれる。いままで皆と一緒に蚊帳の外にいたトリスタン皇子だ。
しかし彼の顔を見た途端にラウニィーは泣きついた。ただ黙って背中をなでられて、皆が出ていったことにも気づかなかった。
「この屋敷、本隊が着くまで借りられねぇかな?」
「ラウニィーが許可すればな」
「ならば先にヒカシュー大将軍の遺体を埋葬しないか? あのままにしておくのは忍びない。ギルダスならば、どこに葬ればいいか知っているだろう?」
「ああ、そうしてもらえると助かる。ついでと言っては申し訳ないが団長も頼みたい」
「もちろんだ」
この時、ギルダスにはなぜグランディーナがランスロットを睨みつけていたのか知らなかったが、それよりもヒカシュー大将軍を安らがせる方が先だと思い直して、そのことはずっと後まで思い出しもしなかった。
屋敷に戻っていく彼らの傍らでサラディンとアイーシャがケビンに付き添って帝国教会に行き、ほかの者はこれからについて話し合っていた。どちらにしても本隊が着くのは数日先だ。彼らのできることはほとんどなかった。
結局、本隊が到着したのは光竜の月23日だったが、5日ほど対岸に渡ることはできなかった。ヒカシュー大将軍は倒されたためと新年を迎えたため、渡し船を運航する者たちが一斉に休業してしまったのだ。仕方がないので解放軍もザナドュに滞在したが、対岸のゼテギネアはたまに吹雪に霞んでいた。
足踏みしたくないと言っていたグランディーナは、それほど焦った様子は見せなかった。
かくて年明けて神竜の月三日、最後の戦いが始まる。
大陸に24年間の長きにわたって君臨し、恐怖によって支配してきた神聖ゼテギネア帝国に最期の時が近づいていた。