Stage Twenty「暗黒の迷宮」

Stage Twenty「暗黒の迷宮」

「奥の間でカオスゲートが見つかった。24年前、神聖ゼテギネア帝国の建国時に帝都をザナドュにせずゼテギネアに移した理由が、これだろう」
「どこに通じている?」
「それは開けてみなければわからぬが、皆は、それどころではないようだな」
グランディーナは、それで振り返った。
だが、その当人もエンドラから受けた傷の手当もされておらず、解放軍の全員もゼテギネアに集まってはいなかった。
「そのカオスゲートを調べるのは明日じゃ駄目なのか? ウォーレンだって明日にならなきゃ着かねぇだろうしギルバルドは、もっと遅くなる。ラシュディやガレス皇子が、そのカオスゲートを使ったんだろうが、そんなに慌てて調べる必要があるとは思えねぇが」
そう言ってカノープスは皆を見回した。
「それにエンドラの言ったことも、はいそうですかと流すわけにはいかねぇだろう?」
実際、皆の反応は様々だった。
トリスタン皇子とランスロットは呆然としており、アッシュは厳しい顔だ。ケインも、さすがにこんな事情は想定外だったようでトリスタン皇子についてはいるが無言である。
ラウニィーも、どこかバツが悪そうな顔で黙り込み、アイーシャだけが、いつものように皆の傷の手当に忙しく立ち働いていた。
「俺からも訊きてぇ。ラシュディの二番弟子だったんだ、どうせ、あんたが教えたんだろう? なぜ皆に言わなかった?」
「聞いて、どうする。きっかけがグランによるものでもゼテギネア帝国は倒さなければならなかった。ならば余計なことは知らない方が良かっただろう」
「わたしもグランディーナに同感だ。まさか、あのような形でエンドラ殿が暴露するとは思わなかったが逆に訊きたい。事前に知らせていたら、そなたたちはどうするつもりだったというのだ?」
「それは聞いてみなけりゃわからねぇ。だからって隠されたのも気にくわねぇ」
グランディーナは呆れたような笑いを浮かべただけだった。
そのあいだにアイーシャが傷の手当をする。両腕に巻かれた包帯は痛々しかったが彼女は意にも介さぬ様子だ。
「そこまで気にかかるならカオスゲートの調査は明日にしよう。それに天空の三騎士も、まだだったな。みんな、休むがいい。
サラディン、行き先だけ先に調べておこう」
「そうだな。だが、その前に頼みがある」
「何だ、改まって?」
サラディンはグランディーナの胸元に手を伸ばした。
皆も忘れていたが、そこには十二使徒の証サードニクスが下がっている。慌ててしまおうとする彼女の手をサラディンは、さらに止めた。
「おまえが女神フェルアーナさまから預かった十二使徒の証を出してくれ。先ほどエンドラ殿の力を打ち消したところを見るに守りとして、この先、必要になりそうだ」
しかしグランディーナは露骨に顔をしかめた。
「確かに私は、この石に守られた。だが、あなたに必要な物とは思えない」
「アンタンジルに行った時のことを思い出してくれ。あの時、十二使徒の証があれば、どれだけ楽になったか知れない。カオスゲートを開けば、その先がどんな場所であっても、ただの場所ではあるまい。いまのうちに備えておいた方がいい。それに、わたしだけでなく皆の分もな。
カノープス、そなた、手を貸してやってくれ」
「ああ、いいけど?」
するとグランディーナは左手を広げてカノープスの方に突き出した。
「ヤルの名において我望む、12人の偉大なる賢者よ、力を貸したまえ」
その言葉とともに小さな石板が彼女の掌から出てきたのでカノープスは手に取った。
と同時に怪我をしても何もなかったかのようにふるまっていたグランディーナが突然、尻もちをついたので驚かされた。
「おいおい、おまえまでどうしたんだよ?」
「わからない。ヤルのタブレットを抜いたら急に力が抜けた」
「ヤルのタブレットっていうのはこれのことか?」
「そうだ。それもフェルアーナからの預かり物だ。それがないと十二使徒の証を呼び出せない」
そう言った彼女の手が、わずかに震えていることにカノープスは気づかないふりをする。
「手を貸せって何をすりゃいい?」
「タブレットを、そのまま持っていてくれ」
それで彼も腰を下ろした。ヤルのタブレットは彼の手には小さすぎたがカノープスは両手でグランディーナの目前に掲げてやった。
「風の神ハーネラの名において支配を司るブラックアゲートよ、来たれ」
その言葉とともに先に黒瑪瑙をつけた首飾りが出現したのでカノープスは、これも取った。
グランディーナは淡々とした口調で次々に十二使徒の証を召喚する。都合、11個の宝石のついた首飾りがカノープスの手に載せられると彼女は、わずかに息を吐いた。
「誰に、どれを渡すんだ?」
「トリスタン!」
皇子は顔を上げた。
「これは、あなたが持て。太陽を司るフィラーハの石、王者のブディッサイだ」
思わぬ鋭い声に皆の注目が集まる。命令するような口調だったが反対する声は上がらなかった。おそらくサードニクスが皆に見えるところにあるため、グランディーナのすることが女神フェルアーナの代理のように見えたせいだろう。
「サラディン。海を司るバスクの石、統治のオニキスだ」
彼は宝石を少しだけ自分より高く掲げて一礼すると、あとは首にかけた。
「アッシュ! 炎を司るゾショネルの石、栄光のターコイズだ」
「お預かりいたそう」
「ランスロット!」
呼ばれて彼も急いで近づいてきた。
「大気を司るフォーラの石、慈愛のアメジストだ」
有無を言わせぬ調子でグランディーナは続けていく。
「カノープス、快楽を司るザムンザの石、平和のラピスラズリだ」
「ラウニィー、水を司るグルーザの石、聖戦のレッドアンバーだ」
「アイーシャ、大地を司るバーサの石、聖母のクロスストーンだ」
それで終わりだった。今度は大きく息を吐き出すと彼女はヤルのタブレットを左手に収め、すぐ近くにいたカノープスにしか聞こえないような小さな舌打ちをした。
「まだ石が余ってんぞ?」
「それはウォーレン、ギルバルド、デボネア、ノルンに渡す。悪いが、あなたが預かっておいてくれ」
「いや、そういう仕事は俺よりもアイーシャ、おまえさんが適任だ」
「私がですか?」
「ああ。俺は知ってのとおり、粗忽者だし酒も飲む。うっかり石を失くしたとか、ましてや壊したなんて日には、どんなお咎めがあるかわからん。おまえに預けた方が、よほど安心だと思うがな?」
「わかりました。
グランディーナ、十二使徒の証は私が預かるわ。必要な時は、いつでも言ってね」
彼女はカノープスを睨みつけたが彼は素知らぬ顔を押し通した。
それにサラディンが声をかけたので彼女は、それ以上、この問題にかかずらっているわけにもいかなかったのだ。
2人が奥の間へ行くのを見ながら皆は外に出た。
ラウニィーにはエンドラの遺体を放置するのは忍びなく思われたが真冬のハイランドで夜の葬儀は無理な注文だ。埋葬するのは翌日に伸ばして、いまは、せめてもの慰めにマントをかけておくしかなかった。光を失った青い瞳は硝子玉のようだ。
神竜の月17日、解放軍は、ついに神聖ゼテギネア帝国の女帝エンドラを倒し、宿願を果たした。
だが諸悪の根源と見られる賢者ラシュディと、女帝の弟、黒騎士ガレスの行方が不明のままであることに加え、エンドラによる、ハイランド侵攻のきっかけはローディス教国の侵攻を疑った神帝グランにあったという暴露は解放軍の主力を占めるゼノビア勢に複雑な思いで受け止められ、勝利の祝杯を上げるには程遠い雰囲気だった。
さらにグランディーナとサラディンの調査により、ゼテギネア城の奥の間にて見つかったカオスゲートが魔界のような場所に通じていると知らされると皆のあいだに緊張が走った。
また遅れて到着したギルバルドが聖騎士団長だったガウェイン=アデルバートから聞いたというラシュディの目的もカオスゲートの目的地を裏付けるかのようだった。
「ラシュディは暗黒神ディアブロの復活を目論んでいるのだそうです。ガウェイン殿は彼の目的はオウガバトルの再来ではないかと推測されていましたが真意は不明です」
「ガウェインさまは、どちらにいらっしゃるのですか?!」
「アズサウィアのロシュフォル教会で静養しておいでです。解放軍にラウニィー殿がおいでだと申したら会いたがっていらっしゃいました」
「私も、お会いしたい。ギルバルド、ほかに聖騎士団の方はいらっしゃらなかった?」
「いえ、ガレス皇子の処刑から逃れられたのはガウェイン殿だけで、ほかの方々は皆、神竜の月1日に殺されたそうです」
「何てことでしょう!」
ラウニィーは唇をきつく噛んだ。
「こちらの状況は先ほど話したとおりだ。明日、カオスゲートを潜る。ラシュディを止めなければならないからな。その前に、あなたたちにも渡しておこう。
アイーシャ」
グランディーナは胸元からサードニクスを出した。
「ウォーレン、知恵を司るホルプの石、知性のマラカイトだ」
「お預かりいたします」
「ギルバルド、風を司るハーネラの石、支配のブラックアゲートだ」
彼は黙って受け取った。
「デボネア、四方の風を司るエウロス、ゼピュロス、ノトス、ボレアスの石、栄華のカーバンクルだ」
「承知した」
「ノルン、神聖を司るイシュタルの石、神聖のイエローベリルだ」
彼女は異を唱えようとしたが思いとどまった。グランディーナの口調は厳粛だったし、サードニクスを見せつけたことは女神フェルアーナの代理を意識したものと見えた。仮にも神職に携わる者として、ノルンはその事実を無視するわけにはいかなかったのである。
「カオスゲートには我々のほかに天空の三騎士も行く。それ以外の者は城外で待機だ」
「私も行きます」
即座に述べたのはユーシスだ。
「天使長として私には、あなたたちの戦いを見届ける義務があります。あなたたちの帰りを待っているだけというわけにはいきません」
「フォーゲル、お守りは任せる」
「無理を言うな。
そうは仰いますが激しい戦いが予想されます。ユーシス殿、彼女の言うとおり、待っていただいていた方が良いと思うのですが」
「いいえ、そう仰られて私はアンタンジルにも行くことができませんでした。もっとも、あの時はミザールの行方を追うことしか頭になかったので、そのつもりもありませんでしたが。ですが、いまは違います。私には、この戦いを見届ける義務があるのです」
フォーゲルがスルストとフェンリルを振り返ると2人は揃って頷いた。
「承知しました。ですが、我らから決して離れぬようお願いします」
「わかっております。せめて足手まといにならぬよう心がけましょう」
「わたしも行きます」
ユーシスには遅れを取ったがケインも言った。
「あなたに渡す石がない。どれだけの効果があるかもわからないのにトリスタンを危険にさらすのか?」
「手負いのわしが行くよりケインが行った方がトリスタンさまのお力になれよう」
「駄目だ」
「何を根拠にそのようなことが言えるのです?!」
「私がこんなことを言うのが、おかしいと思うのも無理はない。だが証を渡した者には役割がある。あなたを連れていく余裕はない」
トリスタン皇子にもアッシュにもケインを慰める言葉が見つからなかった。
「カオスゲートの先がどのようなところか、行く前に確認しておきたい。案内してくれ」
「こっちだ」
グランディーナとフォーゲルにスルストとフェンリルも従った。
だが彼女が聖剣ブリュンヒルドを抜くよりも速く、フォーゲルが、その手を止める。
「おぬしこそ行くのを辞めるべきだ。フェルアーナさまのサードニクスはケインに渡せば良かろう」
「ラシュディとガレスとの戦いを前に私に引っ込めと?」
「おぬしの身体は、もはや限界だ。十二使徒の証とヤルのタブレットで、ぎりぎり抑えていられるのだろう。だが賢者ラシュディとガレス皇子、どちらかと戦えば堕ちるのだぞ、恐ろしくはないのか?」
「恐ろしくないわけがない。この8年というもの1日たりとて私の頭から去ったことなどないのだからな。だからと言って、この戦いを誰かに任せるつもりはない。決着は自分の手でつける。それに私抜きでラシュディとガレスに勝てるとでも?」
「待って、2人とも。このカオスゲートを調べる方が先だわ。禍々しい気が溢れ出しているところでする話ではないでしょう?」
「そうだな」
聖剣を抜き切るまでもなかった。鞘から、ほんの少し出しただけでカオスゲートが開き、三騎士には魔界と見紛うような気が襲いかかったからだ。
グランディーナは、すぐに剣を収め、飛び退った三騎士を振り返る。
「何か、わかったか?」
「信じられん」
「ですが、あの気は間違いなく」
「わたしもフェンリルさんに同感ですネ」
しかし3人の話は、それ以上、進まず、黙りこくっている。
「とりあえず戻るぞ。ここは空気が悪い」
「待て、隣の部屋で話そう」
だが、そう言って引き止めたのにフォーゲルはもとよりスルストもフェンリルも黙ったままだ。
それでもグランディーナが辛抱強く待っていると、ようやくフォーゲルが重い口を開いた。
「あれは暗黒神ディアブロの神殿、〈魔宮〉シャリーアだ。神代ならばともかく、いまの時代に、このようなカオスゲートが残っているとは思わなんだ」
「どういう意味だ?」
「このゼテギネアという都自体がカオスゲートを隠蔽するために築かれたのだろう。だが、それ以前は寒村だったと聞いた。よくカオスゲートが消えずに残ったものだ」
「それだけか」
「暗黒神の神殿と聞いて何とも思わぬのか?」
「ラシュディの目的はディアブロの復活だそうだ。そんなものに24年もかけていたのかとも思うが不思議でもあるまい。それに言っただろう、ラシュディとガレスを倒すと。奴らがどこにいようと追うだけだ」
「その戦いで命を落としてもか?」
「仕方がないな。まさか、あなたたちとて暗黒神とラシュディを放置してまで私を天界に連れていくとは言うまい?」
「その時は、ここから第二のオウガバトルが始まるかもしれぬぞ?」
「その時は、あなたたちに任せるとしよう。まだ調べたいのならブリュンヒルドは置いていくが?」
「いや、カオスゲートは、そう、たびたび開けるものではない。聖剣は要らぬよ」
「ならば私は休ませてもらう」
「まずは神殿のことをフィラーハに報告すべきではありませんカ?」
「いや、先にユーシス殿に知らせてからにしよう」
知らせを受けた天使長は案の定、真っ青になったが「行かない」とは言い出さなかった。
見張りに立つ必要も、もはやなかったので三騎士は長いあいだ、話し合っていた。
グランディーナは十二使徒の証を渡した者にだけカオスゲートの行き先を告げた。
「なるほど、寒村だったゼテギネアを帝都にしたのは、そのようなわけがあったのですね」
そう言ってウォーレンは納得したように頷く。
「ですが、ひとつ問題があります。グランディーナ、まさかと思いますがエンドラの戯言を喧伝する気はありますまいね?」
「ない。あんなことでゼテギネア帝国の悪政が打ち消せるわけではないし倒したことに後悔もない。私のことよりラウニィーの心配をするがいい。旧ハイランドの者はゼノビアが侵略者と教わってきているだろう。あなたとてグランのしたことをなかったことにできないのは、わかっているのだろう?」
「ええ」
「ならば、この話は、これでおしまいだ」
「そうなることを願います」
「ごめんなさい、トリスタンさま」
「なぜ、あなたが謝る?」
「私、エンドラさまの仰ったように教わってきました。でもゼノビアの方たちに何と申し上げたらいいのかわからなくて申し上げられないままで来てしまったのです」
「そうか、あなたたちには知っていて当たり前のことだったのだな」
「ええ。でも、いまの帝国も私には許せなかった。だから、いつ申し上げようか、どなたかにでも申し上げるべきか、ずっと迷っていました」
「だからと言って、あなたが謝らなければならないことではないんだ。ましてや、あなたは自分の手で実の父上を討たれたばかり、気を遣わなければならないのは、わたしの方だよ。すまない、ラウニィー」
彼が手を差し出すと彼女は縋りついてきた。だが自ら宣言したとおり涙は流さなかったが懸命にも堪えているようでもあった。
ラウニィーを后にするよう進言したのはケインだ。トリスタンも彼女のことは難からず思っていたが、ケインは、さらに彼女を后に迎えることの利点を二つ上げてみせた。
「まず、家柄が申し分ありません。旧ハイランド王国でも王家に次ぐ名家ウィンザルフ家の出身です。ラウニィー殿ほどの家柄の方をゼノビアも含めて四王国で探すのは至難の業でしょう」
「そうだな」
「次に旧ハイランド、つまり帝国側の臣民に、いい宣伝材料になります。新しい国家では敵方であろうと忠誠を尽くすならば手厚く迎えられるという、トリスタンさまからの無言の伝言役を果たします。大将軍のご令嬢という立場も良い方向に働くことでしょう」
「なるほど」
もちろんトリスタンにも、そういった下心がなかったわけではない。
しかし、いまの彼はラウニィーを愛おしく思っていたし彼女の方でも気を許しているのが見てとれた。
けれども表面では平静を装いながらトリスタンの心はエンドラの発した言葉のために千々に乱れていて、言葉の代わりにラウニィーを抱きしめるのが精一杯だったのだ。
一方、ゼテギネア城の地下で酒蔵を見つけたカノープスはランスロットとギルバルド、それにユーリアだけで、ささやかな酒宴を設けていた。
いつもなら魔獣部隊の面々と派手にやるところだが何しろ明日は〈魔宮〉シャリーアに行かなければならないので、これでも遠慮したのだ。それに彼らをしてもエンドラの発言は勝利の美酒を味わわせぬだけの衝撃があったし、行方知れずの賢者ラシュディとガレス皇子が万が一、夜襲をかけないとも限らないので用心したのだった。
もちろん夜営は立てられている。
「おまえはエンドラの言ったこと、どう思う?」
「陛下の性格を考えれば当たらずとも遠からず、というところだろうな」
「煮えきらねぇ回答だな」
「その場にいなかったし陛下は臨終の際にラシュディの裏切りとは言われたがエンドラについては何も仰っていない。確たることは、もはや誰にもわからぬだろう」
「だとよ。ランスロット、おまえが頭を抱えていてもしょうがないんだぜ?」
「頭を抱えてなどいないよ」
「だっておまえ、そんな顔で思い詰めてるじゃねぇか。それとも何だ、考えてるのは別のことだとでも言うつもりか?」
「わたしが案じているのは皆の反応だ」
「それも大したことはねぇだろう」
「どうして、そう言い切れる?」
「関係者は全員死んじまったからさ。トリスタン皇子が、ことさら神帝の後継者だって触れ回らなければ、みんな、そのうちに忘れる。グランディーナの言ったとおりだ、エンドラへの仕打ちには同情の余地があったかもしれんが、その後のゼテギネア帝国の治世は多くの者を苦しめた。帝国を倒すべきじゃなかったなんて言う奴は、いずれ旧ハイランドの連中にだっていなくなる」
「そう簡単に行くだろうか?」
「ラウニィー殿の存在が大きいな。ザナドュでは、まだ反発もされたがゼテギネアではそれほどでもなかった。その上、ヒカシュー大将軍のご令嬢がトリスタンさまと結ばれれば民に与える影響は絶大なものになる」
「政略結婚か」
「でも、お二人はお似合いだし、お幸せそうだって、みんなが噂しているわ。お二人が結婚されるのなら、それがいちばん大事なことではないかしら?」
「そうだな」
「何だ、まだ引っかかってるのか?」
しかしランスロットは杯を置くと立ち上がった。
「この寒さで飲むのは身体に毒だ。悪いが、わたしは先に休ませてもらうよ」
「おお、明日は寝坊するなよ」
彼は苦笑いして立ち去った。
「あの様子では一人で悶々と考えてそうだな」
「わかってるなら、なぜ引き止めなかったのだ?」
「酒の力で俺たちにぶちまければ、あいつもすっきりするかと思ったが、そう簡単には行かないらしい。だいたい寒いから飲むのは身体に悪いなんて聞いたこともねぇ」
そう言ってカノープスは杯を重ねる。
「ランスロットは酒に強くない。無理に進めるのも悪いだろう」
「だからって一人で溜め込むのは、もっと悪いぞ」
「それよりも兄さん、明日は大丈夫なの?」
その言葉にギルバルドとカノープスは顔を見合わせ、合図したように胸元から十二使徒の証を取り出した。ギルバルドのブラックアゲートもカノープスのラピスラズリも松明の灯りを受けてきらめいている。
「ザムンザなんて、あんまり馴染みもねぇ神様だが、この力を信じるしかねぇなぁ。しかし何だって俺が快楽神で、おまえが風神なんだか、あいつの考えは理解できねぇ」
「グランディーナと初めて会った時、酒に溺れていたって聞いたわよ。彼女には、その印象が強かったのではないの?」
「何っ?!」
「解放軍で賑やかなところには、たいがい中心におぬしがいる。快楽に相応しいのではないか? 第一、選ばれた者のなかで、おぬしのほかに快楽神を受けられる者もいないだろう」
「確かに、おまえのと俺のを取り替えたら、それもおかしな話だしな」
ギルバルドは笑って、どちらからともなく十二使徒の証をしまい込む。
だがユーリアの表情は曇った。神の威光を目の当たりにしたのに、またそれが見えなくなったからだろう。そうと気づいてギルバルドもカノープスも、ほとんど同時に彼女の頭を撫でて、同時に引っ込めた。
「おまえ、こういう時は兄貴に譲るもんだろ」
「いやだ、兄さんこそギルバルドさまに譲ってよ」
そう言いながらユーリアはギルバルドにしなだれかかった。
彼の方でも照れた顔ひとつ見せるでなし、当たり前のように抱き寄せるのだから、たいした進歩だ。
「なんだ、おじゃま虫は俺の方か。じゃあ、後は任せたぜ」
しかしカノープスがいなくなるとユーリアの表情は一変した。
「ギルバルドさま、どうか無事にお戻りくださいね。それと兄のこと、お願いします」
「わかっている。暗黒神の神殿がどのようなところかはわからぬが奴が無茶するのは目に見えるようだ。必ず連れて帰ると約束する」
「こんなことをお願いできるのはギルバルドさまだけなのですもの、どうぞ、兄と二人で無事なお姿を見せてください」
ギルバルドはユーリアを抱き寄せ、兄と同じ真紅の髪を愛おしそうになでた。
「ここまで来て、あなたを悲しませるようなことはしない。カノープスにもわたしにも、いつも以上に気を遣おう」
「約束ですよ?」
彼は返事の代わりにユーリアを力いっぱい抱きしめた。彼女の翼が、そのまま2人を覆い隠したのだった。
一方、留守番の責任者を言い渡されたヨハン=チャルマーズはゼテギネアの元帝国教会で療養中のチェスター=モローを見舞っていた。本来なら、ここにケビン=ワルドがいるはずなのだが、あいにくと彼は遠いザナドュで療養中だ。いい加減、傷は治ったころかもしれないが、どうせエンドラとの戦いには間に合わないから、そのまま残るように言い渡されていた。
「トリスタン皇子も入れて16人の方がカオスゲートに入るそうです。我々はゼテギネア城の外で待機しているように言われました」
「そちらの戦いは選ばれた方々にお任せしよう。あなたが来たのは主に元ホーライ勢の皆の処遇を話すためだろう?」
「ええ、仰るとおりです。ですが、あなたやケビンのようにトリスタン皇子直々にではありませんが、ケイン殿から声をかけられて、ほとんどの者が新しい王国に残ることになりそうです」
「なるほど、叛乱の芽はあらかじめ摘んでおくに限るものな」
「そう否定的になることもありますまい。我々の存在をトリスタン皇子が無視できなかった、そう捉えることもできるのですよ?」
「ものは考えようだな。だが悪くない」
「あなたに褒めていただけるとは思ってもいませんでした」
「俺だって学習する。あなたがいなければ我々ホーライ王国の生き残りは解放軍の到着を待たずに壊滅していただろう。このとおり、礼を申し上げる」
チェスターが、わずかに身を起こして頭を下げたのでヨハンの方が慌てた。
「無理をしないでください」
「いや、これくらい」
と言ったが彼は痛みに顔をしかめて苦笑いを浮かべざるを得なかった。
「まったくケビンに続いて、あなたまで大怪我を負ったと聞かされた時には肝を冷やしました。聞けば皆さんを庇ってガレス皇子のイービルデッドを受けたとか。無茶にもほどがありましょう」
「生き残っているのだからいいだろう。俺以外の者なら倒されていたかもしれん。そんなことはさせられんよ」
「以前のあなたなら、そのようなことは言いませんでした」
「そうだな、弱い者は要らないと切り捨てていただろう。だが彼らにも戦いに出る理由があるのだ、その意志を無碍にはできまいよ」
「あなたも副騎士団長になるのですから無理は禁物ですよ」
「その時は団長やケビンが止めてくれるさ。あれは、そういう人事なのだと思わんか?」
ヨハンは自分勝手なことをと呆れたがチェスターは呵呵と笑った。笑いながら痛みに顔をしかめる。
しかし彼らは当の騎士団長位を打診されたランスロットが、いまだトリスタン皇子に快諾の返事をしていないことを、しばらく知らないままであった。
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