Stage Twenty「暗黒の迷宮」
翌神竜の月20日、グランディーナが開いたカオスゲートに選ばれた11人と天空の三騎士、それに天使長ユーシスが入っていった。それが最後の戦いになると誰もが信じて。
けれども彼女らの想定は早々に裏切られた。足を踏み入れた〈魔宮〉シャリーアは見えるとおりに道が繋がっていなかったのだ。
それには賢者ラシュディの意志も関与していたのかもしれない。そのからくりに気づくよりも早く、皆は、ばらばらにされていた。
幸いにしてか意図的なものか、グランディーナはサラディンとともにラシュディと対峙した。全身の血が逆上し、冷静でいられなくなるかと思っていたが彼女は、そうでもない自分に驚いていた。長年、この時を心待ちにし、心のなかでは何十、何百回となくラシュディと戦ってきたからだろうか。
だが彼女が曲刀に手をかけると即座にサラディンに止められた。
「私も一緒に戦う!」
「器を持たぬおまえにできることなどない。下がっていなさい!」
「私だって、あなたの楯ぐらいにはなれる!」
「ガレス皇子のことを忘れたのか! 皇子が誰かを手にかけていたら、おまえはどうする?」
「しかし」
「行きなさい!」
サラディンの口調は鋭かったが、それでもグランディーナは躊躇(ためら)った。
その隙をラシュディが逃すわけがない。彼女は有無を言わさず、どこかへ飛ばされてしまったのだ。
「乱暴なことをなされますな。我が師、ラシュディさま」
「よく来たな、サラディン。まだ逆らうのか、おまえは?」
「いえ、自然の理に逆らっているのは師でございましょう。師を超える者などおりませぬ。なのに、なぜ師は力にこだわりまするか? 自然の法をまげてまで、力を手にしてなにをなさるのか。暗黒道の果てに何があるのか」
「ハハハ。いつから僧侶になった? 愚かな奴め。おまえにはわかるまい。果てを見る事のできる者の苦しみをわかるはずもない。さあ、おまえの力を見せてみよ。アルビレオを殺したおまえの力を。わしを超えられるか、おまえに!」
2人は同時に呪文を唱えた。
その凄まじい威力はディアブロの神殿を大いに震わせたので、皆に戦いが始まったことを知らせずにいなかった。
「ノルン!」
無防備な元法皇に襲いかかる悪魔をオズリックスピアが切り刻んだ。
「ラウニィーさま!」
「あなただけでも見つけられて良かったわ。早く皆を探しましょう」
「はい」
と言うなり、彼女は涼し気な笑い声をあげた。暗黒神の神殿にはおよそ不似合いな声音だ。
「どうしたの?」
「いいえ。天空シャングリラでも、こうして守っていただいたことを思い出したのです。あの後、クアスが見つかったので、それどころではなくなって有耶無耶になってしまいましたけれど」
「ふふっ、私はあなたが一緒で心強いわ」
「おや、私でお役に立ちましょうか?」
「ええ、もちろん。あなたといると暗黒神なんて何でもないって気になるもの」
「いいえ、私は恐ろしうございますわ。なぜ私などが選ばれたのか理解に苦しむくらい」
「私とデボネアのためよ。そうではない?」
「それならば、ようございますわ」
そう言ってノルンは、また涼し気な声で笑ったのだった。
「急ぎましょう。暗黒神が復活したら私たちでも手に負えないわ」
「待ってくださイ。悪魔に、こう邪魔をされては、ここから動けませんヨ」
とは言ったものの、スルストは手早く数体の悪魔を屠った。
それを見てフェンリルが移動を再開する。
〈魔宮〉シャリーアは半神たる彼女らにも厄介な構造だった。建物というより洞窟のような造りなのはいいが曲がり角や分かれ道の行き先が、でたらめに繋がっているのだ。
「侵入者避けに、わたしたちの知らない規則があるんでしょウ。フェンリルさん、試しに、あの先に水を飛ばしてもらえませんカ?」
彼女が分かれ道で言われたとおりにすると左の通路の壁が一瞬、光った。
スルストが近づいて調べると壁に宝石が埋め込まれており、フェンリルも確認した。
「罠ということはないの?」
「何を言ってるんですカ!」
彼は軽く彼女の背をはたいた。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずという格言もありますネ。それに、わたしたちには神の守りがあるじゃないですカ。たとえ罠だとしても解放軍の皆さんが引っかかるより、よほどましなはずですヨ?」
「それもそうね」
「それに何かあってもフェンリルさんとわたしが力を合わせれば百人力でス! 行きましょウ」
「頼りにしているわよ」
「もちろんでス!」
「ギルバルド!」
ランスロットが駆け寄ると、さすがの元魔獣軍団長も安堵したらしかった。
「おぬしが見つかっただけでも重畳、しかし魔獣も連れ込めぬ魔獣使いには手も足も出ないな」
「わたしとて得手なわけではないよ。ともかく早くみんなと合流しよう」
「うむ」
2人とも与えられた十二使徒の証を出しっぱなしにしていた。カオスゲートに入った時にしまい込んでいたのはグランディーナだけだったが出していたので灯り代わりになることを知ったのは幸いであった。
「神殿というよりも洞窟のようなところだな」
「天空の三騎士殿が仰るには魔界に近いところだそうだからな。サラディン殿が行かれたアンタンジルの方が近いのかもしれない」
その時、〈魔宮〉が大きく揺れたので、2人は顔を見合わせた。
「暗黒神が復活したのだろうか?」
「いや、誰かがガレス皇子や賢者ラシュディに遭遇したのかもしれん。2人に先を越されているといっても暗黒神の復活には早すぎるだろう。だが、こう見通しが悪くては、どこに、どう繋がっているのやら見当もつかぬな」
「入り口でばらばらにされたくらいだから、いつ離れてしまうかもわからないしな」
ギルバルドは少し考えて言った。
「ランスロット、お互いの十二使徒の証を持っていてみよう。少し動きづらいが、またばらばらにされるよりはましだろう」
「わかった。だが、どちらへ行く?」
「特に根拠もないが震動していた方に近づいてみるとしようか」
デボネアは襲ってくる悪魔を相手に、たった独りで剣を振るっていた。角を曲がると突然、現れたりするので油断がならず、神経がすり減る思いだ。
けれど、じっとしているわけにもいかない。このあいだにもノルンやラウニィーが傷つけられていやしないかと思うと、わからぬなりに進まなければならないという気になるのだが、その結果として悪魔と戦わされてばかりいるわけであった。
その一方で彼はフィガロとルバロン将軍のことを思い出した。それは、いまの彼には誰よりも心の支えとなった。
会うことはかなわなかったがヒカシュー大将軍やプレヴィア将軍のことも思い出された。
彼らのことを考えるとデボネアは改めて、ある考えに囚われるのを感じた。ノルンやラウニィーに打ち明けたら絶対に反対されるだろう。
しかし彼は広い世界を見てみたかった。ゼテギネアだけで終わるような剣士にはなりたくないのだ。
「デボネア、無事だったか!」
「フォーゲル殿!」
彼の考えは中断されたが、皆のことを案じるうちに一つの結論に達していた。
「この神殿、姑息な仕掛けが行く手を阻んでいる」
「そのようですね。そう仰るということはフォーゲル殿は、もう解かれたのですか?」
「うむ、バーサの加護のおかげでな、大地に仕掛けられた罠は俺には通用せん。だがユーシス殿や皆と、はぐれてしまった。一緒に探そう」
「心強いです」
それでフォーゲルは自身の鞘を指した。
「おぬし、これを持っているといい。俺と接触していればバーサの加護が受けられるから罠に嵌らないで済むだろう」
「ありがとうございます」
「さすがに悪魔には手こずったか?」
「いえ、それほどでは。数で来られるとわかりませんが1匹1匹は大したものではありませんからね」
「頼もしいことだ」
さすがに2ヶ月ほどつき合ったせいか、デボネアにもフォーゲルが、けっこう喜怒哀楽を表に出していることがわかるようになっていた。
だが考えてみたら彼が最初から竜頭だったのかは知らなかったし、興味も持たなかったのだから、おかしな話だ。
けれども、いまはそんなことに思い煩っている暇はなかった。フォーゲルと話すのは賢者ラシュディ、ガレス皇子、それに暗黒神ディアブロを倒してからでも遅くはあるまい。
そう考えてデボネアはフォーゲルに従ったのだった。
「あいてっ!」
何にぶつかったのかと思ったら杖だった。
「わたしです、カノープス!」
「何だ、ウォーレンか」
さすがの彼も安堵したようだった。だが面と向かって話すのは4ヶ月ぶりだ。互いの胸にかかった十二使徒の証が唯一の灯りである。
「無事だったか?」
「ええ、いま、悪魔を撃退したところです」
「さすがに暗黒神の神殿は一筋縄ではいかねぇ。こういうのは、あんたの得意分野だろう。何か、わかったことはないか?」
「無茶を言わないでください。暗黒神の神殿など、わたしだって初めてです。得意分野などというものではありませんよ」
「だからって誰かに見つけられるまで動かないってわけにもいかねぇだろうが? 魔法で何とかならねぇのか?」
「待ってください。そう急かさないで」
それでカノープスは、しばらくウォーレンのすることを見守った。魔法に関しては素人の彼が見てもいい手際だ。だが褒められてもウォーレンは嬉しそうな顔はしなかった。
「何だ、まだサラディンにこだわってるのか?」
「あの方とわたしとでは立ち位置が違いすぎます。ですが純粋に魔術師としての才能を比べた場合、わたしの方が劣っているのは否めません」
「だから魔法軍団長も受けてねぇのか?」
「それは、いま、しなければならない話とは思えませんがね」
「まぁ、そう言うな。そうやって何でも一人で抱え込むのは、あんたやランスロットの悪い癖だぜ。ゼノビアが滅ぼされて24年、誰にも頼れずにやってきたんだろうが、いまはそうじゃないだろう? それにゼテギネアまで落としたんだ、もうグランディーナやサラディンが今後も残るだろうって心配はなくなったと俺は思うんだがな?」
「ええ、そうあっていただきたいものですね」
話しながらもウォーレンは手を休めない。いくつか呪文を唱えたところで壁に光ったところがあった。
「宝石が埋まってるな」
素早く近づいたカノープスが見てとる。
「それが目印のようです。侵入者避けに複雑な仕掛けにしたのでしょうが、信者まで近づけないのでは都合が悪かったのでしょう」
「じゃあ、この宝石を見つければいいのか?」
「おそらくは」
「よっしゃ!」
カノープスが肩をたたいたがウォーレンは笑いもしない。
「あなたがトリスタンさまよりグランディーナを贔屓にしていることは皆が知っています」
「だったら何だ? 俺がトリスタン皇子に仕えちゃいけないとでも言うつもりか?」
「いいえ、なぜ彼女と一緒に行くと言わないのですか?」
カノープスは頭をかいた。
「そりゃあ、ギルバルドに先を越されたからだ。24年前は、あいつが俺に譲った。だから今度は俺が、あいつに譲る番だ。あいつの帰りを待って国を守るのも悪くねぇ」
「なるほど、そのような考え方もあるのですね」
「あんたは友だちとかいなかったのか?」
「いたかどうかも忘れてしまいました。ゼテギネア帝国に全て奪われたものですから。それに、わたしは一人でいる方が気が楽でしたから友人などは作らなかったのです」
ゼノビア王国の在りしころ、ウォーレンが、いつも一人でいたところはカノープスも見た覚えがあった。もっとも魔獣軍団の中隊長に過ぎなかった彼がゼノビア城に行く機会も、そうはなかった。
「ですが」
「ええ?」
「いまでは少し後悔しています。グラント殿とも、もっと話していれば良かったと懐かしい顔が浮かぶことがありますよ」
「だけどグラント=オフトマインはトリスタン皇子の義勇軍に加わっていたんだろう?」
「ええ、殿下が、そのように仰っていました」
「だったら解放軍の形は、いまと異なっていたかもしれないし、解放軍そのものがなかったかもしれん。もしかしたらランスロットだって、あんたの手を借りられなくて処刑されていたかもしれねぇぜ?」
「それは、どなたか、ほかの方がなさっていたかもしれないのでは?」
「いもしねぇ誰かのことなんて考えてもしょうがねぇだろう。グランディーナをリーダーに据えられたかどうかだって怪しいもんだ。あんたの人嫌いがまずったなんてことはなかったさ。終わり良ければ全て良し、だ」
「だといいのですが」
ここで初めてウォーレンが微笑んだのでカノープスも肩の荷が降りたような気がした。
「ですがエンドラの言ったことは、くれぐれも広言しないようにお願いしますよ」
「当たり前だ。ハイランドに分があったところで暗殺が正当化できるわけでもねぇしゼテギネア帝国の悪政も帳消しにはできねぇ。何より俺たちは24年も費やした、それが全部、無駄ではなかったとしてもな」
「そうですね」
グランディーナが気づくと別の部屋に飛ばされていた。少し広い部屋だったが彼女は、すぐに求める相手を見出した。
「貴様か、ガルシア。なんだ、その無様な格好は? さしずめサラディンにでも安全なところに避難させられたというわけか、ええ?!」
「滑稽だな、ガレス、いつまでお山の大将を気取っているつもりだ? 貴様の姉は悪行を悔いて死んでいったぞ。ゼテギネア帝国は終わった、貴様も少しは反省してみたらどうだ!」
「貴様ごときが姉上を知った風に語るな!」
曲刀と両手持ちの斧が派手な音を立ててぶつかり合い、火花さえ散った。
2人は、さらに二度三度と斬り結び、グランディーナは改めてガレスの技量の高さを認めざるを得なかった。全身を鎧に包み、両手持ちの斧を自分の速さに合わせられるのだから単純な力比べならば間違いなくガレスに分があったろう。
だが、まともに受ければ曲刀ごと腕まで叩き折られかねない攻撃も彼女は受け流して、かわした。それがガレスには癪に障るのだろう。そのたびに激しく打ち込んできたが彼女は、さらにかわしてみせた。
しかし彼女の曲刀は並の攻撃ではガレスの鎧に歯が立たないのも事実だ。
そうと気づいて、どちらからともなく2人は離れた。
荒れた息を整え直す。
けれども次の攻撃に移ろうとした刹那、視界の隅に魔術師然とした人物が現れ、グランディーナは我が目を疑った。
「ラシュディ?!」
「手を出すなよ! こんな小娘、俺一人で十分だ」
「結託するならすればいい! 2人ともまとめて倒すだけだ!」
だが賢者の口から発せられたのは彼女らの予想を完全に裏切る言葉だった。
「愚かよな、哀れよな、ガレス。己の立場にまだ気づかぬか。わしに力を与えられたおまえがわしと対等であるなどという妄想をいつから抱いていたのだ。おまえも、そこの娘もわしに言わせれば同じこと、おまえの姉はまだ己の立場をわきまえていたぞ。その器には大きすぎる力であったがな」
「ラシュディ、貴様!」
「間違えるな、ガレス。おまえの相手はその娘だ。そやつを倒してみせろ。そやつより優れていることを示してみせよ。話はそれからだ」
ラシュディからエンドラの話をされたことでガレスの戦い方に動揺が現れていた。先ほどまでとは違い、力任せに斧を振り回す。それだけの騎士が彼女の敵であるはずがない。
「動きが見え見えだぞ!」
鎧の微小な隙間から曲刀を突き刺す。確かな手応えがあり、グランディーナは、いままでのような鎧だけの存在ではなくガレス本人であることを確信した。
しかし鍛えられた肉体は一度刺されたぐらいで怯むはずもない。
「感謝するぞ。貴様のおかげで目が醒めた!」
「くっ!」
言ったとおりガレスの動きが戻った。両手持ちの斧を軽々と振るい、激しく斬り込んでくる。
だが、もはやグランディーナも己の力を出し切ることを躊躇っていなかった。否、躊躇ってなどいられなかった。
ラシュディが1人で来たのはサラディンを打ち負かしたからだろう。彼が生きているのに師を行かせるなどあり得ないからだ。
ならば彼女には、もうどんな未練もない。ガレス、次いでラシュディを倒し、そのために自分が破滅するというのなら、それが彼女の運命だったのだ。
カオスゲートを潜る前に胸元にしまいこんだサードニクスが、また輝きを放ち始めた。
その光はガレスを恐れさせたが、彼は鋼のような意志で抑え込んだ。
しかし彼の、ほんのわずかな動揺をグランディーナが見逃すはずもない。彼女は目にも留まらぬ速さで鎧を幾度となく突いた。
そのうちに鎧のところどころから血が吹き出してきた。彼女はここぞとばかりに、さらに攻める。
とうとうガレスの手が激しく震え、両手持ちの斧が音を立てて落ちた。
「おおお! 不死身のガレスが負ける、負けてしまう。む、無念だ。あと、少しで世界を、手に」
漆黒の鎧が崩れ落ちる。
「愚かな奴め。せっかくの魔力を無駄にしおって。どうやら、わしが相手をせねばならぬようだ。我が野望の邪魔は誰にもさせん」
「私がいることを忘れたか!」
「ガレスとの戦いで力を使い果たし、立っているのもやっとのはず、黙って、そこで見ているがいい」
「そうはいくか! 貴様を倒さなければ、この戦いは終わらない。覚悟するがいい!」
「ほぉ、十二使徒の証とヤルのタブレットがあるとはいえ、なお、そこで踏み止まるか。くくくっ、おまえをこのまま堕ちさせるのがもったいなくなったぞ。どうだ、わしと手を組まぬか? わしの魔術とおまえの剣技、向かうところ敵はなくなる」
「ふざ、けるな!」
グランディーナはラシュディに斬りかかったが見えない楯に弾かれた。
彼女は倒れていたガレスにぶつかったが黒騎士は、もはや微動だにしない。
その時、彼女の手にガレスの斧が触れた。曲刀では歯が立たなくとも両手持ちの斧ならば効くかもしれない。瞬時に、その判断をしたグランディーナは曲刀を収めると斧でラシュディを守る楯を破壊しにかかったのだった。