実は2回目。1回目はビデオで観ました。どうしても映画館で観たくて、新宿まで足を運びましたが、やっぱり観てよかった。ハン=ソッキュ氏の、どこまでも優しげに自分の周りのものを愛おしむ眼差しが素敵です。観るたびに印象の変わるシム=ウナ嬢演じるタリムも、ちょっと生意気で明るくて元気で可愛いです。誰にも見せないで大切に大事にしまっておきたいような、誰かれかまわず自慢して見せまくりたいような、そんな、宝物のような映画です。
写真屋を経営するユ=ジョンウォンは父と二人暮らし。ある暑い夏の日、彼は駐車違反取締員のタリムと出逢う。タリムは写真の現像をジョンウォンの元に持ち込み、彼を「おじさん」呼ばわりしつつ、足繁く訪れるようになる。けれど、ジョンウォンは病に冒されており、学生時代からの親友に、酒に酔った勢いで「俺はもうすぐ死ぬんだ」とうち明ける。「おじさんはなぜ私を見ると笑うの?」と不思議がるタリム。そんな彼女にジョンウォンはどこまでも優しい。二人の最初で最後のデートは遊園地、そして学校。タリムはいつかジョンウォンにひかれていた。秋の風が木枯らしに変わる頃、突然写真屋に現れなくなった彼の姿がいつまでも見えないことに苛立つタリム。秋が去り、冬が来てもジョンウォンはやってこない。とうとう彼に宛てて手紙を書いたタリムは、ある冬の日、腹立ち紛れに写真屋の窓ガラスを割ってしまう。その頃、ジョンウォンは突然の発作で入院していた。妹が彼の看病をし、「誰か来てほしい人はいないの?」と訊くが、ジョンウォンは「いい」と答える。小康状態になったジョンウォンは、最後の片づけをするために退院し、写真屋に戻る。ガラスの割られたあとを見つけ、タリムの手紙を読むジョンウォン。彼はタリムの働く駐車違反取締員の事務所に向かうが、彼女には会えず、喫茶店で時間をつぶす。春になり、写真屋はジョンウォンの父が継いだ。「外出中」の札を見つけて、タリムは嬉しそうに微笑むが、まだジョンウォンが亡くなったことは知らない。
淡々と描かれる日常、日本の下町にも似た町並みは、決して派手ではありません。ジョンウォンの毎日も、たまに挟まれる病院のシーンがなければ、平穏無事なものです。このトーンはジョンウォンが親友に「俺は死ぬんだ」とうち明けてからも変わることはありません。自分の周りのもの、同居している父や妹一家、写真屋にやってくるお客たちに向けられる彼の眼差しはどこまでも優しく、穏やかなものです。彼はやがて自分が去ってゆく世界、この小さな世界を愛おしんで、懐かしんで、それらを傷つけることなく、一人で去ろうとしているのです。
劇的な感動はありません。難病ものにつきものの、感動的なシーンは1つもありません。退屈ですか? センスがないと言いますか? けれども優しげに全てのものを愛おしんでいるジョンウォンが、初めて笑顔を浮かべてタリムを見られなくなった時、彼の気持ちに思いっきり感情移入していた私はただ泣くしかありませんでした。ガラスと手の使い方がうまい!
このラスト、「生きる」のラストシーンを彷彿とさせます。黒澤監督の名作。世にも有名な、雪の降るなかでブランコに乗って「ゴンドラの歌」を口ずさむ志村喬さんのシーンです。黒澤監督の映画で好きなのを選べと言われたら、「白痴」「七人の侍」「生きものの記録」「我が青春に悔いなし」とこの「生きる」を推奨します。見たことない人、見ておいた方がいいよ。「どですかでん」までの黒澤映画は本当におもしろいっすよ。個人的には「生きる」でいちばん泣いちゃうのは、ラストよりも菅井きんさん(「ムコ殿」のあの方です。黒澤映画の常連さん)が志村さんに傘を指してあげるところなんですけど。
けれども「八月のクリスマス」には「生きる」のような葬式シーンもない。どこまでもジョンウォンの眼差しで、世界を愛おしんで、そして去ってゆく。その優しさに包まれるような、そんな映画であります。
お父さん役をわざわざ書いたのは、実は「反則王」のお父さん役と同じ人だからです。あっちはコメディなので言われるまで気づかなかったすよ。
(了)