初恋のきた道

初恋のきた道

中国
監督:チャン=イーモウ
出演:若い頃の母(チャン=ツィイー)、私、若い頃の父、今の母、ほか
音楽:
見たところ:厚木シネマミロード

 映画で泣くには2パターンあります。「聖なる嘘つき」「蝶の舌」みたいに涙が止まらないのと、「山の郵便配達」みたいに見てるうちに涙が1滴、2滴とこぼれてしまうのと。この映画は後者です。期待して行って裏切られませんでした。素直に泣ける、そういう映画です。

現代が白黒で過去がカラー。「オズの魔法使い」ですな。でもその違いが良いです。初々しいお母さんとお父さんの恋は、風景の美しい村にお似合いの絵で、お父さんの葬儀を巡る現代は色のない映像がいい感じです。

でも、いちばん泣けたのは、お父さんの葬儀のところでした。村の伝統で、亡くなった人を棺に入れて担いで帰るんです。家路を忘れないように、曲がり角では「もう帰りますよ」と声をかけながら行きます。でも村は過疎地で若者は残っていません。主人公は近隣の村から人を雇っても母親の願いを叶えてあげたいと思うのですが、実際には100人以上の人が集まって無償で手助けをしてくれました。父親はこの村にやってきた初めての教師で、40年以上も教壇に立っており、その教え子だという人々でした。母親と主人公を先頭に葬儀の群れは立ち止まることなしに村に帰ります。担いでいる人が疲れてしまわないうちに他の人がすかさず交代するのです。吹雪のなか、主人公からお金を託された村長はそれを返しました。「誰も受け取ろうとしない」と言って。

葬儀というのは、死んだ人のためではなく、生きている人のために行われるものだと思います。最後の別れも最後の挨拶も、生きている人のものだと思います。そう思わせるシーンでした。

原題が「私的父親母親(中国語では「的」は「の」の意味で使います。だから「私の父親(と)母親」ってこと。そのまんま)」。邦題はうまいタイトルをつけました。英語をそのまんまカナにしたような映画は中身もそれなり。やっぱりタイトルから見せないとね。

(了)

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