行商人

行商人

イラン、1987年
監督:モフセン=マフマルバフ
出演:ゾーレ=サルマディ、エスマイル=サルマディアン、ベヘザード=ベヘザードプール、ほか
見たところ:渋谷シアターイメージフォーラム

 お気楽に見に行ってすごいしっぺ返しを喰らった。そんな映画。こんな毒のある映画は滅多に見ないなぁ。

イランの貧困層を描いた全3話のオムニバス映画。「幸福な子」「老婆の誕生」「行商人」が各タイトル。3話とも登場人物が作中でわずかにクロスしていますが、基本的に関連はありません。

オープニングから異様。ホルマリン漬けの赤ん坊の標本(ベトナム戦争のとか思い出してくれれば良し)がずっとバックでくるくる回っている。人形だとしても鉤針で吊されて真っ白なのは不気味。エンディングも同じ映像。イランで最大の観客動員数を誇る監督は一筋縄ではいかない人のようです。

異様なオープニングの名残のまま第1話。

 貧しい夫婦に子どもが生まれた。従兄妹同士の結婚のせいか環境の悪いせいか、二人の子どもはみんな足が悪く、知恵遅れの子もいる。うちで育てれば不幸になるだけだ、そう考えた二人は子どもを病院に、施設に預けようとしたり、寺院で置き去りにして誰かに拾ってもらおうとする。最後に夫が昔働いていたという金持ちの善意を期待して子どもを置いていくが、行き着いた先は子どもの病的な笑い声が響きわたる施設だった。

ホラーじゃないですよ。でもこのラストにはぞーっ。し、幸せな子? なんつータイトルだ。

という気分を引きずったまま第2話。

 今度はちょっとおつむの足りない息子とその母親の話。母親は車椅子に乗っていて、ほとんど動けず、身の回りの世話は息子に頼りきりだ。息子はいい歳なのだが、ママのせいで働きにも行けないし幸せになれないと愚痴をこぼす。二人は母親の年金で暮らしていて、ある日、受け取りに行った息子は交通事故に遭い、なけなしのお金を盗まれてしまう。ここで第1話の夫婦が息子の買った物を拾い集めに登場。母親は車椅子の上で息子の帰りを待つが、彼が白鳥のボートに乗って通りかかり、「さようなら、ママ。僕は結婚して幸せになるよ」と去っていく幻を見ながら死んでしまう。その後、通りかかった夢のような馬車に生まれ変わった老婆が乗っているのを見る。しかし傷の癒えないうちに我が家に帰ってきた息子は、母の死にも気づかないままいつも通りの暮らしを続けるのだった。

竹宮恵子さんの短編で老人が幼児に生まれ変わる「ミスターの小鳥」という話を思い出しましたが、あんなロマンチックじゃない。なにしろ息子のキャラクターがすごい変で、偏見承知で言わせてもらえるならば、頭いかれてるんじゃないのって感じ。で母親は台詞もなければ声も出さない。たまに眉毛がぴくぴくってぐらいの「棺桶に片足突っ込んだ」ような状態なわけでして、そういうキャラクターを主人公に据えるんですから、ストレートな話のはずはないですな。

で第3話。

 とある行商人の男がボスに呼び出された。屈強な手下に囲まれた男はびくびくと自分が殺されるかもしれないという妄想を再三再四抱いていた。ボスの用事は新しい仕事の話だったが、男は仕事の話もそっちのけで自分は秘密を守るから殺さないでくれと涙混じりに訴える。実は男の仕事仲間がこのボスの命令で殺されたところを彼は目撃していたのだ。そこにその事件の犯人を追って警察が現れる。男は秘密を守り通したが、次の仕事を話したボスはその臆病さに呆れ返り、「おまえには失望した」と言って手下に殺させてしまうのだった。

男の妄想が4回くらい入ります。「七年目の浮気」みたいにリアルなの。これがどこぞの映画と違って、男の臆病さにこっちまでいらついちゃうぐらい効果的なんですわ。さすがにうまい。妄想の途中で生まれ変わった老婆の乗った馬車とすれ違うのがわずかな接点。ただし、話としてのインパクトは圧倒的に第1話が勝っていて、3話にいたってはボスが刑事コジャック(きゃあぁぁぁ! 森山周一郎さぁぁん!)みたいな親父だなと思ったぐらいでありました。

おかげでこの後見た「サイレンス」の印象がちょっと薄い。なんというか、おっかねぇ映画でありました。

(了)

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