3時間もの大作のため、「酔っぱらった馬の時間」とどーしても時間がかみ合わない。やむなく「木曜組曲」まで合間に見ちまったという、疲れた一日。しかし、大河ドラマとして堪能させてくれる力作です。親子3代を演じきったレイフ=ファインズ氏にも拍手ー。
19世紀のハンガリー。居酒屋を経営していた父の死により、ブタペストに出てきたエマヌエル=ゾネンシャインは、父の秘蔵のレシピ「太陽の雫」という薬草酒で一財産を築き上げる。エマヌエルには二人の息子がいた。判事の道を選んだ長男イグナツ、医者の道を選んだ次男グスタフだ。また兄弟の下には、エマヌエルの亡き弟の娘ヴァレリーも養女として一緒に育てられ、ヴァレリーは先進的な女性として写真家の道を選ぶ。しかしゾネンシャインというユダヤ人らしい名前では栄転が望めぬと知り、イグナツはグスタフ、ヴァレリーとともにショルシュという名前に改名する。厳格なユダヤ教徒のエマヌエルと妻ローズだったが、従妹であり義妹でもあるヴァレリーとイグナツの結婚を許し、2人のあいだにはイシュトヴァーンとアダムという2人の息子が生まれる。権力の側に立つイグナツと、民衆の側に立つグスタフはしばし対立するが、間もなく第一次世界大戦が始まり、イグナツは家族を置いて従軍する。敗戦と同時に皇帝と父という権威を失ったイグナツに、ヴァレリーは離婚を申し出る。ハンガリーに共産主義政権、次いで軍事政権が興って、共産政府の幹部だったグスタフはフランスに亡命したが、イグナツも体調を崩し、ローズも亡くなり、一家の長は戻ってきたヴァレリーとなった。イシュトヴァーンとアダムは、ユダヤ人ということでしばしば差別されるが、アダムはフェンシングに才能を示して、その実力はベルリン・オリンピックで金メダルを受賞するほどだった。だが、アダムは義姉グレタと逢引きを繰り返してもいた。やがてハンガリーはドイツに併合され、ユダヤ人への締めつけは以前と比べものにならないほど厳しくなる。収容所に入れられたアダムは息子イヴァンの前で、最後までハンガリー人の金メダリストの誇りを失わずに拷問で殺されてしまう。そして終戦、収容所から帰ったイヴァンは、もはや一家で残っているのが祖母のヴァレリーだけであることを知るが、そこにグスタフが戻ってくる。グスタフの斡旋で警察に就職したイヴァンは、ファシスト狩りに励むが、粛正の嵐が吹き荒れていた。そしてイヴァンは、元上司のクノールが粛正のターゲットになり、拷問死したことをきっかけに反体制の道に入り、刑務所に入れられてしまう。戻ってきた彼を出迎えるヴァレリーは、「それでも人生は美しい」と諭し、やがて亡くなった。古い家具を片づけたイヴァンは、荷物のなかから曾祖父エマヌエルが、祖父イグナツに送った手紙を見つける。その言葉はイヴァンのなかで、曾祖父、祖父、そして父の言葉となって響いた。自分のために生きなおしてみよう。イヴァンはショルシュの名をゾネンシャインに戻して、新しい人生を歩き始めるのだった。
主役はイグナツ、アダム、イヴァンの3人だと思いますが、それよりも強い存在感を見せるのが、3代の男たちと関わるヴァレリーでありまして、真の主役はやはり彼女ではないかと思います。3人とも、女性に引張られるようなところがあって、「女は強し」というのがこの映画のメイン・テーマではないかとか思っちゃったりして。
この映画も、密かにホロコーストというテーマを抱えているのですが、こうしたホロコーストもので、たきがは、初めて「なぜ2000人もいて13人の警備兵と戦わなかったのか」というたぐいの言葉を聞いたような気がします。フランス帰りのグスタフがイヴァンに言う台詞なんですが、これはもう後世になって言ってる。だけどホロコーストものの本とか漁りますと、当のユダヤ人自身が、それほどの危機感を抱いていないんですね。「いつもの迫害がちょっとひどくなったぐらいだろう。じきに終わるだろう」ぐらいに考えているのがわかる。ユダヤ人への迫害はそれこそ中世(キリストの死後から?)からずっと続いてきていますが、絶滅まで考えたのはなかなかいなかった。ナチス・ドイツの発想はそういう意味でも超絶しておりまして、ほんとに絶滅させる気でいた。でも、それほどの危機感を抱いたユダヤ人はごく少数で、また当時、収容所から脱出したユダヤ人がアメリカとかヨーロッパで収容所であったことを話しても本気にされないというのもあったらしく、「ぬるま湯につかった蛙」を思い出しました(最初から熱いお湯に入れると蛙は逃げ出すけど、徐々に温度を上げていくと、そのままゆで上がってしまうというやつ)。
それでも人生は美しい。胸をはってこう言える人生を送りたいものですな。
(了)
上記のホロコーストに関する記述で「ホロコースト事典」読んだんで訂正。「なぜ2000人もいて13人の警備兵と戦わなかったのか」という台詞ですが、実際に両親を収容所で殺された方曰く、「ドイツの捕虜となった赤軍の兵士でさえ戦わなかった。兵士でもなく、武器も持たないユダヤ人にそんなことを言う資格はない」と。収容所に送られる前にすでにゲットーなり、ユダヤ人への迫害なりで気力もそがれ、生存そのものが絶望的な環境に置かれた人びとが、たとえ数で圧倒的に勝っていたとしても、実際に兵士として訓練されたわけでもないのだから、そのようなことを言うのは間違いだと言うわけです。その当時、情報も限られたものしかなく、当然、いまのようなインターネットもなく、電話さえ不自由だった人びとのとった行動を、現代のいろいろなことを知り、通信環境なども恵まれた立場にある私たちが短絡的に批判してはいけない。なるほどなぁ、と思い、ここに訂正する次第です。