2年ぶりに映画館行ったです。監督のインタビューで印象的なものがあったのでこちらにメモ。
1943年、スターリングラード(現ボルゴグラード)敗退後のドイツ・ミュンヘン。大学生のハンスとゾフィーの兄妹は反ナチスのビラを送付したり、反ナチのスローガンを壁に書いたりしている「白バラ」の一員。2月17日、反ナチのビラを送ろうとしたところ、紙不足のために封筒が足りず、ビラが余ってしまう。ハンスは危険を冒してゾフィーとミュンヘン大学でビラを置こうとするが、兄妹は現行犯で捕まってしまう。最初はしらを切り通したゾフィーだったが、自宅から決定的な証拠が出、兄も自白したと聞いて、勇気を奮い起こして尋問官モーアに己の信念を伝えるのだった。
「白バラ」というのは実在してました。映画ではゾフィー、ハンス、クリストフの3人だけが処刑(ギロチンですよ。しかも時間短いので後の2人は前の人の首とか血の痕とか見てるんじゃないかと)されてますが、実際は6人が処刑され、10人に有罪判決が出たという厳しいものだったそうです。パンフに年表つき。
彼女らは何も暗殺とか、破壊とかしたわけじゃない。単に「反ナチス」を訴えるビラを撒いただけ、それなのに逮捕から5日で裁判、即死刑されてしまいました。これは、ドイツがスターリングラードでの敗北後、イギリスへの空爆も成果が上がらず、たぶん、もうじきアフリカ戦線でロンメル将軍も負けるか、もう負けたんで、いままでの勝利一色に影が差してきたからではないかと思います。ここらへん、十五年戦争中の日本と似てますね。負けても報道させない。「勇気ある転進」とか言って国民だまくらかして、まぁ、同盟国同志で、どっちも全体主義国家ですから、やること似てます。
さらに印象的だったのは、ハンスが裁判中に「国は我々(前線で戦ってる兵士のこと。ハンスは兵役経験者)を恐れている」と言うんですな。「私は貝になりたい」でも書きましたが、「国が国民の何を恐れているのだろう」と。実は負けていることを知られるのを? 勝てない戦いにかり出したことを知られるのを? 真実を知られるのを? 自分たちのしていることが正しくないと知られるのを? その全てであり、たぶん、もっと理由があり、ああ、わしの感じたことって、きっとドイツの人たちも思ってた、という確信を得ました。
ドイツ映画らしく、抑えて、派手な盛り上がりとかないんですが、音楽がちょっとうるさいかも。せっかく俳優陣が抑えた演技してるんだから、ゾフィーたちがたとえば尋問に向かう時、死刑を宣告されて裁判所を出る時とか、もっと音がなくてもいいと思います。ハリウッド映画みたいにじゃかじゃか伴奏で「泣け〜!」とか「恐がれ〜!」というのはよけいなお世話ってもんです。これだけ惜しいかな。
ラスト、出番はほとんどないのですが、裁判で証言しようとして追い出され、処刑間際の面会に来た両親が印象的で、ここだけ涙。ゾフィーやハンスの信念は父の「正しいと思うことをしなさい」という教えにあるのだけれど、すでに60歳になるという母の存在がゾフィーの言う「病気がちで」というだけで薄かったんですな。それが、最後の時にゾフィーが母に「勇気をありがとう」と言う。ああ、両親の教えが彼女を強くし、正義に殉じさせてしまったのだなぁと思って泣けました。ゾフィーの場合はプロテスタントでもあるので、処刑の直前に神父に来てもらって、支えてもらう、というシーンもあるので、「私は貝になりたい」では僧侶がほとんど役に立ってない(そもそも処刑される経緯が違ったりするわけなんで、純粋に比較できませんが)のと対照的。
欠点とかでなくて、気になった点をば。ゾフィーの両親は強制収容所送りにならなかったんでしょうか? 戦時中に大学まで行ってた兄妹が恵まれた家庭にあるのはわかるんですが、逮捕して速攻で裁判、処刑、となったほどの重罪に問われた二人の家族って収容所に行かされそうな。でも、そういう記述はパンフには見当たらず(映画は常にゾフィーの視点で描いてるので、死後のことは当然ない)。あと、尋問中、ゾフィーが拷問とか受けてないんだけど、ほんとかな? 「灰の記憶」で、拷問受けてたのはユダヤ人だったからなのかなー? ただ、映画はゾフィーが拷問受けたかどうかが主題では当然ないので(ハンスやクリストフも拷問受けてないっぽい)気にするほどのことではないのでしょうが、「聖なる嘘つき」とか見てるとやっぱり拷問されてるし(ユダヤ人だけど)、「我が青春に悔いなし」でも原節子さんはともかく、藤田進さんは拷問されてたぽかったし、特高といったら、即拷問がイメージなもんで、つい。
(了)