ホロコースト物。「シンドラーのリスト」「SHOAH」「コルチャック先生」「モロク神の肖像」「聖なる嘘つき」「遙かなる帰郷」「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」「夜と霧」「ナチ収容所の素敵な生活」「On The Way」「銀幕のメモワール」「この素晴らしき世界」「太陽の雫」「戦場のピアニスト」と、ホロコースト物は数々観たたきがはですが、この「灰の記憶」、個人的に秀逸の出来であると思います。
1944年、ポーランド。第2アウシュビッツと呼ばれたビルケナウ絶滅強制収容所に、ゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤ人がいた。彼らは、わずか4ヶ月の延命と特別待遇と引き替えに、同胞のユダヤ人をガス室に送り、死体処理作業を行っていた。彼ら、第12期のゾンダーコマンドたちは、自らの死がそう遠くないことを悟り、収容所の焼却炉を破壊する計画を立てていた。彼らに協力するのは、軍事工場で働かされる女性囚人たちで、火薬を抜き取り、弾を男たちに渡していたのだった。だが、収容所内の摘発で隠していた火薬が見つかり、女たちは激しい拷問にさらされ、彼女らがそれに屈しないことを知ったSSは、同じ棟内の囚人たちを一人またひとりと報復処刑するが、彼女らは電気鉄条網に身を投げ、火薬の渡した先を秘すのだった。一方、ハンガリーからの大勢のユダヤ人が到着した日、いつものように彼らをガス室に送り込んだゾンダーコマンドの一人ホフマンは、夥しい死体のなかにたった一人、生き延びた少女を見つけ、ユダヤ人でありながら、妻子を人質にとられてメンゲレの人体実験に協力するニスリ医師の助けを求める。少女は奇跡的に一命を取り留めるが、それはちょうど、ゾンダーコマンドらの反乱が起きた日でもあった。圧倒的な武力の差がありながら、彼らは焼却炉の一部を破壊し、戦った。じきにその反乱は鎮圧され、生き残ったゾンダーコマンドら200人以上が報復措置として処刑され、彼らが助けようとした少女も、殺されてしまうのだった。
この映画、視点がまるでゾンダーコマンドのだれかから見ているようで、そこが他の映画と違います。俯瞰的に見下ろすことがない。傍観者として見下ろさないカメラ、まるで自分たちがその時代、その場にいるような錯覚、とはちとオーバーとしましても、その視線がすごいな、と思いました。ゾンダーコマンドという想像を絶するような役割を押しつけられた彼らの視点、あるいは拷問にさらされる女性囚人の視点、死体は出てくるし、救いはないし、絶望で胸が痛くなるような映画なのですが、最後まで視線を外すことができんのでした。
映画評論家としては格別評価もしてないんですが、かつておすぎさんが「シンドラーのリスト」を「ホロコーストのテーマパーク」と評したことがありました。たきがは、あの映画ではラスト10分ほど涙をしぼられまくりましたが、スピルバーグのアカデミー賞欲しいがあれほど露骨に感じられた映画もなくて、泣いてるんだけどなんかそういうところで冷めてる、という大変奇妙な感動を覚えたことがありまして、そういう感想を持ったもんとしては、「ホロコーストのテーマパーク」というのは言い得て妙だなと思ったもんです。それは、アカデミー賞欲しいの露骨さもさることながら、「こんなひどいことをやった連中がいました。こんなに偉いことをやった人がいました。こんなにかわいそうな人たちがいました」という、感動を押しつけているようで、実はいちばん感動しているのは当の監督自身で、そのくせどこか計算高さも見え隠れしているといった、感動の安売りというか、たきがは嫌いですが、ディズニーお得意の夢の大安売りという感じなのだろうな、と思うのです。ゾンダーコマンドのさせられていたことは、人間としてはそれこそ究極の選択だと思うし、彼らに協力する女性囚人たちも痛ましい。でも、この映画はその安易な感動、「なんてかわいそうなんだろう」などという後の時代の私たちの安売りしてるような同情など是ともせず、「こんな時代がありました。こんなことをさせられていた・していた人たちがいました。ではいまのあなた方はどうするのですか?」という、人間への問いかけをしているのではないだろうかと思うわけです。そういう点でも、この映画、今年のたきがは個人のベスト・ワンでございます。
(了)