それは目黒の映画館で私は映画を見ておりました。「シュリ」との二本立てでもう1本がこの映画でした。それが最初に見たきっかけです。けれども映写機の調子が悪くて「地雷を踏んだらサヨウナラ」は残り3分の1が見られなくなってしまいました。それがかれこれ2年前(1999年8月)のことでした。
この映画では私が理想とする国外、要するに母国語の通じないところでのあり方を主人公、一之瀬泰造は生きていました。現地の言葉によるコミュニケーション、映画のなかでの彼のあり方は、つい1ヶ月前に行った記憶にも生々しいアンコール・ワット、カンボジアのイメージもあって妬ましいくらいに理想的でした。フリーの戦場カメラマンとして東南アジアの戦地を生き抜く主人公は、休みともなればカンボジアの村でクメール語を喋り、現地の子どもたちと遊び、現地のレストランのおかみさんの料理をほめ、カンボジア人の親友がいるのです。
私がこの映画にひかれたのは、まずそうした主人公のあり方でした。で、たいていはキャラクターに惚れ込んで、演じる役者さんには興味を持たなかったりするんですが、浅野忠信という役者にははまったわけです。彼の視線がいい。アンコール・ワットが撮りたいといって見上げるその眼差し、いいなぁと思いました。
完全に見たのは、よく行く銀座シネ・ラ・セットの5周年記念オールナイト3本立てでです。他に「シュリ」「ブラス!」やってました。覚えていた以上に死が隣り合わせにあるカンボジア、あるいはベトナムで、彼はまるで生き急ぐように駆け抜けてゆきました。そんな合間に見せる、心和むシーンは、カンボジアの村に住み着き、村の子どもたちと遊んでいるところです。当たり前のように交わされる会話、けれど彼は次の瞬間には戦地にいて、友人の死に出くわすのです。
アンコール・ワットはすごいところでした。想像していた通りっていうか、想像以上っていうか。去年行ったばかりなのにまた行きたくなります。飽きることがなさそうな、ずっとそこが見ていたいような、だからよけい、主人公がアンコール・ワットにあこがれる気持ちがわかるような気がしたのかもしれません。なにしろ今でこそ我々が自由に行くことのできるカンボジアはつい10年前まで内戦のただ中にあったんですから。
サウンドトラックを買ったら、予告編のムービィがついてました。嬉しかったんですけど、一ヶ所だけ不満があります。テーマ曲が携帯の着メロにダウンロードできる機種に買い換えようか、けっこう大まじで悩んでます。だって「ワンス・アポン・ア・タイム 天地大乱」も着メロに入っているっていうからさ。
(了)