世界最大の領土モンゴル帝国の創始者、蒼き狼チンギス・ハーンの、初の地元モンゴル製作の映画。本物のモンゴル製だから、人物も風景もそのまんま。なんといっても長い間、中国の影響で悪役にされていたチンギス・ハーンを、民族の英雄として再認識されるようになってから撮った映画というところに意義があります。
物語はそのチンギス・ハーンの、モンゴルの長に復帰してから死に至るまでを描いており、最初から最後まで(掛け値なしにエンドクレジットまで)重要な役割を果たすのが、チンギス・ハーン、テムジンの父エスゲイを裏切った架空の人物チョルーゲンで、彼の描かれ方にはまったために見事ベストテン入りしちまいました。
マイナーな映画には珍しく、レーザーディスクも出たものだからしっかりと買いましたが、いちばん最初に見た時のあの衝撃的な感動がまた味わえるかどうか不安がありまして、実は封も切っておりません。そういうことってないですか? 初見で震えるほどおもしろかった話が二回目は大したことなかったとかさ(漫画でもあるの)。ただ、最初に受けたあの衝撃は紛れもなく本物だと思うので、この映画についてはそれを大事にしておきたいなと思うわけであります。いつか見るかもしれんけどね。
この感動というものを確かめたくて何回も同じ映画を見るというのはよくあります。見るたびに新しい発見のある映画にはたいていはまります。その最たるものが「シュリ」というわけです。同じ路線でハード・ゴア・サスペンス「カル」も大好きだったりします(これのサントラええでっせ)。脱線したので話を戻そう。
チョルーゲンがエスゲイをタタル族に売ったために結局自分も追われることになり、ついにチンギス・ハーンに追いつかれたところから話は始まります。殺しても足りない相手ですが、チンギス・ハーンは彼の舌を切り、自分に犬として仕えさせます。口から鮮血を滴らせながら、彼は馬頭琴を奏でました。雪と血のコントラスト、それに哀切を帯びた馬頭琴の旋律、なかなか印象的な出だしです。
中盤はチンギス・ハーンの国盗り物語。出番少ないけど、実母ホエルンの登場が話を締めてくれます。夫亡き後、女手ひとつでテムジン兄弟を育てた肝っ玉母さん。途中で従兄弟との確執と和解が描かれるところは、長いのと展開が理解できないところもあってちょっとだれちゃう。
母が死んで、自分も死を予感するようになったチンギス・ハーンはチョルーゲンを犬の身分から解放します。それまではチンギス・ハーンの足下で、本当に犬のように寝ていたのです。またチンギス・ハーンは己の死に際しては、彼を自分のもとから去らせます。
ようやく自由の身になったチョルーゲン。けれども、チンギス・ハーンが自分の死を秘しておくよう命じたため、その葬列から離れがたくていた彼を、部下が切り捨ててしまうのです。
彼の屍は草原に倒れました。けれどそこから立ち上がったチョルーゲンの魂は、死してもなお、チンギス・ハーンを追いかけてゆくのでした。その後ろ姿と遠景にチンギス・ハーンの盛大な葬列。そこにエンドロールがかぶさった時には涙々でした。
この衝撃的なラストシーンというのは、実は「聖なる嘘つき」とか「蝶の舌」に通じるものがあります。途中まで平気な顔をして見ていたのに、場内が明るくなった時には恥ずかしいくらい泣いていたというところ。だから「チンギス・ハーン」はもう1回見るのがちょっと怖い。大画面で味わったモンゴルの草原がテレビだとちっちゃなものに収まってしまいそうで、それが嫌だからテレビでは極力映画を見たくないんですよ。どんなに大きくたってたかがテレビじゃないですか。どんなにきれいだって言ったって本物には決してかなわない。事情は人それぞれだと思うんだけど、テレビで映画を見てて「映画好き」を名乗らんでほしいと思う(だから何の話だっつうの)。
(了)