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ホテル・オイロペスキー ワルシャワでの拠点。駅から10分以上歩く。 こちら向きの窓のうち、3階の左から2番目の部屋に宿泊。 ポーランドでは日本の1階は0とし、2階から1、2階と数える。 |
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ホテルの部屋 クラクフの部屋に比べるとシャワーもついているし、広い。 |
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ヨーゼフさん再び ヴィエリチカで名字のわからなかったヨーゼフなんとかさんの像。 |
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無名戦士の墓 サスキ公園内にあってホテルの部屋から見えた。 第2次世界大戦に限らず、ポーランド人の全ての無名戦士の墓である。 20日は昼までひどい霧だった。 |
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サスキ公園 無名戦士の墓の背後。 公園の中に石像があるが、名前を見ても何だかわからず。 ギリシャ・ローマ神話が題材でないとするとポーランドの民話かも。 聖人の格好ではなかったので。 |
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国立劇場 サスキ公園の脇にある。 無名戦士の墓を見て、右手。 リア王とか上演中だったよう。 |
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ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑 表と裏から見たところ。 一帯は住宅地になっており、ゲットーの陰は残っておらず。 |
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クラシンスキ宮殿 この向こうでは大規模な土木工事中。 内部の見学はできなかった。 ワルシャワにはサスキ公園以外にも大きな公園がいくつもあり、緑豊かな町である。 |
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ワルシャワ蜂起記念碑 こちらは1944年8月のワルシャワ市民の蜂起。 近隣まで迫ったソビエト軍の援軍を得られず(ポーランド亡命政府がロンドンにいたためと言われる)、2ヶ月で敗北、ワルシャワは灰燼と化す。 |
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教会 ワルシャワ新市街。 この近くにキュリー夫人の博物館があったが、解説がポーランド語のみのため、よくわからず。 |
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バルバカン この中を通ってワルシャワの旧市街に入る。 クラクフに比べると旧市街はずっと狭い。 また戦後の復興のため、建物自体は新しい。 生き残った市民の記憶を頼りに建物のひびまで復活させたというんだから、恐れ入る。 |
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旧市街の城壁 バルバカンより城壁を臨む。 |
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新旧市街の境目 右手が新市街、左手が旧市街。 |
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旧市街の広場 クラクフに比べるとずっと狭いのも当然で、ポーランドの首都は長いことクラクフだった。 中央の白っぽい建物が歴史博物館。 古代から現代まで資料の充実度に圧倒される。 |
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旧市街の広場2 歴史博物館から出てきて反対側をぱちり。 カフェ、レストラン、土産物屋などが集まっている。 |
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王宮の中庭 戦後に復興したワルシャワ王宮。五角形をしている。 日曜日に行ったら、すごい人出で見学を諦め、月曜日に出直した。 |
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ユーゼフ=ポニャトフスキ像 タデウシ=コシチューシコと並ぶ救国の英雄。 「天の涯まで〜ポーランド秘史」を読むとよくわかる。 背後にあるのが大統領官邸のため、これ以上、近づいて撮らせてもらえなかったのが残念。 |
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コペルニクス像 背後にポーランド科学アカデミーがあり、いかにもな人選。 クラクフ、ヴィエリチカに次いで3体目だから、コペルニクスの人気が忍ばれる。 出身地トルンには甘いコペルニクス・クッキーもあるとか。 |
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教会2 町がコンパクトにまとまっていたクラクフと違い、ワルシャワは首都のせいか、やたらに広い。 20日には時計代わりのポケット・ピカチュウが2万歩を越える。 |
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用途不明 ツィタデラ大監獄跡に行く途中で発見する。 トイレではないけど倉庫にも見えず…。 |
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ツィタデラ大監獄跡 月曜日で見学できなかった。 一部が博物館となり、残りは軍の基地となっている。 帝政ロシアによって建てられた、ポーランド圧政史の証人の1つだそう。 |
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ワルシャワ新市街 左手の階段を昇るとワルシャワ新市街へ。 背後はヴィスワ河と6車線もの道路。 周囲は公園になっていて高校生がクラスでスケッチに来ていた。 |
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教会3 上の写真の中央の建物を近づいて写したところ。 この日は朝からいい天気で、コートを着ていると暑いくらいだった。 |
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ジグムント3世像 旧市街の出入り口、王宮広場にある。 ここから右手が王宮美術館、中央入って奥が旧市街広場。 |
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ホテル・ブリストル マレーネ=ディートリヒも泊まったというワルシャワの最高級ホテル。 オイロペスキーの裏にあるが、こちらの方がバス通りに面している。 画面の明るさが上のオイロペスキーと違うのは単なる天気の違いである。 |